ひなたのまぶしさに解をもとめる

『──薫くん! 虎次郎くん!』

 何時だって屈託なく笑う彼女は、ひなたのにおいがした。それは、息苦しいサンルームに満ちた、嘘くさい作り物で紛い物のそれとは正反対の、やすらかで、あたたかな香りだったのだ。……だから、私は。彼女に、期待した。

『……愛抱夢!』

 ……彼女なら。そう、ならば、僕をその場所から引き上げてくれるかもしれない、と。一瞬、確かにそう思ってしまったのだ。……僕は一体、何の権力も後ろ盾もない、しらうおのような非力でか細いあの手に、何を期待してしまっていたというのだろうか。今となっては、自分で自分を疑うが、……それでも、あの頃、僕は本気で彼女に救いを求めていた。凶行を異常であると辛うじて自覚出来ていた頃、僕はきっと、彼女に、僕を止めて欲しかったのだと思う。けれど、結局には、僕を救い上げることは叶わなかった。だから僕は、を奈落の底へと突き落として、……彼女というちっぽけなよすがを、彼等ごと切り捨てようとしたのだろう。

「……やあ、久しぶりだね。
「……あ、だむ……」
「生憎だが今は仕事中でね、愛之介、と呼んで貰えると助かるよ」
「…………」

 薄暗い路地裏によく響く僕の声に、はその場から動けなくなって、凍り着いた表情のままで、カメラを抱えていた。そうして、僕のその言葉に、は何か言いたげな顔をして、それでもぐっ、と押し黙る。……当然だ、あの頃は只の一度も、名前で呼んでほしいなんて請うたりしなかったというのに。それがどうして、今になって、と。怪訝そうな目をしたの表情に、そう、ありありと書いてある。それでも、最早自分のことなど、どうでもいいからそんなことを言うのか、という、きっと彼女が僕に向けて問いかけたいのであろう一言を、彼女は僕へと掛けてはこない。……それどころか、無言を貫くことで、僕との対話をは拒んでいた。……ああ、つまらない。きみは本当に、面白みがないね、

「……もしかして、僕と話すな、関わるな、と……チェリーに言われているのかな? 偉いね、今度は言い付けをちゃんと守っているのか。きみにも、その程度の学習能力はあったんだね」

 ……本当に、つまらないよ。きみは昔から、いつだってそうだ。薫くん、薫くん、と。馬鹿のひとつ覚えのようにチェリーの後を付いて回って、チェリーはチェリーで、満更でもなさそうに、我が物顔できみに触れて、さ。……僕が、きみを愛してやることを決めたときだって、チェリーとの約束は破れない、と言って断固として首を縦に振ってはくれなくて、……結局、僕に愛されたいわけじゃなく、チェリーに愛されたかったから、は僕と滑ったに過ぎないのだ。……本当に、腹立たしいよ、。そんな、きみ如きに対して、僕は一体何を、血迷った考えを、期待を、抱いたりしていたというのだろう。きみは平凡で、凡俗で、おまけに愚鈍だ。とてもじゃないが、僕に相応しいイヴなんかじゃない、きみには精々チェリーがお似合いさ、。……嗚呼、お似合いだとも、本当にお似合いだよ。……あれからずっと、いっしょに生きてきたそうじゃないか、君達。帰国してからチェリーやジョーには何度か会ったが、絶対にに近付くな、と。チェリーに散々、釘を刺されたよ。彼は余程きみが大切で仕方がなく、きみを傷付けた僕を許せないらしい。きみはきみで、大人しく従っているようだし、……本当に、つまらないね、君達って。馬鹿馬鹿しすぎて、見ていると腹が立ってくるよ。……だから、ついつい、理由もなく、壊してしまいたくなるんだ。

「……チェリーは、きみに責任でも感じているのかな?」
「……え、」
「そうでもなければ、きみみたいなつまらない女と、ずっと寄り添っている理由がないだろう?」
「……っ、」
「約束のひとつも護れない女、伴侶にするには心許ないよ。例えばほらいつ、不貞に走るか分かったものではないだろう? 気の毒だな、チェリーも……」
「……な、んで、あなたにそんなこと言われなきゃいけないの!?」
「……何故って、きみ、そんなことも分からないのか?」

 ……きみの顔を見ると、もう一度、傷物にしてやりたくなる。それ以外に、理由があると思うのかい?

「僕はね、、きみを傷付けたことに対する責任を、感じているからさ」
「……責任……?」
「そうとも。僕のせいで、チェリーにつまらないものを背負わせてしまった、という責任を、僕は痛いくらいに感じているんだよ、
「……っ、わ、たし、帰る」
「そうかい? 僕としてはもう少し、と話していたいんだけどな……」
「はなすこと、ない、から……! ……さよなら、愛抱夢」

 ……話すことはない、なんて、言うなよ。……きみには僕を責める権利があるじゃないか、責任を取れと、そう迫る権利だってあるじゃないか。僕はきみなんてもう愛していない、きみを愛したのは過去の出来事で、きみみたいな凡人は、僕には相応しくない。きみは僕の、イヴなんかじゃない。……でも、きみが、誰にも愛されていないのならば、誰にも愛されないのならば、……僕は、愛してあげることなら、得意だから。僕がきみを、愛してあげなければいけないんだ。愚かで、ちっぽけで、つまらない。他の選択肢がないのならば、責任を取って、僕がきみを愛してあげたっていいんだよ。もう一度だけとは言わずに、ずっと、死がふたりを分かつまでだって、ずっと、だ。……僕が愛してやると言っているのに、どうして、きみは。……どうして、そんなにチェリーが良いんだよ。……くだらない女だ、心底ね。 inserted by FC2 system


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