夢路から向こうは濁っている

※魔神任務三章六幕時点での執筆。原作への個人的な考察と解釈を多大に含みます。



 ダインと私とは、五百余年の付き合いになる。
 とはいえ、断絶されていた五百年の間には一切の交流がなかったのだから、彼と私との間柄が深いものであると断言するのは些か難しかったけれど、──少なくとも五百年前、私は彼の恋人で、ダインと将来を誓い合った仲だった。
 カーンルイアの宮廷親衛隊“末光の剣”に籍を置いていた彼は白鵠騎士の中でも花形で、隊長である彼を失くして“末光の剣”は──、引いては、白鵠騎士はあり得ないと目されるほどの実力者で、対する私は当時、カーンルイアの国防を担う錬金術師として、王宮に仕えていた。レインドットの弟子であった当時の私もまた、ダインには及ばずともそれなりに将来を期待された存在だったように思う。
 ……カーンルイアで過ごしていたあの頃は、本当に良かった。
 私は我が師を心から敬愛していたし、私が師に対してそのような想いを抱くことを誰も咎めなかった。
 ──あの頃の彼女はまだ、天理の怒りに触れた国家転覆の大罪人ではなかったから。
 きっと、当時は、私も、──ダインも、王宮に仕える騎士や錬金術師、民や王から心より愛されていたのだろうと、そう思う。
 ダインは元より誠実で律儀な男だったから、私との交際を周囲に隠すことも無かったし、きっと彼は私と恋人になったその日から、私との将来についても真剣に考えてくれていたのだろう。

「──今は未だ、指輪の準備は出来ていないが……」

 ダインが改まったようにそう言って、私の髪にインテイワットの花を飾ってくれたあの日のことを、……もしも、五百年の摩耗ですべて忘れてしまえたのなら、それはそれでよかったのかもしれない。
 私はインテイワットの花が好きだったから──私とダインは、カーンルイアの守護者たる事実を誇りに思っていたから、婚儀の前にお互いの非番が被った日にでも、国を象徴するこの花を模した指輪を作りに行こうと、そんな風に話していた。
 国で一番の職人へと相談しに行くか、それとも、少し狡いような気もするけれど、師匠に相談してみるのが良いか、──彼とそう話して笑い合った輝かしい未来は、……結局、私には訪れはしなかったし、指輪を作るどころか、私はあの日以来、ダインに会うことも二度と叶わなかった。
 それからすぐに、師匠──レインドットが作り出した黄金の失敗作、漆黒の魔獣たちにカーンルイアは飲み込まれて、黒日王朝は滅亡。天理は、師匠の引き起こした罪の責任を全てのカーンルイア人に背負わせたのだった。
 天理により、多くの民はヒルチャールやアビスの怪物と化し、難を逃れたひと握りもまた、錬金術による“黒化”の影響によって不死の呪いを受け、──当時、スメールとの国境付近にて耕運機の運用を行っていた白鵠騎士たちは、カーンルイアから突如噴き出した漆黒の魔獣の対処に追われ、国防に駆け付けることも叶わないまま、レインドットが生み出してしまった漆黒の魔獣に触れた彼らもまた、魔獣と同様、黒化現象に襲われて、──そうして、殆どの者たちは自我も擦り切れて、“黒蛇騎士”を名乗る何者かへと成り果ててしまった。

 私は当時、すべての元凶であったレインドットの行方を追い、事態の収束を計ったものの、彼女に追いつくことは出来ず、カーンルイアの民を守ることも出来ず、漆黒の魔獣に襲われた手足が次第に黒化していく様に恐怖しながらも、必死になって白鵠騎士の元に──ダインの元に向かおうとして、……それきり、私は彼にも二度と会えなかった。
 私が国境付近に辿り着いたとき、白鵠騎士たちは既に全身が黒化に侵食され、意識を保つことも儘ならずに、──それでも、彼らの殆どは、かつての国民であったヒルチャールたちを守ろうとするのだった。
 ……しかし、彼らの中に、私の愛していた男の姿は、見つけられなかった。
 ──ダインは、あの戦火の最中で、呪いを受ける前に死んでしまったのだろうか。
 或いは、何処かへと姿を消してしまったのか、……その真相を知ることも叶わないまま、それからの私は、罪滅ぼしのように黒蛇騎士たちと行動を共にするようになった。
 彼らの大半とは、最早言葉さえも通じなかったけれど、辛うじてカーンルイアの民の姿を保っていた私のことを、彼らは仲間だと認識したらしい。
 ……護るべきものが分かりやすい形で残っていたことは、せめて彼らに、安堵を与えることに繋がってくれたのだろうか。
 白き光の下に集っていた彼らが、黒蛇と成り果てたのは、すべてレインドットの研究の所為で、引いては彼女の研究に加担した錬金術師たちすべてにその責任がある。
 ──つまり、彼らから光だけに飽き足らず、親愛なる隊長──ダインの命までもを奪ったのは、私の仕業も同然だった。

 黒日王朝の滅亡後も、カーンルイアという国家自体は細々と存続したものの、魔物や怪物と成り果てた彼らは、二度と国には帰れない。
 行き場を失い彷徨った彼らは、あるとき、層岩巨淵の深部に眠る古代遺跡へと引き寄せられるように、死に場所を求めて吸い込まれていくようになった。
 この遺跡の傍ではどうやら、天理の呪いが弱まるようで、彼らは最期のときをせめて穏やかに過ごすことだけは叶ったらしい。
 黒蛇騎士たちもまた、アビス教団に属さなかった元国民たち──ヒルチャールと化した彼らを守るように層岩巨淵を拠点として彼らを警護していたから、私もそれに倣って、民を守る黒蛇騎士たちを守護するために層岩巨淵の深部、その遺跡の周辺へと防御の術式を張り巡らせたのだった。
 当時、カーンルイアの滅亡を止めることが出来なかった私の術式は、皮肉にも、魔物と化した彼らを守るには十分だったようで、──どうやら私は、あれから五百年もの間、層岩巨淵の奥深くで過ごしていたらしい。

「──層岩巨淵の奥深くに、亡霊が出るらしい」
「……亡霊?」
「……と、旅人から聞いた。ヒルチャールが集まっていく先に、女の幽霊を見た、と……」
「……ダイン、それは……」
「十中八九、貴様のことを言っていたのだろう。……五百年もの間、度々目撃される同一の人影など……当代の人々にとっては、亡霊でなければ仙人か……或いは、神か」

 ──神と間違われるくらいならば、亡霊と呼ばれた方が、幾らかマシだったんじゃないか。
 暗い洞窟にて、焚火を隔てた向かい側に座る男──ダインは、冗談とも本心とも言い切れぬ口調で、そのようなことを宣うのだった。
 ……これが五百年前であれば、彼の最も近くに居た私には、彼の真意が分かったのかもしれないけれど、──今では、それさえも私に知れはしない。
 何しろ私たちは五百年間、一度たりとも再会することが叶わなかった。……ふたりの間にどのような輝かしい過去があったとしても、今の私たちは最早、他人と変わらないのだろう。

 ──てっきり、死んだものとばかり思っていたダインと再会したのは、つい最近の出来事である。
 層岩巨淵の奥深くで、旅人とパイモンを名乗る二人連れと共に、突然、私の目の前に姿を現したダインの顔を見たときには我が目を疑ったし、巡回に出向いていたハールヴダンが慌てた様子で戻ってきたかと思うと、すぐさま私を何処かへと連れ出そうとした際にも、一体何事かと思った。
 ……まさか、ハールヴダンがダインの元に私を連れて行こうとしていたなんて思わなかったから、私も大人しく彼に従ってしまったけれど、……ハールヴダンにそれだけの理性が残っていたことに、私は何よりも驚いたのだった。
 ──ハールヴダンは、私よりもずっと、摩耗や黒化に侵されていたはずだ。
 それでも、五百年を共にする中で碌な会話も儘ならなかった彼は、私が今でもダインを想っていることに、ずっと気付いていたのである。
 ……私自身ですら、ダインには最早、贖罪以外の感情を持ち合わせてなどいないとそう思い込んでいたのに、ハールヴダンには私の心内のすべてが見通されていた。……或いは、他の黒蛇騎士たちも気付いていたのだろうか?
 そう思うと、仮にも“隊長”の代役として彼らを五百年率いた立場としては、情けなく思うところでもあったけれど、……生憎、人は五百年も生きると、些細な恥や外聞などは捨ててしまえるらしい。
 ハールヴダンが死に、霊柩を求めて層岩巨淵に辿り着いた同胞たちを全員看取って、黒蛇騎士たちもすべて見送った後に、私はダインと共に暫くの間、層岩巨淵での療養を余儀なくされて、──それからの私は、奇妙なことに、死別したとばかり思っていたこの男と共に、テイワット大陸を旅しているのだった。

「……、寒くないか?」
「……ええ、少しだけ」
「そうか。……此方に来たらどうだ、それから、これを飲め」
「……これは?」
「モンドの酒だ、幾らか暖まるだろう」
「そう……ありがとう、ダイン」
「ああ」

 焚火を囲んで、少し離れていた距離を咎めるように手招きをするダインに対して、私は多大な負い目があるからこそ、彼に逆らえず大人しくその言葉に従い、ダインの隣へと座り直す。
 私も彼も、黒化に襲われた手足はまるで血も通っていないかのように見えるのに、それでも、こうして寄り添えば幾分か暖かいのだから、不思議なものだ。
 ──ダインは死んだものと思って、彼へと報いるために私が地下で過ごしていた五百年間、……どうやらダインはずっと、地上で私を探し続けていたらしい。
 アビス教団を名乗るようになった元同胞たちの愚行を止めるため、──そして、私を探すために彼は旅をして、……後者に関する目的を、一体いつまではっきり覚えていたのかは、「大抵のことは忘れてしまった」と言い張る彼とまた同様の摩耗に襲われている私には、正確に推測できる筈も無かったけれど、……それでも彼の方は私を探していたというのだから、私には益々、彼への負い目が生まれてしまった。
 層岩巨淵に留まる理由もなくなって、ダインの旅の目的──アビス教団を阻止するということは、レインドットの罪を償うという私の目的にも近い筈だとそう言われて、私は彼と再び行動を共にすることになったものの、……五百年もの間、世俗と離れた暮らしを送っていた私は当代の暮らしに疎く、野営の際でさえもこうしてダインの世話になってばかりいる。
 
 五百年前、確かに私と彼は将来を誓い合って、彼との家庭を持ち、ふたりで幸福になることを夢見ていた。
 ──けれど、将来などという不確かなものがすべて燃えて灰になってしまった今、私と彼は、もはや他人でしかない。
 狭いマントの内側に、他人を招き入れて熱を分け合うこの行為を、──ダインは、気味が悪いと思わないのだろうか。
 或いは、五百年の摩耗は、彼からそのような感傷さえも奪ってしまったのだろうかとそう思う度に、……私は、この罪の重さを再度自覚して、その責任に圧し潰されそうになる。
 ──もしも、もっと早くにダインとで再会できていたのなら、……彼の怒りが今よりも遥かに激しく燃え盛っていた頃に、この首を差し出せたのならば。……あなたは、死ねない私を何度でも殺してくれたのだろうか。
 あの日、あなたが私の髪に飾ってくれたインテイワットの花を五百年、結局手放せずに後生大事にして身に付けていた私はきっと、……今でも未練がましく、あなたを愛しているのだろう。
 ……ああ、黄金への執着で国を滅ぼした師の才覚には、終ぞや私は追い付けなかったというのに、こんな風に執念深い性格ばかりが彼女に似てしまったというのならば、──本当に度し難く、救えない話もあるものだ。


close
inserted by FC2 system