壊しやすい呪いと壊れにくい呪い

 ……時折、混濁し続けていた頭の中が明瞭になり、俺が今何処に居るのかを思い出す度に、……俺は、お前の顔を思い浮かべるのだ。

「…………」

 最期に彼女の顔を見たのは、……俺が、を壊して血肉にした、あの瞬間だ。そうして、タルタロスに収容されたのは、組内で俺一人で。八斎會の他の連中は、他所の務所に入れられたのだろうが、それは加害者側に立った俺達だけの話だ。は、そうはならなかったはず。……は、彼女は、……一体、どうなった? 俺には、それを知る術すらもなく、発狂と焦燥を繰り返しては、何も分からなくなるまで思考を重ねては頭を煮え滾らせて、虚空を見つめることだけを、繰り返している。だからと言って、扉を開けて此処を出ていこうにも、……俺には、両腕がないというのに。
 ……、お前はあの後、一体どうなった? 生きて、いるのか。……それとも、やはり俺が殺して、しまったのか。もしもお前がもう生きていないのなら、いよいよ俺には、今生へのよすががない。それでも、舌を噛み切らずに此処に居たのは、もうそんな判別も付かない瞬間の方が多いから、かもしれなければ、俺はお前の安否を確かめるまでは死ねないと、そう、思っていたのかもしれない。

「…………、親父……」

 に、親父に、会えたところで、会ったところで、今の俺に何が出来ると言うのだろう。そんなことですらも、もう、うまく考えられないほどの絶望の中にどろどろと沈んでいた日々に、……突然、射し込んだのは、果たして、光だったのか、……それとも。



 ベストジーニストヒーロー事務所、それが今の私が身を寄せている場所で、私の勤め先だった。八斎會の解体後、公安に身柄を保護された私は、ジーニストさんからの個性指導を受け、自身の個性を粗方御せるようになるまで成長していた。……最初は、そんなの、全部が終わってしまった今では、何の意味もない、出来るようになったところで、何の役にも立たない、と、そう、思っていたけれど。……公安の人たちは、私に向かって確かに、言ったのだ。私がしっかりと、ヒーロー社会に貢献して、公安の期待に応えられたのなら、……廻の罪状の軽減だって、あり得るかもしれない、と。彼等から言われたその希望に、私は今日も縋り付いている。

『……きみの希望を摘もうというわけではないが、……私はあまり、公安はあてにならない、と考えている』
『あてにならない……? ですか……?』
『少々、語弊があるか……、正しくは、公安は信用に足るとは思えない、だ。……それでも、きみはその提案を一縷の望みと出来るのか? ……この先、生涯を閉じるまででも、それだけを信じて、ヒーロー社会で生きていけるか、

 ジーニストさんのまなざしは真剣で、……嗚呼、このひとは、私に嘘を言わないのだな、と。そう、思った。甘言などで惑わせ、丸め込んだりはしないで、自分にも他人にも厳しいこの人は、嘘偽りのない真実を、真摯に私に伝えてくれていた。……だから、多分、私がジーニストさんに師事したのは、彼のその言葉が決め手になっていたような気がする。公安の言う通りに、個性社会で、ヒーローの側に付くことで、私の望みが叶うのかどうかは、正直分からない。でも、もしも、……少しでも、可能性があるのならば、私はそれに賭けたいと、そう思った。今日からの日々を漠然と、失意に沈んで過ごすよりも、まだ、そちらの方に、たったの1パーセントでも、もう一度廻と出会える可能性があるのならば、私はそれに賭けたかった。……ヒーロー活動を休止していたジーニストさんは、その間に私の個性の指導をしてくれて、その後、No.2ヒーローのホークスさんの敵連合に対する工作の際にも、私はジーニストさんと共に、ホークスさんの計画に加担した。……それには、敵連合への復讐のつもりも、あったのかもしれない。私の個性“アウトブレイク”は致死量の毒性、……けれど、霧状の血液散布から始まって、現在は、手で触れた相手を麻痺させたり、動きを制御したり、という使い方も出来るようになった。血液を直接触れさせないことで、威力を半減、希釈させたりと、汎用性に富む個性の使い方を身に付けたのは、廻の個性の活用方法……、手指で触れて個性を発現する、あの戦い方を見てきたからこそのものであり、同時に、ジーニストさんの元で、彼の個性、“ファイバーマスター”の活用法を見たからこそ、それを参考に個性の使い方を学んだから、でもあって。……本当に彼には、お世話になったと思う。ジーニストさんが居なければ、多分きっと、私はあの閉鎖された世界の外で、生きていくことなんて出来なかった。それが今では、先の騒動、──ジーニストさんの復帰戦に置いても、彼のサイドキックとして、ギガントマキアの静止に、私も参戦して。それは、勿論、私の助力など、ジーニストさんに比べればちっぽけだったし、私が居なくとも、ジーニストさんは平気だったのかもしれない。私が現れたとき、事前に承知していたルミリオンさん以外は、驚嘆の眼差しで私を見ていたし、……私はきっと、生涯、心からヒーロー達に受け入れられることはないのだろう。そうして私もまた、ヒーロー社会を受け入れることは、きっと出来ない。けれど、ジーニストさんに恩義を感じているのは本当で、少しでも恩を返せたのならいいな、と。私は確かに、そう、思っている。現状、社会は混乱の最中にあり、とても平和とは言い難い状況で、これで良かったなんて、とても言えない。……けれど、今の生活は、……きっと、悪くない、もの、なのだと思うのだ。私はもう、自分の個性で誰かを傷つけることもないし、むしろこの個性で、人を助けることが多少なりとも出来ている。……けれど、心にぽっかりと穴が、空いていた。ジーニストさんに言われたのと同じことを、あの後私は、ホークスさんからも言われていて、……公安に期待はしないほうが良い、と。そう、彼等からきっぱりと言われているのだけれど。……それでも、思ってしまうのだ。……廻に、会いたい。もしも、今のこの生活が、全部無くなってしまって、すべてを失ったとしても。だって、私が失うことを恐れているものなんて、元より彼だけだったのだ。……会いたいよ、廻。どれだけ時間がかかっても、良い。どんなに困難な道でも、なんでもいいよ、……只、あなたにもう一度会えるのならば、私は、……どんな、ことだって。

「……情報操作には限りがある、何より、きみは正規のヒーローではないとは言えども、私はきみをサイドキックとして正規に雇っている。私はきみを信頼しており、誇りに思っている」
「……はい……?」
「だからこそ、。きみに隠し通そうというのは私の信条に反する。……簡潔に言おう、
「はい……ジーニストさん」
「……本日未明、タルタロスから集団脱獄があった」
「……え、」
「未だ、どれだけの規模で、誰が逃げ出したのか、正確には分からない……私からは現状では、それ以上のことが言えない」
「……そ、う、ですか……」

 ジーニストさんに言われた言葉の意味を理解するまでには、暫くの時間を要した。どっどっど、と心臓が激しく揺れ動いている。……タルタロスから、集団脱獄? 廻のいる、タルタロスから? ……それは、もしかすると、……まさか、廻、が。

「……大丈夫か、? 顔色が良くない、……すまない、動揺させることは分かっていたのだが……」
「……い、え。話してくれて、ありがとう、ございます……」

 ……ジーニストさんが、私にその事実を伏せずに伝えてくれたのは、……何よりも、サイドキックとしての私を信頼してくれている、という事実の裏付けに他ならない、……だから。私は、ジーニストさんを裏切ってはいけないのだ、絶対に。……そんなことは、ちゃんと、私にだって、分かっている。

「……大丈夫、です。私は、ちゃんと……」
「……承知した。だが、無理はするな、。少しでも不安に思った時には、思い悩む前に私に相談するように」
「……はい、ありがとうございます、ジーニストさん」

 ……それでも、そのまさかが、もしもが起きたときに、いったい自分がどうなってしまうのか、どうしてしまうのか、……募らせ続けたその想いの答えなどは、最早、自分自身にでさえも、分からなかったのだ。 inserted by FC2 system


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