枷のように降る桜

 神里家の“姫君”として生まれた私には、幼少の頃より影武者が宛われておりました。
 いずれは社奉行の職務を受け継ぐ私たちは、両親から大切に育てられたのでしょう。……それはもう、過保護すぎるほどに。それぞれの命の重みを天秤に掛けるなど、決してあってはいけないことです。……けれど、私の父はあろうことかその罪を犯してしまいました。
 私がある程度の年齢に成長するまでは、危険だから人前に出すことは許可できないと、そのように父は考えて、私の代役で“神里綾華として”人前に立つ者──影武者を取り立てたのです。

 “白鷺の姫君”の役目を私と半分ずつ担ってくれたのは、という少女でした。
 は私と背格好の似た少女でしたが、髪は染め粉で私と同じ色にしているだけで、どうやら地毛は違う色のようです。彼女が神里家に来て間もない頃に一度だけ髪を染めていないを見ましたが、艶やかでとてもきれいな色の髪だったのを覚えています。
 美しい髪を白く染めて、私と同じ着物を着て、幼い日のは“神里綾華として”、私の代わりに社交や式典の場に立ってくれました。
 彼女のお陰で私は、人前ではどのように振舞うのが神里家の令嬢として相応しいのか、自らの身の振る舞い方を学んだように思います。
 それに何より、……がいてくれたから、お兄様が剣術の稽古に出払っていても、お父様とお母様が忙しくとも、トーマがまだ神里家に居なかった頃も、友達が少なくても、──お父様とお母様が居なくなってしまった際にも、悲しいときにはいつも彼女が傍に居てくれたから、私は今日まで挫けずに歩いて来られたのです。

 ──けれど、それは私だけの都合によるもの。
 物心付く前に神里家の敷居を跨いだは、自分が何処の誰であるのかさえも知りません。稲妻に鎖国令が布かれる以前に神里家へと連れて来られたことを思えば、もしや彼女は外国の人なのかもしれません。彼女はお父様が連れてきたものの、お父様がと何処でどのようにして出会ったのかは終ぞや教えてもらえずに、最早、真相を知るものは誰一人として居なくなってしまいました。

 お父様とお母様が亡くなってから、お兄様がお父様に代わって当主となり、私は姫君として共に社奉行を継ぐこととなりました。
 私の役目は、家中での事務や社交場での立ち振る舞いが中心で、社奉行の座に着いた以上は、子供の頃のように“影武者を立てて”やり過ごすことなど、最早叶いません。
 ですから、この数年はずっと、私自身が“神里綾華として”人前に立っているのです。
 ……そう、にはこの先、私の影武者としての御役目が割り振られることはありません。彼女を神里家へと縛り付けておく理由も最早存在せずに、お兄様も私の判断でを解放して構わないと、そう仰ってくれています。
 神里家は今まで、に不自由を強いすぎてしまった。今すぐにでも、彼女を解放するべきなのでしょう。それでも、は現在も私の傍で、白い髪のまま私の側仕えを務めてくれているのです。
 ──もうあなたを引き留める権利はありません、故郷が分からないのなら私も供に探します、今までの恩に報いるためにも、援助は惜しみません。
 ……意を決してに伝えたその言葉も、「綾華さま、恩を受けているのは私の方ですよ。神里家の皆さまは、私に衣食住を与えてくれたではありませんか」とそう言ってはにかみながらあしらわれてしまいました。

「……それに、今後も影武者が必要な場合もあるでしょう?」
「影武者が必要な場合、ですか……?」
「はい。……だって、綾華さまは普通の少女のように、街を歩いてみたいのでしょう? その夢の手助けなら、私にもできるかもしれません。……ですから、代役が必要なときは、ご遠慮なさらないでくださいね。……でも、綾人さまには内緒ですよ?」

 ──そう囁きながらはにかむあなたの、なんと美しかったことでしょう。……きっと、にとって私は、彼女の人生を奪った相手であるはずなのに、あなたは今でも、そんなにもきれいに私へと笑いかけてくれるのですね。
 それなのに、私ときたら。……本心ではきっと、これからもに私の傍に居て欲しいと思っているのです。私はあろうことかあなたのことを、大切な大切なお友達だとそう思ってしまっている。まるで姉妹のように過ごしてかけがえのない相手に、既にあなたは、なってしまった。
 今このときでさえも、彼女のすべてを私が奪っていると、本当は私もしっかりと分かっているのです。半ば強引にでも、あなたを解放して自由にしてあげなければならないと、そう理解しているのです。
 それなのに、私は、……やっぱり、あなたにだけはずっと傍にいてほしいと思ってしまっているの。……、私、本当は、普通の少女みたいに街を歩きたいのではなくて、……あなたとふたりで、何のしがらみもなく普通の友人同士として、街を歩いてみたいのです。
 ──ああ、なんて傲慢で、なんて非道なのでしょう。ですからきっと、あなたの髪が白いうちは、私の本当の願いが叶うことはありません。……それこそが、あなたが私に与える罰なのかもしれませんね。


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