夜からあなたがこぼれないよう

※魔神任務三章六幕時点での執筆。原作への個人的な考察と解釈を多大に含みます。


 俺と彼女とが出会ったのは、もう五百年以上も昔のことになる。
 当時の俺は既に白鵠騎士団に身を置いていたものの、宮廷親衛隊“末光の剣”には未だ配属されておらず、国を離れて任務地に出ていることも少なくはなかったから、一体どの時期から、俺がの存在をはっきりと認識し彼女を意識していたのかまでは、はっきりと思い出せない。
 ──尤も、これは摩耗による記憶の消失なのかも知れずに、忘れてはならない出会いが、確かに其処にはあったのかも知れないが。
 は錬金術師・レインドットの弟子であり、組織に属することはなく己の研究にのみ打ち込んでいた師とは違い、カーンルイアの国民のために自らの術を役立てたいと志願し、宮廷魔術師として王宮に仕えていた。騎士と術師という立場や管轄は違えども、謂わば俺と彼女は同僚だったと言えることだろう。
 朧気になってしまった箇所も少なくはない記憶の中で、されど五百年もの間、彼女の記憶が瞬きを放ち続けていたのは、それほどに俺にとってが眩しい人間で、己は彼女に焦がれていたからこそである。
 俺と彼女は恋人同士で、将来を誓い合った仲で、──あの頃、もうじき俺はと結婚して家庭を持つ筈だった。
 その未来を宮廷の皆が、国民の皆が祝福してくれていたし、──よもや、そのように光り輝く未来が第三者の手によってあっさりと崩されてしまうとは、俺も、そして彼女も、思ってもみなかったことだろう。

 宮廷親衛隊は日頃、王宮の警護に当たることが多く、親衛隊に身を置くようになってからは国内に留まる日が多かったこともあり、と離れて過ごすのは勤務時間くらいのもので、それについても、結局は同じ王宮で過ごしていたのだから、──災厄のあの日は本当に、間が悪かったとしか思えないが、……或いは、レインドットの思惑が一枚噛んでいた可能性も、捨てきれまい。
 その日、俺は珍しくエルミン王の傍を離れており、──その隙に、黒日王朝は滅亡したのだった。
 突如、カーンルイアから噴き出した深淵の怪物を切り伏せながらも、俺は必死に国へと駆け戻ったが、──俺が戻った頃にはすべてが遅く、王宮は燃え盛り、兼ねてより病に伏していた王は息絶え、空とその妹の姿も見当たらず、──そして、の姿もまた、どれほど探しても見つけることが叶わなかった。
 或いは、彼女だけでも戦禍から逃れてはいまいかとスメールとの国境付近まで引き返し、再度彼女を探してもやはり見つからずに、其処には同胞たちの骸が転がるばかりで、……それどころか、怪物と化した連中を、俺は何も知らずに殺してしまった。
 ……あのときに殺したヒルチャールたちが、カーンルイアの国民であるとはっきりと理解したのは、それから少し過ぎた後のことだった。
 
 ──俺が殺したヒルチャールの中に、が居た可能性は?
 俺が、彼女を殺したからこそ、が見つからないという可能性は?
 
 ……そのような自責に圧し潰されるくらいなら、そのまま自ら命を絶ててしまえれば、その方が楽だったのかもしれない。──それでも、結局俺は生きている。
 黒日王朝を滅亡させた原因を追う中で、神と天理への怒りで簒奪の道へと身を堕としたかつての同胞たちは、──空は、アビス教団を名乗りテイワットの各地で、俺たちの滅びなどとは無縁の人間を襲い、戦渦に巻き込む蛮行へと走り続けている。
 それらを見過ごすことも出来ずに、生き残ってしまった俺に残された最後の仕事だと、甘んじてその責務を受け止めて、──そうして、五百年。擦り切れていく日々の中で希望など凡そ見出せはしなかったが、──それでも、あるときに手に入れた真実のひとかけらは、俺にとっての希求であったのだろう。
 あのとき、白鵠騎士の大半は天理の呪いを受けても、ヒルチャールにはならなかった。その代わりに彼らはレインドットの生み出した怪物──アビスにその身を飲まれて、黒蛇騎士を名乗る何者かへと成り果てた。
 俺も、それは同じだ。彼らよりは幾らか理性が残っているというだけで、この身は深淵に蝕まれ既に真っ当な人間とは言えず、指先は黒く染まっている。
 ──ヒルチャールとなったカーンルイア人と、ならなかった者とでは、一体何が違ったのか。
 黒日王朝は滅亡したが、決してすべてのカーンルイア人が滅びた訳ではない。中には黒化にも侵されずに不死の呪いだけを受けた者たちもおり、──彼らは総じて、純血に近いカーンルイアの民だった。
 七国の血を引かない者だけが、天理による魔物化の呪いを跳ね退けて、不死の怪物として彷徨い続けている。国への忠義が高じて騎士に志願した者たちの中には純血の出自が多かったからこそ、彼らの大半はヒルチャールにはならず、不死のその身はアビスの呪いをもって黒蛇騎士へと成り果てたのだ。
 は、純血のカーンルイア人だった。
 ──ならば、彼女は未だ、このテイワットの何処かで生きている。
 ──俺は未だ、彼女だけは失っていないはずなのだと、そう想い信じて、俺は今日までの地獄を生きてきた。

 その推論は、決して確実なものではなかったかもしれない。しかし、俺にとっては確かにそれだけが一縷の希望だった。
 俺はに再会することを望んで、探して、彷徨い続けて、──或いは、あの頃の熱情は既に幾らか摩耗してしまっているのかもしれないが、それでも、……層岩巨淵の最深部、あの遺跡の中で。ハールヴダンに連れられてが俺の前に姿を現した、あのとき。──彼女は決してアビスには堕ちずに、それどころか五百年もの間、俺が離れてしまった白鵠騎士のかつての部下たちを、カーンルイアの民を、俺の代わりに守り続けてくれていたのを知ったとき、──確かに俺は、今でもを愛しているのだと、……いつかは必ず、彼女と共に家に帰りたいと願っていたのだと、そう、思った。

 ハールヴダンを看取った後で、俺もも衰弱しきっていたこともあり、暫くの間はそのままふたりで休息を過ごし、──それからはずっと、ふたりでテイワットを旅している。
 は五百年前のあの日、レインドットの行方を追ったものの取り逃がし、それからはずっと層岩巨淵で黒蛇騎士たちを守りながら過ごしていたのだと、そう話していた。
 ──は、五百年もの間、摩耗に晒されながらも地下深くで、たったひとりきりの戦いを続けていた。
 そんな彼女に俺は心からの敬意を抱いており、……この先は、もう一度ふたりで歩いて行けるのだと思えばこそ、込み上げる安堵も確かにあるのだった。
 俺達の眼前に積み上げられた難題は、未だ何ひとつ解決はしていないが、それでも、──この深淵の奥深くに、今では確かに一筋の光がある。煌々しいこの光はきっと、俺と彼女とを、家路に導いてくれることだろうと、……そう信じて、俺は夜闇を歩き続けよう。


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