果てまで地獄を愛させて

「此度の作戦に、私の方からサイドキックを一人同行させたいと考えている」

 オールマイトと共に雄英を離れて、エンデヴァー、ホークス、ジーニスト……現在のトップ3を中心として生き残ったプロヒーロー達の協力の下、僕が持つワン・フォー・オールを囮に、死柄木を連れ去ったオール・フォー・ワンを炙り出す作戦が決まった、その初期段階にて。……作戦会議のために集まった場に到着するなり、ジーニストの側からそのような申し出があった。

「それは構わないが……危険な作戦になるよ? 大丈夫なのかい?」
「無論。腕は私が保証する。ともかく、一度皆に紹介したい。ホークスと緑谷は面識のある人物だ」
「え? 僕と……?」
「入ってくれ。……

 、と。その名をジーニストが呼んだ瞬間、どくん、と心臓が跳ねて。続いて、扉を開けて部屋に入ってきた人物の顔を見上げて、僕は息を呑んだ。

「……ヒーローの皆様、はじめまして。ジーニストさんのサイドキックの、と申します」
「……彼女には現在、私のサイドキックとして我が事務所で働いてもらっている。正式なライセンスは持たないが、仮免は取得済みでーー……」

 ……、さん。死穢八斎會の騒動の折に、僕も面識がある。……というより、僕は彼女と、直接の遺恨がありすぎたからこそ、その後のさんの処遇については、相澤先生や通形先輩から聞き及んだだけだった、けれど。……彼女のことは、僕もずっと、気掛かりではあったのだ。さんの存在を僕が認識した際に、僕は彼女を救助対象として認識したし、実際、そのつもりで、僕たちは彼女を助け出した。……けれど、どうやら、“僕らにとっての救い”は、“彼女にとっての救い”ではなかったらしい、というところに関しても把握できていたのだ。……それも、やっぱり当時の僕には、彼女のそれは理解できない感情だったし、当時は未だ、さんは治崎の恐怖支配から逃れきれていないだけなんじゃないのか? 彼女だってエリちゃんと同じなんじゃないか? と、……そう、思いもしたけれど。……それでも、今ならば、ぼんやりと分かるような気がしたんだ。世界は白と黒だけでは塗り分けられない、灰色の部分も存在するんだと、僕にも少しずつでも、分かってきた、今だからこそ。「私は、被害者じゃありません」「私は、廻の共犯者です」「私は、彼を愛しているし、彼も間違いなく、私を愛してくれています」……多分あのときに彼女が主張していたことは、真実だったのだろうと、……僕にも少しは、分かるようになったの、だろうか。それでもやっぱり、僕には未だ、治崎の本意などは得体が知れなかったけれど、それも当然だ。だって僕は治崎と、まだちゃんと話したことがない。何を思って、治崎があの凶行に及んだのか、僕は知らなくて。……でも、さんとはこの際に、直接話をするに至ったのだった。

 ジーニストの説明によると、さんはあの騒動の後に公安で身柄を保護された、……というところまでは、まあ、僕も事前に聞き及んでいたけれど、ちょうどその時期、負傷によりヒーロー活動を休止していたジーニストが、さんの個性指導の担当者に選ばれるという経緯があったらしい。……それで、その際にどうやら公安が何か、よからぬこと、を画策していたとかで。それを察したジーニストと、……それから、ホークスの後押しもあって、さんは個性指導の後に公安ではなく、ジーニストの事務所で預かることになったらしかった。ヒーロー科での授業を受けてきたわけではないさんは、当然ヒーローライセンスを持っているわけでもなくて、ジーニストの事務所でも、今のままでは事務仕事しか手伝えないから、という理由で、彼女の方から個性を救助活動に使う方法はないか、という申し出があり、公安との審議の結果に、特別に仮免の試験を受けるに至ったさんは、無事に仮免を取得して、現在、ジーニストのサイドキックとして就業中、ということらしい。……昨年の秋口に、死穢八斎會の騒動があって、それから半年程度の間に、個性の扱いをイチから覚えて、仮免を取得するに至って、サイドキックとして仕事をして、……という、それがどれほど大変なことだったのか、それに、当時のさんの精神状態でそれを成し遂げることが、如何ほどに難しいことだったのか、……僕にだって、よく分かる。

「……私の態度次第で、廻……治崎廻の処遇を改めてもいいと、公安の方々は、そう言いました。私はそのために……それから、ジーニストさんに恩を返すために努めているに過ぎません。私をみなさんが信用できないのは、分かっています」

 ……そして、それを彼女が承諾したのは、治崎のためでしかないのだと、彼女は言うのだ。……多分、本当は、きっと。彼女にだって、そんな甘言はまやかしだと分かっていて、それでも。さんは、まるで執念のように、治崎を諦めない。それで、僕にも分かってしまった。ようやくあの場所から、治崎から、開放されたのに、どうして? なんていうのは、僕たちヒーローのエゴでしか無くて。……僕は、治崎を許せては居ないし、許してしまっては、エリちゃんが報われないから、多分この先も、まだまだ僕は治崎を許そうとは思えないと思う、それに、治崎を許すかどうかを決めていいのは、そもそも僕じゃない。あの日、僕たちが八斎會に突入したのは、きっと正しかった。治崎のやっていたことは、正当化されていいようなものじゃない、……治崎の考えていたことなんて、僕は知らないけれど、きっと治崎にも何か、理由があって。……本当のヒーローになりたいなら、白だけじゃなくて黒も、灰色の部分にも、手を伸ばしたいのなら。僕は治崎と、話をしなければならなかったのだ、きっと。……分かってる、あのときは、そんな余裕は誰にもなかったんだ。だけど、“仕方がなくてそれが最善だったから”と選び取ったものは、……確かに、さんという一人の女性を酷く傷付けて、彼女から全てを奪っていたこともまた、事実だったのだと。その事実を噛み締めると、頭の奥の方で、鈍い音が響くような心地がする。本物のヒーローを目指しながらも僕は、……確かに、彼女を傷付けて、そのまま突っ走ってきてしまったのだ。

「……皆が案じている理由は私にも分かっている、タルタロスから、他刑務所からもヴィランが放たれた今、もしもかつての八斎會構成員との再会に至ったのならば、が離反する可能性がある、と考えているからだ」
「いや、ちょ……ジーニスト、さんの前で其処まではっきり言います……?」
「良いんです、ホークスさん。これは、ジーニストさんとも既に話したことですし……皆さんに疑われる理由があることも、分かっています」
「……それで? 貴様は裏切らないと断言できるのか?」
「エンデヴァーさんまで……」
「悪いが、この事態なのでな。可能性は事前に潰しておきたい。どうなんだ、
「……わかりません」
「……何?」
「私、八斎會が好きでした。それに、私は治崎廻が、大好きです。彼等が困っているのを見つけたなら、私は間違いなく、助けようとする、と思います。もしも公安の方々が、私にはヒーロー側の人間になる資質がある、と。そう、思ってくれたのだとしたら……それは、私が彼等に、大切にされてきたからです。……今度は、私が返したい」
「…………」
「もしも、再会が叶ったのなら、自分がどうするのか……何を、望むのか。それが、私には未だ、わからないんです。ずっとずっと、廻に選択を委ねてきてしまったから……でも、だからこんなことになってしまった。彼に全てを背負わせた責任は、私にあります。だから……もしも、彼に会えたなら、話がしたい。今何を考えていて、これからどうしたいのか、知りたいんです。それに賛同するか、意見をするべきかは、彼に会うまでは、私にも分かりません……すみません、エンデヴァーさん……」

 ……それ以上、彼女に言葉を投げ付けることは、誰にも出来なかった。俯く彼女に対して、エンデヴァーですらもそれきり口を閉ざしてしまって、「少なくとも、は私を裏切らない。彼女は恩を仇で返せるような人物ではない」と、そう、ジーニストが言い切ったことで、さんも今回の作戦に加わることになったのだ。
 ……それ以来、僕も何度か、さんと話をする機会があった。彼女はいつもエリちゃんのことを心配していて、僕との会話の中で一番話題に上がったのは、エリちゃんの話。もしかしたら、治崎の話を僕とはしたくなかったのかもしれないけれど、それでも彼女は、エリちゃんの話をすると喜んでいた。相澤先生の元で過ごす彼女について、僕が知りうる限りのことを話して聞かせると、さんは、にこにこして、目をきらきらさせて、よかった、って。そう言って。……こんなにも、もう、全ての取り返しがつかないんじゃないか? と、ヒーローですらもそう言って諦める人がいるような、この現状、こんな日々の中で。さんがあまりにも嘘偽りのない笑顔で笑うものだから、……僕はなんだか、時々、彼女と話していると救われたような気分になることに、気付いたのだ。……それで、僕は、思った。

 だから、治崎は、あのときに、
 ……あんなにも必死の形相で、さんに手を伸ばそうとしたんじゃないのか? 治崎にとって、……彼女は、救いとも呼べる存在だったのかもしれない、と。……治崎がそんなことを考えるものかどうかは、僕にはまだ、分からなかったけれど。



 ざあざあと叩きつける強い雨の中、無線機越しにデクくんの声で私の耳に飛び込んできた名前に、呆然として、頭を強く殴られたみたいに、一瞬、何も考えられなくなった。……だから、本当は、あなたの顔を見るまで、不安で仕方がなかった。「きみなら心配は要らない、急ぐぞ」そう言って、背を押してくれたジーニストさんを、わたし、もしかしたら、ほんとうに、……うらぎって、しまうかも、しれない。さいかいしてしまったなら、じしんが、ない。……私は、世界と彼を天秤にかけたとき、世界を選べるの? ……そんなの、分かりきっていた。彼がそうしたように、私はきっと、間違いなく、世界よりも彼を選んでしまう。それが、世界にとって正しくなかったとしても、私にとっての正しさなど、元より彼の存在でしかないのだ。指先もつまさきも震えておぼつかない足取りで、それでもどうにかこうにか必死に走って、ジーニストと共に現場へと急行して、……稲光の薄明かりの先に、見覚えのある背格好が、立っていた。

「──オヤジとに会わせろ……! 俺にはもう、オヤジしか、しかいないんだ!」

 ……やがて、遠く眼前に彼等の姿を捉えたとき、降りしきる土砂降りの轟音で、その場の会話などまるで拾えなかったというのに、……それでも、その叫びだけは痛いくらいに耳に届いたのだ。

「オヤジに、謝りたい……! と二人で、オヤジの元へ、俺は……!」

 ……ああ、それが、あなたの望みなら。……私は、きっと。それに、応えたい。

「──廻!」
「! …………?」

 ちょうど、デクくんとの話が終わったところ、だったのか。ようやく彼のもとに辿り着いた私は、喉が潰れそうなほど必死に、大声で。死んでしまいそうなくらい恋しかった名前を、呼んで。こちらを振り向いた彼は、……本当に、信じられないというような顔で、私を見ていた。

「……、なぜ、……まさか、本当に、おまえが……」
「廻……! やっと、……やっと、会えた!」

 勢い任せにその胸に飛び込んで、けれど、両腕でバランスを取れない廻の身体は、後ろへと傾いて。彼を転ばせまいと咄嗟に、私の方へと重心を引き寄せたから、雨でドロドロの地面の上に、私は彼の下敷きになる形で落下する。それを見た廻が、はっ、とした顔で、「背中は痛まないか、怪我は」と慌てても、今の廻には、私の怪我を治せない。「すぐに退く」といっても、両腕を付いて起き上がることも出来ないから、依然、私を組み敷いたままで、そんな遣る瀬無さを噛み締めながらも、雨と涙でぐちゃぐちゃになった顔で、切ない目をして、、と。廻の喉仏が、震える。やっと会えたのに、私を護れない、抱き締められないから泣いている廻の分まで、私が必死に彼を胸に抱いて、……ああ、そうだ、もう、終わりにしようと、そう、思った。あなたの影に隠れて、護られて、助けられてばかりなのは、もう、おしまいにする。……やっと、分かった。私はヒーローになんてなりたくないけれど、それでも。

「…………ようやく会えた……」
「うん。……おかえり、廻」
「……ただいま、……」

 ……廻、あなたにヒーローは現れなかったし、私のヒーローは、あなただけだった。だから、今度は私が、……あなたの、ヒーローになってみせる。そうだ、私は、あなたを護りたいのだ。 inserted by FC2 system


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