ぐちゃぐちゃ果実と木馬の心臓

 その日は、の様子がおかしかった。外部の撮影やポートフォリオ用の撮影だとか、俺の専属としての仕事以外にも、にはカメラマンとしての業務がいくらでもある。だからこそ、俺ととは日中別行動になることも珍しくはなかったし、日によって、お互いに比較的、手が空いている方が家事をしたり、片方が忙しければ肩代わりをしたり、といった決まり事が、暗黙の了解として俺達の間には存在していたのだが。……その日は、の帰りが遅いようだったから、「夕飯を作るが、何かリクエストはあるか?」と、俺の方から、家事の担当を申し出たのだ。仕事の空き時間にでも、から返信があるだろう、と思っていたものの、一向にからは返信どころか既読も付かずに、気になってカーラ経由でクーラの位置情報を確認したものの、どうやら、電源が落ちているようで、追跡は叶わなかった。……おかしい、はボードとして以上に、専属のアシスタントとしてクーラを重宝しているし、溺愛してもいる。あいつにとってのクーラは、最早俺にとってのカーラも同然なのだ。……それに、ボードだけではなくブレスレットや携帯端末、カメラにもクーラのAIは搭載されているので、ボードの充電が切れたとしても、普段のならば、すぐに他の端末に切り替えるはずなのである。それは、がクーラを必要としているからであり、……そうしないと俺が、を心配する、というそれが、にも、分かっているからでもある。……しかし、結局、とは21時を過ぎても連絡がつかずに、冷めきった夕飯を前に、痺れを切らした俺は、バイクを出してを探しに行くことにした。……そうして、が向かいそうな場所には、すべて足を運んだはずだった。湾岸沿いに、がよく撮影に訪れる公園も、二人でよく使っているスケートパークも、ストリート沿い、それから、……虎次郎の店も、全部、訪ねたが。

「……なんだ? 、帰ってないのか?」
「……うるせえ! お前には関係ないだろうが!」
「ちょ、おい、薫! 俺も探すか!?」
「要らんわボケナス! は俺が迎えに行く!」

 ……虎次郎の店には、と二人で、頻繁に訪れている。閉店後の店内で、虎次郎も交えた三人で口喧嘩をしながらもスケート談義に花を咲かせるのが、俺達にとっての常となっていた。それ以外にも時折、日中に、ランチとしてが虎次郎の店を訪れたり、試作品の試食に付き合っている、ということだって、俺は承知していて、の側も、俺にそれを隠すことはなかったからこそ、もしかすると、撮影後に虎次郎の試作に付き合って、そのまま店で寝落ちでもしたのか? ……なんてことを、俺は考えていたの、だが。結局は、虎次郎の店にもは居なくて、日中店に来ていた、ということもなかったらしい。……一体、何処に消えたのか。そう思って、焦燥に苛まれながらも散々探し回った末に、俺がを見つけたのは、

「……、探したぞ。どうした、こんなところで……体調でも悪いのか?」
「……か、おる……?」

 ……学生時代、苦くも甘い思い出が詰まった、海沿いの、あの高架下だった。
 暗くなった高架下で、とうに充電の切れたクーラを抱えて、カメラバッグに凭れ掛かるように倒れ込んでいたは、俺の声にぴくりと反応して、……しかし、顔を挙げようとはしなかった。……代わりに、怖々と紡がれたその声は、……泣き腫らしたように、かすれていたから。顔を上げることを躊躇った理由など、説明されずとも、理解できたのだ。

「……どうした? 何があった……」
「…………」
「……なあ、……」

 ……何か、言い出しづらいことが、言葉にして口に出したくないようなことがあったから、家に帰るに帰れなかったのだ、と。そんなことは聞かずとも、理解できる。だが、何があったのかは、残念ながらの口から語られない限り、俺には、詳細に汲み取ってやることは出来ない。……それを、不甲斐ない、情けない、と俺は思う。……そうは思いながらも、俺が、彼女の目を覗き込んで問いかけたなら最後、……は、俺に嘘を吐けなくなる、と。彼女の善良さに起因するその思考の癖を知っていて、俺はの目の前に屈んで、彼女の手を取り、表情を伺ったのだ。……卑怯だな、本当に。いくらが心配だから、大切だからといって、……自分でも分かっているのだ、時々、俺の彼女への感情は度を越してしまっていて、人として間違った行いに、足を突っ込みかけていることも、……愛抱夢のやり口など、俺には非難する資格はないんじゃないかということも、自覚くらいは、出来ているというのに。……それでも、辞められないのだ、俺は。そうして、案の定俺の目を見つめたが軽く息を呑んでから、口を開いたのを見て、本当に狡い男だと俺はひとりで自嘲をして、……しかし、それすらも、放たれた言葉に全て吹き飛ばされてしまったのだった。

「あ、……だむ、に、会ったの……」
「……何?」
「撮影、してたら……秘書の菊池さんに、会って、それで……」
「……ああ」
「相談したいことがあるって言われて、……私、ついて行ってしまって、き、菊池さんの力になりたいって、あだむに、してあげられることがあったなら、もしかして、また、薫たちと、って……」
「……分かった、分かっている、お前は俺と虎次郎の為を想って、そうしたんだろう?」
「……ご、ごめんなさい、かおる……」
「……謝るな。それで?」
「……菊池さんに、路地裏に、連れて行かれて、其処に……愛抱夢が、待っていて……」
「……奴に、何を言われた?」

 否、……何をされた? と、そう、聞くべきだったのかもしれない。言い淀み、言葉を選んだのは、無作法に言葉を投げかけては、を傷つけるかもしれないと思ったからで、……決して、愛抱夢の善性などに期待をしたわけではなかった。確かに俺は、未だ奴には俺達に対する躊躇が、情がある、と……そう、思い願っている。だが、それとと愛抱夢との間に起きた件はまた別問題で、こいつは既に一度、愛抱夢に傷付けられて、潰されているのだから、俺の憶測の外側に愛抱夢のへの妄執がある可能性など、とっくに俺とて理解していて。……だが、だからこそ、深く追及は出来なかった。もしも、其処で何かがあったのなら、俺にとって許しがたい事実であるのと同時に、……にとって、計り知れないほどの衝撃、であったはずなのだから。現には、家に帰ってこられないほどのショックをその場で受けたからこそ、この高架下にふらふらと辿り着き、それきりしゃがみ込んで、一歩も動けなかったのだ。……俺には、そんな彼女を責めるような真似は、出来なかった。

「……あ、だむ、は……」
「……言い出しづらいことか?」
「……あのね、かおる……」
「……ああ」
「な、にも、されていないの……で、も……」
「……だが、何かを、言われたんだな?」
「……ごめん、なさい……」
「……分かった。落ち着いてから話してくれればいい。……体が冷えているな、俺の羽織を貸すから、着ておけ。な?」
「……ありがとう、かおる……」
「よし。ともかく帰るぞ、後ろに乗れ」
「うん……ごめんね、薫……」
「何を謝ることがある? 帰ったら、夕飯を温め直すから、その間に風呂に入ってこい、そのままでは風邪を引くぞ」
「うん、うん……ありがと、薫……」

 バイクの後ろにを乗せて、帰路を急ぎながら、……背中越しに、じんわりと涙が染み込んでくる感覚があったのにも、俺は気付いていて。……俺はお前に、何をしてやれるのだろう。何をしてやれたのならば、お前はあの頃みたいに笑ってくれるのだろうかと、俺はそればかりを考えていた。……は、いつでも眩しいくらいに、太陽のように笑う。だが、その微笑みには、愛抱夢とのビーフ以降、陰りが見え始めて、……未だに、それは晴れずに、曇模様をかき消せないまま、お前はいつしか無理矢理に笑うようになった。……だから時折、俺は思うのだ。俺にとってカーラはパートナー、そして、のパートナーはクーラだが、その前提として、カーラとクーラは系列期の相棒同士、という背景がある。切っても切り離せない関係、それは、……例えるならば、俺にとってのなのだと、一体、俺はにどれほど伝えられているのだろうか、と。は俺が、彼女を愛していることを、ちゃんと知っていてくれているのだろうか、と。……杞憂であって欲しいものだが、俺は近頃、そんな不安を覚えるのだった。 inserted by FC2 system


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