はじまる世界のささいなこと

「……それでね、この間、アルベールさんが……」
「もー! 姉、またアルベール団長の話ばっかり!」
「え、……そ、そうだったかしら……? メイム……」
「こらこら、メイム。姉さんはアルベール団長と仲良しなんだから、仕方ないでしょ?」
「ミ、ミイム? 姉さん、別にそういうつもりじゃ……」
「やめないかお前達! 姉上が困っているだろう!」
「! マイム……!」
「あまり冷やかすと計画が狂うだろう! お前たちは、団長が我々の家族にならなくても良いのか!?」
「ま、マイム……?」
「マイム姉が一番墓穴掘ってるよね、ミイム姉……」
「そうね、メイム……」

 アルベールさんは、レヴィオン王国の王立騎士団……、雷迅卿の騎士団の団長を務める方で、私の妹たち、マイム、メイム、ミイムの上官にも当たる御方。本来、騎士団に関わりのない私にとっては、ある意味では雲の上の存在、のような方だったのだけれど、……マイムが騎士団の副団長に就任した折、私はアルベールさんにお会いする機会に恵まれた。私はある種、妹たちの保護者のような立場でもあるから、一度、妹たちが深く尊敬するアルベールさんにお礼を言っておきたかった、ということもあって、一度お話させていただいて、……その人柄に、大層驚いたのだ。騎士団長、というからにはもっと厳格で、物々しい人物像を想像してしまっていたけれど、そんな自分を恥じてしまったくらいには、アルベールさんは人当たりもよく、気さくで、私とも気軽にお話してくださって。妹が世話になっている旨を挨拶しなくては、と。そう、思っていたことを忘れそうなほど、その日、アルベールさんとお話するのが楽しかったのを、今でもよく覚えている。
 それからも、騎士団の巡回中にアルベールさんと偶然出くわしたときに、話しかけていただいたり、それから、妹たちが我が家にアルベールさんとユリウスさんを連れてきて、皆で食事を囲む席があったりもしたから、ありがたいことに、それ以降も、私は彼と交流する機会に恵まれて。

『……!』

 マイムが剣士を志したときに、私は彼女のバックアップに徹することを決めた。魔術なら、人より少しは身に覚えがあったけれど、日々の生活で役立てたり、教えを強請る妹たちに指導するため、という程度にしか、私はそれを必要とはしてこなかった。剣なんて、以ての外で、私が考えたこともなかった、国のために剣を振るう、人のために魔術を役立てる、という目標を持った妹を私は誇りに思ったし、彼女たちをサポートする役割に、引け目を感じたこともない。……けれど、アルベールさんと交友を持つようになってから、……このひとの力になれない自分を、不甲斐なく思ったことがある。アルベールさんはいつだって眩しくて、誇りの道をひた走る彼を目で追ううちに、その内に秘めた脆さや不器用な性格も、彼は私に見せてくれるようになって、……だから、ユリウスさんが居なくなってからは、尚更。……もっと、魔術でも、剣術でも、勉学でも、なんでもいいから。彼の役に立てる術を磨いておくべきだった、と。……そう、思ってしまったのだ。

「……私はただ、アルベールさんに、なにかしてあげたい、って、そう思ってしまう、だけで……」

 そんなこと、私には無理なのかもしれない。私に出来るのは、精々アルベールさんの話を聞いくことくらいだった。部下でもない、上司でもない、私にならば。何のしがらみもなく、本音を吐き出せると、彼が言ってくれたから。せめて、そんな場所であれるようにと、努めてきたつもりだ。ユリウスさんが姿を消して以来というもの、日に日に疲れた顔をするようになっていった彼に、少しでも休んでほしくて、寝付きの良くなるハーブティーを淹れて。少しでも食べてほしくて、評判の食堂のサンドイッチを差し入れた。……本当に、その程度のことしか、私には、出来なかったけれど。

「……あと一歩、だと思うんだけどなー」
「いっそ、姉さんにはっきり言って、自覚させてしまうのもありかしら?」
「いや、やはりこれは団長と姉上の問題だろう?」
「……? マイム? メイム? ミイム? 何のお話?」
「!? い、いや、なんでもない!」


「……あら、アルベールさん!」
「! あ、ああ…………」
「巡回中ですか? お仕事?」
「い、いや、その……今日は、あなたに用があって……」
「? 私に?」

 翌日、マイム達が騎士団のお仕事に向かうのを見送ってから、庭先で洗濯物を干していると、アルベールさんが訪ねてきた。私が庭に出ているのを見て、話しかけてくれたのかな、と思い、小走りで玄関の前に立つ彼のもとまで駆ける。私に用が、というあたり、わざわざ出向いてくれたのだろうか、なんて思わず舞い上がってしまいそうになるけれど、多分、妹たちのことで何か相談があったとか、観光事業の件を、私も手伝わせていただいているから、何かそのあたりの理由があっての訪問、なのだろう。……思い上がってはいけない、だってアルベールさんは、本来ならば、私とは住む世界が、違うひとなのだから。

「どうかなさいました? 妹たちが何かしてしまったとか……」
「いや、そんなことではないんだ。マイム達は、よくやってくれているよ」
「そうですか? それなら、観光事業のお話ですか?」
「いや、そういうわけでもなく……」
「……? 他に、アルベールさんが私に用事って……何かありました……?」
「……いや、実は、その……」

 何処か逡巡するような面持ちで言葉を濁すアルベールさんは、……何故か、目を合わせてくださらなくて。平時であれば、緋色の澄んだまなざしを真っ直ぐに向けてくれるのに、……なんだか、私は、それが、とても怖かった。……私になら、包み隠さずに何でも話せる、と仰ってくれたこと、本当に嬉しかったのに。……今はまるで、何処か、嘘を吐いている、ような。

「……あの、なにか、仰りにくいこと……?」
「……?」
「なにか、隠していらっしゃるのなら……その……わたし……」

 私には、嘘を吐かないで欲しい。隠さずに、打ち明けて欲しい、……なんて、そのとき思わず、そんな風に思ってしまった自分自身に、私が一番、驚いていたと思う。……私がアルベールさんと親しくしていただいているのは、偶々、身近な一般人だったから、でしかなくて、……それ以上の意味も理由も、其処にはないのに。私は今、確かに、……自分が彼にとってのそれ以上、を持っているものとして、反論を唱えかけていたのだ。言い出してしまった言葉を慌てて抑え込んで、私は何を言っているの、と目を泳がせる私を、……アルベールさんは、どんな気持ちで見ているのだろう、と。……怖く、なってしまって、顔を上げられない。……なんで、どうして、私、アルベールさんの前で、こんな、変な態度を取ってしまっているの。変に思われてしまったら、どうしよう。……不快にさせてしまったら、どうしよう、って。

「……そんな顔をされてしまっては、隠すわけにもいかないな……」
「……あ、あの、気にしないで……私、ちょっと変でしたね……」
「変じゃないさ。不安にさせてしまってすまないな……ああ、そうだ、その通りだ。を傷付けたのでは、嘘も道理では通せない……腹を括ろう」
「不安に、なんて……」
「そうか? ……まあ、それなら良いんだ。今日はあなたに、これを渡しに来た」
「……? これは……?」
「演劇のチケットだ。明日の夜、共に行かないか? レストランも予約してある」
「ええと……観光施策の、視察、ですか……?」
「……正直に言おう。これは、ユリウスが用意してくれたんだ。……を誘う口実にしろ、と言って。俺は、こういったことはどうも、不得手でな……だから、つまり、」
「……アルベール、さん……?」
「……要するにだな、視察などではなく。……俺は、あなたを逢瀬……デート、と言えば良いのか……? に、誘っているつもり、なんだが……」
「……えっ」

 ……アルベールさんの言っていることが、よく、分からない。隠し事の得意じゃない彼から、信頼を伝えられていた彼から、隠し事をされるのは確かに傷付いたけれど、……それよりも今は、彼が私に隠していた内容が、問題なのだ。まさか、彼からそんな誘いを受けるとは思ってもみなくて、どう返事をしたら良いのかが、分からない。焦って顔を上げると、アルベールさんは、まっすぐなまなざしで、真剣に私を見つめているけれど、……その頬が、普段より、少しだけ赤くて。……ぶわ、と。私は思わず、体の内側から、熱が湧き上がる感覚を覚えた。きっと、私も今、顔が真っ赤、なのだろう。……彼の瞳に負けないくらいに、きっと私の頬も、赤いのだ。

「……迷惑だったか?」
「め……迷惑なんかじゃありません……!」
「そ、そうか……! それならよかった……明日の夜、都合は平気だろうか?」
「は、はい……!」
「では明日の夜、迎えに来よう。……ああ、それで、
「……はい」
「俺は、隠しごとが不得手でな……あなたには、本音だけを打ち明けてきたし、この気持ちを自覚してしまった以上、今後、隠し通すのは難しいと判断した」
「……はい?」
「だから、先に伝えておこうと思う。……、俺は、あなたが好きだ、女性としてな。だから、そのつもりでいてもらえると助かる」
「……え……」
「勿論、どう判断するかはあなたの自由だ。前向きに検討して貰えると俺としては助かるが……それについては、都度判断してくれ」
「え、……え? あるべーる、さん……それって……」
「無論、俺は半端なことはしない。選んでもらえた暁には、しっかりと責任を持った交際をしていきたいと思っている。……さて、用というのはそれだけだ。では、また明日」
「は……はい……また、明日……?」
「楽しみにしているよ、じゃあな」

 ……嵐のように去っていったアルベールさんに、呆然としながら手を振って、彼の姿が見えなくなってから、ふらり、足元から力が抜けて。私は、ぺたん、とその場に座り込んでしまった。……ああも懇切丁寧に説明されては、何を言われたのか分からないなんて、言えないよ。……ああ、でも、そっか、……そうなのだ。

「……私、アルベールさんのこと、好きだったのね……」

 人として尊敬できるから、だけじゃなくて、きっと、ずっと前から、殿方として、アルベールさんをお慕いしていたから。……だから、あんなにも、アルベールさんの話ばかりしてしまって、彼を支えたい、なんて、身の丈にも合わない願いを抱いてしまっていた、のね。……でも、身の程を知るべきだ、と思っていた私の苦悩はたった今、彼自身の手によって、遠くへと投げ捨てられてしまった。……思い上がっても、いいの? 私でも、……ううん、私だからこそ、彼のために出来ることがあるって、傍で支えることが出来るって、……そう、思っても良いのだろうか。


「……様子を見に来てみれば……あれはナンセンスだよ、親友殿……」
「な、ユリウス!? ま、まさか聞いていたのか!?」
「聞いていたとも、きみがどんな愛の言葉を囁くのか、楽しみにしていたんだがねえ……やはりきみには無理だったか」
「お、俺の気持ちはに十分伝わっているだろう!? それで良いじゃないか……!」
「伝え方に問題があるんだよ、親友殿。……まさか、騎士たるもの、明日のエスコートくらいはしっかりと出来るんだろうね?」
「……う。……ご教授願えるか……? 親友殿……」
「全く、呆れた男だね……」

 ……だが、まあ。あの反応を見るところ、十分に効いたようだがね。とは言え、脈しか無いのは私も三姉妹も、とっくに知っていたわけなのだが。……知らないのは当人の君たちだけだったのだよ、親友殿。 inserted by FC2 system


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