昨日あなたと食べた星

「……弁当、美味かった、ありがとう」

 任務が終わる頃、本部のエントランスまで迎えに来てくれていた蒼也くんは、お疲れ、と私に一声かけてから、半ば押し付けたも同然のお弁当のお礼を言ってくれた。「からあげが冷めても美味かった」だとか、「マカロニサラダの味付けが絶妙だった」とか、「コロッケがあまりにも美味そうだからと太刀川が欲しがって大変だった」とか、一品ずつに丁寧な感想を伝えてくれた蒼也くんの言葉のひとつひとつだけで、私は任務終わりのへとへとな心から疲れが吹き飛ぶような心地で、思わず、……早起きして作って良かったなあ、昨夜も結構遅くまで仕込みに時間をかけてしまったけれど、蒼也くんが喜んでくれたのならよかった、また作ろう、……ちょっとくらい寝不足でも、トリオン体に換装すれば支障はないし、任務には絶対に差し支えない。お弁当用のおかずを少し作り置きや冷凍にしておいても良いし、でも、それだと少し風味が落ちちゃうかな……蒼也くんには美味しいものを食べて欲しいから、やっぱりちゃんと、その都度に作ろうかな、……なんて、私はうきうきでそんな風に考えていたのだけれど。

「……美味かったが、今後は弁当まで作らなくていい」
「……え?」
「本部の食堂、深夜まで開いているんだ。……知らなかったか?」
「あ、……えと、そうだったっけ……」
「ああ。万が一、深夜まで防衛が及んでも心配しなくて大丈夫だ。今朝は、作った後だったから、俺も強く言うのは気が引けてな……」
「そ、……っか。ごめんね蒼也くん、気を遣わせて……」
「いや、俺としては有り難かったんだ、が気にすることじゃない。だが、食堂を使った方がも楽だろう? 今後はそうしてくれ」
「……うん、分かった……」

 きっと、蒼也くんの為になる、って。……そう考えての行動だったけれど、……実際、彼は喜んではくれたけれど、……やっぱり、余計なお世話だったかなあ、なんて、思ってしまった。その日の帰り道は、本部から蒼也くんといっしょだったので、彼にリクエストを聞きながら、スーパーで買い出しをしてから家に帰って夕飯を作ろう、と思っていたけれど、「今日は疲れただろう、たまには外で食べて帰らないか?」……と、先んじて蒼也くんに言われてしまって。「の行きたい店に行こう」とも彼は言ってくれたけれど、急な提案に私は食べたいものも行きたいお店も思いつかなくて、……あれ? と思わず首を傾げて、それでようやく気が付いた。最近の私はいつの間にか、……蒼也くんの好みについてしか、考えてなかった、な。前は自分ひとりのときのご飯には、自分の食べたいものを作っていたし、加古ちゃんとか、みかみかとか、部隊の子達ともいっしょに、ネットや雑誌で見つけたお店に足を運んでみたりしていたし、休日に蒼也くんを誘っていっしょに気になるお店に行くことも度々あった。料理が趣味だから、研究の意味でも私は結構、外でご飯を食べるのが好きで、でも、……あれ、そういえば最後に外でご飯食べたの、いつだっけ? 部隊の子達を任務上がりにご飯に連れて行ったりとか、同学年のみんなで飲み会とか、……最後にしたの、いつだっけ? ……蒼也くんと暮らす今の家に引っ越してから、そういうの、一回でもあったっけ……?

「……あの、私、思い付かなくて……蒼也くんは、何が食べたい……?」
「……俺の都合ばかり通すのはどうかと思うが……本当に思い付かないのか?」
「う、うん……」
「そうだな……この時間、本部からだと……前に行ったオムライス屋はどうだ? も気に入っていただろう」
「オムライス! 蒼也くんは、オムライスの気分?」
「俺はに聞いているんだが……それ以外だと、焼肉かラーメン、うどん、そば、……イタリア料理の店もあったか? あとは、カレー屋か」
「! じゃあ、カレーにしよう、カレー!」
「……念のために聞くが、俺に合わせているわけではないんだな?」
「……うん。私がカレー食べたいの、今日の防衛任務、生駒隊といっしょだったから……」
「ああ……そういえば、生駒はナスカレーが好きだと、以前に俺も聞いたことがあるな」
「うん、その話聞いてたから、私、カレー食べたいな!」
「……分かった、それならカレーにするか」

 ──本当は、カレーの気分、なんて嘘で。近くのカレースタンド、大盛りのボリュームがすごくて蒼也くんのお気に入りだったな、って。そう、思い出しただけ、だった。生駒隊と任務がいっしょだったのは本当だし、生駒くんと話しているときにカレーの話題になったのも本当だったけれど、元々、今夜はカレーを作ろうと思っていたのだ。もちろん蒼也くんから別にリクエストがあれば、そちらを作ったと思うけれど、今朝揚げたからあげがまだ残っているし、追加でトンカツを揚げてからあげとトンカツ、それに温泉卵をトッピングしたとっておきのわんぱくカレーにしようかな、なんて思っていたから。……本当は、私が作りたかったものの。あのお店のカレーは数日煮込んだこだわりのルーを使っているから、残念だけれど、今から家に帰ってカレーを作ったところで、あのお店の味には勝てないのは私にも分かっている。……それに、蒼也くんだって、お外で食べたい日くらいは、あるよね。今朝もそういう話を、していたわけだし。

「……蒼也くん、おいしい?」
「ああ、美味いぞ?」

 ──いきつけのカレースタンド、二人掛けのテーブル席で向かい合って、大盛りのカツカレーをもぐもぐと頬張る蒼也くんをぼんやりと眺めながら、私はチーズと卵の乗った焼きカレーをちまちまと食べている。……私が蒼也くんの為に作るカレーはもっと豪華だったのになあ、だとか、でもこのお店のカレーは悔しいことに美味しいだとか、隠し味はなんなのだろう、なんて色々考えていたら、何故だか上手くご飯が喉の奥に入っていかなくて、任務明けで疲れているはず、お腹が空いているはずなのに、私は半分もカレーを食べられなくて。結局、残りは蒼也くんが食べてくれたので、また彼に世話を掛けてしまったことを苦々しく思いながら飲んだマンゴーラッシーは、気のせいかもしれないけれど、あまり、甘くなかった。


 ──強化視覚というサイドエフェクトを持つ私は、他のひとと比べると、非常に視野が広い。けれど、それを揶揄するかのように諏訪さんや加古ちゃんなどの周囲から、“私は蒼也くん限定で、ちょっとだけ視野が狭くなる節がある”、という風に言われている。
 ……正直、あまり自覚はなかったけれど。……でも、蒼也くんの為にと起こした行動が、どうにもから回っているような気がしてならない最近では、もしかすると加古ちゃんたちの言うことは尤もなのかもしれない、という風にも思う。ご飯作りも、家事も、お弁当作りも、蒼也くんの為にやっているつもりでいたけれど、ほんとうは私自身が蒼也くんの役に立っていると、そう思うことで自分を安心させるためだけにやっているのかなあ、なんて。……そんな風にも、少し思ってしまう。
 決して、そんなことは無いのだと、そうじゃないのだと思いたい。私は蒼也くんの為に頑張っているだけであって、……蒼也くんに失望されないために、嫌われないために、……蒼也くんには置いていかれないために、……つまり、私の為に。必死になっているだけなのだとは、思いたくなかったのだ。

「……あれ?」

 今日は防衛任務のシフトは入っていないものの、個人的な師弟関係のような間柄にある木虎ちゃんから稽古を頼まれているので、雑務処理がてら、私は本部に顔を出していた。私は攻撃手上がりの万能手で、木虎ちゃんは銃手上がりの万能手。近距離を得意とする彼女と比べると私は射手寄りの中距離万能手だから、パーソナルの何もかもが近しいわけでも無いのだけれど、彼女が伸び悩んでいた頃に嵐山くんが私を紹介してくれて、それ以来というもの、今でも私は時々、彼女に訓練を頼まれることがあって、まっすぐに私を慕ってくれる木虎ちゃんのことが可愛くて仕方がない私は、喜んでその頼みに応じてしまうのだ。
 そうして本部に顔を出した訳だったけれど、嵐山隊の訓練室に向かう道すがら、エントランス近くの自販機の前で、見慣れた三人が何やら話し込んでいるのを見つけて、私はその場に立ち止まる。

「絵馬くん、千佳ちゃん、出穂ちゃん。どうしたの? こんなところで……」
「! さん! お疲れ様です」
「あーっ先輩! あそこ! 見てくださいっす! あれ!」
「……ねこ?」
「……夏目さんの猫、自販機の上に飛び乗っちゃったんだ。自分で降りられなくなったみたいで……」
「あー……登ってみたら、思ったよりも怖くなっちゃったのかな?」
「あたしらじゃ届かないし、当真先輩あたりが通りかかってくれないかなって思ってたんですけど……」
「うーん……冬島隊は確か今日、防衛任務のシフトが入っていたと思うから、難しいんじゃないかな……」
「マジすか……他に背の高い人って……二宮先輩?」
「絶対やだ。……影浦さん、探してこようか?」
「うーん……レイジさんは私と遊真くんを送ってくれてから、玉狛に戻っちゃったし……」

 そう言って三人は話し込むものの、猫ちゃんだって怖いだろうし、出来ることなら早めに助けてあげたい。彼らの候補に上がらなかった私は、……まあ、背は高くないし、背伸びしたって自販機の上までは手が届かない。二宮くんやレイジさんは自販機より大きいし軽く届くのだろうけれど、私はお世辞にも大きくはないし、蒼也くんよりも小さいし、なんなら絵馬くんや出穂ちゃんよりも小さい。千佳ちゃんよりはまだ大きいけれど、私を頼るくらいなら絵馬くんを頼ったほうが余程現実的で、……でも、多分、脚立があれば、私でもあの高さまで届くと思う。近くの資料室に脚立が置いてあったはずだからすぐに取ってこられるし、誰を呼びに行くよりも、絶対にその方が早い。なにより、早く降ろしてあげないと、可哀想だ。猫ちゃん、怖がっているのに。

「……うん、私が降ろすよ。ちょっと待っててね」
「え!? 先輩が!? うちらより小さいのに!?」
「い、出穂ちゃん……!」
「あはは、背伸びしたりするわけじゃないよ? 脚立借りてくるから、絵馬くん、いっしょに運んでもらえないかな?」
「……いいよ、どこにあるの?」
「向こうの、資料室に……」

 そうして、一時的にその場を離れて、絵馬くんといっしょに脚立を運んで、……というつもりが、「俺ひとりで持てるから、大丈夫だよ」と言って脚立を持ち上げてしまった絵馬くんに、自販機の前まで脚立を運んでもらい、そのまま彼に脚立を抑えて貰いながら、私はその上へと登って行く。

先輩、やっぱ生身で危なくないですか!?」
「へいきへいき! このくらいの高さ、換装しなくても……」
「……ねえ、やっぱり俺が、……っ」
「……? へいきだから、絵馬くんは抑えててね?」
さん、頑張ってください……!」
「だいじょーぶ! お姉さんに任せなさい!」

「……?」
「お、じゃねーか。……何やってんだ? あれ?」
「……自販機の上、猫が乗っているな」
「降ろそうとしてんのか……?」
「全く、危ない真似を……」

 作戦室に向かう前に、自販機で珈琲でも買うかと大学から本部まで共に足を運んだ諏訪と話していると、自販機の前で何やら騒いでいるたちを見つけた。何事かと思えば、自販機の上によじ登った猫をが助けようとしているらしい。二宮だとか太刀川だとか、背の高い友人ならいくらでもいるだろうに、面倒見が良くて優しい彼女はきっと、猫を放って助けを呼びには行けなかったのだろう。目の前で困っているのが人間だろうが猫だろうが、……近界民だろうが、ならきっとそうするのだろうということは、俺もよく知っている。とはいえ、私服姿を見るに換装していない生身なのだろうに、危ないことには変わりがないから、俺が変わってやるか、もしくは諏訪に猫を降ろさせようと思い、俺は自販機の方へと向かう。脚立を抑えている絵馬も自分が代わろうとしているらしいが、に呼びかけようと彼女を見上げた途端、ばっ、と顔を赤らめて下を向くものだから、……むっ、と。思わず、眉間に力が入る。……危なっかしいだけじゃない、スカートでそういうことをするなと俺は前にもそう言わなかったか? と、……苦言が漏れそうになるものの、あまりそういった干渉をしすぎるのも鬱陶しいだろうし、幼馴染とて、流石に不味いのだろうか。

「……おいで、猫ちゃん。降ろしてあげるね、もう大丈夫だか、……らっ!?」

 ……などと、考えていると、猫の方へと腕を伸ばしたの胸元に向かって、──なんと、跳躍した猫が力いっぱいに飛び込んだのである。幾ら猫の身体が軽いとはいえ、少なく見積もっても数キロは体重があるところに、後ろ足に力を籠めて思い切り飛び上がれば、実際の重さよりも衝撃は何倍にも強まる。その上、脚立の上という不安定な場所で、受け止めたのが小柄で軽いということもあり、ぐら、と呆気なく彼女の体は傾いて、……普段のなら、受け身くらいは簡単に取れるはずだが、彼女が猫を放り投げるはずもない。ぎゅう、と猫を抱えたまま脚立の上から落下するの姿が不思議とスローモーションのように見えて、……俺は、弾かれたように走り出して、飛び込むようにその場へと滑り込んでいたのだった。

「……う、猫ちゃん、大丈夫……?」
「にゃあ」
「……大丈夫か? というのは、俺の台詞だぞ、……」
「え、あ、そ、蒼也くん!? な、なんで……? どうして?」
「偶々通り掛かってな、……何をしているのかと思えば、肝が冷えたぞ、本当に……ヒヤヒヤさせないでくれ……」
「ご、ごめんね……」
「……反省してるか?」
「し、してます! 本当にごめん、重いよね、すぐ退くね……!」

 ──どうにか間に合って良かったと安堵の溜息を漏らす俺の腕の中で、は驚いた表情でこちらを見上げている。実際、受け止めた衝撃を込みにしてもまるでは重くないし、俺も鍛えているので、この程度では生身でもさしてダメージにはならないのだが、わたわたと申し訳なさげに立ち上がろうとするが、……ちいさく声を漏らして、ぎこちない動きを見せたことに気付いて、ぐい、と俺は細い手首を掴むと、彼女の立ち上がりを阻止する。

「? 蒼也くん……?」
「……今、痛がっただろう」
「え、気のせいじゃないかな……?」
「……言っている傍から、また俺を心配させるつもりか?」
「う……」
「此処だな? 医務室に行くぞ。……夏目、から猫を預かってくれるか」
「ハ、ハイっす! 先輩! ほんとすみません! 怪我までさせて! でも、ありがとうございました! マジで助かったっす!」
「ううん、いいの。ごめんね、なんか私、カッコ悪くて……」
「そんなことないっすよ! なあチカ子!?」
「う、うん。さん、格好良かったです、ありがとうございます」
さん、巻き込んでごめん……風間さんも……」
「お前たちは気にするな。を医務室に連れて行くから、失礼するぞ」
「ハ、ハイ! 先輩をよろしくお願いします!」
「ああ。……諏訪、後は頼む」
「おうよ、早くを連れてってやれ」

 落ちるときに脚立の上で足首を捻ったのだろう、トン、と患部を軽く指先で叩いてみると、は少しだけ顔を顰めるので、早々の処置が必要だと、絵馬たちに猫のことは任せて、近くに居た諏訪に絵馬たちへのフォローも任せて、俺はを抱き留めた格好のままで横抱きに持ち上げると、足早に医務室に向かうのだった。……責任感の強い彼女のことだ、自分が怪我をするリスクも承知の上での行動だったのだろうし、俺に説教されるようなことでは無いのだということは分かっている。……過保護にしすぎては、A級隊長同士として、彼女を尊重していないも同然なのだということも、分かっている。とて後輩の前で格好を付けたかったのかもしれないし、俺も彼女に対してそんな感情を抱くことがあるのだから、そういう意味でも何も言えた立場では無いとは分かっているのだ。……だが、脚立を抑えていた絵馬の表情を思い出すと、どうにも面白くなくて、己の中で嫉妬めいた火が揺れているのを、どうにも無かったことに出来ない。……生身で、ましてやスカートで危ない真似をしないで欲しい。しかも、案の定怪我までして、……頼むから、俺の大切なものに傷を付けないでくれないか、俺はお前をまるで守れていないと嘲笑うような真似を、しないでくれ。

「……、少し軽くなったか?」
「え? そう、かなあ……? 特に変わったことはないし、気のせいじゃない……?」
「そうか……?」

 彼女は以前から、こんなにも軽くて脆くて、壊れやすかったのだろうか、と。……そう思ってしまった理由が俺の感傷だったのか、それとも、……彼女の身に起きている確固たる異変だったのか。そのときの俺は、目に見える怪我にばかり気を取られて、彼女の傷の所在にすら、気が付いてやれなかったのだ。 inserted by FC2 system


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