それは廊下が銀河だった頃の話

 団長が指輪をくれた。これは、月には存在しない鉱物で造られている。クロム鋼という材質で、非常に硬度に優れ、値も張る代物だそうだ。この鉱物が希少であることに加えて、クロム鋼を指輪に加工した品は、装飾品としての人気と、武具としての実用性も備えており、更に希少であるらしい。久遠の指輪、と一般的にこの空では呼ばれているらしいその品を、団長に贈られた時、何故これを俺に? と俺は団長に問うた。すると団長は少し困ったように、

「カシウス、私とルリアを助けてくれたから」
「……あれは、あの場における合理的な判断をしたまでで、団長が気に病むことではない」
「うん、カシウスがそう言うのも分かってる。だから、これは私の気持ち。カシウスに何か返したかったの。迷惑じゃなければ、貰って?」
「……そうか、分かった。では、ありがたく頂くとしよう」

 この指輪を付けると、不思議なことに、実力以上の力を発揮出来るような気がした。気のせい、なのかもしれない。だが、ノインを失って落ちた分の出力を、どうにか補えている。なるほど、月の民である俺よりも、空の民である彼等の方が虚弱なのだから、団長が自分で付けるべきだ、と。そう思ったが、俺にとっても不要の長物ではなさそうだ。何しろ、彼女はこの団の指揮官なのだからな。団長自身が身に付けることで団長の身を守れるならそれに越したことはない、と思ったのだが。受け取った分、俺が彼女を護ることで返すとしよう。それならば、団長の負担も減り、非常に合理的だ。

「……団長、これを俺に? 何故だ?」

 俺が空の世界に旅行者として留まり、季節が数度回り、夏が来た。空で過ごす初めての夏は、団長やルリア、ビィやキュウタ達と共に過ごし、ユカタヴィラ、リンゴアメ、スシ、ワタアメ、タコヤキ、触れたもの、目に映るもの全てが真新しく、───とても、興味深い日々だった。そんな夏の終わりに、俺は団長から、再度、指輪を渡されたのである。すでに俺の左手に填まっているものと、同じもの。見間違えもしない、久遠の指輪だった。

「……団長、何かの間違いだと思うが、既に俺はこの指輪を受け取っている。他の団員に回すと良い」
「ううん、これはカシウスの分だよ」
「……何故だ? この指輪の効果は重複しないと聞いている。ならば、他の団員に渡すべきだ。貴重品だろう、その方が、合理的だ」
「……うん、そうだね、私も、その方が合理的だと思う」
「ならば、」
「でも、これはカシウスに受け取ってほしい。私からのお礼、だから」
「……礼?」
「うん。カシウスが、空を好きになってくれたことへのお礼! 私、嬉しかったんだ、カシウスがユカタヴィラを着て、すっかり団に馴染んで、楽しく過ごしてくれてることが。カシウスに、そのお礼がしたくて」
「……おかしな話だ、お前の主張が正しいならば、返礼をすべきなのは俺の方ではないのか? 何故、お前が俺に礼をする? 俺はお前からの世話を受けている立場の筈だ、俺が馴染んでいる、というなら、それはお前の功績である筈だが」
「うーん、そうなのかな? 私はカシウスと過ごして、毎日楽しいなって、そう思ってるだけだし……」

 俺が、空の世界を好きになった? 俺が、団に馴染んで? 楽しく、過ごしている? ーーがなんの話をしているのか、俺には、まるで分からなかった。俺はこの空に、任務の為に留まっているだけで、何も、観光や交流を楽しんでいるわけではないと言うのに。団長たち騎空団や組織の人間の世話になっているのも、すべては成り行きに過ぎない。合理的な判断に基づいて、俺が彼女を助けたことで負傷したことをきっかけに、そのまま、身を寄せているだけ、言ってみれば、俺は彼女達を利用して、都合の良いように扱っているだけ、の、はずだ。この空には、他に当てなど無かったから、それだけ、の筈だ。

「カシウスがどう思ってても良いの、私はこれをカシウスに受け取ってほしい。確かに、合理的では無いし、二つも付けてても、邪魔かもしれない、けど……」
「……受け取ろう」
「えっ?」
「備えあれば憂いなし、という奴だ。全く無価値な物でもあるまい。が俺に贈ると言うならば、俺は受け取ろう」
「! よかった! じゃあこれ、付けてあげる! どの指にする?」
「そうだな……二つ纏めて着けていた方が、落としにくいだろう。ならば今身につけているものも外して、……左手の薬指に纏めておくのが、丁度良さそうだ」
「えっ」
「? どうした、。サイズ感、ノインを握った時の具合等を加味し、俺は合理的な提案をしているつもりだが、何か問題が?」
「う、ううん! 問題ないよ! じゃ、じゃあ着けるね」
「ああ」

 あのとき、団長の指が触れた箇所が、ひどく熱かったこと。2つ並んだ指輪に、胸が疼いたこと。頬を赤らめて、嬉しそうに笑う団長の微笑みに、心が凪いだこと。そのすべての理由に、あのときの俺は、思い至らなくて、───全てを理解できたのは、

「――……そうか、俺は、まだ、空に……」

 月へ、帰る道中のこと、だった。



 ───生体名、エージェント・カシウス。俺は、機関に所属する戦士である。脳に刻まれたログが、その事実を俺に告げている。───残念ながら、俺自身には、自分の身に関する記憶が、ない。俺の脳は、機械化されており、この脳に海馬は無く、刻まれた記憶もまた、再現に過ぎないからだ。目を覚ました際に、どうやら、俺の体にバグが生じて、そのエラーを取り除くために、脳を機械化したのだ、との説明があった。だから、俺の記憶が正しいのかどうか、俺には判断が付かない。肉体の感覚と、脳に刻まれたレコードを照合すると、どうも、タイムラグが生じる気がしてはいるが、もしも、削除された記録があるのだとしても、それをどうにかする手立ても、どうにかする理由も、俺は持ち合わせていなかった。憶測で、上層部に意義を申し立てるなど、非合理極まりない。関心がない、という訳では無いのだが。
 奇妙なことは、他にもある。脳の機械化の施術より目を覚ました際に、俺の指には、見慣れない指輪がひとつ、填まっていた。それは、何の心当たりもない、異物でしか無いはずだ。───だが、何故か、俺は。その指輪が、本来、二つあったことを、何故か知っているのだ。知っている、というのは不適切かもしれない。だが、妙な違和感があった。指輪が其処に在ることではなく、足りないことに、ひどく違和感と、喪失感を覚えて、俺は、何故か。

「───?」

 記憶にも記録にもない、知らない女の顔を、思い出すのだ。お前は一体、誰なんだ。という名は、お前の名なのか。俺と、何処で出会った。俺にこの指輪を渡したのは、お前なのか。と言う名は、月の言語ではないように思われるが。

 お前は、誰だ?


 ───俺は、誰だ?



「エージェント・カシウス、経過は良好です」
「記憶に何か変化は?」
「まさか、思い出せるはずがないだろう」
「カシウスから没収した指輪の成分の解析は?」
「調査中です、月には存在しない鉱物であり、空の世界における貴重な鉱物である可能性が高いかと」
「では、いずれ侵攻の折には、採取と略奪を試みよう」
「御意。引き続き、指輪の片方はカシウスに持たせたまま、反応を伺います」
「結構。被験体・カシウスの経過は都度報告するように」
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