失ったって星さえきみの色なのに

※ver.4.3時点での執筆。五百年前のカーンルイアに関する捏造、個人的な考察と解釈を多大に含みます。



 今にして思えば、私を人間にしてくれたのは他でもないダインだったのだろう。
 とはいえ、何も私は黒土の術で編まれた泥人形でも、白亜の申し子でもなかったし、元より人間として生まれ落ちた極普通のカーンルイア人だ。
 ダインと関わらずとも元来、私が人間であることには変わりがなかったけれど、──それでも、錬金術師や魔術師と言った、真理を探求する学者気質の人々の中で自らも彼らと同じ役職を担っていた私は、──確かに、一般的な人々と比べると、幾らかの人間性は欠如していたはずなのだ。
 その上、祖国カーンルイアは鉄血の国である。他国を侵略することで領土を広げ、それこそが神に背を向けた我々の誉れであるとさえも考えるカーンルイアの国民は、元より幾らか血の気が多く、──それさえも、この国では一般的な価値観として根付いている以上、この国に生まれ育った私とて真っ当な人間性などが芽吹く筈も無かった。
 私は何も善良に生まれ育ったわけではなく、──只、カーンルイアの外で実際に起きている侵略戦争を目の当たりにしたことがなかったから、能天気だったのだという、只のそれだけ。防護の壁を築くことで他国の侵略を退けようと考えたのも、決して私に戦乱の現実が見えていた訳ではなく、私もまたカーンルイアの国民らしく、根拠のない理想に耽溺していたという只それだけの話なのだ。

「──これが、防御壁の術式か」
「そうなの。……この錬成陣を今は王朝を中心に描いているけれど、ゆくゆくは国全体に広げたいと考えていて」
「……ああ」
「そうすれば、今よりも強固な壁が張れるはずなの。今は、王朝に張っている壁を無理矢理引き延ばして、国全体を覆っているような状態で……」
「…………」
「だから、この陣を広げるために本当はもっと人員や予算が、……ダイン?」
「……ああ、どうした?」
「ごめん、退屈だった……? 自分の専門だからって、一方的に喋ってしまったから……」
「いや、退屈という訳ではない。……そうだな、俺には錬金術についての学がないので勝手なことは言えないが……貴様のしていることは立派だと、そう思う」
「……そう、かな」
「ああ。……増えた領地の分、の負担を増やして悪いな。俺からも上に進言したいところだが……俺が申し出ては、個人的な贔屓だと思われるだろう」
「贔屓?」
「ああ。何しろ、俺はを好いているからな……貴様の研究の成果を恋人の欲目と思われては心外だ。……であれば、俺に出来る助力があるとすれば、王族にこの研究内容を発表する機会を……」

 ──机上の空論、それに何の意味があるものかと嘲笑さえ受けていた私の研究を、最初に認めてひとかけらの世辞もない賛辞をくれたのは、他でもないダインだった。
 それまでずっと、カーンルイア全土に強固な防御壁を張り侵攻に備えると言う私の研究は、「そのようなもの、白鵠騎士団が剣を振るうだけで事足りるだろう」と一蹴されていたけれど、──まさしくその最前線で戦うダインだけは、私の理想を賞賛してくれたのだ。
 その術式を考案したときに、果たして私には確固たる理想が備わっていたのかと問われると、──正直なところ、即答は難しい。
 当時の私は、師に教わったことを自分なりに発展させて、宮廷魔術師団という現場で必要性を感じたことを織り交ぜ、そうして、国のためになる仕事をしていたという、只のそれだけだったのかもしれない。
 けれど、他でもないダインが私の術式を「国を大切に思うらしい提案だ、俺は支持する」と、──まるで、それがとても正しくて素晴らしいことであるかのように、優しい声で彼が肯定してくれたからこそ、その計画は何時しか本当の意味で私の夢になって、──私は心の底から、カーンルイアの国民のためを思って奔走するようになったのだと、私はそんな風に思っている。

 私は、ダインの穏やかに笑う仕草が好きだった。彼の優しい声を聞いていると世界中の何処にいるよりも安心したのだ。
 ──ずっと昔に、遠征から騎士団が帰ってきたと聞いて、急いで出迎えに向かおうとしたら、慌てた様子で周囲に止められたことがある。
 まだ外の世界を碌に知らなかった当時の私は、故にカーンルイアを脅かす何かが外に在るものと思い込んでいるのだと言われていたけれど、──実際、当時の私は師や恋人に守られるばかりで、本当に無知だったのだろう。
 私は、──ダインが遠征先で何をしているのかを、まるで分かっていなかった。
 血と鉄で土地を耕す我が国の騎士団が、領地を広げるためにしていることとは一体何なのか、──私は、明確な想像さえも出来ていなかったのだ。

「──ダイン!? その血……怪我してるの!?」
、……落ち着け、これは……」
「すぐに手当てするから! とにかく座って、お願い、死なないで、ダイン……」
「──、これはすべて返り血だ。俺に怪我はないが……部下が軽傷を負っている、そちらの処置を頼めるか」
「え、……ど、何処も痛くないの? 本当に……?」
「ああ。……だが汚れすぎているな、王に謁見し身を清めてから貴様の研究室に行っても良いか、久々にふたりで過ごしたい」
「う、うん……分かった……」
「助かる。では、部下を頼む。……また後程に」
 
 口では、国民を守るためだとそう言いながらも、──実際、外の世界でカーンルイアが他国と対立して何を行っているのか、……書類の上では私だって見知っていた、けれど。
 ──侵略戦争で最前線に立つことも少なくはない恋人が、──ダインが、星の光のうつくしい髪をべっとりと赤く染めて帰ってくるほどに、──この壁の向こうでは、いつだって激しい諍いが起きていて、──それらはすべて、カーンルイアが一方的に仕組んで誘発させているのだと、──皆はそれらも理解できていたからこそ、声を揃えて「カーンルイアに襲い来る敵は居ない」と、私の研究の内容を否定していたのだった。
 その事実をようやく目の当たりにして、──私は、或いは本当に私のやっていることに意味はないんじゃないかと、先程のダインの姿を見て気が動転していたこともあり、そんな風に思ってしまったけれど。彼の部下たちを医務室まで運んで手当を施し、痛み止め代わりの術式を掛けてから工房に戻った頃、ちょうど訪ねてきてくれたダインに向かって、私が思わず思ったままを告げると、──彼は赤から金へと色彩は戻ったものの、まだいくらか湿ったままの髪をさらりと揺らしながら私の淹れたお茶を飲んで、──至極不思議そうに、言葉を零したのだった。

「……何故、そう思うんだ?」
「……ダインが帰ってきたとき、あなたが血まみれで、私、不安で……でも、実際にカーンルイアは襲撃も追撃も受けていないから。……もっと他に、国の為にするべきことがあるのかも、って……騎士団が居れば、私の盾なんて、とても、何の役にも……」
「それは違う。……貴様が国を守ってくれているからこそ、俺達は前線で手荒な真似が出来るんだ。後ろに守るものが多くては、一匹も取り逃せなくなるが……取り逃したところで、カーンルイアには辿り着けないという確証が俺達にはある。……、貴様が防御壁を張ってくれているからだ」
「ダイン……」
「そうでなければ、無茶な追撃や深追いで俺は今日も部下を失くしていたかもしれない。……俺だけではなく部下も、貴様の研究には期待している。今後も、俺達が不在の間は貴様が国を守ってくれると助かる」
「……うん、ありがとう、ダイン……私、頑張るね……」
「ああ、よろしく頼む、
 
 ──あのとき、あなただって遠征帰りで疲れている筈なのに、必死で私を励まそうとしてくれたその優しさが私はどうしようもなく嬉しくて、──ああ、私はあなたのようなひとになりたいと、確かにそう思ったのだ。
 私はダインのように強くて、民と国を護れる立派なひとになりたかった、──あなたの不在時には私が白亜の盾ですべてを護りたかった、──結局、あなたが信頼してくれた私の盾は硝子で出来ていて、悲願を達成することも叶わなかったけれど。
 ──それでも、確かにあの頃、あなたはいつでも私の憧れで、私の目指す星導であったのだ。

「──こいつも、大した情報は持っていなかったか……」
「……そう、だね……」
「……顔色が悪いな、。今日のところはもう、宿屋に戻るか……いや、その前に少し汚れを落とさねば街には戻れんな……」
「……私、その程度なら落としてあげられるよ」
「そうか? なら、頼めるか」
「うん、……少し、屈んでね」
「ああ」

 ──今も昔も、あなたの髪がべっとりと赤く染まっている様は心臓に悪く、平然を装ったところで彼に向かって翳すてのひらがかたかたと小さく震えていることに、──あなたは気付いていないのか、それとも、気付かない振りをしてくれているのかな。
 昔は難しくて出来なかった詠唱破棄も永く生きればすっかり手慣れたもので、すっと指先を動かすだけで簡単に落ちる血の汚れのように、──私の後悔と罪悪感も、過去や罪もすべて洗い流せてしまえたなら良かった。
 けれど、実際にはそんなことは叶わないから、足元で塵になって消えたアビスの使徒──かつてのカーンルイア国民の亡骸からどうにか目を逸らして、傷の無い白い頬さえも容易く侵略する黒い霊脈を、私は自らの罪業として、しっかりと目に焼き付けている。

「──では、街に戻るか」
「うん。酒場、寄っていく?」
「いや……今日はやめておこう。宿でゆっくり貴様と話がしたい」
「……うん」

 ──何度、星の瞳を合わせて話をしても、私には今のダインが考えていることがはっきりと分からなくて、怖い。
 国民を守り領土を広げるために剣を振るっていたあなたが、かつての国民を切り捨てながら顔色のひとつも変えないのは、──決して、あなたが変わってしまったからなんかじゃなくて、あなたが変わらずに優しいままだからなのだと、そう信じたいけれど。……結局はそれさえも私の理想に過ぎないのだということも、今では痛いほどによく分かってしまったから。
 私たちの理想は、既に磨砕され、深淵へと放棄された。──最早、薄い楯の一枚さえも無く、私にはあなたや彼らを護る力も無い。そうして、血を雪ぐことしか叶わなくなった私は、鉄血の国には既に不要な遺物なのでしょう。
 ──であれば、きっとダインにとってもそれは同じなのだと、ちゃんと諦められている筈なのに、──結局、私はこうして、あなたの慈悲に縋ってしまっている。
 断罪は遠く、処罰の時は悠久の果てに在る。ならば私は、せめてあなたの道を共に行くことで罰を受けようとそう決めたと言うのに、私にとってはあなたの隣に居ることそのものが救いで、血と泥に汚れようとダインは私の星である以上は、それだけで一人救われてしまっているのだ。故にきっと、いつか私はあなたよりも深層の地獄へと送られるのだろう。


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