この世でいちばん昏い星

 ───私が、ダンデのいるガラルに残った理由。それもすべては、ダンデから逃げる自分を許せなかったからだった。そう、ただのそれだけだったのに、それだけの理由で残ってしまった私には当然、逆説的に言えば、ダンデからの挑戦状を受け取らないという選択肢がない。何度叩きのめされて、プライドをズタズタに踏みにじられたとしても、一度逃げないと決めてしまったからには、もう今更、私は私が、あの男から逃げることなど、許せなかった。

「───でもね、私はあなたと戦うの、嫌いよ。ダンデ」
「そうなのか? オレはキミと戦うのが好きだぜ、! キミのバトルは洗練されていて、戦い甲斐がある。何よりオレは、キミを叩き潰すのが好きだ! さあ、もう一度バトルしよう、オレは本気のキミをもう一度叩きのめしたいんだ!」
「……だから、嫌いなのよ!」

 そりゃあ、勝てれば楽しいでしょう。勝てば官軍、負ければ賊軍、ダンデはずっと官軍で私は賊軍だったのだ、この十年、ずっと。十年間、玉座を護り続けたダンデの気持ちなんて、私には分からない。たった一瞬持て囃されただけの私も、十年間スポットライトの真下に立ち続けたダンデも、たった一度の敗北で全てを失ったという点に置いては、一緒だったかも知れないけれど。次の目標に向かって歩き出せたこの男の気持ちなんて、私にはわからないし、成熟した大人ではなく右も左も分からぬ少女の頃に、世界から放り出された私の気持ちだって、ダンデには分からない。人と人とはバトルを通して、分かち合えるものもあるのかもしれないけれど、それでも。私とダンデはずっと平行線だ、───でも、分かり合う必要なんてない。只おまえと傷つけ合いたいという、それだけでいい。そのくらいシンプルなほうが、いっそ気が楽だった。

「……こんなものか! 、正直落胆したぜ! 十年間、この日を待ち望んでいたのにな……オレは、キミの実力を見誤っていたようだ」

 バトルタワーに初めて出向いた日、私はダンデに惨敗した。前哨戦のトレーナー達を難なく倒せる程度には、鍛錬も怠っていなかったのに、それでも、まるで歯が立たなかった。自分が挑戦者側に立たされて、初めて。純粋に、この男に負けたことを悔しいと思った。私を蹴落としたこと、玉座を奪われたことへの屈辱なんかよりも、ずっと、もっと、単純に、ダンデの首を取れなかった現実に、他でもない自分自身に。私は、腹を立てていたのだ。

「……っ、次は、私が勝つ! 首を洗って待っていなさい、ダンデ!」

 マスターランクまで昇格しても、その捨て台詞は、負け惜しみのままだった、けれど。何回、何十回と繰り返したバトルの末に、───私のインテレオンは、ダンデのリザードンのその翼を撃ち抜いた。たった二人のスタジアム、観客も誰も居ない、殺し合いの舞台で、ようやく私の剣が、ダンデの心臓を刺し貫いた日。……ダンデは、笑っていた。恍惚としたきんいろの瞳を蜂蜜のようにとろんと溶かして、それから、ぎらぎらと獰猛に、目を見開いて。心底嬉しくてたまらない、と言った素振りで、あの男は笑ったのだ。3vs3のバトル、私の手持ちはインテレオンだけが残って、ダンデの場に戦えるポケモンはいない。───十年越しだ、私は確かに、ダンデに勝ったのだ。

「……落胆したわ、ダンデ! あなた、この程度だったのね。がっかりしたわ」

 十年越しに突き付けてやった台詞は、違和感のかけらも伴わずに唇から滑り落ちた。獰猛に私を射る獅子の目が、乱れた前髪から覗いている。それは、私が十年間、怯え続けた目だ。その目に、悔しげに愉しげに見詰められると、背筋がぞくぞくする。今度はお前が私に怯える番だと、高らかに謳い出したい気分だった。

「……次は、オレが勝つぜ、! 首を洗って待っていろよ!」

 ───それ以来、私はずっと、バトルタワーに通い詰めている。今一度、バトルに打ち込み始めたからか、生徒たちにも今まで以上に教えられることが増え、バトルタワーに通っていることも、生徒たちが応援してくれていて、なんだかこんなのは随分と久しぶりだったから、酷く擽ったかったけれど、背を押されることで、声援を受けることで出る力が、確かに存在することを、この日々は私に思い出させてくれた。だが、バトルタワーのスタジアムでは、所詮一人。傍らにはポケモンがいて、目の前には宿敵が居るという、只のそれだけしか存在していない。戦って、戦って、戦って。正直言って、まだまだ負け越しているけれど、それでも、勝てている。一度でも勝利の味を覚えると、人は途端に勝利に貪欲になるから、嘘みたいな話だけれど、最近は私も、ダンデと戦うのが楽しいのだ。……まあ、自分が勝てた場合の話、だけれど。

「キミの目は、オレと対峙するとき爛々と輝いて、まるで宝石のよう、燃え落ちる星のようで、どうしようもなく惹きつけられるんだ。ああ、なんて綺麗なんだ、やはりこの瞳に見詰められるのが好きだと思う。……だからオレは、キミを正面から叩き潰すのが大好きなんだぜ」

 時と場合が違ったなら、それは愛の告白だったのかもね、なんて、馬鹿らしくも思ったことがある。実際、私はダンデにそんな甘さを求めても望んでもいなくて、ダンデだってそれは然りだろう、と。そう、思っていた。この男は、私を叩きのめすのが好きなだけだし、私もダンデを叩きのめすのが好きで、私たちは戦友ですらない、只、殺し合いを望んでいるだけの間柄だ、と。そう、思っていたのだ。───その日、試合後の高揚感に浮かされたダンデに、唐突に腕を引かれ、興奮しきった彼に唇を塞がれるまでは。いきなり身体を引っ張られてバランスを崩し、ダンデ、と抗議を込めて怒声混じりに呼ぼうとした名前は、遮られ、厚い唇に吸い込まれてしまった。ひどくあつくて、少しだけかさついたダンデの唇で無理矢理に押し付けられた口付けは本当に乱暴で、私の都合なんて、何も考えてはいなくて。こいつは、こうして暴力的に私を蹂躙することで、今日の勝者は自分だと徹底的に分からせようとしているのだ、と。そう、思った。

「……ッ、バッカじゃないの!? 何を血迷ってんのよ!?
「ん? 何ってキスだが……キミとは既に、散々似たようなことしてきただろ?」
「はあ……?」

 長くてしつこいキス、なんて可愛らしい響きが余りにも似つかわしくないその暴力から開放され、思いっきり突き飛ばそうとした体幹はびくともしなくて、それに腹を立てて、横っ面をひっ叩いてやろうと手を挙げたのに、それすらあっさりと受け止められてしまった。そのしつこさに頭にきて、容赦なく噛んでやったからか、唇を伝う血を、ぺろり、と赤い舌が舐め取っていて、───その瞬間、全身がぞっ、とした。何かに気付いてしまいそうだった、だめだ、見るな、気付かなかったことにしろ、と本能が必死に告げている。脳裏で、サイレンの音が聞こえていた。

「……なあ、オレ達はとうに、もっとすごいことをした仲じゃないか。今更何を言うんだ? 

 ……ダンデにとって私は、十年間忘れられず、草の根を分けても会いたいと探し続けた相手で、十年前も、私に会う為にダンデは地元を飛び出したのだという。ああ、分かりたくなかっただけで、本当は分かっていたのだ。形はどうあれ、そんなものは、恋以外の何物でもないだろう、と。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system