あなたがものを食べるのを見るのが好きだった

 ──堰を切ったようにぼろぼろと泣き出してしまったを前に、俺はベンチの前で膝立ちしたまま、一瞬、呆気に取られて固まっていた。……は今、何と言った? ……俺が、彼女のことを嫌いだと、まさか、はそう言ったのか?

「……嫌いな訳があるか」
「だって、いっしょにいたくないって、蒼也くんが言ったんだよ……」
「それは、が俺との生活で無茶をしていたから、このままではお前が保たないと」
「そんなこと、言ってなかったじゃん!」
「……言えば、また無理をするだろうと思ったから……」
「だって、むりしないと、蒼也くんといっしょにいられないもん……私、蒼也くんに助けてもらってばっかりで、いつも貰ってばっかりで、……私といても、蒼也くん、何も得しなくて……」
「……何を言っているんだ、俺は損得勘定でお前と一緒にいるわけじゃない、そのくらいはお前にだって」
「違うよ……だって、父さんが蒼也くんに、私のことを押し付けたから、私は蒼也くんといっしょにいられたんでしょ、同居だって、きっと父さんがしろって言ったんでしょ」
「違う。……俺が、と暮らしたかっただけだ」
「うそだよ……、だって、そんなの、蒼也くんは何も、得しないし……」
「何故、損得の話ばかりする? 俺は何も、そんな理由で……」
「──だって、現に今だって蒼也くんは損してる! こんな時間に呼び出されて、走り回って、私の相手して、っ、げほ、っ、は……」

 絞り出すようにか細い声でそう叫んだ途端、げほげほとせき込むに慌てて、俺は隣に座って小さな背中を擦ってやる。すると、俺が羽織らせたジャケットの厚い生地越しにも、彼女の体が冷え切って、発作の苦しみで震えていることが見て取れるものだから、俺はますます動揺した。──幼い頃から、何度もが発作を起こす場面に立ち会って、その対応にも慣れたものだったが、それでも、こんなに苦しそうなは数えるほどしか見たことがない。……それほど、彼女にとって今、この状況が耐え難いといういうことなのか。過労で寝込んでいたときよりもずっと顔色も悪く、呼吸も荒くて、ひゅうひゅうと喉を鳴らしながら苦しげに泣いているのは、……俺が、を突き放したから、なのか?

「……、まだ呼吸が落ち着いていないんだ。それ以上喋るな、……このまま此処に居ても、身体が冷えるだけだな。背負ってやるから、家に帰ろう」
「……やだよ……」
「……良いから、帰るぞ」
「……いや、荷物もあるもん、むりだよ、私、重いもん」
「こんなに窶れて何を言ってる。俺はそんなに軟な鍛え方をしていない。くらい、片手で背負える」
「やだってば……置いて行ってよ、ひとりで歩ける、泊まるところも見つけるから、平気だよ……」
「うるさい。ついさっき、知らない男に連れていかれそうになっていたのも忘れたのか? 意地でも連れて帰るからな」
「……いや、やめて、これ以上、蒼也くんに嫌われたくないの、もう、ほっといてよう……お願いだから、ひとりにしてよお……」
「駄目だ。……俺がお前を、嫌いになれる訳がないだろう……帰ろう、。……悪かった、お前が気に病んでいたのはよく分かったから……ちゃんと、俺の意図を説明するから。……、どうかもう一度だけ、俺に挽回のチャンスをくれ」
「…………」
「頼む。……俺は未だ、を諦められない。俺はお前のことが、誰よりも大切なんだ……」

 ──そう言い聞かせて、半ば強引にを頷かせると、ますます軽くなってしまった彼女の身体を片腕で背負って、「落ちないようにしっかり捕まっていろ」と声を掛けてから、空いた左手でキャリーケースを引いて、俺は、ふたりの家までの道のりをゆっくりと歩く。
 ──その間に、俺はに、今まで言えずにいた話を、ぽつり、ぽつり、と一人ごちるように聞かせ続けて、熱と頭痛に浮かされた彼女は、ぎゅう、と弱々しい力で俺の首元に腕を回して、静かに俺の話を聞いていた。「……弁当、本当に嬉しかったんだ」「毎日の食事も、作ってくれて嬉しかった」「……だが、それでお前の負担になりたくなくて」「元々、が発作を起こしたときにすぐに助けられるように、同居したいと思ったんだ」「それに、お前と毎日共に居られたら、きっと楽しいだろうと思った」「……それなのに、俺がお前を追い詰めているようで、それが見ていてつらくて」「お前にとって俺は、取り繕って無理をしていないと隣を許せない相手なのかと、そう思ってしまった」「……女々しいだろう、俺はお前に嫌われるのが怖かった」「……お前も、兄さんのようにいなくなってしまったらと、不安だった」「……まで俺の前から居なくなったら、どうしたらいいのか、分からなかったんだ……」ぜんぶ、ぜんぶ、まるで格好の付かない言葉ばかりだった。かつて彼女の頼れる幼馴染で、兄貴分で居ようとしていた俺には、到底、伝えられなかった本音だった。情けない独白を聞きながら、はぐすぐすと鼻を鳴らして泣いて、お陰で俺は襟元がすっかり濡れてしまい冷たかったが、「……わたしも、おなじ……」と、零された言葉がどうしようもなくあつくて、……あたたくて、其処からじんわりと、全身に熱が駆け巡る。冬の冷たく透明な空気の中、視界は冴えて、まあるい月がいつもよりも黄色く、美しく見えた気がして、……ああ、には普段から、月がこんな風に見えていたのだろうか、と。……俺も、彼女と同じものを見て、隣で生きていたいという気持ちが、捨てようと思ったはずの熱情が、迸るように溢れて、止められなかった。

 ──やがて、俺は自宅に戻ると、「上着のポケットにお前の鍵が入っているから、取ってくれるか」とに頼んで渡してもらった鍵で玄関を開けて、家に入る。それから、をソファに降ろして、冷蔵庫から冷却シートを持ってきて額に貼ってやると、横に寝かせてブランケットを掛けてやり、「風呂を沸かしてくるから」と断ってその場を離れようとしたところで、……何かを言いたげには俺を見上げていたが、表情を曇らせるのみで決して言葉には出さずに、彼女は素直に俺の言葉を聞き入れて、頷こうとするものだから。

「……何かあるなら、言ってくれ。俺に対して、遠慮などしなくていい。……どうした?」
「……ひとりにしないで、行かないで……」
「……何処にも行かない。風呂を洗って、ボイラーのスイッチを入れてくるだけだ。このままだと風邪を引くだろう、少し落ち着いたら風呂に入ったほうがいい」
「……ちゃんと戻ってくる?」
「当然だろう」
「……わかった……まってる……」

 しゅん、と意気消沈したように、渋々と頷くその姿は、……まるで、出会った頃のようだな、とこんな状況には似つかわしくないかもしれないが、思わず笑みが漏れてしまいそうで、俺はどうにかそれを喉奥で押し殺した。──そうして、やがて風呂が沸くころには、ゆっくりと帰り道を歩いてきたこともあり、公園で発作を起こしていた頃に比べるとかなりの状態も落ち着いて、「風呂に入れるか?」と尋ねてみると彼女は頷くので、「何かあったらすぐに呼べ」と言って、……呼ばれたところで、不味い気はするが、そんなことを言っている場合じゃなかった。今度も素直に頷いたに部屋着とバスタオルを持たせて脱衣所の扉を閉めて、いつ呼ばれても出ていけるようにとそわそわしながら、……そういえば、夕飯を食っていないな、と。盛大に鳴った腹の音に、自分がずっと空腹だったのを思い出した。二宮の家では夕飯を作ったと聞いたが、自分は碌に食わなかったとも二宮が言っていたので、の方も、まだ食事は済ませていないのだろう。
 は体調も悪いわけだし、軽くでも食っておいたほうがいい。……本当ならば、が風呂に入っている間に夕飯を作っておいてやれたのなら格好も付くのだろうが、俺は碌に炊事が出来ないし、そもそも、最近はお互いに不在がちだったせいで、冷蔵庫にはろくな食材が入っていない。卵と、牛乳と、調味料の類と……野菜室にはしなびた野菜の欠片が転がっているだけで、冷凍室には切り分けた食パンと、アイスと、ウィンナーソーセージがあるだけ。……料理が出来ない人間に、こうも限られた食材で何が出来ると? そう、俺はしばらく考え込んでいたが答えは見えずに、辛うじて俺にでも出来るのは米を炊くことくらいだったので、冷たい水で米を研いだら外で冷え切った指が氷のように冷たくて、……米ひとつ炊くにしても、はいつもこんな思いをしていたのだな、と。……本当に俺は、彼女の苦労の何も分かっていなかったのだと。そう、思った。炊飯器のスイッチを入れて、……あとは、何も出来ることがないな、と。インスタントのスープか何かが残っていなかったか戸棚を漁っていたところで、脱衣所の扉が開く音がして、弾かれたように俺はその場から立ち上がり、どたばたとの元に向かうのだった。

「──、平気か?」
「へいき。……蒼也くんも、風邪引いちゃうから、次入って」
「俺のことはいい。それより、の体調が……」
「……そうやって、」
?」
「……そうやって、お互いの為に、自分を犠牲にするの、もうやめようよ……? わたしも、そういうこと、しないようにがんばるから、……だから……」
「……分かった。……の言う通りだな、だが、俺が風呂に入るのはの髪を乾かしてからでいいな?」
「そのくらいは、自分で……」
「発作の後は、ドライヤーの振動がつらいと言っていただろう。……互いへの遠慮も無しにしよう、俺も気を付ける」
「……わかった……」

 の柔らかで指通りの良い髪にドライヤーを掛けてやっていると、温まってうとうとしてきたのか、小さな頭がぐらぐら揺れていたので、「先に寝ていても良いからな」とに伝えてから俺も風呂に向かったが、の体調を優先したい気持ちと同じくらいに、早急に話し合って事態を解決したい気持ちが強く、俺は急いで風呂を済ませてリビングに戻る。……すると、の姿は既に其処にはなくて、眠ったのか? と一瞬思ったものの、代わりに台所から、ふわり、とあたたかな香りが漂ってくるものだから、慌ててそちらに向かってみると、が火の前に立って、じゅうじゅうと卵焼きを焼いているところだった。

「……、寝ていなくて平気なのか……?」
「だいじょうぶだよ、もう結構、落ち着いたから……」
「……俺が代わる、と。そう、言いたいところだが……」
「だって、蒼也くん、卵焼き作ったことないでしょ?」
「……すまん……」
「大丈夫。……あの、代わりにこっちのソーセージ、冷凍庫にあったの、焼いてくれる?」
「? 焼くだけでいいのか?」
「うん、こっちのコンロでフライパン温めて、油も布かなくて大丈夫だから、中火でね」
「……分かった、やってみよう」
「ぱん、って弾けないように気を付けてね、こう、菜箸で時々、コロコロ、ってしてね……」

 碌に食材もなかった冷蔵庫の中で、野菜の端っこを細かく刻んで卵に混ぜて、は慣れた手つきで卵焼きを焼いている。俺はその所作に見惚れる余裕もなく、不慣れな手つきでフライパンでソーセージを転がして、焦がさないかとハラハラしていたが、が隣でタイミングを指示してくれたおかげで、どうにか焦がさずにウィンナーを焼くことに成功した。

「……初めて、ソーセージが焼けた……」
「やってみると、結構楽しいでしょ」
「……ああ……」
「……私はね、いつも楽しかったんだよ、……蒼也くんが食べてくれたから、ご飯を作るの、楽しかったの」

 買ってきたソーセージをフライパンで軽く焙っただけだというのに、謎の感慨に襲われている俺の姿など、間抜けなものだったのだろうに、はそんな俺を笑うことはせずに、「蒼也くんといっしょにお料理するの、楽しい」などと言うのだ。「……これは、料理をしたうちに入るのか?」と、俺が思わず零すと、気持ちが大事なのだとは言う。……ああ、確かに。彼女の作る料理はいつだって俺への気持ちがぎっしりと詰め込まれていたから、……他の誰が作る料理よりも、俺にとっては特別だったのだろう、きっと。
 ソーセージを焼いて、卵焼きを切り分けて、それから、大量に炊いた白米は、すべておにぎりにすることにした。梅干し、おかか、じゃこふりかけ、焼いてから冷凍にしてあった鮭と、同じく彼女が作りおきを冷凍しておいたミートボールも。飯のおかずは常に用意してくれていたのお陰で、食料不足の割には、豪勢なおにぎりが皿の上に積み上がっていった。

「こうやって、ボウルにお水を張って、塩を溶かして、手に付けて」
「……こうか……?」
「そう。それで、好きな具を入れて、ふわっ、と軽く握って、お米が潰れないようにしてね、焼いた海苔を巻いて……」

 ──情けないことに、俺はおにぎりを握ったことすら殆どなくて、こんなことにさえちゃんとした手順があることなど、に言われるまで知らなかった、……一人暮らしをしていた頃は、米をラップに乗せて具と一緒に丸めるだけだったから、そういうものだと思っていたが。の作るおにぎりはいつも、少しだけ米に塩気があって、美味かったな。米もするすると口の中でなめらかにほどけるものだから、俺の握ったのと何が違うのだろうと、不思議に思った覚えがある。米を潰さないように、というのは力加減がどうにも難しくて、の手元を見よう見まねで俺もおにぎりを握ったが、どうにも俺の作ったものは、不格好で歪で、海苔にも米粒がくっついていて、見目がいいとは言えない。それに比べての作ったおにぎりは、お手本のような三角形で、海苔もきれいで、具も外側にはみ出ていなかった。ほう、との作ったおにぎりに思わず見惚れていると、が電気ケトルに水を汲んでお湯を沸かし始めたので、何をするのかと思えば、インスタントのスープを入れる、と。なぜか申し訳なさそうにそう言い出したので、それなら俺にも出来ると言って、俺は強引にからその仕事を奪った。乾燥した四角形をスープマグに放り込んでケトルからお湯を注ぐ俺が、「ようやくの役に立てた……」と零すと、彼女は酷く可笑しそうに笑って、俺はそれが不思議で、──そうしてふたりで、とはいえ殆どはの手腕なのだが、あり合わせで拵えた夕飯を、はベランダで食べたいと言い出した。俺はそれを聞いて思わず驚いて、……の希望は叶えてやりたいが、……しかし外は気温も低いし、やっと身体も温まったところだから駄目だと、はじめは俺もそう言ったものの。

「……蒼也くんと、月が見たいの。おねがい……」
「月……?」
「さっきは、泣いてて見えなかったから……」
「……分かった。だが、スープを飲んでおにぎりをひとつ食べたら、部屋に戻る。後は中で食う。譲歩できるのは其処までだ、……それでもいいか?」
「うん。……ありがとう、私のわがまま、聞いてくれて……」
「……この程度、我儘とは言わないだろう、全く……」

 スープマグとおにぎりをひとつ手に持って、ブランケットにふたりで包まって、がらがらと扉を開き俺達はベランダに出る。冬の澄み切った空気はやはり、遥か遠くの月を鮮明に映し出し、……それでいて、心なしか、先ほど見上げた月よりも、それはあたたかく見えたような、気がした。

「蒼也くんのおにぎり、みちみちで、ぎっしりしてる、……ふふ、これだけでおなかいっぱいになりそう」
「……が作った方を、選べばいいものを……固くて不味いだろう?」
「ううん、美味しいし、……食べるの時間かかるから、いっぱい、月を見ていられるし、こっちがいい」
「そうか……今度、また握り方を教えてくれるか?」
「うん。……今度は、お外にお弁当持っていきたいな……」
「ああ。……春になったら、花見でも行くか」
「……うん」
「それまでに、……俺でも卵焼きくらいは、焼けるようになれるか……?」
「うーん、どうかなあ……蒼也くん、スコーピオンはあんなにきれいに扱うのに、どうして包丁持つと、あんなに危なっかしくなるの?」
「獲物とはまた、勝手が違うだろう……」
「そうかなあ……? 卵焼き切ってもらおうと思ったのに、危なっかしくて、思わず止めちゃった」
「すまん……。……はすごいな、俺は、戦うことくらいしか出来ないのに」
「……そんなことないよ、蒼也くんは指揮だって上手だし、頭も良いから、きっと、理屈が分かれば、上手くなるよ」
「……そうか?」

 寒空の下、少ない熱を分け合いながら月を見上げて、ぽつり、ぽつり、と。今までを埋め合わせるように、と話をした。未来の約束をすることは、きっと、お互いに少しだけ怖くて、だが、……話しておかなければならないと、そう思った。伝えておかなければならない、一方的な思い込みじゃなくて、……ふたりの約束に昇華しなければならないことが、きっと俺達には、幾らでもある。

「うん。春が無理でも、……次の春でも、上手くなるまで教えるから」
「……ああ」
「……その頃には、蒼也くん、社会人かもしれないけれど……」
「社会人になっても、俺はの隣にいる予定だから問題ない。……は?」
「……そんなに先まで、いっしょにいていいの?」
「寧ろ、居てくれないと困る。……お前に見捨てられないように、少しは、俺も家事だとかを、出来るようになるから……」
「……見捨てたり、しないよ……」
「分かっている。……だから、もちゃんと知っていてくれ」
「……うん」
「俺は、……周囲の誰に言われるよりも前から、俺の意志で、ずっと、……のことが好きなんだ」
「……うん……ありがとう、蒼也くん……」

 ──そもそも、俺の認識としては、ずっと、互いの父親のやり取りなどは軽い世間話の一環程度にしか思っていなかった。「──さんはとてもいい子だから、将来、お前といっしょになってくれるといいな、蒼也」と父親に言われたこともあったが、それはその通りだなと思っていたし、周囲の大人がそう思ったのは、“どこからどう見ても、俺とがそのように見えたから”なのだと思っていたから、……だから、つまりは誰の目から見ても明らかに、俺とは両思いなのだと、俺はそう思い込んでいたのだ。……俺にとっては、只、それだけの話だったのだと、に早く伝えられていたのなら、不要に悩ませることはなかったのだろうというのも、今だからこそ思うこと。お似合いだと言って周囲がどれほど盛り上がろうが、それも向こうは向こうの話でしかなく、決してさんは俺や父に圧をかけてくる訳でもなかったし。……だからこそ、俺はあまり気にしていなかったが、……は、そうではなかったのを、俺だって知っていたのに。

「……もっと早く伝えればよかったな、貴重な時間を無駄にした」
「貴重な時間……?」
「貴重だろう。この先ずっと隣に居られたとしても、時間は限られているんだ。……さっさと伝えて、恋人期間を楽しんでおけばよかった……」
「? どういうこと?」
「……悪い、また伝えそびれるところだった。その、だな……俺は元々、が大学を卒業するまでは待とうと思っていて、だが卒業したら、好きだと伝えるつもりで……」
「……?」
「──だから、つまりは、何が言いたいのかと言うと、──」

 大真面目に伝えたその言葉に、はぽかん、と口を開いて俺を見つめる。「……此処、米粒がついてるぞ」と口元に指を伸ばすと、は途端に真っ赤になって、「おにぎり食べながら、そんなこと言わないで……!」と。わあわあ怒り出すものだから、怒らせているにも関わらずに、が本当に思ったことを俺にぶつけてくれたのが嬉しくて、彼女の口の端から摘まんだ米粒を頬張ったらはますます赤くなって、ぎゅう、と部屋着のパーカーの裾を握られる。──寒空の下、一枚のブランケットに包まって、すっかり身も心もほかほかに温まった頃、名残惜しい気持ちを押し殺して、「……そろそろ中に戻るか」「うん……」小さく交わした言葉も、やがては北風に溶け行く。……もしも、この瞬間を切り取って、額縁に入れて、大切に保存しておけたのなら、ガラスのケースに仕舞って、いつまでも見つめていられたのならと、……思わず、そんなことを願ってしまうくらいに、……その日、彼女と見上げた月はまるく、まるく、穏やかで、……それはそれは、特別な、夜だった。俺はその眩さがあまりにも、壊れてしまいそうなほどにきれいだと思ったから、……きっと、俺がこれからも大切に守り抜こうと、小さな熱にそう誓ったのだ。 inserted by FC2 system


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