優しいものはなべて灰

 灰掘の森林の奥深く、異形排斥主義集団CRCがかつて跋扈していた時代に使われていたアジト跡地の洋館、ヒーロー一行がオール・フォー・ワンを追って、その場に向かった際に、……私は、ジーニストさんから警察側の護衛として待機を命じられた。警察の彼等の護衛、……そして、治崎廻、レディ・ナガンの監視役として、私は二人が秘密裏に運び込まれた病院へと、ひとり、留まっている。

「……ナガン、さん……」

 ガラス窓を隔てた、集中治療室の向こう側。寝台に寝かされたナガンさんの皮膚はぼろぼろで、……どうしようもなく、やるせない気持ちになる。経緯や事情はどうあれ、彼女は、廻を此処まで連れてきて、護ってくれていたひとだ。……彼女に対して、複雑な気持ちがないと言えば、それは嘘になる。でも、それ以上に、……私は、あのひとに恩を返したかった。彼女が廻にしてくれたことは、私が廻にしてあげたくて、その場にいない私には出来なかったこと。彼女が廻に向けた銃口は、私にとって、許せないもの。……でも、その両者に因果関係はなくて、別の問題。其処を、履き違えてしまっては、見たいものは見えなくなってしまうと、ちゃんと、私にも分かっている。目を覚まさない彼女の横顔に、……もしも、私の個性が、何かを壊すものじゃなくて、何かを治すものだったなら。廻のように、やさしい個性が私にあったのならば、今、彼女を助けられたのかもしれないのに、と。考えても仕方がないことを、ずっとずっと、考え続けてしまうの。誰も私に其処まで求めてなんていなくて、マイナス地点から始まった私は、私なりに、頑張っている、とは、思う。……でも、足りないのだ。まだまだ、全然足りない、……私には、ナガンさんを治すことも、……それに、廻を治すことだって出来ないのだから。

「……、何処に行っていた?」
「ナガンさんの様子、見てきたの。ごめんね、ひとりにして」
「…………」
「……廻?」
「……何処にも、行くな。俺を一人にしないでくれ、……」
「……うん、だいじょうぶよ、廻。私が、そばにいるから、ね?」
「……ああ……」

 監視、護衛なんて名目ではあるけれど、実際のところは、……私は、廻の現状を鑑みた上で、彼の傍での待機を命じられたに過ぎなかった。実際、もしも今、ヴィランに襲撃されたら、私一人で太刀打ちできるとは思えないし、かと言って、見張りがいなければ、廻が姿を消すとも思えない。……今の廻には、そんなことは、多分、もう、出来ないのだ。自分で扉を開けて出ていくことすら叶わない彼に、本当は、監視なんて必要ない。だから、私が待機を命じられたのは、どちらかというと、……私を引き離すことは、今の廻にとって良い選択ではない、と。ジーニストさんが、そう判断したということ。私はそんな彼の判断に、一度は異を唱えようとした。そんな温情を掛けられてしまっては、私をこの作戦に加えてくれたあなたに対して申し訳が立たないと、そう思ったから。……でも、反論の言葉を、結局、私は唱えられなかったのだ。

「……傍にいてくれ…………」

 縋るように絞り出されるか細い声、……もしも、今、作戦中に私が、命を落とすようなことがあったなら。このひとは、ぽっきりと折れてしまうんじゃないかと、そう思えて仕方がなかった。廻をこの世界に繋ぎ止めていたよすがは、ずっと、私とお父さんだった。だから、この状態の彼と一度再会が叶った今、……彼から目を離すのが、私は怖くて堪らなくて、……ああ、やっぱり。皆のヒーローになんて、なれそうにないなあ、と。そう、思ったのだ。そうして、大丈夫だよ、と廻を宥めて、手を握ってあげることも出来ない私は、まっしろな寝台に横たわる廻の頭を、まるで子供にするみたいに撫でてみる。

「……髪、伸びたね」
「……ああ、可笑しいか」
「ううん、長いのも格好良いよ」
「……そうか。……、おまえは、」
「なあに? 廻」
「……あれからずっと、ベストジーニストの元に居たのか」
「……うん、一度は公安にお世話になってたのだけれどね」
「……公安とは、また厄介な連中に……」

 ヒーロー公安委員会のもとで、身柄を預かられていた頃。そのまま、公安で仕事をしないか、という打診も受けていた。当時、私は公安の暗部なんて何も知らなかったけれど、ホークスさんがあまりにも私を公安から遠ざけようとするものだから、何故なのかを、聞いてみたことがある。最初ははぐらかそうとしてきたホークスさんだったけれど、私は、公安の信用を勝ち取れる方の選択を取りたい、だから、何を任されようとしているのかをちゃんと知っておかなきゃいけない、と、そう、食い下がったら、……彼は渋々、教えてくれた。公安は、私にヒーロー社会の秩序を守るために、暗殺役をさせようとしていた、そうだ。……最初は、ホークスさんが何を言っているのか、さっぱり分からなかった。“指定ヴィラン団体”に身を置いていた私は、出自の都合も良い、という意味も、全然分からなかったけれど、……ナガンさんのことを知って、ようやく理解できた気がする。きっと私は、彼女がしていた仕事の一部を、引き継がされるところだった、のだ。正しくは、ホークスさんよりも、……男性よりも、女性が担ったほうが、効率が良い部分を。……私の個性は、いくらでも悪用が出来るから気を付けろと、廻に何度も言われたことば。それが、本当だったのだと初めて知ったのは、皮肉なことに、ヒーロー社会の秩序を担う組織の彼等からの甘言によるものだった。例えば、ターゲットに女として近付いて暗殺するとか、食べ物に血を混ぜて毒殺するとか。そうして、ヒーロー社会を存続させる……私が任されるはずだったのは、そういう仕事、だったのだろう。それで、もしも私の仕業だと発覚した際には、ヴィランとして捕らえてしまえばいいだけのこと、だったから。死穢八斎會の元構成員、という私は、公安にとって、きっと、心底都合のいい人材で、……世間知らずの私は、そんな思惑に気付かずに、此処まで彼等の策に乗り、……きっと、ジーニストさんが無理矢理にでも腕を引いてくれなければ、……今こうして、廻と再会することだって、叶わなかったのだろう。

「……もう、お前が誰に何をされたところで……」
「……廻?」
「……俺じゃ、護ってやれないんだ……」
「……そんなこと、ないよ。私は廻がいてくれたら、それだけで……」
「ああ……俺も、同じだよ、……。だからこそ、だが、」
「……うん」
「……どこにも、いくな。俺は、お前を追うことすら出来ない、だから……」
「うん……うん、だいじょうぶよ、廻。私、ちゃんとここにいるから、もう二度と、あなたをひとりになんて、しないから、ね……」

 唇を噛み締めて、苦しげに言葉を吐き出すあなたに、……私、何をしてあげられるのだろう。安心させようと髪を撫で、頬に触れて、そんなに噛んだら切れちゃうよ、と薄い唇をなぞる。腕を付いて起き上がることすらままならない、バランスを取れずに転んでしまう、弱々しいあなたの世話を焼いて、涙を拭って、こうして、傍にいることしか、私には出来ないのだろうか。手を引いて歩くことすら叶わない今、……私にしか出来ないことは、何処にあるというのだろう。私は、あなたを護りたいのに、私が彼にしてあげられることは、あまりにも少なすぎた。 inserted by FC2 system


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