この憧憬に誰も触れないで

 子供の頃、私は蒼也くんのことが好きなのだと、それは恋なのだと、そうやって周囲に決め付けられるのがずっと嫌だった。何も、蒼也くんのことが嫌だとかそういう話ではなくて、只もっと単純に幼い日の私は、これは恋だ、と断定できるほどに、好きなものを数多くは持っていなかったのである。私にとって大好きなひとは、世界に蒼也くんと進兄だけだったから、この好意に優劣や差分を生みたくはなかったのかもしれないし、そもそもふたつしかない心ではサンプルが足りなかったのかもしれなくて、どちらかといえば正しいのは後者なんじゃないかと思う。
 それは確かに、蒼也くんのことは好きだ。けれど何も私は偶然や運命で彼に出会った訳では無くて、只必然を仕組まれたという、これはそれだけの話、だったから。──もしも私が、大人たちの言葉を鵜呑みにして、幼い頃にこの気持ちを恋と定義していたのなら、私はその言葉だけで蒼也くんの退路を断ってしまっていたのかもしれないと、そう思うたびに、怖くて不安になる。何も父の言葉に其処までの強制力がある訳ではないということだって、ちゃんと分かっているけれど、……いるけれど、子供って、大人が思う以上に色々と考えているものだと、大人になるとどうしてだか、それが分からなくなってしまうのかな。四年前に家を出たきり、海外に渡った両親とは疎遠になっているけれど、決して絶縁したわけではなくて、父が蒼也くんのおうちに私のことを任せているのも、私はちゃんと知っている。だから、要するに、父の中では私が成人した今でも考えは同じなのだ。父は、私を蒼也くんと恋仲にさせたい。どうしてか、周囲の大人たちはそれが正しいことで、そうなるものだと未だに思っているのだ。

 ──けれど、その反面で。大人になった今、蒼也くんとふたりで並んでいても、あまり恋人だと思われることは多くない。仲が良いとは言われるけれど、それはボーダー内部の親しいひとたちからの指摘が大半で、それ以外のひとたち──つまり、私と蒼也くんを深く知らないひとにとっては、私達が連れ立っていたところで、特に恋人同士に見えたりはしないらしかった。
 ──子供の頃、蒼也くんと歩いているとよく、「兄妹かな? 仲が良いんだね」と言われていて、当時の私はそれがとても嬉しかった覚えがある。蒼也くんと進兄がきょうだい、という事実を幾らか羨ましく感じていたこともあるし、周囲の大人が“恋”と断定したがるそれを、兄を慕う感情だと訂正される行為に安堵を得ていた、というのもあるのかもしれない。……子供の頃は、確かにそうだった。その誤解が嬉しかったくらいだったのだ、昔は。大人になっても同じことを言われるのだって、最初は気にならなかったのに。二宮くんだとか太刀川くんだとか、他のひとと歩いているときには「恋人?」なんて聞かれることが最近では度々あるものだから。……何故か、私はそれを面白くないと感じている。

「だってそれって、私が蒼也くんを好きなようには見えても、別に蒼也くんと恋人同士に見えるわけじゃない、ってことでしょう?」
「……あら?」
「……なんか、そういうの、ちょっと……つまんないな……」
「あらあらあら?」

 ボーダーにおける同学年の六人での飲み会の席、どうしてこんな話になってしまったのか定かではないので、恐らく私は加古ちゃんの誘導尋問に乗せられてしまったのだろうけれど、グラスの水滴を指先でなぞりながら、なんとなく零してしまったその不満に、加古ちゃんは面白いことを聞いた、とでも言わんばかりに、にまにまと微笑んでいる。──加古ちゃんに話してしまった通りに、私は。恋だと断定されることを嫌がりながらも、いざ否定されるとそれはそれで複雑だ、なんて。なんとも面倒くさいことを、頭の隅っこのほうで考えてしまっているのだった。……思えば昔から「ちゃんは蒼也くんが好き」とは散々言われたけれど、「蒼也くんはちゃんが好き」とは、別に誰にも言われなかったなあ、って。昔は分からなかったその言葉の意味は、もしかして、他意も何もなくそのままの意味でしかなかったのかなあ、だとか。……あまり、考えたくないことを、最近考えてしまうのだ。

「そう……ちゃんは、風間さんと兄妹みたい、って言われるのが嫌なのね?」
「それが嫌、というか……例えば二宮くんとは、なんでかよく、彼氏彼女に間違われるんだけど」
「は? 今、その情報必要だったか?」
「二宮くんうるさいよ。なんというか……蒼也くんとは間違われないのに、二宮くんと間違われる意味がわからない、というか……」
「…………、ギムレットぶち込まれたいのか?」
「まあ、確かにそれはそうね」
「オイ、加古……」
「だっはっは! 二宮フラれてやんのー!」
「黙ってろ太刀川」
「ま、まあまあ……二宮もさんも……」
「……なんで、なんだろう? 二宮くん、別に私のこと好きなようには見えないよね?」
「うーん、そうかしら?」
「…………」
「それって、……蒼也くんは、二宮くんよりも私のことを好きじゃなさそうに見える、ってことなのかな?」
「……は?」
「……って、思うと……なんか、それは、いやだな……」

 ──確かに私は、蒼也くんが無理に私に付き合わされることが、彼の人生を左右してしまいかねなかったことが、本当に嫌だった。蒼也くんが私をどう思うかは、彼が決めることなのに、って。……でも、実際にこうして、傍目から見たときにそういう関係に見えないのだなと実感すると、好意の所在や意味は一度横に置くにしても、……本当に、私が蒼也くんを振り回しているだけなのかもしれないと不安になってしまうから。……そんなことを良しとするひとじゃないって、ちゃんと分かっているけれど。それでも、不安に思うのは。私にとってそれほどに彼の存在が大きいからで、……同時に、蒼也くんを失うことを心の底から恐れているから、なのだろう。

「まあ……二宮くんより蒼也くんの方がかっこいいもんね……私じゃ不釣り合いなのは仕方ないと思うけど……」
「ぶはっ」
「太刀川笑うのをやめろ、死にたいのか」
「あのー……さん、こう言っては風間さんにも失礼だとは思うんだけどね……?」
「? なに? 来馬くん」
「それってさ……」
「風間さんが小柄だからじゃないの?」
「か、加古さん! もっとオブラートに……!」
「……? どういう意味?」
「風間さんが実際よりも子供に見えるから、ちゃんと風間さんが並んでいても、ふたりをよく知らないひとには、ふたりとも大人で、かつ恋人同士……という風には見えないだけ、なんじゃないかしら? そういう意味よね、来馬くん?」
「いや、まあ……うん……」
「……俺もそう思う」
「堤くん……?」
「二宮はまあ、かなり身長もあるしな……」
ちゃんも小柄だから、二宮くんとは恋人というより犯罪に見えるわね」
「殺すぞ、加古」
「でも、それだけなんじゃない? 風間さん、ちゃんのこと、とっても大切そうに見えるもの」
「それは、そうかもしれないけれど……」
「ね? どこぞの馬の骨や二宮くんよりも、ちゃんは私の言葉を信じるわよね? 私達、親友だもの」
「……うん。ありがとね、加古ちゃん」
「良いのよ、別に。私の可愛いちゃんには、笑顔が似合うもの。ほら、飲み直しましょ」

 加古ちゃんが追加でオーダーしてくれたお酒の入ったグラスを手に取りながら、楽しい席で変なことを言っちゃったな、と少し反省したものの。すっかり皆、元の様子で楽しげに飲み食いを再開していて、きっと私に気を遣っている部分もあるだろうけれど、ひとまずは安心した。加古ちゃんには、後でまたちゃんとお礼しないとな。──みんなの言う通り、確かに蒼也くんは小柄だけれど、私よりは背も高いし力もあるから、そういえば普段、あまりそのことを気にしたことってなかったな、と思う。それに、蒼也くんはかっこいいから。頼れるし、しっかりしてるし、そういう関係、に見えないのはすべて私に非があるのだとばかり思っていたけれど、そういうこともあるんだ、と。私は少し驚いていたし、安心もしていた。……確かに、そういうことなら二宮くんとの関係性を誤認されることにも、理由は付くし。

ちゃん、追加で何か頼む?」
「んー……何か甘いのがいいな……」
「馬鹿か? そういうのは最後にしろ、肉を頼め」
「あとコロッケな!」
「それと、ジンジャーエール追加だ」
「せめてジンジャーハイにしとけば?」
「アナタたちは自分で頼みなさいよ」

 ──私にとって一番重要なことはずっと、蒼也くんの隣にいられるかどうかでしかなかった。進兄が居なくなってしまってから、その気持ちにはどんどん歯止めが利かなくなって、蒼也くんがボーダーに入隊すると聞いたときに、私の知らない場所に彼が行ってしまうことがどうしても怖くて、両親の反対を押し切って家を飛び出して、蒼也くんにも散々止められたけれど必死で説得して、渋々の承諾をもぎ取って組織に入ったけれど、……あのとき、私がそうしたことで、この先もずっと蒼也くんの隣に居られるのかどうかについては、正直分からない。私と蒼也くんのはじまりは、親が役割を与えたという、只のそれだけ。そうして隣にいる理由を得たことで、私は蒼也くんといっしょに過ごして、もはやそこに従う気もなくなって、それでも蒼也くんは私のとなりにいてくれているものの、きっと私は、この関係性に理由が伴わないのもそれはそれで不安なのだという、とんでもない我儘なのだと思う。──現在、私が蒼也くんのとなりにいる理由のひとつでもあるから、A級の隊長同士という関係性はかなり気に入っているけれど、この場所だって、必死に守らなければ失いかねない不安定な肩書でしかなくて、手放してやろうなんて気も更々ないけれど、現に自分の意志ではなくA級を下ろされた部隊だって存在していることを、私は身近に知っていた。
 蒼也くんのとなりに居られなくなる日が来るのが嫌、だなんて、我ながらあまりにも子供じみているとは思う。──兄のように慕っていたひととの死別と、それから、勝手に関係性を決め付けた挙句に三門市を離れると、──蒼也くんの傍から引き離すと、そう父に言われたときに抱えた、二度の離別への不安だとか。……きっと、そういうものが幾重にも積み重ねられてしまっているから、この想いを恋と結論付けるには勇気が足りなくて、愛してると言うには覚悟が足りないのだろう、私は。
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