凍てつく月曜日の盲者

※幼少期捏造。内容に単行本32巻で開示された情報を含みます。



 施設からお父さんの家──八斎會の本部のお屋敷に引き取られてからしばらくした頃、私と廻は、お父さんの勧めで小学校に通うことになった。

「……ああ、治崎、お前さん早生まれなのか。だと、とは別の学年だな」
「……ああ」
「え……お、おとうさん、はやうまれってなに? わ、わたし、かいくんといっしょじゃないの……?」
「ああ、そうだなあ……治崎の方が、学年はひとつ上になっちまう」
「で、でも、かいくんと私、もうすぐ、ろくさいで、いっしょだよ……?」
「んん……あのな、、小学校に入学するときは、四月生まれから三月生まれまでが同じ学年になるんだよ。ここまでは分かるか?」
「うん……?」
「治崎は三月生まれで、もその三月が過ぎたら六歳だろ? だから、治崎の方が、よりもひとつ上の学年になるんだよ。……俺も、出来ることなら同じ学年にしてやりてぇけどなあ……」
「……しかたない、組長のせいじゃない。これは、学校側からそう決められていることだ」
「で、でも、かいくん……」
「……
「……うん」
「らいねんには、お前も小学校に入るんだ。組長が入れてくれる。そうしたら、同じ学校にかよえるから……それまでがまんできるな? 
「……うん、かいくん、わかった……」

 ──そう、いっしょに小学校に入学する、はず、だったのだけれど。……幼い私はまだその頃、学年というものも、早生まれ、遅生まれという概念についてもまるで分かっていなくて、歳が同じだった廻とはもちろん、いっしょの年に小学校に入れるのだと思いこんでいて、だからこそ、入学も楽しみだったのだけれど。……どうやら、そうではなかったらしい、と私が知る以前から、多分廻にはそれがちゃんと分かっていたのだと思う。分かっていたけれど、そう伝えれば私が落胆するのが目に見えていたから、黙っていてくれたのだ、きっと。
 廻の誕生日は三月二十日で、彼はいわゆる早生まれ。要するに廻と私は歳こそは同じだったけれど、学年という視点から考えると、私は廻よりもひとつ下、ということになる。……それはつまり、私は廻といっしょに小学校に入学することも、卒業することも出来ない、ということを意味していて、……同時にそれは、中学や高校に上がってからも廻と同じ学年、同じクラスで一緒にはなれなくて、同じ教室で勉強することも休み時間を過ごすことも、出来ないのだということ、だった。──正直に言って、子供の頃、いつも周りのひとたちに怯えて廻の背中に隠れていた私にとって、それは、とてつもなくこわいこと、で。……そう知らされたときは本当に不安だったし、嫌だった。学校なんて、行きたくない、と思ったくらいには。……だって、廻といっしょにいられないのは、怖い。寂しいし、悲しいし、それに、……廻と離れてひとりでいたら、また、みんなから石を投げられるかもしれない、という恐怖もあって。けれど、結局は私にはどうすることも出来ずに、やがて廻は私より一年先に小学校に入学して、私はお父さんのお屋敷でぽつん、と。廻が学校から帰ってくるのを待つ日々が続いたのだった。

「……、ただいま」
、ちゃんとるすばんしてやしたか?」
「! かいくん! はりくん! おかえりなさい!」

 二人が小学校に行っている間は、入中さんがよく私の相手をしてくれていて、そんな事情もあって子供の頃に入中さんと一番いっしょに過ごして貰っていたのは、私達三人の中では私だったように思う。だからこそ入中さんは、大人になった今でも何かと私のことを気にかけてくれるのだろうなあと思うし、私にとっても入中さんはずっと、身近にいる誰よりも信頼できる大人で、……だからこそ、入中さんが廻の計画に賛同してくれたときは、嬉しかったなあ。私だけじゃなくて、廻と針くんのことも、入中さんはずっと子供の頃から知っているし、廻が本当に組のことを大好きで、八斎會やお父さんの為に頑張っていたのだって、ずっと見てきたから。……だからこそ、入中さんは廻を信じてくれたのだろうな、と。私はそう、思っている。
 学校から帰ってきた廻と針くんから、小学校での出来事を聞くのが毎日楽しみで、……けれど同時に、私の知らない場所で過ごすふたりの話を聞くのは寂しくもあって。ランドセルから宿題やテストの答案を取り出しながらその日にあったお話をふたりから聞く時間は、わくわくするような、取り残された気分になるような、私にとっては、とても複雑な時間だった。学校のテストでいい点数を取った廻が、お父さんに褒められて頭を撫でられているのを見ていると、私も嬉しいと思ったし、私も頑張らないと、って、……そう、思ったけれど。……まるで、廻が遠いところに行ってしまったみたい、私の知らない彼がいるみたいだと思って私がひとりで落ち込んでいると、いつも廻は私の隣に座って、お父さんの真似をしてぎこちなく頭を撫でながら、私の話を、聞いてくれたっけ。

「……かいくん、がっこうたのしい?」
「……いや、そうでもない」
「たのしくないの? がっこう、イヤなところなの?」
「そうだな……がいないから、俺はあまり楽しくはない」

 学校楽しい? って、私がそう聞くと廻が決まってそう答えるものだから、私から廻を取ってしまう学校、という場所は嫌いだったけれど、廻にとっては学校よりも私の方が大切なのだと思えて、私はそれが、なんだかとてもうれしくて仕方がなかったことを、よく覚えている。──でも、私が知らなかっただけで、当時、既にオールマイトが台頭し、お父さんたちは、“指定ヴィラン団体”という名称で扱われるようになっていたから。廻と針くんは、“極道の家の子”として、小学校の中でも悪浮きしてしまっていたらしいのだ。ふたりがクラスメイトから妙に距離を置かれたり、喧嘩になったり、上級生に呼び出されたり、なんて言うのは日常茶飯事で、……廻は遅生まれで、同じ学年の子供──十歳にも満たない子供からしてみれば、自分と一歳近く歳が離れている廻には簡単に勝てる、と思った子も多かったらしい。……子供というものは本当に安直で、残酷だ。個性教育もまだ未熟な小学校の子供達と、廻は何度も喧嘩になって、その度にあっさりと圧倒して、それで、小学校から家に連絡が来たことも何度もあったみたい。……学校側もうちには萎縮していたし、お父さんたちが私には気付かれないようにしていたから、私がそのことに気付くのは、それからしばらく、数年ほど経ってからのことなのだけれど。

 学校に行っても、其処には私が居ないからつまらない、と言った廻の言葉は嘘ではなかっただろうし、そう思って駄々をこねるのを我慢しているのは私だけじゃないんだ、と思えたことが、私は本当に嬉しかった。……でも、それと同時に、廻が学校を嫌いだったのは、家のことやお父さんのことを悪く言われたり、舐められたり、怖がられたり、といった周囲が煩わしくて仕方がなかった、というのも大きいのだと思う。遅生まれだから同学年のみんなより、勉強も運動も出来ないかもしれないし、それは仕方がないこと、なんて大人の考えを裏切るように廻は成績も良くて、運動だって出来たし、個性の実技もいつも誰にも負けなかった。それどころか、きっと廻は当時から、学校の授業なんて退屈で仕方がなかったのだろうなあ、とも思う。子供の頃から、大人が読む医学書を読んでいるようなひとだったし、廻は大抵のことは理屈さえ通った物事であれば、大人が噛み砕いて説明なんてしてくれなくとも、本を読むだけで理解できたし、彼には机上の空論で終わらせないだけの行動力もあって、努力家で、……そんなの、どう考えたって何もかもが退屈だったんだろうなあ、いつも。──中学を卒業してからすぐに、組の仕事の手伝いを始めた廻と針くんとは違って、私ひとりだけは高校にも上がったけれど、もちろん学生時代に廻と同じ学年になれたことは、一度もない。だから、本当は廻が教室でいつも何を考えていたのかについては、……やっぱり、私に知る由もない。

 私は学生当時、まだ無個性だと思われていたし、……多分、お父さんは将来的に、もしも私が八斎會から離れて生活することを望んだときに、それが出来るように、という願いも込めて、私のことは高校に通わせてくれたのだと思う。……お父さんの娘さん、エリちゃんのお母さんのように。私に選択肢を残そうとしてくれていたのだと、そう思うのだ。中学までの義務教育とは違って、高校や大学への進学となると、指定ヴィラン団体の名を着せられた立場から子供を入学させるのは、けっこう大変だったはずなのに。それがあるからこそ、廻も針くんも進学は選ばずに、組の役に立とうと考えたのだろうに。……ふたりみたいに、早くから組のために役に立てるこ何かが私にはないから、なんて。……やっぱり私、八斎會にとって足手まといなんだな、って。ひとりで学校に通って、教室で授業を受けていると、嫌でもそればかりを考えてしまったから。……廻のことなんて言えないくらい、私も学校、好きじゃなかったな。……外で教育を受けていると、嫌でも考えてしまったのだ。──やっぱり私には、いずれは組を出て、廻の傍ではない何処かで生きていく道しかないのだろうか、と。

「……、授業は終わったのか」
「廻! 今日も迎えに来てくれたの……!?」
「ああ」
「で、でも、お仕事は? 忙しいのでしょ?」
「俺の仕事は片付いている、帰り次第仕事に戻るが……お前を迎えに来る時間くらいはある」
「ほんと……?」
「ああ。……だから、気にするな。……帰るぞ、
「……うん」

 私が小学六年生の頃も、中学三年生の頃も、そうだったけれど。私が高校に上がってからも、廻は時間を見つけては私の下校時間に合わせて、校門の前まで迎えに来てくれていた。廻がどうしても忙しくて抜けられないときには、針くんや入中さんが来てくれることもあったけれど、基本的には毎日、廻が私の迎えに来てくれていて。──私はそれがとにかく嬉しくて、学校に行くことより帰ることが毎日楽しみで、廻と手を繋いで家まで帰るために学校に通っているようなもの、だったっけ。
 廻は私が高校で上手くやれているか、周りに嫌がらせされていないかを気にして、私の様子を見に来てくれていたようだけれど、……実際のところ、毎日校門で黒服の男と落ち合って手を繋いで帰る私が、周りから嫌がらせなんてされるはずもなく。……というか、それが廻の狙いでもあったのだろうなあ、とも思う。当時の私には、そんなことも分かっていなくて、只々、廻とふたり並んで、家に向かって通学路を歩くのが嬉しいという、私には只のそれだけしかなかったけれど。
 小学校や中学校では、一年先に入学していた廻と針くんが先に色々と手を回していたし、もし何かあっても、すぐに廻が庇ってくれていたし、私がひとり残される最後の一年にはもう、私に何かをしようなんてひとは何処にも居なくなっていたものの。──高校では、そうもいかなかったから。どうすれば、私が高校で平穏に過ごせるのかを、廻なりに考えてくれていたからこその行動だったのだと思うのだ、あれは。……まあ、おかげで私には学生時代、まともに友達も居なかったけれど、私はずっと、廻さえいてくれたらそれでよかったし、他のひとなんてどうでもよかった。針くんだって居たし、友達が欲しいとか寂しいだなんて、思ったこともなかったし。……私は本当に、廻さえ傍に居てくれたなら、何があったって平気だったのだ。



「──、チームアップだ。エンデヴァーとホークス、そして、オールマイト、緑谷と共に特別作戦を開始する。対ダツゴク、対オール・フォー・ワンを想定した大規模な作戦になる。……きみにも参加してもらおうと思うが、良いな?」
「……はい、もちろん」
「今作戦できみの願いが叶うかは分からない、……だが」
「分かっています。……それでも、私も参加させてください、ジーニストさん」
「……承知した。新型武器の調整は?」
「対ギガントマキアで試運転した狙撃銃なら、改良後のものを受け取り済みです。試し打ちも、済んでいます」
「よし。……近距離戦しか選択肢がなかったの個性を、十分に補えるな。万が一には、私が遠距離から彼等の補佐に入る。きみとの連携が必要になる場面もあることだろう、留意しておくように。……期待している、
「……はい、任せてください、ジーニストさん」

 ──八斎會に居た頃は、決して自分では運用していなかった、私の個性を元にして造られた“弾丸”。殺傷性しか持たなかったプロトタイプを経て、ヒーロー側の手で現在改良されたそれは、一時的な敵の無力化に用いることが出来るようになり、──同時に私は、その弾丸を込めた引き金は、これからは自分の指だけで引くことを決めた。
 サイドキックとしてジーニストさんに師事し、徹底した個性教育を受けた今でも、数ヶ月の鍛錬では到底、近接戦で有利を取れるほど仕上がっているはずもなく、ジーニストさんとの連携にしても、彼が捕らえた隙に私が敵に近づくよりも、絡め取られた敵を遠距離から狙撃するほうが余程現実的だ、という結論になった。……それでも、やっぱり私は、決して優れた腕前の狙撃手とは呼べない、素人芸に過ぎないのだろうけれど。……けれど、今の私はちゃんと戦う術を持っている。強くはないけれど、弱いだけだった私じゃない。もう、何も出来なかった頃の私じゃない。

 特別性の狙撃銃の入ったケースを背負い、ジーニストさんに続いて事務所を出て、彼の車の助手席に乗り込みながら、……ぼんやりと、学生時代の頃を思い出していた。思えば、私はあの頃から、……ほんの半日程度の時間だって、廻と離れ離れになるのが嫌で仕方がなくて、ずっと廻や針くん、お父さん、入中さん、八斎會のみんなと過ごして行きたかったから、外の世界で生きる為の勉強よりも、極道として生きていくための手段が欲しかったから、学校になんて行きたくなかった、という。……只のそれだけ、だったのだろう。……でもね、ちゃんとね、役に立ったよ。……ありがとう、お父さん。ジーニアス事務所──ジーニストさんのヒーロー事務所に身を置くようになった最初の頃も、経理の手伝いくらいならどうにか私にも出来たのは、お父さんが組の中で私にも出来るお仕事を探してくれたり、学校に通わせたりしてくれたからだったのだなあ、と。……今ならちゃんと、私にも分かる。廻と半日離れて過ごさなきゃいけなかった、嫌いで仕方がなかったあの時間は、──今、こうして、半年以上も顔を合わせていない廻を探し出しすためにも、必要な日々だったのだ、きっと。
 今まではずっと、いつもいつも、廻が私を迎えに来てくれていたから。……今度は、私が、廻を迎えに行ってあげないと。何処に居ても、何があっても、どんな土砂降りの中でも、きっと。……下校時間の雑踏の中、何度もあなたが私を見つけ出して、手を引いて、その背に庇ってくれたのと同じように、私がきっと、あなたを迎えに行ってみせる。

「──廻!」
「……、なぜ、……まさか、本当に、おまえが……」
「廻……! やっと、……やっと、会えた!」

 だってね、もしも止まない雨があったとしても、今度は私がちゃんと、……あなたに傘を差してあげたいと、ずっとずっと、そう思っていたの。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system