いびつな日々のまま今日も眠った

 合鍵を持つことを先に提案したのは、俺の方だった。元々、俺とは日常的にお互いの家を行き来することが度々あって、大学やボーダー本部から帰る時間が被ったときは良いものの、どちらかの防衛任務が早朝や深夜に入っていたり、急なシフト変更があったときなどには、事前に訪問の約束をしていた時間までに任務が片付かなくて玄関先で待たせたり、急に出る羽目になった際には慌ただしく帰ることになったり、ということが度々あって。それで、ある夜に、が俺の家に来ているタイミングでやはり俺だけに招集が掛かって、慌てて帰ろうとするを引き留めて、せっかく来てくれたのにそんなに急がなくてもいい、と鍵を預けて「戻りが遅ければ持って帰ってくれてもいい、好きにしてくれ」と半ば強引に頷かせたその日、結局、俺の帰りは早朝になってしまった。てっきり俺は、はもう帰ったか俺の家で寝ているかどちらかだろうと思って家に戻ってみると、なんとはまだ家に居て、……というよりも、俺が帰ったときに自分だけ寝ていては、玄関を開けられないし悪いとでも思ったのか、寝ずに起きて夜食を用意して待っていたらしく、……結局、朝食になってしまった夜食を温め直して貰って、もぐもぐと咀嚼しながら、俺はその提案を口にしたのだった。「こういうことは今後もあるかもしれないから、うちの合鍵を持っていてくれないか」と。
 ──以来、は俺のシフトが深夜や早朝に入っているときにうちに来て、出勤前の食事や戻ってから食べられる軽食を作っておいてくれるようになった。俺が留守の内に先回りして家に来て、食事以外の溜まっていた家事を片付けてくれていることもあって、俺としては正直かなり助かっているが。──A級3位とA級4位の部隊を率いる隊長同士で、忙しいのは、決して俺だけじゃないから。俺と同様にも深夜や早朝に防衛任務に出ていることはあるし、サイドエフェクトを頼られて本部に呼び出されることなんかもある。だから、これではフェアじゃないと言って、俺もの家の合鍵を持たせて貰うようになった。俺はのように料理が得意な訳でもないし、家事もそこまで得意じゃない。だから、留守中にそれらを片付けておけるわけではないが、代わりにの好きな菓子や総菜を買ってきておいたり、は帰ったときに家に俺が居るだけでも嬉しそうにしてくれるので、送り迎えや留守番なんかを度々している。──昨日もその流れで、「ボーダーの同い年のみんなと飲みに行くの」と嬉しげに報告してきたが、俺以上に酒に弱いことは知っていたから、飲み会が終わる頃に連絡をすると約束させて、迎えに行くべく待機していたのだが。

「……家が離れていると、若干不便だな……」
「え?」
「昨夜のことだ、俺が近くに住んでいれば、二宮も真っ先に俺に連絡出来ただろう」
「ご、ごめんなさい……蒼也くんが来てるって、私、言いそびれてて……寝ちゃって……」
「いや、責めてるわけじゃない。誰も俺が来ているとは思わないだろうからな」

 ──昨夜、飲み会の席で寝落ちたは、二宮に背負われ家まで送られて帰ってきた。……それ自体は、まあ、構わない。まだ俺は、それに対して難癖を付けられるだけのポストに収まっていないからだ。の友人関係にケチをつける気はないし、良い友人に恵まれてよかったとも、彼女の幼少期を知るからこそ、そう思うものの、……少しだけ、面白くない気持ちがあるのもまた事実で。
 昨夜はふにゃふにゃと寝ぼけて帰ってきただったが、酒には弱いものの酔いが回るとすぐ寝てしまうので、翌朝に響くような飲み方はしてこなくて、俺がまだ寝ていた早朝に目を覚ましたのか、俺が起きるころにはシャワーを済ませて朝食を作ってくれていた。掃除の行き届いたキッチンから聞こえるじゅうじゅうという香ばしい音と匂いに釣られて俺がのそのそと起きていくと、「おはよう蒼也くん」と穏やかにはにかむがベーコンエッグを皿に盛り付けていて、……カリカリに焼けたベーコンとたっぷりのバターをトーストされた食パンに乗せて頬張りながら、俺は漠然と考える。こうしてと食卓を共にするのは珍しいことでも無くて、しかし、実家を離れた今、お互いのアパートは少しばかり距離があるのだ。大学進学を機に家を出た俺は、ボーダー本部と大学の中間地点に部屋を借りたが、は高校の頃に一人暮らしを始めたため、ボーダー本部と六頴館の中間あたりに住んでいる。そんな訳で、すれ違いやお互いの負担をなくすためにと提案した合鍵だったが、物理的な距離も問題で、現状ではあまり改善されていないんじゃないか? と思うことが度々あってこその提案だった。……まあ、実際のところ、俺が少しでもの隣に居たくて、それらしい口実を探しているだけに過ぎないのかもしれない、という自覚もあるが。

「……そうだな、引っ越すか」
「蒼也くん、引っ越すの? ……え、み、三門市内でだよね!?」
「当然だろう、ボーダーでの職務を放棄する気はない」
「そ、そうだよね……びっくりした……」
「只、この部屋は少し手狭に思えてきてな……貯金も、それなりに貯まってきたし」
「蒼也くん、隊長さん頑張ってるものね……」
「それはもだろう。立地は……この辺りで良いか、どちらに近すぎても溜まり場にされかねん。大学と本部に近い方が、も楽になるだろう?」
「? うん? そうだね、蒼也くんのおうちからだと、どっちにも行きやすくて良いよね」
「分かった。なら、場所はこの辺りで……善は急げか。、今日の予定は?」
「今日は夕方から本部に顔を出そうかなって、防衛任務とかではないんだけどね。それ以外はフリーだよ」
「よし。それなら、朝食を済ませたら不動産屋に行くか」
「? 私も付き添っていいの?」
「ああ、ふたりで暮らす部屋だからな」
「? ……うん?」
「……ああ、言わなかったか? いっしょに暮らさないか、という話のつもりだったんだが……」
「……えっ?」


「──それで? 風間さんの剣幕に負けて、押し切られて部屋を契約してきたのね?」
「お、押し切られたとかじゃなくて……! わ、私も、蒼也くんといっしょに暮らせたら、楽しいとは思ったし……! それに今も、大して変わらないし……」
「ふうん?」
「……か、変わらないと、思う……けど……」
「けど、何かしら?」
「さ、さすがに……だめじゃないかな……!? とは思った、よ……」
「……よかった、その程度の感覚は残っているのね?」

 ──今朝、朝食を済ませた後で、そのまま駅前の不動産屋に向かって、三門市では人口など減る一方だからその関係なのか、丁度いい物件が運よく見つかって、そのまま即日で内見まで話が進んでしまい、実際に足を運んだ物件は特にデメリットもなくて、トントン拍子で契約までも話が進んでしまった。私も蒼也くんも、駅前の不動産屋で部屋を契約しているから、今の自宅の引き払いの話までそのまま進んで、入居日が来月に決まって、入居日も近いからと今日はそれから足りない家具や家電を見に行ったり、今あるものをどうするか業者に相談したりと、……目まぐるしい勢いで、全てが決まってしまった。呆然としたまま一日が過ぎて、諸々を済ませる合間の時間に蒼也くんと外でご飯を食べたけれど、味どころか何を食べたのかもよく思い出せない始末で、その後、忙しないままで夕方を迎えて、ボーダー本部までいっしょに来た蒼也くんとはラウンジで別れて、そのまま自隊の作戦室に向かうには、幾らか部下に見せられない顔をしている自覚があったものだから、私は慌てて加古ちゃんの元を押し掛けて、……そうして、今に至る訳なのだけれど。

「だって、それって……」
「そうよね、まるで……」
「それじゃあ、蒼也くんのプライベートが一切無くなっちゃうよ!?」
「……なんですって?」
「其処までさせるのは、流石に、悪いよ……蒼也くんだって、ひとりになりたいときくらい、あると思うし……」
「……じゃあ、ちゃんには、あるのかしら?」
「? なにが?」
「風間さんといっしょに居たくないときなんて、ちゃんにあるの?」
「……? 私は、ないけれど……」
「だったら、風間さんもそうなんじゃない?」
「……ううん、それは、どうだろう……」

 加古ちゃんが淹れてくれた紅茶をひとくち飲み下すと、ぼうっと胃の中が温まる感覚に、ますます混乱で籠もった熱が焦れていくような気がする。……もしも、加古ちゃんの言う通りだったら、いいのにな。でも、果たして本当にそうなのだろうか、と思うと、私には正直言って全然自信がない。蒼也くんと私は一歳しか違わないけれど、私にとって蒼也くんはずっと頼れる年長者だった。そうやって彼にだけ負担を背負わせることが嫌で、後ろを付いて回るだけじゃなくて、ちゃんと隣に自分の足で立って、蒼也くんの力になりたいってそう思ったからこそボーダー隊員として務めているけれど、……蒼也くんの身長を気にしていなかったのって、それだけ、私にとって彼が大きく見えているからだって、昨日気付いてしまった。大きくて、頼もしい蒼也くんの手に、背中に、すべて委ねていれば楽だけれど、そのままでは居たくないって、そう思っておきながら、結局私はずっと蒼也くんを頼り過ぎてしまっていて、私があんまりにも頼りないからこそ、蒼也くんは住まいをいっしょにしてまで庇護しようとしてくれているんじゃないかと、同居の提案をされたとき、真っ先にそんな風に考えてしまったし、……それは、果たして蒼也くん自身の意志なのだろうか? と、……どうしようもなく不安に、なってしまったのだ。

「……ねえ、ちゃん?」
「? なに?」
「念のために聞くわ。……風間さんとは、本当に付き合ってないのよね?」
「な、ないよ! ぜんぜん! ない!」
「告白されたこともないの? 曖昧に受け流して、風間さんが勘違いしている可能性は?」
「ない! ……こ、こくはく、なんて……されたことないよ……」
「子供の頃に結婚の約束をしたとかは? それか、正式な婚約者や許嫁ってこともない?」
「……ないよ。結婚、とかは……私の父さんが勝手に言ってただけだから……正式な約束とかじゃないし、蒼也くんに言われたとかじゃないもの……」
「……そう。……合鍵の話を聞いたときも思ったけれど、流石に段階を飛ばし過ぎている気がするわね……ねえ、ちゃん?」
「? なあに? 加古ちゃん」
「いっそのこと、私から風間さんを問い詰めてみましょうか?」
「え!? い、いいよそんなの……!」
「そう?」
「大丈夫! 大丈夫だから……!」

 ──答えを知りたいけれど、その反面で私は答えを聞くのが、どうしてもこわい。だって、もしも蒼也くんの口から、恋とも愛とも形容できずにいるこの感情の名前は、それ以外の何かなのだと言われてしまったら、……大人から保護するように言われたからそうしているだけだと、言われてしまったなら。わたし、何処にも帰れなくなってしまう。もうすぐ、私の帰る家は彼の帰る家になるというのに、……きっとそれは、嬉しいことのはずなのに、どうしてこんなに、私は憂鬱でならないのだろうか。 inserted by FC2 system


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