ころがした飴を噛まれる

 思えば今日は、「同学年の六人で飲みに行こう」などというの誘いに乗った時点で間違いだったのかもしれない。とは高校の同級生で付き合いはそれなりに長く、俺の方とて別段あいつを嫌っているわけでもない。東さんの下で共に学んだ時期もあったし、と俺は個人としての戦い方や戦略の組み方が似ている節があるので、そう言った意味でもとは関わる機会が多い。そんな付き合いの延長戦で、二人で飯に行ったりすることも度々あるのだが、……あれは、お互いに成人した頃にの誘いでこいつと飲みに出かけたんだったか。その際に、何処から聞きつけてきたのか──十中八九、本人から聞いたのだろうが、太刀川と加古まで付いてきやがって、その上、居酒屋で偶然にも風間さんや諏訪さんたちと鉢合わせたものだから、は途中からそちらの席に連れて行かれたきり戻ってこなくて。──お陰で、俺一人で太刀川と加古の鬱陶しい絡みを受け流す羽目になった、……ということがあった。そんな前科があった後でまたと飲みに行くことになり、前みたいな真似しやがったら許さんからなと釘を刺しておいたが席を立つことも、今度はなかったのだが、……なかったの、だが。
 
「……おい、とっとと起きろ」
「んー……?」
「解散だ、上着を着て外に出るぞ」
「……んん……」
「……こいつ……」

 居酒屋のテーブルに伏して寝息を立てるに、はあ、と思わずため息のひとつも吐きたくなる。──結局、あの二回で散々に懲りた俺は、それ以降、が誘ってくる同学年の飲み会には「堤と来馬が来なければ俺は行かない」の一点張りで通しているが、介護役の堤と来馬という主戦力が太刀川と加古に全て持って行かれた場合、の面倒を見るのは自動的に俺ということになる。……一応、初回で俺に迷惑をかけた自覚はあるのか、二度目の飲み会の席ではも終始席についてはいたものの、……こいつ、驚くほど酒に弱い上に酔うとすぐに寝るものだから、結局はまるで戦力にならないのだった。寧ろこうして最終的に俺にの世話役が回ってくるので、俺としてはそもそも、誘いの段階で断った方が良いのだろうとは何度身に染みて思ったことだろうか。──そうは言っても、現実問題、俺はこいつらと共に居酒屋に居て、またしても隣でが寝こけているのだから世話は無いなと思いながら、上着を羽織らせて靴を履かせ、を無理矢理店の外まで連れ出すのも、一体何度目だったか。……だから俺は座敷席は嫌だといつも言っているのに、何故加古の見つけてくる店はいつも座敷席ばかりなんだ。あの女、まさか俺への当て付けじゃないだろうな。

 会計を済ませて店を出ると、太刀川と加古が二軒目に行くと騒ぎ出したので、後の始末は堤と来馬に押し付けて、俺は「に二軒目は無理だ、俺はこいつを送って行くから抜ける」と尤もらしい口実で二次会から抜け出すことに成功した。とは言え、については適当にタクシーを捕まえて放り込んでそれで仕舞いのつもりだったが、三門市の夜は静かで人通りはあまり多くはなく、タクシーもなかなか捕まらない。次第にそうしているのも面倒になってきて、かと言ってこのまま路上に捨て置くのも流石に気が咎めるので、結局、俺は観念してを家まで送り届けることにしたのだった。
 を店から引き摺り出して、腕を掴んで無理矢理に半ば引き摺りながら立たせていたが、30センチ程もある身長差でこのまま歩いて送るのは無理だ。何故、俺がこんな真似を……とは思いつつ、の軽い身体を背負い直して、俺はの自宅まで夜道を歩く。いつの間にか長くなったこいつとの付き合いで、何度か家まで送ったり家に上がったりしたことがあったせいで、すっかり家までの道のりも覚えてしまった。なんでも、ボーダーに入るまでは厳格な家で育ったとかいう反動なのか、親元を離れて一人暮らしをしている現在、は家に人を呼ぶのが滅法に好きらしく、度々自宅に招かれることがあるのだ。


『転校生の案内は……二宮、お前がしてやれ。隣の席だろう』
『は……?』

 ──との腐れ縁が始まったのは、遡ること数年前、高校一年の頃、が俺のクラスに転校してきたときのことだ。季節外れの転校生など、三門市の外では珍しいものだが、すっかりそんな非日常が常態化しているこの街で、半端な季節に星輪から六頴館へ転入という、またよく分からん事情を抱えているらしい転校生を大して誰も気にしない。──はこの当時、ボーダー本部で暮らしており、本部から遠い星輪と往復することが厳しかっただとか、親の保護下を離れたことでボーダー提携校の方が都合が良かっただとか、転校にはそんな理由があったそうなのだが、まだボーダーという組織が市民の理解を今以上に得られていなかった当時、は自身がボーダー隊員である事実は伏せて学校に通っていた。だから俺も、当時はの事情など知らなくて、──それまではずっと、は只、同じクラスに通う転校生、というだけの認識だった。

『二宮くん、案内ありがとう。です、よろしくね』
『……ああ、二宮、匡貴だ』

 クラスの連中はという転校生の素性よりも、星輪からの転入生だとかいうブランドにばかり夢中で、あいつの容姿以外に目を向けていた人間など、果たしてどれほどいたのだろうか。……実際、俺も初対面のには幾らか目を惹かれた、というところでもある。大人しげで穏やかで容姿もそれなりに整っていて、……正直なところ、嫌いなタイプではなかった。俺にとっては、初対面の頃より好感を覚える類の人間で、……まあ、そんなこいつの本性を、A級部隊の隊長まで駆け上がった実力を──ボーダー隊員として、戦闘員としての顔をよく見知った今では、あんなものは気の迷いでしかなかったと、そう思う。魔が差したのが一瞬でよかったと思うし、俺の気の迷いは実際、早々に叩き壊されたのである。がボーダー隊員であることを知ったのはそれから数ヶ月後、防衛任務で武器を手に大暴れするの姿を目撃したのがきっかけだったが。──“気の迷い”がそれ以上の何かに昇華されなかったのは、出会ったその日に早々に、あの人から釘を刺されたからだった。
 が転入してきたその日、昼休みに校内の案内をしてやりながら歩いていると、廊下に上級生が待ち伏せしていた。小柄な体格のその人を上級生、と認識できたのは、体育祭だか何かで大暴れしている姿を見かけた記憶が薄っすらと残っていたからだ。俺一人であれば、特に気に留めることもなく、その上級生の前を通り過ぎたのだろうし、そもそも待ち伏せされることもなかったのだろうが、俺の隣を歩いていたは相手の姿を見つけるや否や、ぱあっと顔を輝かせて「蒼也くん!」と小走りで駆けていくものだから、……俺は一瞬、呆気に取られて反応が出来なかった。

『……こら、廊下を走るな、
『えへへ、ごめんなさい……会えてうれしい! もしかして、探してくれた?』
『ああ……きっと校内を案内されるだろうから、昼休みにどこかの廊下で待っていれば会えると思っていた』
『すごいすごい! 蒼也くん、探偵になれそう!』
『随分と大袈裟だな?』

 一瞬でその場に構成された二人だけの空気感に呆けていると、俺の存在を思い出したが俺に向かって、「二宮くん、このひとはね、二年生の蒼也くん! 私の幼馴染なの、今日転入するって言っておいたから、私のこと待っててくれたんだって!」「蒼也くん、こっちは二宮くん。校内の案内をしてくれてたの、隣の席なんだよ!」……と、お互いを紹介してきたので、上級生相手だから一応会釈はしたものの、……幼馴染だからって、普通、待ち伏せしたりするか? という疑問は覚えたし些か釈然としなかった、というのが正直なところだ。しかも、その上級生、……風間さんは、「世話を掛けたな」だとか、「昼休みが潰れるだろう、あとは俺が案内しておこう」だとか、……余りにも我が物顔をしてくるものだから、俺は何故か、どうにもそれが面白くなくて。

『……いえ、を案内しないと、担任に文句を言われるのは俺なので』
『なるほど。確かにそれはそうだな、……、俺も一緒に案内しよう』
『ほんと? ありがとう、蒼也くん!』
『ああ』

 ──いや、三人で回る意味なんてあるか? どう考えたって無いだろ、と腑に落ちない気持ちを抱えたままで校舎を案内して、……昼休みが終わる頃には、流石に俺も何かを察していた。「放課後、教室まで迎えに行くから待っていてくれ」「うん! また後でね!」そう言ってぽん、との頭を撫でて自分のクラスに戻っていく風間さんの穏やかな表情と、微かに頬を染めるの横顔とで、……ああ、これは素直に風間さんに任せるのが正解だったな、と。そう思ったのを、俺は今でもぼんやりと覚えているし、だからこそきっと、あの日に抱いた憧憬はそれ以上の何にも昇華されなかったのだろうから、……そういう意味では、風間さんに感謝するべきなのかもしれない。……無論、あの人としては、俺への牽制のつもりだったのだろうが。


「──二宮か、世話を掛けたな」
「……いえ……風間さんが来ているなら、店を出たときに連絡すればよかった」
「いや、俺の方が事前に伝えておくべきだった。……、立てるか」
「……ん、んん……? そーやくん……?」
「ああ。……無理そうだな、運んでやる。……二宮、お前も疲れただろう、茶くらいなら出すぞ。上がっていくか?」
「……いえ、明日も早いので俺は失礼します」
「そうか。……のこと助かった、いつもすまないな」
「いえ、失礼します」

 の自宅前まで着いたところで、部屋に電気が付いていることに気付いて、……まさかな? とインターホンを押してみると、案の定というか、中からは風間さんが出てきた。……そういえば、お互いの合鍵を持つようになっただとか、酒の席でが言っていたような気がする。それが発端で、「それでもまだ、風間さんと付き合ってないの?」だとかなんとか加古が言い出して、其処から面倒くせえ話になったんだったか。風間さんが見ている手前、乱暴に投げ出すわけにもいかずに、玄関先でを背から降ろすと、風間さんはふにゃふにゃとだらしない顔をしたをまるで愛おしいものを見るかのような目で眺めてから、ふっと目を細めて、大切そうに横抱きに抱きかかえる。……過保護なこの人のことだ、今日は飲み会だと聞いて事前に家で待っていたのだろうが、……の野郎、事前にそれを伝えておけば風間さんに連絡が出来ただろうに、俺がわざわざ送り届けたり、無駄足を運ぶ必要もなかっただろうに、この女。

「二宮」
「……はい?」
がいつも世話になっているな。もお前と遊ぶのは楽しいらしい、これからも構ってやってくれるか」
「……まあ、俺は才能のある奴は嫌いではないですから」
「そうか、それは良かった。気を付けて帰れよ」
「はい」

 ……こうも余裕を見せつけられると、流石に俺とて加古と同じような疑問がせり上がってきて、しかしながらそれ以上に、これ以上巻き込まれてたまるかという気持ちが勝る。風間さんはそもそも、俺を外敵だとは思っていないし、自分ととの間に他人が付け入る隙があるとはまるで考えていないからこそ、ああも余裕なのだ。俺がに向ける幾許かが、風間さんのそれと同質のものに昇華されなかったことが正しいのか否かは分からないが、実際、他の選択肢など無いも同然だったのだろうと、今だからこそ、そう思う。風間さんは、こうも巧妙に退路を断って外堀を埋めながら、何故かあと一歩を手繰り寄せずにの好きにさせている。……きっと、それで酷い目に遭った男も幾らでもいるのだろう。ランク戦で大暴れする姿を見慣れた今、俺はとてもを女とは思えないが、あいつは一応、顔と愛嬌だけは優れているから。俺は飽くまで、が才能のある奴だから、聡明な奴だから幾らか気に入っていて、友人付き合いなら続けてやってもいいと思っているという、只のそれだけで。……やはり、一瞬でもそういった対象に見たことは、人生における汚点だと思っているし、それが正しい。 inserted by FC2 system


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