安心して眠れるくらいの光度で

 という少女と出会ったのは、俺がまだ小学生の頃だった。父が務める会社のお偉方の娘、として彼女が俺と兄さんに紹介されるよりも少し前に、俺はの父と少しだけ顔を合わせたことがあって、なんでもそのときに俺を一目見ての父は、「この子ならうちの娘もきっと好きになるはず、心を開くはずだ」と考えたらしい。俺の何がそうもお気に召したのかは未だに分からないが、ともかくそんな経緯で、俺とは実際に対面する以前から、謂わば“親公認の仲”に近しいそれがあったものだから、と出会ってからというもの、大人たちのそれは当然のように激化していった。
 と俺は学年こそ違ったが、学内でも良く話したし、中学に上がる頃には俺が先に進学して、は親の意向で星輪の中等部に進んだため、学校内での接点は無くなってしまったが、それでも相変わらず互いの家を行き来したり、放課後に会うことも度々あった。そうして、順当に成長していけば当然、元よりそういったきらいのあった周囲からの“視線”は、完全に“そういう間柄のふたり”、を見る目として固定されていく。──後にサイドエフェクトとしての認定を受けるわけだが、は幼い頃より持ち合わせた“特徴”により、周囲との間に距離を取りたがる子供だった。それが当時の彼女にとって唯一の自衛であり、がそうなってしまったことに関しては、彼女の父にも責任の一端があったらしい。だから余計に娘を気に掛けていたのか、とにかくの父──さんは、何かと俺に彼女を託したがって、が俺に向けている好意に恋と言う名前を付けることにも拘っていた。しかし、その反対にのほうは、どうにも、そうして周囲に御膳立てされることを好ましく思わなかったらしい。……まあ、その理由についても、ある程度の想像は出来る。

 幼少期、の世界には俺と兄さんのふたりだけだった。……しかし、それも元々は、“親が取り計らったもの”だったから。その気持ちそのものも“自分が抱いたもの”ではなく、“親が用意したもの”に過ぎなかったのなら? と、……要は、そんな葛藤が彼女の中にはあるのだろう。其処に答えを出すのは俺じゃなくて、彼女でしかないし、俺が勝手に結論付けることなどあってはならない。俺が答えを教えるのは簡単だが、それではが父にされてきたことと同じになってしまうから。せめて俺は、彼女の嫌う仕打ちを強いることはしたくなかった。それが俺の手前勝手な自己満足だとしても、俺はが自力で答えを出す日を、飽きずに隣で待っている。

「──二宮くん、今度、出水くんと久々に研究会するんだけど……」
「参加してやってもいい」
「素直に参加したいって言いなよ……まあ、そのつもりだったけどさ……あと、加古ちゃんが来週末にまた同い年で飲み会しない? って」
「は? 行くと思うか? 太刀川も来るんだろ、碌なことにならねえ」
「堤くんと来馬くんも来るよ……?」
「……少し、考えさせろ」
「はいはい……あっ、蒼也くんだ!」

 エントランスに通るよく聞き慣れた涼やかな声に、書類から顔を上げると、二宮と連れ立ってが自販機の前で珈琲を買っているところだった。──昔は、俺と兄さん以外には親しい人間など碌に居なかっただが、ボーダーに入隊して、“違和感”にサイドエフェクトという名前が付いて、組織の中で戦闘員として、指揮官として頭角を現していく中で次第に、彼女の周囲には人が増えていった。……元々、お人好しで優しい少女だったから、が他者の隣人となるのには然程時間がかからなくて、組織内では同学年の二宮や加古と、特別に仲が良いように思う。大規模侵攻の後にボーダー隊員となった彼女は、当時本部で一時期暮らしていた関係で、通学距離を加味して後に星輪の高等部から六頴館に転入したから、二人とは高校時代からの縁もあって仲が良いのだろう。当時も、学内で度々二人と伴っている姿を見かけたし、今でも大学のキャンパスでよく一緒にいる気がする。大学で言えば、諏訪や木崎もを妹分として可愛がっているし、あいつらは俺から事情を聞き及んでいる分、余計にそうなのかもしれないが、よくを気に掛けてくれている。俺の部隊の菊地原や歌川もとはよく話しているし、三上などは特に仲が良く休日にふたりで出かけることもあると、双方から聞き及んでいた。他にも後輩に広く慕われ、木虎とは師弟に近しい間柄だし、彼女の部隊の隊員も、隊長としてのを尊敬しているように見える。……要するに、何が言いたいのかといえば。今の彼女にとって、世界に居るのは俺だけじゃない。──だが、それでも。これだけ多くの人間で溢れ返っている本部エントランス──彼女にとって視覚情報の多すぎるこの場所で、俺を見つけるとぶんぶんと勢い良く此方へ向かって手を振るに、ひら、と軽く手を挙げて見せると、この場に留まることで起こり得る不調を懸念することもなく、自販機で珈琲をもう一本買い足すと傍らの二宮に断りを入れてから、は一目散に俺の方へと小走りで駆け寄ってくる。「転ぶぞ」と口パクで伝えると照れ臭そうにはにかみながら少し歩調を緩めて、やがて俺の傍までやってきた彼女は「おつかれさま、蒼也くん」と俺の目の前に珈琲を置いて、隣の席へと座った。

「……二宮、置いてきて良かったのか?」
「うん、廊下で会っただけだから。蒼也くんは? 書類?」
「ああ……提出に行くところだが、念のために最終確認をしていた」
「手伝おうか?」
「そうだな、がよければ頼めるか?」
「いいよ! じゃあ、私はこっち見てくね」
「ああ、頼む」

 そう言ってが書類の束を手に取ると、真剣な面持ちで視線を滑らせるきれいな瞳を縁取った長い睫毛が、彼女の白い頬に影を落とす。──彼女の世界が広がって、それでも、が俺の隣へと収まりたがる理由を恐らく、俺は知っているが、俺がそれを良しとしている理由については、きっとは未だ知らないのだろう。俺が教えてやることは簡単で、俺がほんの少しだけ狡くなってしまえばそれだけで、きっと俺の欲しいものは手に入るのだろうと、そう思う。しかし、現状の俺には不誠実になろうなどというつもりは、毛頭ないのだった。──或いは、他者が決めた確約などがそもそも存在しなければ、話はこうも拗れずに済んだのかもしれないが、その肩書こそが俺を彼女に引き合わせたのだから、なんとも儘ならない。世界とは、どうやら常にそう出来ているらしいと、戦いの日々に身を置く以上はとっくに気付いているが、たったひとりくらいはその理の外に在っても良いじゃないかと思ってしまうのだから、俺はきっと、心底彼女に甘いのだろう。 inserted by FC2 system


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