やわらかな瞼を裂く顕性

 ──その日、部隊で防衛任務に出ていた最中、私と二手に分かれて巡回していた部下たちの方に、運悪く複数のトリオン兵が出現した。通信越しに指示を飛ばすものの急な事態に部下の対応は間に合わず、私が射程内に入る前に部下たちは緊急脱出寸前まで追い詰められ、──部下と市民を守るため、私はグラスホッパーを起動して、「──メテオラ!」強引に最短距離の道を拓き、瓦礫と建物をパルクール運動で一直線に駆け抜けて、──そうして、どうにか間に合った。トリオン兵たちに市街地へと突破されることもなく、ギリギリまで部下は粘ってくれて、現着した私がアステロイドのフルアタックでトリオン兵を薙ぎ払い、その場は一件落着、丸く収まって。

 ──事態だけは丸く、収まって。
 任務を終え、上への報告を済ませた後に作戦室へと戻った私は、ぼろぼろの戦闘体の換装が解かれた瞬間に、その場に崩れ落ちたのだった。



「──あ! 居たー! 風間さん! 風間さーん!」
「……のところの……どうした?」
「お願いしますちょっと医務室まで来てください! 先輩が大変なんです……!」
「……が、だと?」

 ──本部、自隊の作戦室にて書類を片付けているところに、突然、隊の隊員がふたり、血相を変えて駆け込んできた。……今日の隊は防衛任務に出ていたはずだが、大慌ての様子から察するに、まさか、任務中のの身に何かあったのか。俺がそう聞くとふたりは「防衛任務中にトリオン兵が大量に出てきて」「私たちじゃ抑えられなくて、緊急脱出しそうになって、市街地に攻め込まれそうで」「でも、別行動中の隊長がすごい速さで助けに来てくれて」「全部やっつけてくれて」「ほんとはグラスホッパー使ったり、跳んだりするの、隊長の体に良くないのに」「私たちのせいで、先輩が」……今にも泣きそうな顔で、というよりも散々泣いた後なのか真っ赤な目でふたりが必死に説明してくれた内容から察するに、恐らく、サイドエフェクトの負荷によるいつもの“揺り戻し”の発作なのだろうとは思ったが、それにしてはふたりの反応が大袈裟すぎる。彼女たちは隊長のを慕っているから、普段の発作でも十分に心配して狼狽えるが、だからこそも、部下の前では極力平静を装おうとしているはずなのに、だというのに彼女が換装を解いたのは、……解かざるを得ない状況だったということか? ……ああ、そうだ。は、部下の前では体調が悪いときに換装を解かずに誤魔化したりだとか、そういうことを元々する癖があった。──そうだ、元から彼女は、危うい奴だった。

「──! 、大丈夫か、何があった?」
隊員なら眠っています、……医務室では静かにしてくださいね。倒れたのは任務中の負傷ではなく、過労が原因です」
「……過労……?」
「寝不足、貧血、……栄養状態が劣っているため、足首の捻挫も治っていません。そんな状態で激しい三次元機動を行ったため、サイドエフェクトの激しい揺り戻しに襲われて、換装を解いた瞬間に意識を失ったようです。……本人は、トリオン体を維持してやり過ごそうとしたようですが、戦闘体もかなり損傷していましたので」
「……そう、ですか……」

 医務室に駆け込むと、白い寝台の上、真っ青な顔色のが昏々と眠っている。──それから、救護班よりの容態について説明を受けて、隊のふたりには、此処は俺に任せてもう家に帰るようにと促す。彼女たちも隊長が心配なのだろう、ふたりには幾らか渋られたがどうにか言い聞かせて、俺だけが医務室に残ることにした。
 やがて、医療担当の職員も席を外し、外も暗くなる頃、静かな部屋には俺とだけになって、きっと無意識の中でもひどい頭痛に襲われているはずだからと、冷却シートを小まめに取り換えてやったりしながらも、次第に俺の中では焦燥感が募っていく。
 隊のふたりから事情を聞き及んだのか、俺との様子を心配した菊地原たちが軽い夕食をコンビニで調達して、差し入れてくれたが、意識のないはもちろん、血の気のない彼女を見つめる俺も、とても食欲など出なくて、冷えたおにぎりを口に運んでも胃がつめたくなるばかりで、酷く味気ない。

 ……そんな訳はない、とは分かっていても。このまま、が目を覚まさなかったのなら? と、……嫌でも、俺はそんな風に考えてしまった。医療班は過労、と言っていたが、共に暮らしていてすれ違う時間が増えていたとはいえ、彼女の負担が大きいことなど俺は知っていたはずなのに、……もっと早く、強く、彼女の行動を止めていたのなら。こんなことには、ならなかったんじゃないのか。
 部下が危険に晒されれば、市民が危険に晒されたのなら、は身を挺して飛び出す奴なのだと、何もかもをかなぐり捨ててでも最速、最大火力で状況を突破する、その気丈な精神性を実現するだけの実力こそが、がA級4位隊長まで上り詰めた所以なのだと、一番近くで見てきた俺がきっと誰よりも知っていたのに。だからこそ、無茶を打って出る前に、無謀を現実に叶えてしまう前に、止めてやれるように、力になれるように、……を失わないために、彼女の隣に居ようと決めていたのに、……俺はどうして、今も何も出来ずに。が目を覚ますのを呆然と待ちぼうけているのだろうか。

 ──それから、何時間、そうしていたのだろうか。開発室に残っていた寺島や、宿直で本部に出てきた諏訪と堤、以前にの上官だった東さん、それにと特別に仲の良い二宮や加古など、皆が代わる代わるに見舞いの品を携えて、の様子を見に来てくれていた。それでも、はなかなか目を覚まさなくて、少しばかりの話し声と静寂とが張り詰めた白い部屋で、俺はずっと彼女の手を握り続けていた。が発作を起こしたときに俺がこうすると、少し落ち着くと言ってくれた、幼少期からの癖だった。──やがて、空も白む頃、ぴくり、との指が動いて、はっ、と俺は顔を上げる。「……?」そうっと呼びかけると、ちいさな声が漏れて、長い睫毛が、ふるえて。

「……そーやくん……?」
「……何処か痛むか? 気分は?」
「……あたま、いたい……」
「まだ熱も下がらないからな……額、替えてやるから少し待て」
「ん……」
「……どうして倒れたのか、覚えてるか?」
「……防衛任務の後……換装解いたら、不味いような気はしたのだけれど……」
「……不味いという自覚はあったのか」
「……それは……」
「……
「……なに?」
「……しばらく、距離を置くか」

 ──無論、そんなものは俺の本意ではない。……本意では、無かったが。このまま、俺がと居ても、俺のためにはなるのだろうが、決してのためにはならないんじゃないか、と。……ようやく目を覚ました彼女を前にして俺が真っ先に思ったのは、あまりにも後ろ向きなその言葉でしかなかった。冷却シートを張り替えてやりながらも平静を装い、事も無げに俺が零した言葉に、ひやりと熱に触れた心地よさに目を細めていた瞳が大きく開かれて、困惑に震えながら、まあるい瞳はこちらを見上げている。「……あの、どうして?」「な、なんで……?」とか細い言葉で零すの姿に、本当は今すぐにだって、前言を撤回してしまいたかった。「……どうしても、だ」──それでも、どうしても。これ以上、俺がを食い潰すわけにはいかない。そんなことを俺は望んでなどいないし、俺の人生には幾ら彼女が必要でも、にとっては違うのなら。俺の存在が、彼女の負担になっているのなら。……俺達はもう、共にいるべきでは、ないのかもしれない。

「……とはいえ、帰る家は同じだからな……当分、俺が本部で寝泊まりするか、実家に戻るか……」
「あの、蒼也くん……」
「少し落ち着いたら、改めて相談しよう。今日のところはは医務室に泊まると良い、目が覚めたのなら、俺は仮眠室に行く」
「あ、えっと……此処に、居てくれないの……?」
「……ひとりのほうが、落ち着いて眠れるだろう? は、もう少し休んだほうがいい」
「…………」
「同居を解消するにしても、何にせよ一旦は保留だが……ともかく、一度距離を置こう。そういうことで、お前も構わないな? 

 ──もしも。其処で、彼女が否定してくれたのなら。「嫌だ」と俺の弱音など突っ撥ねてくれたのなら「いっしょに居たい」と言ってくれたのなら、これは俺だけの執着ではなくお前の願いでもあるのだと思えたのなら、きっと、俺も意固地になることはなかったのだろう。……すぐにでも撤回して、に謝罪の言葉を伝えられていたのだろう。

「……分かった。蒼也くんの、言う通りにする……」



「──で? 付き合ってもいないのに、と別れ話になったって?」
「……付き合っていないのなら、別れ話ではないだろう……」
「いや文脈が別れ話なんだわ……おめー馬鹿だろ、風間」
「何がだ……俺は真剣に、のためを想って……」

 ──本当に、愛だと信じていたこの恋は、俺の一方通行だったのだ、と。突き付けられた事実にまるで力が入らず、眠りも浅いし、飯も不味い。ここ数日は食堂やコンビニで適当に済ませているが、どれも味気なくて、の手料理のことばかり思い浮かべては、余計に気落ちする日々を過ごしていた。作戦室で書類整理に手を付けるものの、あらゆる栄養素の不足か低血糖気味なのか、どうにも頭が上手く回らず、仕事はまるで捗らなくて、珈琲でも飲もうと作戦室を出て自販機の傍のベンチに座っていると、通り掛かった諏訪に声を掛けられて、俺はこの数日の経緯を話していた。

 が医務室へと運び込まれた翌日、数日の療養を医療担当から言い渡された彼女は、数日間本部で寝泊まりして、俺はと顔を合わせることもなく、あれからの数日を過ごしている。見舞いに行きたいとは思ったが、一目でも良いから顔を見て安心したい、というのも結局は俺の身勝手でしかなく、断腸の思いで身を引こうと決めた今、未練がましい行動を起こすのも気が引ける。
 その後、はまだ一度も家に戻らないが、既に医務室からは解放され、彼女は本部の仮眠室や自隊の作戦室で寝泊まりしている、……という風に周囲からは聞き及んでいる。……少し落ち着いたら、今後の相談をしよう、と。その約束も一方的に俺が言い渡したに過ぎないが、いずれにせよ住まいを共にしている今、その議題は避けられない問題でもある。こんな俺と共にいるのは、もうにとって限界なのだろう、と。そう、結論を出したものの、少しでも近くに居れば、未練など幾らでも零れ落ちてしまいそうになる。……築いてきたものは、傾けてきた日々は、降り積もった愛だの情だの恋だのという感情は、重く、最早そのどれかひとつに絞ることも定義付けることも難しく、只々悍ましいまでの執着となって彼女を雁字搦めに縛り付けてしまっていた。……このままでは、いけない。確かに俺は彼女を護りたかったはずなのに、俺はを傷付けてばかりで、きっとこのままでは、本当にいつか、彼女を握り潰してしまうような気がしてならなかったのだ。

「──あ。風間さーん、こんなところで何してんの?」
「太刀川か……少し、休憩しているだけだ……」
「こいつ、にフラれて落ち込んでんだってよ」
「おい、諏訪……」
「へ? なら最近ずっと個人ランク戦に居るけど、なんかあったの?」
「個人戦……? 普段はあまり顔など出していないだろう?」
「そうそう、珍しくが居るから俺もめっちゃ個人戦した! 普段あんま居ないから、射手の奴らに大人気でさあ」
「ほー。風間、お前が嫁を泣かしたりするから、痴話喧嘩のストレス発散じゃねーの?」
「…………」
「さっきは二宮と個人戦してたけど、多分そのうち風間さんに苦情がくるんじゃない?」
「? 俺に?」
「? 片っ端からに吹っ飛ばされて泣かされてるから、を回収してくれーって泣き付かれるとしたら、どうせ風間さんだろ?」
「……いや……」

 ──その役目は、俺じゃなくて。その場にいる二宮でも、出来るんじゃないか、と。……そう、言いかけて、結局声には出せなかったのは。結局、彼女への未練でしかないのだろうと言うことは、「……何をらしくもねー意地張ってんだよ、風間……」と、……そんなことを諏訪に言われるまでもなく、俺自身が一番よく分かっていたとも。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system