月はチョコレートに沈めてリボンを掛けるの

「──そういえばカシウス、買い出しってお菓子の材料だったの?」
「ああ……チョコレートの材料を買いに来ていた」
「チョコ? バレンタインの?」
「そうだ。先日、依頼先でチョコレートの菓子を作る機会があっただろう」
「ああ……うん、楽しかったよね、あれ」
「その際に、俺は学習した。バレンタインのチョコレートは特別な相手に贈るものだと。調理の際にはアイジョウ、を籠めてオマジナイ、を施すことで味が向上するらしい。ならば、それを実証してみたいと考え、試作している」
「試作……ってことは、上手く行ってないの?」
「ああ。レシピに従って作っているのだが、何故か上手く仕上がらない……なぜ失敗するのか理解不能だが、満足の良く出来になるまでは、試作を試みるつもりだ。……バレンタインに、間に合うと良いが」
「……へえ……そっか……」

 ──カフェを出たところで、ゼタとユーステスと別れて、カシウスと共に帰路に着く前に。もう少し買いたいものがあるというカシウスと共に、私は食品店を訪れていた。カシウスの材料探しを手伝いながら、メモに記された少し硬い筆跡が、あまりにもたくさんの材料を羅列していたものだから、それも、思わず興味本位で聞いただけだったのだけれど、試作が上手く行っていない、と語るカシウスはちいさく唸り、難しげな顔をしていて。……一体、カシウスは、誰にあげるチョコを作っているのだろう、だとか。他にも思い浮かぶことならあったはずなのに、そのとき、私は。……只々、彼のことが心配になってしまったのだ。上手く完成できるように、チョコ作りを手伝ってあげたいと、そう思ってしまった。

「……カシウス、どう? 上手く行ってる?」
「ああ……未だ、苦戦している。攪拌のタイミングが悪いのだろうか……」
「どれどれ、……あ、ほんとだ、ちょっと分離してるね……」
「舌触りもざらついていて、あまり優れていない……テンパリングという工程が、非常に複雑で困難だ」
「……ね、カシウス」
「どうした、
「これ、私も手伝ってもいい?」
「……いいのか?」
「うん。……カシウスが頑張ってるの見たらね、助けてあげたくなっちゃった」
「なるほど、親切シン、だな?」
「そうそう。そういうこと」
「ならば、ぜひ頼もう。……しかし、お前のエプロンは俺が拝借したままだ」
「あ、大丈夫だよ。別のやつ、持ってきたから……」

 ──先日、依頼先でお菓子作りを手伝った際に、初めて製菓に挑戦するカシウスには、私のエプロンを貸し出していた。私が彼に着せてあげた赤いエプロンは、カシウスには少しサイズが合っていなくて、もうしばらく貸しておいて欲しい、という彼の申し出により、貸しっぱなしになっていたのだけれど、……あれから数日、赤いエプロンは幾度の試作を重ねたのであろう今も清潔なままで、カシウスの身に纏われている。……それに、調理の際に長い髪が邪魔になると思って結んであげた髪も、私が自分の予備を貸した薄紫色のリボンで、相変わらず纏められていて。

「……カシウス、そのエプロン、あげようか?」
「! ……いいのか?」
「うん。……サイズ、あってないし、頻繁に使うようならカシウスに合ってるのを買ってもいいとは思うけれど……もしもカシウスが、それを気に入ってくれているなら……」
「……そうか。ならば、ありがたく頂戴しよう。……不思議と、お前のエプロンだと思うと、これを着ているのが嬉しい」
「……そっ、か。……あ、あと髪……ポニーテールにしようか? その方が邪魔にならないと思うけれど」
「いや、……ハーフアップ、のままでいい。これだと、とオソロイ、だ」
「……うん、そうだね」
「ああ、とのオソロイ、は、……何故か無性に嬉しい」

 髪を纏めてあげたあの日も、カシウスは私の髪を指差して「お前と同じ髪型にしてくれ」と言ってハーフアップを強請って、……そういう、御揃いが良いだとか、おさがりが嬉しいだとか、ちいさな気持ちのひとつひとつが、彼にとっての何なのか、なんて。……相変わらず私には、そんなもの断言なんて出来はしなかったけれど、そうやって私の隣ではにかみながらあまいあまいお菓子を作るカシウスの横顔を、私はやっぱり好きだと思ったし、こんな風に彼から一番気を許されているのは、きっと私なのだと思うのだ。
 市場で仕入れてきたチョコレートを湯煎にかけながらパレットナイフで混ぜて、冷水に取ってまた混ぜて、今度は湯煎に少しだけ戻して、──テンパリングの工程に少し不安がある、というカシウスの申告をもとに、私のやり方をカシウスに見せて教えながら、今度こそカシウスが納得いく品を作れるようにと、私も善処した。そうして、カシウスとのチョコレート作りを始めて小一時間ほど経った頃、カシウスはそうっと私だけに、このチョコレートを贈る相手が誰なのかを教えてくれたのだった。

「……これは、団長に贈ろうと思っている」
「団長に……?」
「ああ。俺の空の世界での生活は、団長の支援あってのもの……月の戦士だった俺がこうして、お前との日常を送れているのも、グランのお陰だ」
「……そうだね、私も、グランにはいつも感謝してるもの」
「……ならば、これが成功した暁には俺とからの連名で、団長へとプレゼントしよう」
「え、……で、でもこれは、カシウスが……」
「いや、……お前の助力がなければ、間に合わなかったかもしれない。ならばこれは、ふたりからのプレゼントにするべきだ、それに……」
「それに?」
「二人分のカクシアジ、が加われば理論上、味の良さも二倍になるはず……団長も、その方が喜ぶことだろう」
「ふ、ふふ……そうだね、じゃあ、ふたりからだよ、って渡せるように頑張ろっか」
「ああ、もう一息だ」

 カシウス曰く、二倍の愛情が込められているなら、きっと二倍美味しいはず、というチョコレートが完成したのはその日の明け方のことで、“贈る相手に相応しいお菓子を作るのが良い”というアドバイスを元に、カシウスがグランに選んだのだという、星みたいな色とりどりのまあるい形をしたチョコレートは、成程確かに、これはグランに相応しい、と私も感じた。彼がこの世界を動かす特異点であるだとか、そんなことは私にとっても、きっとカシウスにとっても、どうだっていいことだったけれど、……でも、グランの瞳には空と星がよく似合うことを、私もカシウスもよく知っている。お世話になっている団長に相応しい贈り物をしたかったというカシウスの真心に触れて、私は胸の奥がふわふわと暖かくなる心地を覚えながら、ラッピングの際にもしきりに“アイジョウ”と“カクシアジ”を唱えていたカシウスの姿を見て、……先日、彼がルリアに言われていた言葉を思い出す。「相手が自分のことを思いながら作ってくれたお菓子は、特別な味がする」というルリアの言葉は、決して言葉通りの意味ではない……と、私は分かっているけれど、カシウスがその言葉に夢を見ているのだとしたら、……それを、叶えてあげたいな、と。……私は、確かに思ったのだ。


「わー! これ、二人から僕に!?」
「ああ、グランに相応しいものをと二人で作った」
「……おいしい! これすっごくおいしいよ! ありがとう、カシウス! !」

 ──そうして迎えた数日後の、バレンタイン当日。グランへのチョコレートをカシウスと共に渡しに行った後で、私は艇内の自室にて、カシウスとのお茶会の準備をしている最中だった。

「……グランの反応、実に良い物だった。カクシアジ、と優しい気持ち、が上手く作用したのだろう」
「うんうん、成功してよかったね。……で、カシウス」
「どうした、
「カシウスもさ、……隠し味の入ったバレンタインのお菓子、食べたい?」
「それはもちろん、興味がある。ルリアの言っていた言葉も、気になっているからな……」
「うん、よかった。……じゃあカシウス、これね、私からカシウスに……」
「……俺に? から?」
「うん」
「これは……が作ったのか? 月を模しているデザインか……細工も見事だ」
「うん、月みたいな色にしたくて、ホワイトチョコレートにフルーツパウダーを混ぜたの。あと、カシウスはたくさん食べたいだろうと思ったから、チョコレートケーキにしてね」
「ああ」
「それだけじゃ寂しいから、マジパンとチョコレートでお花とか、飾りを作って、クリームでデコレーションして……」
「……ああ、嬉しい。これは、俺のために作られたものだと一目で分かる。……ありがとう、
「……うん。喜んでくれて、よかった」
「……先を越されてしまったが、俺からもこれを、お前に」
「……え」
「チョコレートだ、へのアイジョウ、を籠めて作った。受け取ってくれ」

 テーブルの上に置かれたティーポットにティーセットと、きいろくてまあるいチョコレートケーキの乗ったお皿の隣に、とん、と置かれた細長くて白いきれいな箱。カシウスの髪と、私の髪に飾られているものによく似た紫のリボンのラッピングを解くと、──中には、同じくリボンやハートを模した可愛らしいチョコレートがいくつか収まっていた。リボンと、それから、ハートの形はホワイトチョコレートとルビーチョコレートの、綺麗で愛らしい白とピンクの色味で、──ああ、きっとこれがカシウスにとっての、私に相応しいチョコレートなのだと、そう思ったら。……流石に私だって、気付いてしまった。……だって、それはつまり、このひとに、とっては。私に相応しいチョコレートは、こんな風に綺麗で可愛らしいもので、……それって、多分カシウスにとって、私がそういうものだから、彼はこれを作ろうと考えたのだという、それ以外の答えが見つからなくて。

「……カシウス、これ……」
「ああ。団長への贈り物を完成させてから、俺一人で作った。の指導のお陰もあって、上手く作れているはずだ」
「……かわいい……すっごく、嬉しい……」
「それは何よりだ。お前には、こういった愛らしいものが似合うと、服やメイクを選んだ際のデータを参考にした。は、可愛いものが似合うし、お前には可憐で綺麗なものが相応しい」
「……カシウス、あのね、私に対してあなたが、そういうことを思うのって、その……」
「……ああ。どうやら俺にとって、お前は特別な存在で、一等輝いて見える……スキナヒト、というものなのだという気付きを得た。お前が、キスを許可してくれたおかげだ」
「かし、うす……」
「許可を得たのは喜ばしかったが……恋人同士の行為、をそうではない関係で行ったことに……というよりも、キスをさせてもらえたのに、お前が俺の恋人ではないことに妙な不快感を覚えた。先日、ユーステスとふたりで逢瀬をしていると誤解した際にも……俺が覚えたのは脳を駆ける不快なノイズだった。それは、嫉妬というのだそうだな。……つまりは、そういうことだ。……それで?」
「それで、って……」
「……お前も、俺と同じ気持ちだという解釈で良いのか?」

 ちらり、とテーブルの上の満月を横目で眺めてから、カシウスはじいっと私の目を覗き込んで、それから、するり、と細長い指先でゆるゆると私の手を撫でる。伺いを立てるような所作で、けれど、彼の空色の瞳は、私が否定することをそもそも想定してすらいなくて、ゆるく穏やかに弧を描く彼のまなざしに、……ああ、これは問いかけではないのだと、言われなくとも分かった。それに、これは愛の告白と言うよりも、確認に近い。……カシウスが私と同じ気持ちなのかなんて、私は知らないし、知らなかったけれど。カシウスは、私がカシウスと同じ気持ちだと確信して、こうしてたったの一歩で距離を詰めてしまおうとしている。──多分、彼のそういうところに私は一生叶わなくて、何度でも振り回されてしまうのだろう。残念なことに、……私はそんな日々を、この上なくいとおしく得難いと感じてしまっているから。

「……わたし、カシウスと同じ気持ち、なの……?」
「俺はそう考えている。……というよりも、そうでなくては困る」
「ふ、ふふ……そうだね。確かに、私もそうだなあ……カシウスが違う気持ちだったら、困っちゃうもの」
「安心しろ、それはあり得ない。……では、お前のアイジョウ、は俺がありがたくいただくとしよう」
「うん。……好きなだけ、召し上がれ」
「ああ……いただきます、

 優しい気持ちと愛情とが詰まったチョコレートケーキの味が、本当に特別なのかと言えば、きっとそんなことはなくて。ヒトがそれを特別な味に感じてしまうのは、そこに愛や恋があるからに過ぎなくて、カシウスだって、「思ったのと違う」と、怪訝に思ったり首を傾げたりするかもしれないと、渡す前はそう思っていたけれど、──実際のところ、ケーキを頬張ったカシウスは目を細めて本当に幸せそうに頬を緩めていて、そんなカシウスから受け取ったハートのチョコレートを口に運んだなら、私も同じような笑みに満ちてしまったから。月が、空が、星が。──誰が何と言おうと、私と彼は、ふたりの間にあるこの優しい気持ちを、愛情と定義することに決めたのだ。 inserted by FC2 system


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