凛々しくいられない日々のために

※風間進の人格を捏造で大幅に補完しています。



 私は幼少の砌から、他のひとよりも幾らか目が良かった。しかしながら、生まれながらにして私に備わっていた、他人とのほんの少しの“ズレ”の正体が“サイドエフェクト”と呼ばれる超感覚であると知ったのは、私が幾らか成長して高校生になった頃の話で、それまで──近界による侵攻によりこの世界の真実が幾らか明るみに出るまで──私が、ボーダー隊員になるまでは、私の中にある違和感の正体など、当然ながら私には知る由もなかったのだ。
 遠くにあるものを人よりも幾らかはっきりと見通せて、近くにあるものは細部まで観察出来て、背中に目が付いているのかと揶揄されるほどに私は視野が広くて、それから、夜目が効きやすくて、暗所でも問題なく視界が開けているというのが、私の持つ“ズレ”の特徴だった。……ずっとずっと幼かった頃は、他のひとたちも皆そうなのだとばかり思いこんでいて、自分だけが可笑しいのだと思ったことさえもなかった。けれど、小学校に上がった頃に、初めて学校で視力検査というものを受けて、私は素直に見たままを答えただけだったのだけれど、医師と教師が突然に慌てた様子で「そんなに小さなものまで見えるのはおかしい」「この子は何かの病気なのではないか」「親に連絡して病院を受診させるべきか」と話し込み始めて、……多分、私は幼いながらにも、親に連絡が行くという言葉に焦ったのだと思う。私の父は会社の偉い人で、比較的厳格な家で私は育ったから、咄嗟に怒られることに怯えて、そこからはでたらめな方向をひたすらに指差して、「みぎ、ひだり、やっぱりみぎ、うえ、した」と正反対の答えばかりを並べて行ったら、──今度は担任教師が語気を強めて怒りだして、「大人を揶揄っているのか」と怖い顔で叫んで、私は訳が分からないままに皆の前で叱られて、驚いて、怖くて、泣いて、家に連絡が行ったことでやっぱり両親にも叱られて、クラスメイトたちにも気味の悪いものを見る目でじとり、と遠巻きに眺められて。翌日の学校が終わってから、私は怖くて仕方がなくて、自分の目のことをはじめて、友達に打ち明けたのだった。本当はみんな私と同じで、ただ黙っているだけなのかもしれない、そんなにおかしいことじゃないよ、って。……友達なら、そう、言ってくれるかもしれないという幼い期待は、あっさりと壊されてしまったけれど。

『……ちゃんって、ふしぎなことをいうんだね……』

 あの日に私へと向けられた、困惑のまなざしには、「頼むからお前の妄想に巻き込まないでくれ」という難色が言外に込められていた。そんな、私にとって初めての他者から明確な拒絶は、大人になった今でも、決して記憶から消えてなくなってはくれなくて。──それっきり、私は友達を作ることを諦めてしまったのだった。
 幼い日、ひとりで居ることが苦では無かったといえば、きっと嘘になる。
 けれど、大切になってから突き放されるくらいなら、はじめから何も持っていないほうが楽だった。元々、“いいお家の子”だからと周囲から少し遠巻きに見られていた私は、次第にどんどんと孤立して、いつの間にか常に家の中でひとり、本を読んでいる子供になってしまった。──そうして、そんな私を見て、自分が叱り付けたからだと思ったのか、あるときに父は、部下の息子を紹介すると言って私を部屋から連れ出したのだった。「きっとも仲良くなれるはずだ」「とてもいい子だから」「が懐きそうな男の子だったよ」「はきっと彼のことが好きなはずだ」彼と引き合わされる以前に父が私に重ねがけした呪文たちは、いつしか本当に呪いになってしまうとも露知らずに、──否、もしもあのときにそれを知っていたとしても、やっぱり私はあなたのことを好きになったと思う。大切に、思ったのだと思う、けれど。

ちゃんかな? はじめまして、俺は風間進。こっちは弟の……蒼也、ご挨拶は?』
『……かざまそうやだ。おまえがか』
『……う、ん』
『父さんたちから、おまえの友達になってやれと言われた。……まあ、それはどうでもいい』
『……?』
『おれと、あとついでに兄さんとも』
『誰がついでだよ……蒼也はちゃんのひとつ上なんだよ、年も近いし、仲良くしてあげてくれると嬉しいな』
『ともだちに、なってくれるか、
『……うん』

 ぎゅう、と少し痛いくらいに強く握ってくれた手はちいさくて、あたたかくて、……なんでだろう、友達なんていらないと思ってたのにな、蒼也くんと進兄に出会った日、私はふたりのことだけは、どうしてかあまり嫌ではなく、怖くもなかったのだ。──「お前の目はおかしい」と言われてから、人に目を覗き込まれることが苦手で、ずっと前髪を伸ばしていたけれど、蒼也くんと友達になってからは、前髪を切って外にも出かけられるようになった。相変わらず、自分の“おかしなところ”はコンプレックスでしかなくて、ふたりにはそれを隠していたけれど、蒼也くんと進兄に遊んでもらうようになってから暫くして、私はふたりのおうちで“発作”を起こしてしまった。
 目が良すぎるばかりに私の視覚情報は常に周囲の人よりも多く、長時間人に囲まれていたり、情報量の多い場所にいると脳が負荷に耐え切れずに突発的な頭痛を起こしたり、知恵熱を出したりすることが以前から度々あって、──運悪く、その日、風間家のリビングで私はその発作を起こして座り込んで動けなくなってしまったのだ。慌てて私を運んでくれた進兄の手でソファに寝かされてからも、頭痛はなかなか鳴りやんでくれなくて頭があつくて、今日ふたりと遊べるのがずっと楽しみだったことも相まって、幼い私はめそめそと泣き出してしまって、「だいじょうぶか、」「どこがいたいんだ?」「なにかいやなことがあったのか? おれと兄さんに話せるか?」って、優しい声に焦りを滲ませながら、あの日と同じようにぎゅうっと手を握って問いかけ続けてくれた蒼也くんに、──私は、思わず話してしまっていた。

『……じ、じつは、わたし、めが……』

 ──もしかしたら、蒼也くんと進兄だって、私の目の異常を聞けば気味悪く思うかもしれないのに。……ふたりに突き放されてしまったら、きっと私には誰も残らなかったのに、それなのに私は、彼らに話してしまった。

『めが……ごじゅう、ひゃく、ううん、もっとさきまで、よく見え、て』
『……そんなに目が良いのか?』
『よすぎて、へんだって、おとなのひとが……』
『目がいいだけなのに?』
『じぶんの、うしろとかも、みえるの。くらいところとかでも、みえるし……』
『夜もか?』
『うん、よるも……それで、たくさんいろいろみると、あたま、いたくなっちゃう……』
『……そうか、外で遊んでから家でゲームもしたもんね……それで目が疲れちゃったのか、ごめんな、ちゃん』
『進にい……?』
『蒼也、少しちゃんのこと見ててくれるか?』
『わかった。……、大丈夫だからな、おれがついてるから』
『そうやくん……?』
『目、ふさいでてやるから、平気だぞ。もう頭、痛くならないからな』

 繋いでくれた手と反対のてのひらが、そっと瞼を閉じるように目元に添えられて、網膜にほんの少し焼き付いた赤い色以外の何も見えなくなって。視界が閉ざされたことと、彼の体温が伝わることに急激な安心を覚えたのか、私はアイマスクや冷却シートを持った進兄が戻ってきた頃には、泣きつかれたこともあって、蒼也くんのとなりで眠ってしまっていたらしい。やがて目を覚ます頃にはとっぷりと日も暮れて、結局その日は全然ふたりと遊べなかったことに私はがっかりと肩を落としたけれど、「また明日あそぼうな」と頭を撫でてくれたふたりは、その日から私にとっての特別になったのだと思う。……私が“おかしな子”だと知っても、蒼也くんと進兄は、決して咎めたり気味悪がったりなんてせずに、それどころか、「また明日」と約束までしてくれた。明日からも、変わらずに接すると言ってくれた。──思えば、当時既に進兄は旧ボーダーの隊員だったのだろうし、後にサイドエフェクトとしてC判定──強化五感「強化視覚」の判定を受けることになる私のそれが、生来のトリオン能力に起因する副作用であることも、進兄には察しが付いていたのだと思う。だからこそ、進兄の処置は的確で速かったし、それを隣で見ていた蒼也くんも、私が発作を起こすたびに同じように庇ってくれて、いつの間にか私は、以前ほどこの個性に生きづらさを感じなくなっていったのだった。

 だからきっと、幼い日の私にとって、世界には蒼也くんと進兄しか存在していなくて。
 それ故に、──四年前、私は蒼也くんと共にボーダーへと入隊したのだった。


「──、此処に居たのか」
「! 蒼也くん! おつかれさま」
「ああ、お疲れ。……今日は寄っていくか?」
「うん。夜、カレー作ろうか」
「!」
「お肉も買って帰らないと」
「……トンカツ用のか?」
「ふふ、蒼也くんすきだもんね」
「ああ。……よし、早く帰るぞ。スーパーに寄っていこう」
「じゃあ、作戦室から荷物取ってきて、また此処で……ラウンジで待ち合わせでいい?」
「ああ。また後でな」

 ──あれから数年、ひとつ上の幼馴染の彼はA級3位の隊長になり、私もまた、今シーズン開始時点で草壁隊と同点──つまり、風間隊のひとつ下、A級4位の部隊を率いる隊長として務めている。以前に私は、東さんの下で働いていたことも少しだけあって、その後部隊を立ち上げる前に風間隊──これから立ち上げる蒼也くんの部隊に誘ってもらってもいた、けれど、私の戦術もサイドエフェクトも蒼也くんの掲げるコンセプトに適しているとはあまり思えなくて、何より、──何も要らない、誰も要らないと思っていた私が執着したたったふたり、──此処に残ってくれた彼が、もしも、この先に危険に巻き込まれることがあったとしたら、そのときにはちゃんと、蒼也くんを助けられる自分になっていたいと、そう思ったからこそ私はボーダーに入ったのに。
 ──昔から、蒼也くんに手を引かれるのは、楽だった。心地よくて、安心して、このひとの後ろに居れば何者からもきっと守ってもらえる、けれど。それでは嫌だと、確かに私は思って、ようやく手に入れた彼と同等の立場に今の私は、満足している。
 ──けれど、今でも呪いは囁くのだ。「は、蒼也くんのことが好きなんだよ」「将来はお嫁さんにしてもらおうね」「そうして蒼也くんに隠れているとお姫様みたいだなあ」幼い頃からずっと積み重ねられてきた周囲の言葉は降り積もって、いつしか、払いきれないほどに積み重なってしまった。──元々、蒼也くんは父の部下の息子として、私に紹介された。私の遊び相手になるように、って。そう、互いの父に言われて。そんな大人の思惑はいつの間にか、大人の間でばかり話が広がって膨れ上がって、……いつの間にか、私は将来的に蒼也くんと結婚するものとして周囲の大人に扱われていた。何も形式ばった婚約者だとか許嫁だなんて言えるほどのものでもなくて、周りが勝手に言っていただけだったけれど、そうやって大人の都合で勝手に“恋”と解釈された、私が蒼也くんに向けるこの好意の在処が、私には今でも、よく、分からないのだ。他人が付けた名前では、他人に与えられた関係ではなくて、欲しかった対等な立場だって手に入れられたはずなのに、どうして。……私はこの意味が、いつまでも気になって、分からないままなのだろうか。

「──待たせたか。帰るぞ、
「うん。……あ、荷物、へいきだよ、自分で持てるから」
「いや、鍛錬代わりだ、貸してくれ。……ほら」
「……手、繋いでいいの?」
「繋がないのか?」
「……つなぐ……」
「ん。……帰るか」

 四年前、大規模侵攻を機に両親は海外に引っ越して、私だけが三門市へと残った。ボーダーへの入隊を理由に実家を飛び出して、両親とはそれっきりで、既に私は親元を離れたのだから、父に押し付けられた蒼也くんとのおままごとも、それで終わりになったはずなのだけれど。それからもずっと、私は蒼也くんといっしょにいて、蒼也くんも私を拒むことはしない。ボーダーの基地内部でも、他に人目があっても、私と話したり手を繋いだりすることを気にしないし、お互いに現在は一人暮らしなこともあって、結構な頻度で家を行き来しているけれど、それも蒼也くんは嫌がらないから、こうして彼の厚意に甘えていっしょにごはんを食べている。元々、彼の人柄を鑑みれば、“大人に言いつけられたから”なんて理由で私に優しくしてくれるわけではないのだろうと言うことくらいは、私にだってわかるけれど。けれど、私と蒼也くんは決して、恋人でもなんでもない、今となっては只の幼馴染の友達だ。それでも、この行き場のない問いに答えを出すには、私は育ちに従順すぎた。たった一度の家出に踏み切るまで、反抗期のひとつもなかった私は、結局一度だって父に何も言えなかったのだ。「蒼也くんを困らせるのはやめて」と。そう言えていたのなら、彼が本当は困っていたのか、それともその関係性を歓迎していたのかどうかくらいならば、私にも分かったかもしれないのにね。今でも時折、私は呪いに苛まれて、蒼い色に目を閉じ、風の音に耳を塞いで、世界を閉ざしてしまっている。 inserted by FC2 system


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