はじまりは真鍮のフォークより

 組織に属するエージェントは皆、原則的にツーマンセルでの実地任務を行っている。イルザ教官のような立場にいるひとなんかだとまた少し話が変わってくるけれど、封印武器の契約者たちは、まあ、大抵が相方を伴っての任務に付く。同僚のゼタはバザラガとコンビだし、ベアはユーステスとコンビで、私も例に漏れずに同僚とバディを組んでの任務体制に就いていたのだけれど。

『──急なことだし、アタシもちゃんとのコンビを解消するのは、正直惜しいわ。でも、……諜報活動にアナタを連れて行くのは、それ以上に気が乗らないの』
『……そうね、私も多分、その任務には自分が適してないって自覚がある。……今までありがとね、ネス。危険な任務だとは思うけれど、頑張ってね』
『ええ、ちゃんもね。縁があれば、またバディを組みましょ? ……アタシ、アナタとのコンビは結構好きだったの』

 ──上からの指令で、私の相方だった彼は、とある騎空団の団長の監視任務へと就くことになった。──経緯としては、グランサイファーの団長──グランの監視に就いていたユーステスと同じではあるけれど、ネス──彼の任務はそれよりも少し複雑で、なんでも監視対象は星の民だとか、エルステ王国先王婿の弟だとか、色々と疑惑の多い人物だそうで。其処で白羽の矢が立ったのが、うちのエージェントであるネスだった、ということらしい。
 ネスは、毒の扱いに長けて暗殺や諜報を得意としているから、こういった諜報活動が私たちのコンビに回ってくるケースは多かったけれど、今回は騎空団に団員として潜り込み、空域を渡り歩きながらの長期任務になるそうで、いつもとは少々、話が違う。私は彼ほど器用ではないし、長期の任務になれば、かえって足を引っ張る可能性があるとも思ったし、彼の方も私の同行に関しては否定的だった。……ネスは少し、底の知れないヒトではあるけれど、私と彼の間にある信頼関係は本物だ。その彼が容認できないと言うのなら、私には無理に彼の意見を押し切るだけの理由もなく、そもそも、私も彼とは別の理由とはいえ同意見だったのだし、と。
 ……そうして、私たちは此処で一旦、コンビを解消するに至ったのだった。

 ──さて、その後の私がどうなったのかと言えば、相方だった彼が、いつまでの長期任務になるか読めない都合で、一時的になるか、そのまま継続になるかは不明だったものの、別のエージェントとコンビを組む手筈になっていた。……とはいえ、組織もそんなにも大量のエージェントと封印武器を抱えているわけではないから、私の相方役の選出には、上も難航していたのだけれど。

「──名はカシウスという。しばらく行動を共にさせてもらおう、
「……ええ、よろしくね、カシウス」

 相方役が決まる前に、月から降りてきたカシウスという人物の介入により、私は突然、イルザ教官からカシウスのお目付け役として、彼とコンビを組むことを強要されてしまったのだった。──正直に言うと、当初はあまり気乗りしていなかったように思う。任務の最中、カシウスに命を救われたことも、彼を助けたいと私が願ったことも事実だったけれど、昨日まで戦場に身を置いていたというのに、突然、右も左も分からない月からの客人の監視役、……というよりも、保護者役をしろ、というのは。……上層部、というかイルザさんは私を何だと思っているのだろうと思ったし、ネスという優秀なエージェントと今まで組んでいたこともあるし、面倒なことになった、……なんて、思っていたような気がするな、最初の頃の私は。

「──あの、カシウス?」
「うん? どうした、
「……カシウスが私と来たかったのって、本当に此処?」
「そうだ、……スイーツアイランド。俺の目的地は、この島で合っている」
「えっと、でも、……此処、この間も来てたよね? 私がゼタたちと女子会に来てたときに、カシウスとも会って……」
「……ああ、その通りだ。……お前たちと合流する以前に、この島を歩きながら俺は、のことを考えていた」
「……わたし?」
「ああ。……お前とふたりでこの島を歩いたのなら、きっと、楽しいのだろうと思った」

 そういって静かにほほ笑むと、カシウスは、「だから、お前とふたりでもう一度来訪する必要があったのだ」……なんて、まるで悪びれずにそう言って。……そう、こういう、ところなのだ。いつの間にか私がカシウスにすっかり絆されていたのは、彼を自分の相方だと認識するようになったのは、……カシウスとのコンビを、好いと思うようになってしまったのは、カシウスがこんな風に、率直な気持ちを飾らない言葉で伝えてくれるひと、だったから。
 空の世界の住人である私から見たカシウスの歩みは、酷く不器用で不格好なはずなのに、自分の気持ちや考えを伝えるといった行為に関しては、私よりずっと、彼の方が器用だ。理路整然とした合理性を好むカシウスは、実際のところ、バディ役として四六時中共に過ごすことも、まるで苦痛に感じられない優秀な戦士だったし、カシウスが直接任務に出向くわけではなくとも、助言やフォロー、アシストと、任務に関しては彼に助けられた部分も多い。
 ──それになにより、一度は月に帰ったカシウスを奪還するための、先の大規模戦闘の際、きっと他の誰よりも必死だったのは私で、ともすれば、私だってさすがにもう、自分にとって、自分の中で、──カシウスの存在がどれほどのウェイトを占めてしまっているのかくらいは、自覚が出来ている。月から帰ってきてくれたときは、本当に安心したし、組織が目的を遂げ、事実上の解散になって、カシウスも以前よりも自由に空を歩くようになった今でも、カシウスが他でもない彼自身の意志で、私と行動を共にしてくれていることを嬉しく思っているし、先日、食道楽が過ぎて、健康を損なうほど彼の体型が変わった際には心配したし、……半面、その姿を結構可愛いと思ってしまったり、元に戻ってしまうのが、少しだけ残念なように感じてしまったり、だとか。……要するに今の私は、彼の風貌が多少変化したところで動じない程度には、カシウスのことが大好きなのだ。──唐突に、共に行きたい場所があるとだけ告げられて、半ば強引にスイーツアイランドへと連れてこられても。嬉しそうなカシウスに、ふたりきりで来たかった、と言われてしまえば、すっかり私もその気になってしまう程度には。……当初はどうなることかと思われていた、私とカシウスのコンビも、だいぶ板についてきたのだと思う。

「……さて、フォッシルの女性は、買い物を好むと前回学習した。ショッピングモールを見て回るか?」
「え、……でもカシウス、この島に来たってことは、食べ歩きが目的だったんじゃないの?」
「ふむ、……その通りだ。俺の目的は、とスイーツを食べ歩き、この島を観光すること……だが、いざこの島を訪れてみると、お前が楽しんでいる姿を見たいと感じた。よって、の意向を優先したいと思う」
「……ふふ、カシウス、ほんとに優しいよね」
「優しい? 妙なことを言う、これは、俺がの喜ぶ顔が見たいという、個人的な欲求に従った故の結論だ。合理的な判断だと思うが」
「でも、その合理的な判断の中には、それではカシウスがスイーツを食べられない、という事実は含まれてないよね? それじゃあ、非合理的じゃない?」
「む……、それはそうかもしれないが……」
「……ありがとね、カシウス。でも、私もカシウスが楽しそうにしてるところが見たいし、まずはスイーツ食べに行こうよ」
「! ……いいのか?」
「うん。それで、お腹がいっぱいになったらショッピング行こ? 腹ごなしに運動しないと、またぽよぽよになっちゃうよ」
「そうか……ならばそうしよう。……さて、まずは何を食べようか?」
「ジェラートがいいな! カシウス、いいお店があった、って言ってたでしょ?」
「ああ。……ピスタチオとティラミス味のジェラートが絶品で、も気に入るだろう。早速向かおう」

 そう言って、私の手を引こうとするカシウスは、初めて出会ったころと比べると本当に、コロコロと表情を変えるようになったと思う。──目的のジェラート屋さんに着いて、ショーケースを前にしたカシウスがどの味にするか迷っていると、店員さんからダブルを勧められて、それでもふたつに絞るのが難しいと唸る彼に、「だったら半分こにしようよ、そうすれば四種類のジェラートを食べられるよ?」と私が提案すると、ぱあっ、と顔を明るく綻ばせて、ふたりで選んだジェラートを分けっこして食べている間も、ふにゃっと眉を下げてほんとうにおいしそうに、うれしそうに、楽しそうにカシウスが笑うものだから、……出会ったばかりの頃、何処か無機質で異質な雰囲気を纏っていた、量産型の月の戦士は、本当にもうどこにもいなくなったのだと、こんな時にさえも私はこの事実を痛いくらいに感じて、……それが、ほんとうに嬉しくて、たまらなくなるのだ。

「──後は、あちらの角を曲がった店のマカロンとタルト、クレープも美味い。しかし、それも良いがと共に行きたいカフェがあってな……」

 ──これからはずっと、彼はちゃんと、私の隣にいてくれるのだと、そう実感できるから。

「……?」
「……ん? なに?」
「ぼうっとしている様子だったが、……まさか、体調が悪いのか。何処かで休むか?」
「え、ううん! 違うよ! ……ただ、ちょっとだけ」
「どうした」
「……カシウスが月から帰ってきてくれてよかった、って。色々あったけれどね、本当によかったな、って……そう、考えてた」
「……ふ、そうか」
「うん。……それで? 行きたいカフェって?」
「ああ、あそこにある店なんだが……」

 かつて、バディであった彼──ネスとも、私は親しかったし、カシウスと比べると彼とは不仲だった、なんてことはない。けれど、長い期間を共に過ごした彼と、コンビを解消することになった際に感じた寂しさともまた違う何かを、私はカシウスを見送ったあの日に抱いてしまったのだ。ネスに抱いていた友愛と、カシウスに抱くこの気持ちの違いは何だろう。ネスとは笑ってお別れが出来ても、カシウスとはもう離れたくないと願ってしまうのは、何故なのだろう。──その答えは、ほんとうは、既に私の中にあるのかもしれない、けれど。

『──、お前はあの食いしん坊のことが、好きなんだろう?』

 ……先日の女子会で、イルザさんから言われた言葉には、ゼタもグウィンも同意していて、ベアだけがよくわからない、といった反応をしていたけれど、カシウスと合流した瞬間の私の反応を見た後は、ベアからも絶対にそうだって、なんて念押しされてしまって、……そうなのかもしれない、という薄っすらとした自覚は、正直なところ、私にもある。……でも、カシウスの方はどうなのだろう? と、どうしても考えてしまって、いまだに私は、自分の気持ちを断言することが出来ずにいる。情緒に富んだ人物に変化しつつあるとは言っても、元・月の戦士だった彼が、私をどう思っているのか、彼にはそういった感情が備わっているのか、芽生える可能性はあるのか、なんて。……私には知りようがないから、だ。

「──カシウス、このお店にきたのって、何か理由があるの?」
「ああ。この店は、お前が好みそうな内装だろう。以前に、こういった清潔で華美な雰囲気が好きだと言っていたと思うが」
「……よく覚えてるね? 確かに、可愛い内装、好きだけれど……びっくりした……それが理由?」
「有益な情報だからな、しっかりと覚えている。それから、の好きそうなメニューも見つけた、……これだ」
「え、可愛いし美味しそう……ベリーとチョコレートなんだ、いいな、これ頼もうかな……あ、でもカシウス、これ、此処に注意書きが……」
「? 何か問題が? それよりも、数量限定と書いてあるからな、無くなる前に注文しよう。……注文をしたい、構わないか?」
「え、ちょっと……!」
「はい! お伺いします!」
「こちらの、三種のベリーとルビーチョコレートのアフタヌーンティーセット、を頼む。二人用のセットだ」
「はい。こちら、カップル限定メニューとなっておりますが、お客様方はカップルの方ですか?」
「ああ、かっぷるだ」
「ちょ、カシウス……!?」
「はい! ありがとうございます! オーダー、承りました!」
「ああ、よろしく頼む。楽しみだ」

 カシウスが広げた、ペールピンクのレース地にチョコレートブラウンのインクが可愛いメニューに書いてある、カップル限定、の文字を見て、……そこで、ようやく気が付いた。よく見てみれば店内は男女の二人連ればかりだし、私とカシウスが座っているのも、二人掛けソファのカップルシートだし、……店内の内装もメニューも、もうじき訪れるバレンタインに合わせた雰囲気だし。……要するに、そういうお店のそういうメニュー、ということ。……多分、カシウスは気付いていないけれど。

「……カシウス……」
「どうかしたか、
「……あのね、此処……、その、カップル向けのカフェだよ。いや、別にカップルしか入れないわけじゃないけれど、デートスポット、っていうところで、そのために使うひとが多くて、……ええと、だからね、メニューもこういう感じになってて……」
「……それに、何か不都合が?」
「不都合、っていうか……うーん……カシウスがそんなの知らなくて、このメニューを食べてみたかっただけなのは分かるんだけどね……私とカシウスは、その……」
「……先日、古戦場で、俺はフェディエルと共闘しただろう」
「うん? そうだね、大活躍だったよね、カシウス」
「ああ、その際にフェディエルから問われた。……は、俺の番なのか? と」
「……うん?」
「俺は番とは何かとフェディエルに尋ね、回答を得た。番とは対になる雌雄のことで、互いに一番親しく、想い、睦み合う男女を指す言葉だと。……それを聞いて、俺はフェディエルにこう回答した。は、俺の番で相違ないと」
「……うん!?」
「カップルとは、番を指す言葉だろう? ならば、俺とはカップル、に値するのだと考えた。……もしや、違ったか?」
「え、あー……うーんと、えーとねえ……」
「……俺とはカップルで、番はでえと、とやらをするものだと聞き及んだ。そして、この店はデートスポットとやらだと、イルザ達から聞いた。丁度よく、先日前を通った際に、お前が好きそうなメニューも見つけた。だから、お前と訪れたいと考えたのだが……何かおかしかったか?」
「おかし……くはないよ、そういうのじゃなくて……」
「ならば、何か不快に感じる点が?」
「そういうことでもなくて……」
「……もしや、俺とはカップルではないのか? 何故だ? 理由を教えてくれ」
「り、理由って言われても……!」

 ……困った。カシウスもフェディエルも、空の世界の文化にまだまだ馴染みが薄いところがあるから、そんな二人が会話のキャッチボールをすると、こんな弊害が起こり得るのだと思いつかなかった。古戦場には、私も同行してはいたのだけれど、カシウスほど出ずっぱりじゃなかったし、フェディエルとそんな話をしていたなんて、全然気づかなかった、なあ……。
 まあ、アフタヌーンティーセットが運ばれてきたなら、カシウスの興味は紅茶やケーキ、サンドイッチやマカロンに向かって逸れてくれるだろう……なんて、思っていたのに、お茶の時間が始まっても、カシウスからの追及は止まらない。もともと、こういった研究者気質のきらいがあるから、もぐもぐと口を動かして紅茶を飲んでごくん、としっかり嚥下するまでは。しっかりとお行儀よく食事をしているものの、飲み込むとまたカシウスから、なぜ、どうして、が止まらなくなるものだから、私は焦って親鳥がひな鳥にするように、カシウスの口にお菓子を運んで、すると、その度にカシウスは無言になって、また問いかけて、を繰り返しているうちに、ケーキスタンドいっぱいに並んでいたお菓子も、これでは足りなさそうだと途中で追加注文したケーキやパフェも、気が付くとすべてからっぽになってしまっていて、……それと反対にカシウスは、いつの間にか、すっかりと上機嫌になっていた。

「……なんだか、ご機嫌だね?」
「ああ。……何故だか、の手で口元に差し出されて食事をすると、気分がよかった。……妙なものだ、味が変わるわけでもないというのに、不思議と高揚する」
「そ、……そうなんだ……?」
「これは、何故だ? ……は理由を知っているか?」
「え、えー……どうかなあ……もしかして、と思わないことはないけれど、どうなのかなあ……!?」
「お前にも分からないか……ならば、分かるまで試そう。追加注文をする」
「え、ちょ、ちょっとさすがに食べ過ぎだよ! またぽよぽよになっちゃうよ!」
「……俺の体型が変わるのが、は嫌なのか?」
「え……?」
「ダクトなエンジニアが言っていた。のためにも、体型は維持しろと。……やはり、嫌か?」
「嫌、ではないけれど……ふくふくのカシウスも、可愛いし、私は好きだけれど……」
「……では、何故?」
「……カシウスが身体を壊したりしたら、嫌だから。またこうやって、色んなところにいっしょに遊びに行きたいし、健康でいてほしいから、……だから、やっぱり適度にしよう?」
「ふむ、……俺とでぇとがしたいから、暴食は控えて欲しいということだな?」
「いや、えっと……うーん、まあ、違わないけれど、そう、なるのかなあ……!?」
「ならば、そのようにしよう。……では、そろそろ会計をして、ショッピングに向かうか。空の民の女性が好むものはよく分からないが……お前が好むものと、お前に似合うものならば、俺にも分かる。のために、服やメイクを見立ててみたい」
「え、ほ、ほんと?」
「ああ。が良ければだが」
「もちろん! ……ふふ、なんか嬉しいな、カシウスが選んでくれるなんて……」
「……センスは保証できないが」
「いいよそんなの! 行こう行こう! 私ね、新しいリップとワンピースと、パンプスが欲しくてね……カシウスに選んでもらえたら、嬉しいな」
「……ふ、任せておくと良い。一番似合うものを見繕おう」

 ──あなたの気持ちが、本当に正しいものなのかが分からなくて、もしも勘違いだったなら、それは、あなたを傷つけてしまうんじゃないかって怖くて、……でも、分からないことが、まだまだきっとたくさんあるあなたが、それでも私のことは全部分かるって、胸を張って言い切れるのだと思うと、なんだか不思議なくらいに嬉しくて。まるで、カシウスが形容したその関係のようにスプーンを口元に運んで、あーん、なんて少女みたいなことをしていた私はエージェントで、彼は月からの旅行者で、……そんな関係も、これから少しずつ、こんな日々を繰り返すうちに形骸化していくのだろう。その先にあるものが何なのか、私が何を望んで、カシウスが何を望んでいるのかなんて、……まだちょっと、断言できそうにないけれど。……そうだ。次に、元相棒の彼に会うことがあったなら、訊ねてみようかな。ネスは私よりもずっと、愛とか恋とか、そういった感情の機微に敏感なひとだったと思うから。もしも、彼にさえも断言されてしまったなら、私も諦められるような気がする。……私はカシウスに恋をしているのだ、と。……そう、観念できそうだなんて思った時点で、きっとこの心の揺らぎを、空の世界では恋と呼ぶのだ。 inserted by FC2 system


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