感情に両手をくくられて生きること

 私がという人物と出会ったのは、昨年の秋の終わりも近付く間際の出来事だった。ヒーロー公安委員会より私へと紹介された彼女は、書面上では“死穢八斎會騒動の被害者”で、“騒動の折に組織内部より保護された二名の内の一名”として処理されていた。彼女と共に救出されたもうひとりは幼い女児童で、その後、雄英高校の管轄で預かりという措置になったらしいと聞き及ぶ。……では、何故は同じ扱いにならなかったのか? と問われれば、それは単純な話であり、同時に、それほど簡単な問題ではない。……事の顛末は、こうだ。は既に成人した女性であり、今後、雄英高校に入学する……といった可能性は彼女には存在せず、雄英で預かる意義が薄く、また、前述の女児よりは個性の制御も出来ているため、イレイザー・ヘッドの支援を必要としない。……そもそも、イレイザーの個性では、の個性を御せない可能性が高く、彼女には自分の手で、個性を完全に制御する術を身に付ける必要があった。かといって、学生の中で個性指導を共に受けさせるのは困難であるし、第一に彼女はヒーロー志望ではない。……だが、には可能性があった。先の死穢八斎會の騒動の中で、は個性の進化の可能性を提示している。戦闘の中で、急激に彼女の個性が“伸びた”という旨を、現場で彼女を目撃していたヒーロー達が証言してしまったからだ。……アウトブレイクと名付けられた彼女の個性は、血中に致死毒を持つという単純なものでありながら、彼女由来のその毒性は、安々と解析できるような代物では到底無く、……だからこそ、しようと思えばいくらでも悪用が出来た。

『……自惚れに聞こえるかもしれないが、私を全く知らない人物と出会うのも珍しい。これでも、世界でモデルとして活動しているのでな』
『……ごめんなさい、私、あまり外に出ることがなかったので……ジーニストさんのことも、知らなくて……』
『……外出や情報を、制限されていたのか?』
『やっぱり、そう聞こえますよね……。でも、違うんです……私が、外の世界を知りたくなかっただけなんですよ。きっと、私には一生無縁だと思っていたから……だから、廻たちは、私がその現実に触れて傷つかない程度に、其処から遠ざけてくれていただけ、なんです』

 それは、と出会った日に、彼女から告げられた言葉ではあったが、……その言葉裏に、彼女の知らない真実があることにも、私は気付いていたさ。と治崎廻は、中学を卒業した後に、家庭……組の事情なのだろう、高校には進学せずに、それ以降から次第に、を八斎會本部付近で目撃した近隣住民の証言は緩やかに減少している。そんな事情も相まって、は救出された女児の母親であると目されていた訳だったのだが。……実際のところは恐らく、中学卒業後、いずれかのタイミングで治崎はの個性の真相を突き止め、……の個性を悪用されることを案じて、を隠したのだろうと、私は見ている。個性の、存在諸共に、治崎は彼女を秘匿したのだ。……それも、『自分は被害者ではない』『治崎廻の共犯者である』『治崎とは互いに愛し合った関係で合意の上での凶行だった』という彼女の証言を信じた上でなら、理解も出来る話だ。……まあ、彼女の証言を心から信じている人間は、現在、誰一人としていない。には、明かされていなかったが。……あの後、治崎以外の構成員も全て取り押さえられたものの、直属の部下は全員、獄中へと送られる前に、取り調べにて、全員が全員、同じ旨の供述を残しているのだ。『は被害者であり、一連の犯行には一切関わっていない。彼女は我々の計画における被害者である』……そう、誰も彼もが証言を残している以上、一人がそれを否定したところで、“自分ひとりが助かることで、治崎の報復を恐れているが故の虚偽の発言である”としか、考えられない。状況を鑑みれば、が已むを得ずに虚偽の証言を重ねていると考えるのが、確かに妥当ではある。結局はそれこそが、警察やヒーロー公安の出した結論であり、同時に、死穢八斎會騒動に多少なりとも関わったヒーロー達の総意であった。……まあ、それも一般論では、だが。
 私は、そうではない。……というよりも、個性指導の師として、という人間と接点を持つ中で、……恐らく、真相は彼女の言葉の中にこそあるのだと、そう、結論付けたのだ。
 の持つ個性は、実に難解だ。その血液ひとつで、幾らでも悪事を成せて、足が付きづらい。実際、が死穢八斎會……指定ヴィラン団体という、どの方面からも安々と手を出せない場所に元に身を置かれていなかったのなら、今頃、重大な事件の被害者になっていた可能性……それこそ、オール・フォー・ワンの手に彼女が渡っていれば、どうなっていたものかも、分かったものではないのだ。だから、私は、……“治崎廻はを保護するべく彼女を囲っていた”というの証言には、外野や獄中からの言葉よりも、余程の信憑性があるように思えたのである。尤も、それはという人間を傍で見ているうちに、思い至ったに過ぎないが。

 そうして、恐らく治崎が危惧していたのであろう最悪の事態は、……よりにもよって、ヒーロー公安委員会の手で叶えられるに至ってしまった。公安から私への依頼は明快で、“の個性運用を実践可能なレベルまで引き上げて欲しい”というもの。……つまるところ、警察から公安の手に身柄が引き渡された時点で、彼女の意志など度外視して、は公安任務に実戦投入されることが決定していた。不遇の環境で育った彼女への、社会復帰・更生プログラムの一環だと言えば聞こえは良いが、それは、そうも優しいものではない。書面上も、公安の担当職員の言葉も、濁されてはいたが、つまるところの彼女の役目とは、レディ・ナガンの失脚により後任者……ホークスへと引き継がれなかった職務の一部、“女性にしか出来ない仕事”を片付ける体の良い掃除屋でしか、なかったのだ。ましてや、は指定ヴィラン団体の出身で、もしも彼女が失態を犯し“公安任務”が世間に露呈したところで、彼女一人に責任を追わせることで公安が難を逃れる、という使い方も出来るだろう。……自分が思い至ったその疑念を、ホークスへと直接問うた私に対して、ホークスは苦い顔で、協力を申し出てきた。……それで、私が確信に至るには十分だった。私は、ホークスは、プロのヒーローだ。汚れ仕事にも手を染めなければならない場合もあるかもしれない、……だが、は違う、そうではないのだ。
 私が彼女に其処までしてやる義理などは、無かったのかもしれない。だが、ヒーローとして以前に人間として、大切な人間のためにと、指先がぼろぼろに傷付き爪が剥がれかけるまで鍛錬に励み、陽の当たらない地下で過ごした華奢な体に鞭打って、公安の提示した絶望を希望と信じて、懸命に必死に前に進もうと、……たったひとりを助け出そうと、泣きながら奮闘する彼女を前に、を見過ごす選択肢など、あっただろうか。

 ……結果、は個性訓練を修了する頃に、私からの要請で、サイドキックとして私の事務所で預かることになったのだった。
 公安との今後の軋轢になるかもしれないほどの強行を起こしてまで、私が彼女を引き取った理由はいくつかある。単純に、ヒーローとして見過ごせなかったから。実際、彼女にはまだ伸び代があると思ったから。練度が物を言うの個性は、今後も私が指導したほうが伸びると思ったから。訓練を経て、毒性に強弱をつけたり、目標に個性を行使する以前に、自身の血液を“解析”し、麻痺や催眠と言った“要素”のみを命中させることまで出来るようになった彼女は、捕縛や拘束と言った役割に秀でている。単身での救助活動は難しくとも、私とのコンビネーションを前提にすれば、互いに益があると確信できたという、単純に人材として欲しかった、なんて理由もある。だが、やはり一番は、……世界中の誰にも言葉を信じて貰えない彼女を、少しだけ理解できた私くらいは、信じてやりたかったという、それだけだったのかもしれない。

『ーー廻!』
『! …………?』

 デクからの無線を受けて、土砂降りの雨の中を走って、走って、走って、泣きそうで不安で仕方がないと言った表情で、ずっとずっと、縋るような目線を私に向け続けていた彼女が、私の支持も待たずに飛び出して、その名を呼んで、不自由な体を抱きしめて、その身を庇って、足場の悪い地面に倒れ込んで、泥だらけ、ずぶ濡れになりながらも笑って、泣いて、ぎゅう、と。……まるで、もう二度と離さないと言わんばかりにあの男を胸に抱く彼女を見たときに、私は、……嗚呼、私の選択は確かに正しかった、と。そう、思った。最早、疑う余地などはない。エンデヴァー、ホークス、デク、皆一様に、困惑の眼差しで胸中の二人を見つめていた。止めるべきか、引き剥がすべきかと逡巡する彼等を、私は無言で制して、……そうして、思ったのだよ、

『…………ようやく会えた……』
『うん。……おかえり、廻』
『……ただいま、……』

 ……死穢八斎會の一連の騒動に、私は直接携わっていない。書類の上で、そして聞き及んだ範疇でしか、私は事実を知らず、同時に、それだけでも、治崎廻という男が引き起こした凶行には、眼を瞑ることは出来ないと考えている。彼は、犯罪者であり、未だ矯正を必要としている人物だ。が信じた人間だからといって、私には無条件で治崎を免罪する事は出来ない。……だが、悪を断罪するのがヒーローではなく、矯正する存在こそがヒーローであると、私は考えており、同時に、私はは信じるに足る、私の頼もしいサイドキックであると考える。きみの往く道に平穏と安寧が待ち構えているのかは、未だ分からない。だが、私は、きみの師として、監督役として、……或いは、友として、だろうか。その行く末を見守ろう、導こうとも。きみが再び結んだその糸が、望み通りの赤色であることだけを、祈って。 inserted by FC2 system


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