いたいけな冬のオートクチュール

 フェードラッヘの片田舎の村で育った私には、二人の幼馴染がいた。ひとつ年下のヴェインと、……ひとつ年上の、ランスロット。勉強ができて、魔法も、剣術も、誰にも負けなかったランスロットは、神童と持て囃され、村の大人たちからは、ランスロットならフェードラッヘ王都の騎士団にだって入れるかもしれない、とまで言われていて、……私とヴェインにとって、そんなランスロットは、最も身近に在る、憧れの存在だった。

「……わたしも、ラン兄といっしょに、騎士さまになれるかなあ?」
「え? うーん……でも、は女の子だしなあ」

 ランスロットがそう言って首を傾げてから、お前は王都に出て、花屋さんとか、お菓子屋さんをしたらいいんじゃないか? と言った理由が、幼い私には分からなくて、私はランスロットとヴェインと一緒に、騎士になりたい、と。そう、思っただけなのに、どうして、ランスロットはそんな風に意地悪を言うのだろう、なんて。……結局、私は、少女の頃を過ぎるまで、あの日、幼馴染がそう言って困ったように笑っていた理由に、気づけなかった。幼い日から、ランスロットやヴェインとともに、剣技に、魔術に、勉学に打ち込んだ私に対する周囲の大人の反応は、あまり優しいものではなかったし、ランスロットも、止めこそはしなかったものの、肯定的だったわけでもなくて。……でも、だからと言って止められなかったから、気付けなかった。
 成長し、王都に向かったランスロットが、黒竜騎士団に登用された翌年、私は、採用試験を受けるべく、意気揚々と王都に向かい、……そうして、あっさりと現実を知る。

「……まず、我が黒竜騎士団では、女性を登用していない。すまないが、諦めてもらえるだろうか」

 面接官が言い放った言葉は冷たく、……結局、それ以上は、取り合ってもらえることもなく、私は追い返されて。面接をしてもらうことも、人となりを見てもらうことも、剣技を見てもらうこと、魔術を見てもらうことすら、何もして貰えなくて、周囲の笑い声、冷やかしめいた言葉が、本当に恥ずかしくて、惨めで、情けなくて、……慌てて私の様子を見に来た幼馴染から、逃げるように村に戻って、自宅に閉じこもって塞ぎ込んでいると、……次の休みに、ランスロットが私を訊ねてきた。そうして彼は、……私に、こう言ったのだ。

「……すまない、には、俺がはっきりと言うべきだった。ずっと、言い出せなくて……」
「……騎士団のこと? ……そっか、フェードラッヘでは、女は騎士になれないの、ランスロットは知ってたの、ね……」
「……なあ、別に騎士じゃなくてもいいじゃないか? 騎士以外にも、生き方はいくらでもあるだろう。俺も一緒に、らしく生きられる道を探すよ、……だからさ、王都で一緒に、」

 ……それを、あなたが言うのか、騎士の道しか目指してこなかったあなたがよりにもよって、それを私に言うのか、と。……そう、声を荒げたことだけは、覚えている。でも、その後、彼と何を話したのかは、よく覚えていなくて、……きっと、私は彼と酷く言い争ったのだと、思うけれど。私に夢を提示してくれた彼が、あっさりと私の夢を摘み取ろうとしたことに、私は耐えられなくて、……私は、ランスロットを追い返してからすぐ、半ば出奔同然に、村を出た。
 ……そうして、ずっと一緒だとさえ思っていた幼馴染と、道を別つて、故郷を出て、それからの私はずっと、騎士団の庇護が届かない、国の辺境や、国境付近に現れた魔物を倒して、用心棒のような生活をしていた。騎士団には入れなくとも、こうして、フェードラッヘの民を守り、戦い続けていれば、いつかは、騎士団のお偉方も、ランスロットも、村の皆も私を認めてくれるはずだと、そう、信じたかったのだと思う。黒竜騎士団が、この国の上層部が如何に保守的で、……私は、彼らにとって取るに足らないものなのだと、理解させられても、それでも、……私は、やっぱり騎士の道を諦められなくて。……それは、最初は借り物の夢で、情景に過ぎなかったのかもしれない。けれど、いつからか騎士になることは、確かに、私自身の夢だったのだ。戦い続け、国に、民に尽くして、騎士道を歩み続けていたならば、いつか、自分を認めて貰える日が来るかもしれない、きっと、まっすぐに私自身を見てもらえる日が、……報われる日が来るはずだと、そう思って、信じて、励み続けて、来る日も来る日も戦って、戦って、戦って、……何時まで経っても、王や騎士団の目が、私に留まることもなくて。
 そんな日々が、長らく続いて、密かに文のやり取りをしていたヴェインからの私を案じる言葉も、最早私には届かず、自棄になりはじめた頃、……国の外れの街道沿いで、魔物退治を依頼されていた私は、通り掛かった馬車が、魔物に襲われる瞬間を目にした。その瞬間、足が勝手に動いて。……咄嗟に、幼馴染直伝の氷魔術で魔物の動きを封じると、背後から飛びかかり、ざん、と。一太刀で、その首を撥ねる。そうして、魔物が完全に沈黙したのを確認してから、大丈夫ですか、と私は馬車の中に向かって、大きな声で呼びかけた。

「……ほう、なかなかの太刀筋、それに魔術の練度も見事であった」
「……は、はあ……? ええと、ご無事のようで、何よりです……?」

 馬車の窓を開け、私にそう告げたのは、貴族然とした雰囲気を持つ、独特の威圧感がある男だった。長い金髪は良く手入れされていて、身に纏う衣服の上等な作りから、……何処かの要人か貴族だろうか? と、そう思いながら、その男の持つ風格に、何処か引きずられてしまうのを感じ、その場で一礼すると、私はその場を立ち去ろうとする。何か他意があったわけではなく、助けるために駆け寄っただけであって、助けられたのなら、長居の必要はないと判断したためだった。あちらも、道中急いでいたのだろうし、と。

「これ、待たぬか」
「……え、は、はい」
「そなた、何処ぞに急いでおるのか?」
「え……いえ、魔物退治に出向いていたところでしたが、たった今斃しましたので、戻るだけですが……」
「そうか、ならば我の伴をせよ。そなたに礼をしたい」
「え。け、結構です。そんな、御礼を受けるほどのことは、何も……」
「謙遜は美徳ではあるが……過ぎれば、相手の顔に泥を塗ることと心得よ。……それとも、よもやそなた、我の面子を潰すつもりか?」
「え!? そ、そんなつもりでは……!」
「フハハハ! なに、冗談よ、そう固くなるな。……さて、分かったのならば疾く乗るが良い、我の屋敷に招待しようぞ」
「……わ、わかり、ました……」

 ……完全に、気圧されている自覚はあった。けれど、実際、誰かが私を待っているわけでもなくて、断るだけの理由を、私は持ち合わせていなかったし。面子を潰すな、と言うからには、この方はやはり、国の重鎮や貴族に連なるどなたか、という可能性もあって。それを無視して立ち去ることも出来ずに、私は、御者によって開けられた馬車のドア、この不思議な男の向かいの席に、大人しく座る他に選択肢を持たなかった。揺れる馬車の中、ふかふかと柔らかな椅子を、返り血や泥で汚しはしないかと落ち着かずに、そわそわと縮こまる私を他所に、男は饒舌に、私に語りかける。緊張していた私だったものの、男の低く耳馴染みのいい声には、……不思議と、心を引き付けられ、鼓膜を揺さぶられるような、何かがあって。……いつの間にか、私は久々に、誰かとの会話を楽しい、と感じるほどの余裕を持って、彼との対話に応じていたのだ。

、と言ったな。そなたは、ウェールズの民か?」
「ウェールズ? 私はフェードラッヘの者ですが……」
「ふむ、此処はフェードラッヘとの国境の先、既にウェールズ領であるぞ? それに気付いていないということは……、そなた、不法入国という訳だな?」
「ええ!? そ、そんな、私は只、魔物を追って、夢中だったので、それは……その……あ、あの、この事が露見したら、私は、ウェールズの法で裁かれるのでしょうか……?」
「……ほう? よもやそなた、我を口止めしようと?」
「え!? い、いえ! 決して! そういうつもりではありませんが……!」
「フハハハ! 良い、我が許そう。そなたは我を助けようとしてくれたではないか、そうであろう?」
「は、はい……」
「何も密入国者の賊というわけでもない、誤ってのことであろう。なに、我が黙っておいてやろう」
「は、はあ……? ありがとう、ございます……」
「……そら、そろそろ到着するぞ」

 ウェールズの法には、詳しくないものの、場合によっては、厳しい処罰が下るかもしれないし、そんなことになれば、ますます騎士への道が遠のいてしまう。……変わった方だなあとは思うけれど、助けたのがこの方でよかった、のかもしれない。目を瞑ってくれると言ってくださったし、命拾いをしたな、……等と、途中までは本気でそう思っていたのだが、……なんと、私が連れて来られたのは、ウェールズ王城だったのだ。これは、やっぱり憲兵に突き出されるということだろうか、と慌てる私を他所に「客人を連れて参った。我の恩人よ、晩餐会の支度をせよ!」……出迎えに集まった王城の使用人にそう告げた彼の一声で、使用人たちが再び散っていき、……ぽかん、と惚ける私は、そのまま、玉座の間まで連れて行かれて、……王座に座る彼に、慌てて傅いていた。

「こ、国主様でしたか……! そうとは知らずに、私はとんだ、無礼な真似を……!」
「フハハハハ! よもや、本当に知らぬとはな!」
「も、申し訳ありません……ウェールズ国主様は、剣技と魔術に秀でると聞き及びます。……誠に申し訳ありません、私の手など、不要だったでしょうに……」
「良い、良い。……我はな、そなたがあのとき、我を助けようとしたことが嬉しいのよ」
「……? 国主様……?」
「国主様、ではない……我は氷皇、アグロヴァルであるぞ、よ」
「……アグロヴァル、様……」
「頭を上げよ、。まずは、茶の用意をさせるのでな、……我に、そなたの話を聞かせてはくれぬか、よ」
「……は、はい、アグロヴァル様……」

 ……そのときの私には、まだ。そう語るアグロヴァル様の表情が、ほんの一瞬だけ憂いを帯びた理由など、知る由もなかったし。楽しげに話す彼が抱えた暗がりだって、私は知らなかった。……だから、あれは共感じゃない。只、私は、……自分のような小娘を、国主たる方が丁重に扱ってくれることに愕然として、ウェールズは実力主義、経験や実績を問わずに、認めた者のみを側に置いていると語る彼に、……それは、祖国にはない価値観だと驚いて。アグロヴァル様と話していると、人との対話が、久々に楽しいと感じた。それまでの私は、そもそも、話を聞いてもらえることすら少なかったから。この方が自分のことを話し、私の話を聞いてくださることが、私はとても嬉しいと思って、聞かれるがままに、彼に自分のことを、打ち明けていった。騎士に憧れていることも、その夢が叶わずに苦悩していることも、……でも、今日こうして、アグロヴァル様に出会えたことで、話を聞いていただけたことで、まだ、頑張ろうと思えたことも、そのすべてを。

「……世界は広いのですね、私はまだまだ未熟で、見聞も甘いようで、お恥ずかしいです。……目が覚めました、ありがとうございます、アグロヴァル様」
「……そうか、それは何よりだ」

 晩餐会も非常に楽しく、ずっとアグロヴァル様との会話に花を咲かせているうちに、後ろ髪を引かれ、少し飲み直さないか、という誘いにも応じていたら、すっかり夜も遅くなってしまい、その日はそのまま、王城に泊まっていくことを勧められ、流石に其処まで世話をお掛けするのは、と、ようやく慌てて帰ろうとしたものの、結局はアグロヴァル様に窘められ、そのまま私は、その晩を王城の世話になってしまった。
 そして、明けて翌朝。流石に今日は、挨拶をしたらすぐに帰ろう、……本当は、まだお話を聞いていたい、お話をしたい気持ちがあったけれど、相手は国主様で、私は隣国の一般人で。これ以上、お手を煩わせるわけにも、良くしていただくわけにも行かないし、それだけの理由や価値を、私は持ち合わせていないのだ。……此処でお会いできて、お言葉をいただけて、前を向けただけでも、本当は有り余るほどの光栄なのだから、と。……そう思って、朝食の席で私は、このあとすぐに出立するつもりだと、感謝の言葉とともに、アグロヴァル様に、そう告げた。

「……そうか、では、出立の前に、我と手合わせをしていかぬか」
「え?」
「そなた、なかなかの剣の達人と見た。我も剣の腕には覚えがあってな。何、一本勝負よ、時間は取らせぬわ。……そうさな、そなたが我に勝てた際には、なにかひとつ、望みを叶えてやろう」
「え、そ、そんな……」
「フハハハ! ……無論、そなたも同じ条件で仕合うのだぞ? 我が勝ったら、そなたにひとつ、我の意向を聞き入れてもらおう」

 ……私に叶えられるような、アグロヴァル様の望みなど、到底、あるとは思えなかったけれど。きっと戯れの一種なのだと思って、深く考えはしなかった。魔術抜きの、純粋な剣技のみの一本勝負、と。そう言われて、王城の中庭で、模擬戦闘用の木剣を互いに握り、カンカンと乾いた音を立てながら、私はアグロヴァル様と打ち合いをした。体格にも恵まれたアグロヴァル様と違い、私は、技量と手数で応戦する剣技で、必死に隙を探るものの、……技量も、力量も、彼に及ばず、……木剣を弾かれ、切っ先を突き付けられながら、……やはり、少し落胆してしまっていた。アグロヴァル様に負けてしまったことにも、……彼は、ああ言ってくださったけれど、やはり昨日助けに入ったのは、余計なお世話だったのだと、そう、身を持って理解し、不甲斐なさ、情けなさを思い知ってへたり込む私に、……木剣を置いたアグロヴァル様が、手を、差し伸べてくださるまでは。

「……さて、これでそなたは、我の命令を聞かねばなるまいな?」
「……はい、私に出来ることなど、たかが知れてはおりますが……」
「フハハハ! 安心せよ、我の願いとは、そなたにしか出来ぬことよ」
「……? はい……」
「……よ、そなた、我の家臣にならぬか?」
「……え、」

 ……呆然と、その言葉を反芻し、咀嚼するまで、幾分か時間を要し、真っ先に出てきた私の言葉は、「何故、私などを……?」という、そんな自分を卑下する一言で。アグロヴァル様はそれに少し眉を潜めると、「その謙虚さはそなたの美徳であるが、あまり感心できぬ癖でもあるな」……と、そう仰りながら、言葉を続けた。

「そなたは、なかなかに剣の腕が立つようだ、我に汗をかかせるとは大したものよ。して、我がウェールズ軍では、実力者がまだまだ不足していてな。我の気も休まらぬのだ」
「し、しかし、私は騎士ですらないのに……」
「騎士であろう? 少なくとも、そなたにはその矜持が備わっていると我は見た」
「……アグロヴァル様は、私を騎士と、そうお認めになってくださるのですか?」
「そなたは騎士である。我は、そなたと対話し、剣を交え、そう確信しておるわ。で、あるからこそ、そなたにこう言っておるのよ。祖国に仕えるは、騎士の誉れであろう。だが、そなたを正当に評価せぬ、無能な王や貴族、重鎮どもに捧げる剣など、何の意味があろうか」
「……あ、」
「我は違う。……我は、そなたを欲しておるのよ、。我の剣となり片腕となるのだ、よ。共に覇道を歩もうぞ、……我の伴を、そなたに許そう」
「……は、い、アグロヴァル様……今日、この日この瞬間より、我が剣を、あなたに捧げます。御身を、必ずやお護りします、……この命に代えたとしても、必ず」
「うむ。殊勝な心がけだが……、命は賭けずともよい。必ず、最後まで共に居よ。良いな、
「……はい!」

 祖国では、誰も取り合ってくれなかった。くだらない夢だ、見るだけ無駄だと、そう言って馬鹿された夢だった。……それなのに、あの方は、愚かしい私の在り方を許してくださって、あまりにもあっさりと、私は既に騎士であると、そう呼び、認めてくださったのだ。……だから、私は、それが本当に嬉しくて、……騎士とは国に尽くすもの、と。そう、漠然と考えていた私は、あの日、心から、この方に仕えたい、と。そう 願えるだけの、主君を得た。これは、そんなはじまりの日の話で、私が生まれた日のこと。……現ウェールズ軍騎士団長である私、が、……騎士になった日の、昔話だ。 inserted by FC2 system


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