モルヒネの果て、水彩プールまで

『誰かおらぬのか! 誰か……誰か、助けてくれ!』



『……大丈夫ですか!?』

 我はな、そなたと出会うたときに、こう思うたのよ。……ああ、もしも、あのときに、この者と出会えていたなら、と。

 他国へと出向いたその帰り道、我が乗り込んでいた馬車が、偶然にも魔物に襲われた。何も、然程強力な魔物だったわけでもなく、我一人で、馬車から降りるまでもなく退治できる程度でしかなく、脅威ですらなく、その者の助けなど、我にとっては不要なものであった。……だが、それでも、何かを感じては、居たのだろう。……心から助けを求めた幼少の砌、誰の援助も得られずに、非力を噛み締めたあの日から、我は、他人を信ずることを辞めた。他人になど、最初から期待しなければ、裏切られることもないのだ、と。……その考え自体は、を臣下に迎え入れてから、どれほどの日々が過ぎようとも、変わることはなかった。……だが、きっと、我は。だけは、その勘定の外に置いていたのだろう、自らあの者の信用と視界の端に追いやることで、徒に己を変えぬようにと努めていたのだろう、と。……それも、今だからこそ理解できたこと。
 あの日、我の為に命を張った騎士を、我は、片腕として迎え入れた。武も学も秀でたは、すぐに我がウェールズ軍でも頭角を現し、その後、我が軍内における騎士団の長を務めるまでになり、同時に、執政官として、現在では我の補佐を務めても居る。若い女子であるには、それなりのやっかみや妬みの目も向き、“国主の気に入り”だから出世出来たのだ、などと宣い勘繰る者どもも以前はいたものだが……そんな連中も今や、先の改革で首切りとなり、現ウェールズは以前にも増して、強固で、古い考えの取り払われた国となったものよ。
 そして、……その功績に誰よりも尽力したのが、だ。
 騎士団長として、執政官として、そして、我の家臣として、我が剣としての忠誠を誓ったあの日から、の忠義は決して揺らがなかった。祖国では、生まれ持った性別を理由に、騎士団から門前払いを食らった、……と、そう、出会った日に愚直にも我に告白したあの者程の人材を、自ら手放したというフェードラッヘの黒竜騎士団には呆れ果てたものだが、どうやらは、そんな自分を拾い上げた我に、自身の夢を叶えた我に、多大な恩義を感じているらしい……ということは、我も理解していた。だからこその忠義であり、我を通して騎士道を貫くことこそが、の本懐であり、……言い換えれば、我々は利害の一致による主従関係で、……其処に、特別な勘定など、あるはずもない、と。……そう、思っていたのだがな。

『アグロヴァル様ッ!』

 ……あの日、パーシヴァルとすら対峙し、愚かにも幽世の者どもの力に縋り、我が身を引き換えに悲願を遂げようとした我に向かって、は躊躇無く飛び出して、……あと一歩、白竜騎士団の団長、の幼馴染だというあの男、ランスロットが、無理矢理にを引き止めていなければ、……も、我と共に、幽世の者に取り込まれていたのかもしれないというのに。……我は、確かに見たのだ。悲痛な叫び声を上げながら、「嫌だ」「アグロヴァル様を連れて行くな」「その方は、私の、大切な、」……と、そう必死に叫んでいた、我が右腕を。

『離せ、離して、いやだ、ラン兄、おねがい、離して、アグロヴァル様が……!』
『……落ち着け! お前まで取り込まれたなら、誰がアグロヴァル殿を助け出すんだ!?』
『……あ……』
『お前はあの人の騎士なんだろう!? アグロヴァル殿をお守りするのがお前の役目じゃないのか!? どうなんだ、!』
『……ラン、スロット……』
『……落ち着いたか? 大丈夫だ、俺も付いている。……な?』
『……う、ん……』
『……兄上をお助けしたいのは俺も同じだ、先程まで対峙していた間柄だが……協力してもらうぞ、
『……承知、いたしました、パーシヴァル様……』
『……よし、行くぞ! お前達!』
『はい! ……アグロヴァル様! 必ずや、命に変えても、私が、御身を……!』

 ……その後、我が意識を手放した後に、が何を言っていたのか、如何にして、我を助け出したのかも、……回復した後にパーシヴァルの口から、我はこの耳で、しかと聞いたのだ。

『……アグロヴァル様! 意識が戻られたのですね、本当に良かった……!』
『……、我、は……』
『……命令を破ったこと、後から然るべき罰を幾らでもお与えください、覚悟は出来ています。最期まで伴をする、と。そう、言っておきながら、私は……』
『……
『……私は、アグロヴァル様を失いたくないと、そう願ってしまったのですから……』

 ……本当に、愚直で、清廉で。何処までも、嘘の吐けぬ女よ。意識を取り戻した際にも、寝台に横たわる我の直ぐ傍に座り込み、寝ずの看病を続けていたらしいは、己とて傷だらけで何箇所も包帯を巻かれ、見ていられぬ有様だったにも関わらずに、あのときも、今回も、……そして、今も。我を助けようと、必死になって、……それは、かつては、通りすがりの些細な善意に過ぎなかったのかもしれない。騎士を志すものであったからこそ、見過ごすわけには行かなかった、というだけの話に過ぎぬのかもしれない。だが、今は、少なくとも、このときは、そしてこれからは、……は、我が我であるからこそ、手を差し伸べていたのだ、これからも、何度でも手を差し伸べようとするのだ、きっと、その身が果てるまで、この者は、誰も信じぬ我を信じ続けているのだと、……我はそのとき、そう、気付いたのだった。

『……そなた、何という顔をしておるのだ……斯様に整った顔立ちをしているというのに、台無しであるぞ?』
『う、も、申し訳ありません、このような出で立ちで……』
『そうではない。……よ、我はな、泣くなと言うておるのよ。全く、家臣にこうも泣かれては、易々と死ぬわけにもいくまい……』
『アグロヴァル、様……?』
『……よ、我は一からやり直すぞ。もっと別のやり方でウェールズを強国とする。過去の己とも、決別しよう。……すぐに変われるとも思えぬがな、それでも、民に、家臣に、そなたに恥じぬ男となろう。……伴を、してくれるな?』
『……はい! 何処まででも、お供致します!』
『ふむ、それは地獄であってもか?』
『無論、地獄でも、空の底でも、幽世まででも! アグロヴァル様にお供致します!』
『フハハハ! 殊勝な心がけだが……、命は賭けずともよいと言っておろう? ……必ず、そなただけは最後まで我と共に居よ。良いな? よ』
『……はい!』

 ……斯くして、二度目の契りは、以前よりも強固なものとなり、我は相も変わらずに、無条件で人を信ずることが出来るようになったわけでもないが、それでも。……以前よりは、苛烈に振る舞うこともなくなり、周囲の者たちからの信を、心から受け取れるようになり、国主として相応しい男に、幾らか変われたように思う。そうして、あの騒動からも、幾度かの季節が過ぎ、我は今もウェールズの国主として励み、もまた、我の片腕として、側に仕えているのであった。

「……よ、顔色が優れぬぞ。トー、医者を呼んでくれぬか?」
「はい、かしこまりました、アグロヴァル様」
「お、お待ちください、アグロヴァル様。トーも、医者は不要です、気にしないで」
「しかし、アグロヴァル様の仰る通り、私も、様の顔色が些か優れぬように思いますが……」
「であろう? 気分が悪いのであれば無理はするな、何しろ、明日はフェードラッヘに出向かねばならぬ。そなた抜きでは話になるまい、そなたは我の半身であろう?」
「め、滅相もございません……その、明日の件ですが……」
「うむ、三国会談であるな」
「その、三国会談が……お恥ずかしい話ですが、緊張してしまって……私……ではなく、当時の指揮官ではありますが、我が軍はダルモア騎士団……ガウェイン殿に、一度、手酷い敗北を晒しておりますので、現騎士団長の……女の、私が同行することで、その、先方に舐められはしないかと……」
「……そなた、そのようなことを気にしておったのか?」
「お、お恥ずかしい話ですが……」
「……フハハハ! 何を恥ずる必要がある? 負けを忘れぬ、先人の敗北すら己が責任と捉える、殊勝な心構えではないか。……であるが、そうさな……」

 実力で騎士団長の地位を勝ち取り、剣士として相応しい力を持つではあるが、その実力を知る自国の民や軍関係者はともかく、他国の者からは色眼鏡で見られることも、やはり少なくはない。そして、ウェールズ軍も、実力者揃いではあるが、過去に一度、事実上の大敗を喫したのが、ダルモアとの戦であった。当時、我は国主ではなく、また、も我が軍に仕えてはおらず。されど、事実として、一騎当千の猛者の前に、成す術もなく崩れていく自軍を立て直す余地もなく、我が軍は撤退を余儀なくされた……ということが、数年前にあったことを、どうやら、この忠義の騎士は、軍の失態は己が失態も同然である、と、責任深く感じているようで。……我の玉座の間にて、……先日より、補佐官として我に仕えているトーと並びながら、顔色を青ざめさせるの様子を見ていると、……には悪いが、我は誇らしさ、優越感すら覚えてしまうのだ。……この騎士は、一体どれほどまでに、我に忠を尽くそうとしているものか、全く計り知れぬな、と。斯様に生真面目な苦悩からさえも、感じ取れてしまうのだからな。

「……よ、気に病むな。そなたも、我が軍も、決して弱くはない。あれは、愚かにもダルモアを攻め落とそうと目論んだ我が父の失態よ。父は、当時目が曇っておった、以前の我と同様にな……」
「……も、申し訳ありません、そのようなお言葉を賜るつもりは……」
「良い、良い。……だが、現在の我は違うであろう? そして、我にはそなたが居るのだ、よ。我の半身を見縊ろうものならば、我が黙ってはおらぬぞ」
「……あ、ありがとうございます。お見苦しい姿をお見せして、その……」
「気にするでない。……何、先方もまさかそうも器の小さい男ではあるまいよ、仮にも我がウェールズを退けた英雄であるぞ? そなたにも、敬意を持って接するはずだ。そなたが、平時の礼節を持って先方に接するのであれば、だがな」
「……そう、ですよね……ありがとうございます、アグロヴァル様。目が覚めました、明日もあなたの右腕として、恥じぬ振る舞いを尽くします」
「うむ、我の半身として、であるな」
「……あの、アグロヴァル様、様……」
「む? どうした、トーよ」
「その、先程から、アグロヴァル様は様を半身、様はご自身を右腕、と称されていますが、何処か行き違いが生じているような……?」
「フハハハ! 些末なことよ、何、今ににも分かる。……そなたが、我の何であるのかを、な?」
「……? はい。私は右腕として、今後とも一層、アグロヴァル様に尽くす所存です」
「うむ、今はそれで良いわ」
「……ああ、なるほど、そういうわけですか……」
「……?」

 そう、今はそれで良いのだ。……どの道、そなたは我からは離れぬ。死が二人を別とうとも、そなたは我から離れる気がないというのだ。……ならば、今度は我の方から信じて、そなたを待ってみるのも、悪くはなかろう。

「……まあ、多少、力技で攻めさせてはもらうがな?」
「……? あっ、戦の話でしょうか?」
「フフ、そなたはそれで良い。……だが、我の前で他の男の話というのは、些か関心せぬな。白竜騎士団のランスロットも明日は同席するが、あまり戯れるでない。我が許さぬ」
「は!? ら、ランスロットは只の昔馴染みで……あの男と私は、既に仲違いをした身です。戯れるなど、とても……」
「……ほう? 顔を合わせる度に、仲睦まじく戯れておると思うておったが……?」
「ア、アグロヴァル様! 出立の前に此方の書類に目を通していただきたいのですが……!」
「ふむ? ……よ、トーのおかげで助かったな?」
「……? お、仰る意味が、よく……」
様! 騎士団の者がお探しでしたよ! 行って差し上げたほうがよろしいのでは!?」
「そ、そう……? アグロヴァル様、申し訳ありませんが、少し席を外しても……?」
「うむ、許す。疾く行って参れ」
「はい。すぐにお戻り致します」

 事実、恐らく出向いたところでを探してなどおらぬ部下の元から、すぐに戻ってくるのだろうに。去り際にすら、恭しく我に頭を垂れるこの半身の、……なんと、従順で、愛くるしいことか。

「フフ、トーよ、お前も苦労するな?」
「……どうか、我々のためにも、早めにお伝えになってください……」
「フハハハ、今はまだ攻めどきではないのよ。案ずるでない、……我は、あれを決して逃さぬ。……あれは、我の伴をすると、我にそう誓ったのだからな」

 もしも我が、最早そなたなしでは生きられぬと縋ったのならば、は大人しく頷いて、我の物になるのだろう。……だが、それではつまらぬ。此処は公平に、そなたにも我無しでは生きられぬ身体に、なって貰わねば。まあ、既にそのようなものなのかもしれぬが、我は強欲なのでな、主君として、王として、だけではなく、……男としても、そなたから必死で求められてみたいのよ。……全く、そなたが傍に居ると、色褪せていたあの頃の日々が嘘のようで、可笑しくて堪らぬわ。 inserted by FC2 system


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