愛を容れるための呪い

※ver.4.3時点での執筆。五百年前のカーンルイアに関する捏造、個人的な考察と解釈を多大に含みます。



 俺には自らが悲観的な人間であるという自覚があり、何事においても常に己の境遇を前向きに捉えることなどは叶わない。──そのような煌々しい眩さなど、俺は既に金色の向こう側へと落としてきてしまった。
 されど、確かに俺とて自らの思い描く理想らしきものが宿っていた頃もあったのだ、……尤も、その大半は国家の思想によって根付いていた、第三者の思惑でしかなかったのだろうと、今でこそ、それさえも理解出来ていたが。
 元来、武人として生きていた俺には己が為の欲求や執着と言うものが薄かった。嗜好品なども酒を嗜む程度で特別に舌が肥えていた訳でも、贅沢を覚えていた訳でもなく、分相応に慎ましい生活を送っている人間の部類であったのだろう。
 故に、自らの欲求に従って、欲しい、と。そう望んだものなどは到底多くはなかったが、──恋人のだけは紛れもなく、俺が自身で望んで手に入れた存在だった。

「……、俺と交際して貰えないか」
「……? ええと、それは同僚とか、友人として、今後もこうしてご飯を食べたりしよう、という意味……?」
「いいや、そうではない。男女交際について俺は提案しているつもりだ、……それとも、他に好いている男が居るのか?」
「え、そうではない、けれど……」
「そうか。……ならば、俺を候補に入れて欲しい。色よい返事が貰えると、俺としては助かる」
「……わ、わかった。……いえ、あの、ダイン、……その、私も、実は……」

 ──私も、あなたともう少し親しくなれたらと、そう思っていたから。
 勤務時間を終えた後で、習慣となっている酒場通いに度々を誘うようになり暫く経つ頃、いつも通りに俺の誘いで酒場に連れて来られたは、グラスを前にして唐突に俺が放った提案へと大きな瞳をぱちぱちと何度も瞬かせて、酷く驚いている様子だった。
 しかしながら、その提案に対してが呟いた答えは、控えめな言葉ではあったものの、考える余地もなく即答で言い渡されたその承諾から見るに、……彼女の方も当時、俺を幾らかは気に掛けてくれていたのだろうと、それは自惚れではない筈だと、そう思っている。
 
 と俺とは元々同僚で、宮廷騎士と宮廷魔術師という若干の違いこそはあれど立場が近く、彼女とはそれが理由で始まった友人関係だった。
 常にカーンルイアの民を護る為の術式を研究し続けていた彼女は、剣を振るしか能のない俺にとって尊敬にさえ値する存在で、──光栄なことに、の方も俺に対して似たような想いを抱いてくれたようだ。
 あまり積極的に人付き合いをする方ではない俺が、と話すのは苦にならなかったのは、彼女も俺と似た気質だったからなのだろう。
 常に本や机に向かっている彼女は基本的には至って物静かで、共に酒場を訪れるようになってからも決して俺たちは常に雑談で盛り上がっていた訳でもなかったが、……不思議と、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら酒を酌み交わすあの時間が、俺にとっては何者にも替え難い安らぎだったのだ。
 ──と過ごす時間は心地が良くて、日頃の苦労を忘れられるようで、何時しか彼女との時間は、俺にとってこの上ない休息の時になっていた。
 そんな日々がしばらく続けば、若かった俺は幾らかの傲慢に溺れても居たらしい。──そうして、いつの間にか俺は、自身がにとって最も親しい同僚であるものとばかり思い込んでいたのだ。……彼女が、宮廷魔術師の上官と親しげに話している姿を目撃したその日までは。
 ──それまでの俺は、決してに対してそのような欲を抱いてはいなかった、……否、同僚や友人としての敬意を妄信し、その裏に隠された真実に気付いて居なかっただけなのかもしれないが、──ともかく、俺ではない誰かと親しげに話す彼女を見たその日に、俺は自覚してしまったのだ。──ああ、俺が彼女に向けるこれらは只の友愛などではなく、情欲をも孕んでいたのか、と。
 ──が欲しい、はっきりとそう思ってしまったその日から、俺には今まで知らなかった欲のようなものが芽生えていた。
 ──それまでの俺は、国家にすべてを捧げ騎士としての生涯を終えるというそれ以外の望みなど何ひとつとして持っておらず、戦いの後に一杯の美酒さえがあればそれで満足だったと言うのに。
 彼女と出会い、愛したことで、確かに願ってしまったのだ、──ああ、の傍でだけ得られるこの安らぎを、生涯、どうか俺だけのものにしてしまいたい、と。

 ──それは、青い衝動、若さゆえの理想、だったのだろう。
 五百年前、確かに俺は自らがに相応しい男なのだとそう信じていた。そのつもりで恋人になり、やがては共に暮らし始めて、婚約にも漕ぎ付け、その事実を誰も彼もが祝福してくれたこともあり、俺のような人間でも、その願望を正面から真実として受け止めることが出来たのだ。
 確かに俺は、俺こそがに相応しい伴侶だと、そう信じ願っていた。
 ──だが、今はそうではない。
 今でも俺が彼女を想い、愛していることには変わりがない。……層岩巨淵で再会して以来、は昔と比べると俺に距離を置いているような気はしているが、五百年も離れていればそれも無理はないだろう。
 彼女は間違いなく、今でも俺を好いてくれているはずだ。──そうでなければ、ハールヴダンやヒルチャール達を背に庇って五百年を過ごすほどの苦痛になど、到底耐えられるはずもなく、彼女から傾けられたそれほどの愛を実感しているからこそ、俺はやはりを手放したくはないとそう感じている。
 ──だが、きっと今の俺は、にとって理想の恋人などではないのだろう。
 この剣は既に、彼女の愛する国民を切り裂いた。魂を削ってでも決して民を傷付けずに守り抜いたからすれば俺は、外道に堕ちたも同然の悪鬼であるはずだ。
 ──その上、俺と行動を共にするということは、空を敵に回すということでもある。
 空と俺の旅路には当時、同行してはいない。故に彼女は俺達が決裂した理由さえ知らずに、何も分からないままでかつての友や国民と対峙することを、他でもない俺に強いられて、──それを知っていながらも、苦渋の決断では俺の手を取り、層岩巨淵の外へと出ることを決めたのだった。
 
 俺と共にアビス教団を追うようになってからも、やはりは奴らと対峙するたびに顔を青ざめさせており、──この分では、空と対峙しようものならば、彼女はどうなってしまうことか。……幾ら記憶が擦り切れようが、と空の睦まじさくらいは俺とて覚えている。……今にして思えば、情けないことに俺は当時、年下の少年に向かって確かに妬いていたのだ。それほどに彼女と空は、仲が良かったから。
 しかし、それが分かっているからこそ尚更に、俺はの手を離してやれない。──俺が彼女の手を掴んでいなければ、……きっとは、空に目を付けられる。そしては、空に促されたのなら彼の提案を飲んでしまうことだろう。──俺が見張っていなければ、はアビス教団へと引き入れられてしまうと、それが分かり切っているのだ。
 心優しく民思いで、友人と恋人に情深い彼女だ。俺が繋ぎ止めていなければ、アビス教団と空に利用されるのが関の山だと分かり切っており、──それと同時に、彼女は国民のためならば断腸の思いで俺と対峙することも、きっと成し遂げてしまえるのだろう。
 ──何しろ、五百年の孤独に耐えきった彼女だ。俺とてこの五百年、俗世との関わりを完全に絶っていた訳ではなかったというのに、はそれさえも耐えてしまった。
 彼女の自己犠牲をよく知っているからこそ、──俺とて空を非難なぞは出来ない程に、きっと、の傷口に付け込んで、彼女を繋ぎ止めてしまっている。
 俺は、どうしても彼女と対立したくはないのだ。──或いは、俺が既にを殺してしまったのだろうかと、そればかりを考えては気の狂いそうになる夜を何度も過ごしたからこそ、──それが本当のことになってしまうのは、酷く恐ろしかった。
 何もかもを取り零して、国どころか恋人ひとりを護ることさえ叶わなかった俺には、「俺が貴様を護ってやる」というたった一言さえも契ってやれないから、俺はいつまでもを安心させてやることも出来ずに、──俺の行く先に祝福などが待っている筈もなく、俺はきっと、二度と貴様を幸福にしてやることは出来ないのだろう。
 俺に出来るのは、を道連れに共に深淵深くまで転げ落ちることくらいなのだろうと、それさえも分かり切っていると言うのに、──それでも、五百年の妄執で慕情というこの鎖を手放せずに居る今の俺では、到底、貴様の理想の恋人などは名乗れんのだ。


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