星と蛇

「……なんだ、その怪我は」

 廻の居る病室に戻る前に、「ちょっとだけ失敗しちゃった」だとか、「掠り傷なんだよ」だとか、弁明の言葉を色々と考えていたものの、実際のところ、部屋に入るなり、私が取り繕って笑ったりとぼけたりする前に、真っ青な顔で私をまっすぐに見つめて、震える声でそう言い放った彼に、……私は、何も言い返せなかったのだ。だって、本当は、私が用意していた気休めの言葉では、廻は決して納得するはずもないと知っていて、廻が承知しないだろうな、と分かっていながらも、彼の病室を飛び出していったのだ、私は。

「……あのね、院内で、暴動が起きたみたいでね」
「それに、お前と何の関係がある?」
「……お医者さんに頼まれたの、社会への不安、ヒーローへの疑心暗鬼と、オール・フォー・ワンの手先が攻めてくるかもしれない、って強迫観念で、患者さんが暴れてるから、私の個性で鎮圧して欲しい、って……」
「……それは、」
「うん?」
「……俺が、ヴィランが、……この病院に、居るからか」
「……違うよ」
「……俺のせいで、お前が戦わされたのか」
「そうじゃないよ、廻……只、私が、ベストジーニストのサイドキックとして此処に居るから、だよ」

 ……本当は、廻の言う通りで。確かにそれだって、理由の一つだった。“元死穢八斎會の若頭”が“この病院に匿われていること”と、“ジーニストの事務所から派遣された私”が、“彼の関係者であること”に察しのついている病院関係者は、既に数多く。これだけ付きっきりでいればそれも当たり前だし、もしも、その一点を責められたとしても、私には申し開きをするつもりはない。私はヒーローじゃないけれど、彼等にとっては、ベストジーニストが派遣してきた私は確かにヒーローも同然で、病院の関係者から口を揃えて、「あんたの要望通りにあの男を匿っているんだから、あんたも自分たちを護ってくれ」と言われてしまったなら最後、私には反論の余地はない、というのもまた、事実ではあるのだ。……でも、それは私が出動した直接の理由じゃないし、それだけが理由だと、廻に思って欲しくない。廻は今、只でさえ私を護れないことに負い目を感じているはずなのに、……彼にこれ以上の追い打ちをかけたくはないから、そんな風に思わせたくはなかったのだ。

「……傷は、痛むか」
「へいき、だよ。かすり傷だもん」
「……だとしても、女が顔に傷を残すもんじゃない」
「……大丈夫だよ、傷があっても、廻は私を大切にしてくれるもの」

 反射的に私の傷を治そうと伸ばした廻の腕が空を掻いて、……ああ、私はまた、廻に悲しい顔を、させてしまった。こんな状況だとしても、少しでも、廻が心安らげば良いと、彼が赦されればいいと思って傍にいるのに、現実は過酷で、私は結局、此処に居るだけでまた、廻を傷付けてしまっている。……違うんだよ、廻。プロヒーローのサイドキック、という生き方を決めたのは私なんだから、廻の責任なんかじゃないよ。私は只、……あなたともう一度会うために、自分に出来る最善を尽くすためにこの道を選んだのだから、……あなたには本当に、何の責任もないのに。それでも、あなたは。何度も何度でも、苦虫を噛み潰したような顔で眉根を寄せて、苦しげに苦しそうに、うつむきがちに、絞り出すような言葉を吐き出すのだ。

「……俺が、間違っていた」
「……廻?」
「自分がまだ何者かになれると信じていたのは、俺の方だ。俺は自分の個性で、社会を変えられると本気で信じていたし、成し遂げるつもりだった。お前のことも、オヤジのことも、俺は、全て……」
「……分かってる、廻は、頑張ったよ」
「だが、結果は付いてこなかった」
「……でも、」
「結果が付いてこなかったのでは、意味がない。……俺は、間違っていた……オヤジが正しかったとは言わない、オヤジの選択だって、確かに自らの首を絞めるものだったのだろうが……俺のは、それ以上だ。結局、俺はオヤジを、八斎會を、死に急がせたに過ぎない」

 病室の寝台の上で項垂れながら廻が絞り出した言葉は、……確かに、間違いではないのかもしれない。結果だけを見れば、客観的にこの一連の事象を捉えたのならば、廻はきっと、正しくはなかったのだろう。……でも、それは、廻だけの責任じゃないのだ。廻は悪くなんかないよ、なんてことは私にだって言えないけれど、……悪かったのは、私だって同じだ。私は、廻を止められなかったし、止めなかった。それどころか、彼の往く道を無責任にも肯定してしまった。廻の選んだ道なら、結果はどうあれ私は着いていくと彼を後押ししてしまったことが、……どれほどに彼を苦しめてしまったというのだろう。

「俺はこの個性で、何かを変えられると思っていた……だが、結局、俺は八斎會を終わらせて、オヤジを寝たきりにして、……、おまえのことを、殺したのだって、……俺の個性だ」

 ……あの日、瓦礫の中で、私は廻に残酷な決断を強いた。『私を、壊して』……廻は、私に乞われたならきっと断れないと、知っていたのに。『廻とひとつになりたいの、おねがい』廻は、私の願いは全部叶えてくれることだって、知っていたのに。『これは、いつでも叶えてくれるって、そう言ったよね?』……そんなの、そういう意味じゃない、って、ちゃんと分かっていたのに。私は廻の傷口に付け入って、彼の愛情を利用した。……彼に勝って欲しいが為に、「私を殺せ」と。彼にそう、命じてしまったのは、私の責任だった。

「……俺も、個性など持って生まれるべきじゃなかったんだ……」

 ……その結果が、この答えだと言うのなら、

「……違う、それだけは、ぜったいにちがうよ、廻……」

 本当の責任は、絶対に私にある。

「……だって! 廻の個性は、私を助けてくれたのに……!」

 幼少の砌、私が未だ孤児院に居た頃。……私は、周囲の子どもたちから石を投げられて育って、周囲の大人たちから迫害されていて、そんな私に手を差し伸べてくれたのは、廻だけ。彼、ただひとりだけだったのだ。廻と出会って、彼がその個性で私の傷を癒やしてくれなければ、私はこんなかすり傷よりも酷い古傷だらけの身体になっていたかもしれないし、それ以前に私は、とっくに死んでいたのかもしれない。私が五体満足で生きているのは、廻の個性のおかげで、心折れずに此処まで歩いて来られたのは、彼の存在あってこそだった。その個性のせいで、廻が他のすべてを失ってしまったのだとしても、私こそが、治崎廻は、決して間違った生なんかじゃなかった、というその証明に他ならないのだ。

「……ごめんね、いつもいつも、廻にばかり、つらい想いをさせて……」
、それは違うだろう……」
「違わないよ。……私は、廻のおかげで生きてる。今、こうして傷ついたり、戦ったり出来るのだって、廻のおかげなんだよ? あなたは、私を生かしてくれた。私を解したことを、あなたは気に病んでいるのかもしれないけれど……それだって、命あっての物種だよ? あなたは私を生かしたんだから、私の命に、あなたは相応の権利を持ってるんだよ……」
「…………」
「だから、もう、そんなこと言わないで……お願い、お願いだから……」

 ぎゅう、と抱き締めた身体は少し強張っていて、抱き締め返すことも叶わない不自由さに彼は、きっと、まだまだ慣れないのだろう。成そうと思えば何でも出来てしまえる、聡明なひとだったからこそ、大望を夢見た。だからこそ、何も出来ない現状の歯がゆさは、きっと私に想像出来るようなものではないのだと、ちゃんと分かっている。……でも、それでも。私はやっぱり、あなたに生きていて欲しいし、今日を悔やんで欲しくなくて、明日を見つめていて欲しい。そんな風に思ってしまうことこそが、最早この上なく残酷な仕打ちでしか無いのだということさえ、分かっていたとしても。

「……ねえ、廻」
「……ああ」
「お父さんのこと、間違ってたと、そう、思っているのね?」
「……思っている。俺は、早計だった……もっと根気強く、オヤジと話し合うべきだったんだろうな……」
「……廻は、あのとき十分、頑張ったと思うよ」
「それでもだ。……互いの意見を呑めないなら、他の選択を探すべきだったんだろうと、今は思う」
「……そう、だね。……ねえ、じゃあ、エリちゃんのことは?」
「……壊理?」
「うん、エリちゃん。……緑谷くんと、約束したんだよね?」
「それは、あの病人が一方的に言い渡してきただけで……」
「だとしても、……緑谷くんは約束を守ると思うよ」
「……あれは、そうも義理堅い人間なのか」
「うん。私も、そこまで緑谷くんを知ってるわけじゃないけれど……多分、そうだと思う」
「そう、か……」
「……それで、廻は?」
「俺……は……」
「……廻は、エリちゃんにしたことを、間違っていたと思ってる?」

 ……結局、その日は未だ、私の問いかけたその言葉には、廻からの答えらしき返事は返ってこなかった、けれど。昨夜よりも幾らか、その晩は廻が落ち着いた様子のように思えたから、窓の外の退廃した夜景を眺めて思案に耽る横顔を見つめている時間も、不思議と昨晩よりも不安にならなくて、私は少しだけ晴れやかな気持ちで、彼に差し入れられたお見舞いの林檎の皮を、剥いたのだ。 inserted by FC2 system


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