女王陛下の御首級は甘美

 私がガラル地方のチャンピオンになったその時、国中が沸きに沸いて、新チャンピオンの就任を祝福してくれた。新しいチャンピオンは可憐な少女で、パートナーのインテレオンは、女王に仕えるバトラーのようだ、と。チャンピオン・は、彗星の如く現れた天才トレーナー、王たる資質を備えた次代の才能である。彼女こそがこの国を背負って立つ王者である、───その評価が覆ったのは、それからちょうど一年後のこと。

『勝者! チャレンジャー・ダンデ! チャンピオン・、まさかの防衛失敗! 新たなチャンピオンは、ダンデ選手に決まりました!』

 チャンピオン就任から一年後、翌年のジムチャレンジャーに、怒涛の快進撃で勝ち進んでいるトレーナーがいる、とは聞いていた。けれど、私だってこの一年間、鍛錬は欠かさなかったし、ジムリーダーとのエキシビジョンでも負け無しで、はっきり言って自信があったし、昨年度より実力をつけていると自負していた。自分のことも、パートナーのことも信じていて、純粋に私では一歩及ばなかったのだ、ダンデに。インテレオンとリザードン、相性不利を覆すほどの実力を見せつけた彼に、私の砂の城はあっさり吹き飛ばされて、昨日まで女王と持て囃してきた人たちから掌を返された私は、任期一年で破れ去った最弱のチャンピオン、というレッテルを貼られ、───それから、もう十年になる。十年間、玉座を護ったダンデという絶対王者の存在感に、最弱の女王はとっくに塗り潰されて、もう、誰の記憶にも残ってすらいない。過去の人間、にすら私はなれなかったのだ。
 チャンピオンを退いてから、最初の数ヶ月は、メディアに追われもした。けれど、それもすぐに落ち着いて、取材から逃げてワイルドエリアに避難している間に、大衆の関心はすっかりダンデに移っていて、恐る恐るとガラルに戻ってきた私を、最早誰一人として、待ってさえいなくて。流石に、シュートシティや故郷に戻ろうとは思えなかったけれど、アラベスクタウンの奥地に小さな家を買って、其処に引っ込んでしまえば、もう誰も、私を追ってこようとなんてしなかった。……そうして、誰にも追われず、思い出されることさえも無く、十年。トレーナーとしての再起、チャンピオンカップへのリベンジなどはとうに諦めて、それでも結局、ポケモンとトレーナーに携わることは、やめられなかった。いっそのこと、他地方にでも飛んでしまえば良いのかな、とさえも何度も思ったけれど、誰も私を追ってくるわけでもないのに、玉座から転落して尚、逃げるなんて。いくらなんでも、プライドが許さなかった。私のなけなしの矜持など、とっくにあの獅子に噛み砕かれて、ぼろぼろになってしまった、けれど。───それでも、私にだって、譲れないことはあった。
 ポケモンを育てることも、戦うことも、大好きだった。だから、アラベスクタウンという、ルミナスメイズに隔たれて閉鎖された空間でなら、やりたいことができる気がしたのかもしれない。最初の頃こそは、変装しようが名を偽ろうが、あれって元チャンピオンじゃない? という好機の目は、幾らか向けられていたけれど、子供向けのスクールを開講して、トレーナーとしてのいろはを指導しているうちに、皆は元女王なんてこれっぽっちの価値もない誰かよりも、目の前の先生を見るようになって。それが、果たして良いことだったのか、と問われたなら、正直、私にはその是非は分からない。自分が死ぬ気で辿り着きたかった玉座を、自分自身で無かったことにしているに過ぎないんじゃないか、とも何度も思ったが、結局は此処で、トレーナーズスクールの講師をしている。今では生徒たちから「せんせー昔チャンピオンだったって本当?」「うそだあ、せんせーダンデより弱いもん」なんて言われても、笑って頭を撫でて、それで終わりにしてしまえる。……そうだ、全ては過去のことで、誰にも信じられない、嘘みたいな話。私がチャンピオンだった、なんて、きっと夢だったのだ、それは、悪夢だったのかもしれないけれど。だって、私はダンデより弱くて、あの獅子に勝てる要素どころか、竜にも勇者にもなれなくて、王なんて器じゃなくて、私はきっと、只のひと、だった。誰に影響も与えられない、夢も見せてあげられない、女王なんかじゃ、ない。只の、つまらないひと、だったのに。

「あの頃、キミはオレの英雄だったんだ。オレと歳も変わらない子が、チャンピオンになって、負けていられないと思った。キミに追い付きたくて、オレは旅に出たんだぜ、!」

 ───それなのに、十年ぶりに会った旧敵は、断頭台で刎ねられた首元を気にする風でもなく、明るく笑って、私に言うのだ。

「……十年間、キミを忘れた日は、一日たりともなかった。それなのに、キミから奪った玉座を、護り通せなくてすまない」

 ……何を言っているんだ、この男は。一体、私が、どんな気持ちで、どんな葛藤を抱えてこの十年を、惨めに、劣等感に苛まれて、そのきんいろのひとみに、怯えて、過ごしてきたことか。おまえは、知らないくせに。十年間思い続けたのは自分も同じだ、と。……そう、言ったのか、この男は。誰からも忘れられた、私を。その首を刎ねた張本人、───ダンデだけが。……記憶していたと、そう、おまえは言うのか。

「……マントは、もう着ないのね」
「……ああ、キミから受け継いだものだったが、次の子に託した。そう思えば、少し惜しかったが」
「……私には、あのマントは似合わなかった」
「まさか! オレはキミの背中に憧れて旅に出たのに」
「……そんなこと、一度も言わなかったじゃない」
「言う間もなく、キミは消えてしまったからな」

 十年間、会うことがなかったのは、私が表舞台に出ていかなかったからで、ダンデが表舞台から降りられなかったから。その後者が覆った今、私の所在を突き止めて、この男は私の元へと現れた。乗馬服を模した赤い装束が、今尚も燃え盛る彼の内面を表している気がして、赤いマントが似合わなかった私への当てつけのような気がした。そして、私の身体は、彼と対峙しながら、……ちりちりと、私の中でとうに燃え尽きたものだとばかり思っていた燎火が、じわじわ、じわじわ、燃え広がる感覚を、指先から思い出していたのだ。

「……今日は、キミに渡したいものがあって、会いに来た」

 そう言って、差し出されたのは、一通の招待状。あの日以来、誰からも招待なんて届かなかった、私に向かって差し出されたそれを反射的に、奪い取るように手に掴んでしまった。ごうごう、ごうごう、心臓が燃えるように、あつい。真っ直ぐな目で射抜かれて、私は、封筒を切る。やがて、手紙の中身を読み終えて、目の前に立つダンデを見上げると、不敵に笑う彼は、徐に白い手袋を脱いで、───私に向かってそれを、投げつけてきた。

「あの日の続きをしようぜ、。バトルタワーに来てくれ、……もうお互いに、失うものは何もないだろ?」

 お前が、それを言うのか。私から全てを奪い取った、お前が。めらめら燃える業火に身を焼かれる感覚があった。受け取った手袋と手紙を、ダンデの顔に向かって、纏めて投げ返すと、器用にキャッチしたダンデは、心底嬉しそうに、笑うのだ。オレの挑戦を受けるんだな、と。ぎらついた瞳が私を射る。───殺してやる。そう、思えるまでに、十年掛かって、そう思えた頃には、チャンピオン・ダンデは殺されてしまっていたのだ。私はダンデを殺したかったのか、ダンデが死ぬのを待っていたのか、そのどちらなのか、分からないが。オレはきみをもう一度殺したいと思っていたぜ、。そう言って、眩しすぎて一片の光も見えない瞳で、彼は尚も、笑うのである。死なば諸共、死人となりて最早、何も恐るるに足らず、と。 inserted by FC2 system


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