欠けが深いほど増す糖度

※暗い。ゼロの秘宝未配信時点での執筆。後から公式設定と食い違う可能性があります。



「──あなた、大丈夫? 何処か怪我してるの……?」

 そう言ってしゃがみこみながら目の前のちいさなポケモン──チャデスに語り掛けるトレーナー──に出会ったそのとき、チャデスはボロボロに傷付いて、もはや自身の器を金継ぎで治すこともままならない有様であり、そんな自身の回復のためにと、チャデスは躊躇なくの生命力を奪おうとした。
 ゴーストタイプを持つチャデスは、元より他者の生命力を吸って糧としている。元々、それがチャデスというポケモンの生態であるのだからその行動は彼の意志では止めようがなく、更にはこのチャデスは特別に気性の荒い性格でもあった為、元よりそういった特性を持つとはいえども、彼の人間に対する攻撃性は他の個体と比べても明らかに顕著だった。
 チャデスは不備のある“モノ”に抹茶を振りかけて、金継ぎをすることにより器を整えるという特性を持っており、彼らが“モノ”と定める対象は茶器からポケモン、人間まで一切の区別がなく、まるで相手を選ばない。
 只、チャデスと言うポケモンは自身の審美眼によって「不備がある」と断じた対象を金継ぎして、抹茶を振りかけることでその粉に含まれた成分によってつやつやのぴかぴかに下ごしらえをしてから、魂を「いただく」という習性に則った行動を取っていただけだった。

 ──そして、チャデスのそんな生態は人間にとって害であり、凶暴なこの個体は他と比べて人的被害を出し過ぎたと、酷い怪我を負った彼の背負っていた事情も、要するに只それだけの話だった。

「私の家、すぐ其処だから……よかったら休んで行って。ええと……あなた、なんていうポケモンだろう……?」

 は近頃このキタカミの里に引っ越してきたばかりで、チャデスの生態どころかその名前も知らず、当然ながらキタカミに伝わる“伝承”などは知る由もなかった。
 故に彼女は只の親切心で、人里を追われたチャデスを保護して家に連れ帰ったのである。──そのポケモンが、集団昏睡事件を起こした害獣として、里の人間たちにより返り討ちに遭ったことなどまるで知らずに、恐れもなく穏やかな気持ちで彼女はチャデスに触れていた。
 チャデスは当初、そんなの生命力を吸って生き永らえてやろうとそう思ったものの、──彼女には、金継ぎするような理由がまるで見当たらなかったのである。──には、“モノ”ならば必ずある筈の欠けた部分が、只のひとつもなかった。
 その事実に驚いたチャデスは、一度はに向かって振り上げた茶杓の行き場を失ってしまい、己の行動に困惑しているうちに「大丈夫、怖がらなくていいからね、何もしないよ」と、──自分が今しがた目の前のポケモンに襲われかけたことなど露知らずに、暢気にも的外れな言葉を投げ掛けたに抱えられて、彼女の家に連れて行かれてしまったのだった。

「あなた、何食べるんだろう……? とりあえず、オボンのみで何か作るね、それと……この中で、好きな味のきのみはある? それも混ぜて作ってあげる」

 はトレーナーではあったが、一目でチャデスの性格を見抜くほどトレーナーとしての腕は優秀でもなく、チャデスが好むきのみを一目で言い当てることは叶わなかった。……尤も、“このチャデスに限っては”よく観察すれば、ある程度の性格は推測できるほどに行動が苛烈であったのだが、人もポケモンも疑わない性分のには、まるで予想もつかなかったらしい。
 どれが好きかとそう問いかけながら、チャデスの目の前にきのみをいくつか並べたを奇妙なものを見つめるかのような顔でじいっと見つめてから、チャデスが茶杓を用いてこんこん、とクラボとマトマの実を叩くと、「わかった、ちょっと待っててね」と言いながら、はきのみを手にして厨房へと向かってしまった。

 チャデスが連れて来られたのは古民家風のちいさな建物で、幾つかリフォームの手が入ったらしいこの家に、はひとりで暮らしているようだった。には他にも手持ちが居たが、他のポケモンたちは皆庭に出て遊んでおり、今の傍にはチャデスしかいない。
 きのみを見せてきたに対してチャデスは当初、見知らぬ人間の調理したものなど食べたくはないとそう思ったし、きのみをそのまま渡せばそれでいいものを、何故余計なことをするのかと、の行動に少しムッとしていた。
 故に、無防備にもチャデスに背を向けて厨房に立つから、やはり直接に生気を吸い取ってやろうとも彼は考えたが、──結局、どんなに目を凝らしても、ごしごしと目を擦ってみても、には欠けた部分が見当たらないのだった。
 何も外見だけではなくて、心の端っこがほんの少しでも欠けていたのなら、チャデスも遠慮なくに抹茶を振りかけて餌にしてやれたのに、肝心の継ぐ場所がないのではそうも行かずに、チャデスは儘ならない思いだった。
 挙句には、チャデスが手持無沙汰で古びた民家の壁を抹茶で埋めていると、調理を終えて戻ってきたが「わあ、お家の修繕をしてくれたの? ありがとう、あなたって優しいポケモンなんだね」などと的外れなことを言い出す始末なので、──いよいよもって、チャデスは目の前の人間に呆れてしまった。

「どうぞ、召し上がれ。スープにしたから、具合が良くなくても入っていきやすいと思うけれど……無理しないでね、きずぐすりも付けたし、外傷はもう大丈夫かな……?」

 そう言いながらチャデスの前にことん、と置かれた飾り気のない器は、まるで侘びや寂びといった風情が感じられない量産品で、チャデスの美的感覚に反するものだったが、それでも、その中でほかほかと湯気を立てる赤いスープはとても美味しそうだった。
 もしも、目の前の人間が妙なものを作ってきたら、それを口実に襲ってやろうとも考えていたチャデスは、またしてもから生気を奪うことに失敗して、──逡巡しつつも空腹にはあらがえずに、自身が持っていた茶杓をスープの中に沈めようとする。

「待って、せっかくのお匙が汚れちゃうよ。よければ、こっちのスプーンを使って?」

 するとチャデスの持つ茶杓よりも大きくて、食事に使いやすそうなスプーンをが差し出してきて、チャデスはまたしても前の前の人間のお人よし具合に驚いて、──おずおずとスプーンを受け取り、スープを口に運ぶチャデスの表情が困惑に満ちていた理由を、は野生のポケモンで人に慣れていないからだとそう思っていたが、事実はそんなにも生易しいものではない。
 キタカミの里では“伝承”によって、只でさえチャデスは人間に害を成す存在だと言われて避けられているのに、このチャデスは明確に人間に危害を加えてしまったからこそ、避けられるどころか石を投げられたりということも日常茶飯事だった。
 今日もそれで、チャデスの悪さを咎めた複数のトレーナーに囲まれて袋叩きに遭ったことでチャデスは傷を負っていたので、チャデスに向かってこのように語り掛けてくる人間など、彼は今までに一度も見たことはなかった。──だからこそ、チャデスはの一挙一動にこうも驚いているのだった。

「……どう? 美味しい?」

 にこり、とチャデスに微笑みかける目の前の人間は、心にひとつのヒビもなく、──今までにチャデスが見てきたどんな器よりも、はきれいだった。ホカホカのスープを頬張る度に、チャデスはどうしてだか、この人間のことが気になるようになっていく不思議な気持ちを感じる。
 ──それはチャデスにとって生まれて初めての、悪意でも食欲でもない、純粋なる他者への興味だった。


 ──そうして、チャデスがと出会ってからおよそ十年もの間、チャデスはの傍で暮らし続けた。
 外で悪さをしなくなった頃から、必然的に外への興味を失ったチャデスはずっとの傍にふよふよと浮いているようになり、あれからチャデスはもう一度たりとも命を奪うための“おもてなし”をしたことはなかったが、の傍に居ると生気の代わりにきらきらと優しいおひさまのひかりと、それからおいしいごはんを貰えたから、チャデスは誰かを襲わなくとも毎日元気に過ごしていられたし、この数年の間に金継ぎしたものと言えば、の自宅や家具家財の修繕程度のもので、そうしてチャデスが“良いこと”のために金継ぎをするとが喜んでくれることを、チャデス自身も嬉しいと感じていた。

 ──この十年の間、チャデスはと共に過ごしたが、チャデスを保護したあの日以降、チャデスを何日も看病してくれて、それからもいつだって自分に優しく触れてくれたあたたかな手で、チャデスの世話をして傍に置いてくれたには、その心にも体にも、何度目を凝らしても欠けた部分がひとつも見当たらないと、チャデスはそう思って、──終ぞや、を金継ぎする理由を見つけられなかった。
 当初は彼女の生命力を吸って生き永らえようと思っていたというのに、毎日の手厚い看病とおいしいごはんとでチャデスの体力はすっかり元に戻り、まるで抹茶を掛けられた後のように魂はつややかに輝いている。
 元はと言えば、を利用してやろうと彼女の手を受け入れたチャデスであったが、こんなにも思いがけない結果に転んだことに、チャデスは不思議と満足感を覚えていた。──けれど、これから先もがずっとずっと自分の傍に居てくれるのなら、もう誰も襲わなくても済むのだろうなと、──チャデスはそのように、思っていたし、それは良いことなのかもしれないと、そう思い始めていた。

「──ごめんね、チャデス……病院よりも家の方が良いよね……? あなたにとっては、キタカミが故郷なんだし……」

 ──そう、思っていたのに。──半年ほど前に、は突然、家の厨房にて倒れた。いつもと同じようにポケモンたちのご飯を用意している最中の、あまりにも唐突な出来事だった。
 目の前で倒れたにチャデスが呆然としている間にも、他の手持ちたちが近所の人を呼んできて、は担架に乗せられて、あっという間に里の診療所へと運ばれて、──そうして、終ぞや彼女はそのまま自宅に戻ることもなく、パルデア本国にある大きな病院へと運び込まれたのだった。
 ──不死の病だと、医師はそう言った。
 ゴーストタイプであるチャデスには“衰弱”はあっても“死”と言う概念は存在しない。故に今までは特別な悪意などはなくとも誰からでも命を奪い取れたし、チャデスはそれらに対して、深く何かを思ったり心を痛めることも無かった。何しろ霊体の彼には、そもそも心臓に値する心などと言う機関は存在しない。
 故にチャデスにとって死はもっとも身近で縁遠いものであり、──チャデスは今まで、が死んで居なくなってしまうことなど、一度も考えたことが無かったのだ。──当初は、彼女の命を焚べて糧としようとしていたというのに。あの頃のチャデスは良くも悪くも、野生のポケモンであった。
 だが、今のチャデスはそうではない。既に彼は、トレーナーの手持ちになってしまっていたし、──掛け替えのないそのたったひとりは、永遠に自分の傍に居るものとばかり彼は思い込んでいたのだ。

 が遠くない未来に死ぬことが分かってから、手持ちたちでは何度も話し合いをして、を生き永らえさせる方法を探そうとした。
 けれど、結局は、医者にも解決できないことは彼らにもどうしようもなくて、手持ちが戸惑っている間にもは自分の死後に残していく彼らにはこれからも幸せに生きていってもらうためにと、一体ずつ、信頼できる友人に手持ちを託していったのだった。
 自分の最期を見届けてしまったのなら、きっと手持ちたちは皆深く傷付くだろうとはそう考えて、身辺を整理するかのように、手持ちを手放して、──そうして今では、の手元にはチャデスだけが残っていた。
 チャデスとが出会って暮らし、あちこちを金継ぎして修繕したキタカミの古い家も、今頃は既に空き家になっていることだろう。──には本当に、もう残ったものはチャデスだけなのだ。
 はもちろん、チャデスの里親も探してはいたが、誰と引き合わせてもチャデスは怒って相手を茶杓で叩き、話が纏まる前に抹茶を投げつけて追い返してしまう。自身のチャデスを温厚なポケモンだと信じて疑っていなかったもこれにはさすがに驚いていたし、自分に残された時間は少ないからこそ、チャデスのそんな態度に彼女は困り果てていた。

「……あなたにとって、どうしてあげるのが一番幸せなのかな……」

 とある雨の午後、雨音に遮られた白い病室にぽつりと落とされた声は、チャデスにしか届かない。──その言葉には、もうにはチャデスを幸せにしてあげられないと言う意味が言外に込められていて、チャデスはどうしてもその言葉を受け入れられなかった。
 キタカミの里の住人たちは、チャデスを嫌っているのだから、故郷に戻り野生に帰ったところでチャデスに幸福はない。
 自分と暮らし始めてから、あまり外に出たがらないチャデスの様子と、図鑑で知ったチャデスと言うポケモンの生態、そして偶にチャデスを連れ立って外に出ると取り乱したように怯える里の住人の態度から、どうやらこのチャデスには複雑な事情があるらしいということにも、既には気付いていたからこそ、キタカミの自然に帰すよりも信頼できるトレーナーに後を任せようと、彼女はそう考えた。

 しかし、チャデスにとって他のトレーナーの心などは、どれもヒビだらけに見える。に近しい人間であっても、それは本人ではないのだから、チャデスにとっては彼らも道行く人と大差がなかったのだった。
 チャデスにとって、この世で唯一美しいと思えたものが、だった。まるくてすべらかな彼女の心の器は同じように傷ひとつなかったのに、──今でもその四肢には傷ひとつ見当たらないはずなのに、どうしてか、すっかりと痩せ細ってしまった今の彼女は傷だらけにも見える。
 故に現在、の身体にはヒビが入っているようにチャデスには見えていて、……けれど、それが自身の思い込みなのだと言うことにも、チャデスはちゃんと気付いていた。
 もしも彼女の病が、只の外傷で茶器の亀裂と変わらないものだったのなら、チャデスにも修繕できたのかもしれない。──だが、其処に傷はなく、医師にも治せない病は、チャデスには治せない。
 チャデスはの身体を必死で金継ぎして直そうと試みたものの、何度抹茶を振りかけてやっても、は全然元気にならなかった。見えない傷を金継ぎしてすべらかになったように見える腕を前にして、傷が塞がったのかもしれないという希望に掛けて、一度抹茶を振りかけてみると、──最早、には吸い上げるほどの生命力が残っていないことに気付いて、チャデスはその日、初めて泣いてしまった。
 泣きながら、それでも目の前の事実を受け入れられずに、せっせとの手足に抹茶を掛けて、つやつやのぴかぴかにしてあげようと試みても、蒼白い腕はまるで様子が変わらないものだから、チャデスの涙は止まらずに、健気な手持ちの行動にも釣られて涙が出てきた。
 もはや自分の力ではだめなのだと悟ったチャデスは、今度は、かつてがチャデスにしてくれたように、病院の庭から取ってきたきのみをぐいぐいと口に押し付けるものの、──困ったようにへにゃりとまなじりを下げて笑ったには、最早きのみを咀嚼する力も残っておらずに、──遂に彼女は他に手立てが無くなって、彼が一番聞きたくなかったことばを、彼に告げたのだった。

「……もういいよ、チャデス」

 ──どうして、そんなこと言うの? と、込み上げる悲しみに身を焼かれながら、チャデスはようやく気付いた。──確かに昔、チャデスは餌にするつもりでこの人間に近付いたというそれだけで、金継ぎをしなかったのだって、ヒビのひとつも見当たらないと言うそれだけの理由だったのに、……いつの間にか、チャデスは。──只、目の前のトレーナーが大切だから、どうにかして直してあげたいと、そんな風に思うほどに情を抱いてしまっていたのだと、──チャデスがそれにようやく気付いたその夕方、は眠るように目を閉じて、それきり二度と目を覚まさなかった。

「……チャデス、あなたはゴーストタイプだから……きっと、私のことも連れて行けるのよね?」

 ──が最後に、チャデスに言ったことば。「どうせ死ぬなら、あなたに、食べて欲しいな……」ごめんね、と本当に申し訳なさそうに、泣きそうな顔で笑っていた彼女はきっと、チャデスの知らない“死”という恐怖に圧し潰されて、最後の日々を過ごす最中、きっといつだって苦しくて、泣き出してしまいたかったのだろう。
 ──それでも、最後の最後まで気丈に振る舞っていた彼女の魂は、──とびきりにあまくて、とろとろと口当たりまで優しくて、今までに食べてきた何よりも美味しかった。それは、天国の食べ物のような味がした。
 彼女を食べると決めたときにチャデスは何よりも「やだなあ」と、──初めてそんなことを想ったけれど、それでも。……あの子の望みは叶えてあげたかったし、どうせ死んでしまうのなら魂がほしいと、そう思ってしまったのだ。
 ──最期のこの時間、彼女の傍にはチャデスしか居なかった。
 故に、窓際に揺れるカーテンの傍からチャデスが姿を消した後、の静かな寝顔を見つけた医師たちはきっと、チャデスを犯人として大騒ぎを始めるのだろう。──でも、そうなのだとしても、これでもう二度と、人間の輪の中では暮らしていけなくなったのだとしても、チャデスはそれでいいと、そう思った。病などに奪われるよりもずっと、自分が彼女を連れ去った方が幸福だ。
 一番大切なものは、彼の器の中に在る。──死の概念のないチャデスとひとつになることで、きっと彼女は永遠を得たのだと、──チャデスはそれだけをずっとずっと、信じている。 inserted by FC2 system


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