終着の地獄をゆるさない

 私がバトルタワーに通うようになってから、暫く経つ。まあ、その間にダンデと色々あったのだが、結局私は、ダンデとの間に出来てしまった精神的なあれこれの問題よりも、ダンデを叩き潰したいという本能的な欲求に従い、あれやこれやを無かったことにしてしまっている。……無かったこと、にしてはいけないのかもしれない。でも、何度考えても私にはダンデの真意などは分からなくて、考えれば考えるほど、私をからかって遊んでいるだけに過ぎないのではないか、とさえも思ってしまって。───まあ、ダンデという男がそんな風に女をオモチャにすることに悦楽を覚えるような男かと言えば、誰だって分かる。そんなものは否だ、と。だから多分、そういうことだ、残念ながら本気なのだ、あの男は、───ということにも、本当は気付いていて、気が付かないふりをしているという、それだけのこと。気付かないふりをしたいというよりも、気付いたところでどうしたらいいのかが分からないのだ、私は。だって私は、ダンデなんか好きじゃない。そんなの当たり前だろう、私を蹴落とし、玉座をかっさらって、今尚私に勝ち越すあの男をどうしたら好きになれるというのだろうか。十年前から好きだった、と。そんな真意を打ち明けられたところで、私はもう。ダンデなんて大嫌いで、おまえを打ちのめしたい、叩き潰したいという欲求だけが私の足をバトルタワーへと向かわせているというのに、その事実こそを、私があの男の求愛に応えている証拠だと向こうは解釈しているのだから、たまったものではないのだけれど。

 私がバトルタワーへと通うようになり、やがてはダンデから勝ち星を掴み取るようにさえなり、それなりに良い勝負を繰り広げるようになった頃から、ガラルのメディアは突然思い出したかのように、私のことを取り沙汰すようになっていた。消えた女王、不死鳥のごとく舞い戻る、なんて、いかにも三流ゴシップ映えしそうなキャッチコピーで、十年前に自ら追いかけることを放棄した私の足取りを、今更必死で追って。……お陰で、アラベスクタウンに構えた自宅には取材陣が押しかけて、ここ暫くは自宅に一切帰れていない。シュートシティ、ロンド・ロゼに取った部屋への滞在を余儀なくされてから、既に三週間ほどになるのだろうか。当初こそは、隙を見て自宅に帰るつもりだったものの、マスコミが押し掛けたせいで、今まで私の正体を知らなかったり、信じていなかった人達にも全てが露見してしまった。……正直、もう、潮時なのかも知れない、と思っている。この状態がいつ落ち着くのかは分からない、私がバトルタワーへの挑戦から引き上げたなら、またすぐに民衆は私のことなど忘れるのだとは思う。元の生活に戻りたければ、まずは私が元に戻ればいいという、それだけの話なのだけれど、それだけのことが今となってはこんなにも難しい。実際問題、今の私は、ダンデとの勝負に取り憑かれてしまっているのだ。残りの人生は、教師として消費して静かに生きていこうと、そう思っていた。マスコミに追われる日々なんて、もう二度と御免だと思っていたのに。そんな日々と引き換えになってもいいとさえ思った、どうせ全てを失った身だ、二度失おうと前回の喪失感を上回ることなんてないのだから、今は、只。ダンデと、戦っていたい、と。───私は、そう思ってしまったのだ。

「うーん……どうしたものか……」
「何? あなたがバトル以外で頭使うなんて珍しいじゃない、ダンデ。どうかしたの?」
「ああ……バトルタワーの景品で、ミントを提供しているだろう?」
「え? え、ええ、そうね」
「ミントがどうやら、世間に誤解されているようで、なかなか浸透しないんだ。ポケモンに有害なんじゃないか、と勘ぐる人間が多くてな……」
「……ああ、なるほどね」
「あれは、一度使ったことがあるトレーナーなら、ポケモンの性格を改変する効果なんてないし、従来の強化薬よりもずっと、ポケモンの身体への負担が少ないアイテムだと、分かってもらえる筈なんだが……」
「……つまり、手の届く人間が少ないから、誤解されているということ?」
「そう! その通りだぜ! ……どうしたら、それが誤解だと分かってもらえるのか、オレには分からなくてな……」

 その日のダンデは、何処となく上の空で、まあ、バトル自体は腹立たしいくらいにいつも通りだったものの、何かに思い悩んでいる様子だった。飽くまでも私の知っている範囲に過ぎないけれど、ダンデという男は、あまりそういった苦悩を表に出さない人間だと思っていたから、つい問いかけてしまったのだ。ダンデが何に悩もうが、私の知ったことではないはずなのに。寧ろ、気苦労が多いほうが、私が付け入る隙だって増えるだろうに、腐っても教育者だからだろうか、そして、教育者だからこそ、ダンデの悩みに私は答える術を持ってしまっていたのである。
 バトルタワーの景品は、どうしたってバトルタワーで勝ち抜ける実力者にしか手が届かない品物だ。ガラルみんなで強くなりたい、というダンデの掲げた目標のためにも、更なる力を手に入れられるアイテムを、バトルタワーでは各種取り揃えており、実際、バトルタワーの常連はそういったアイテムを重宝している。此処に通うトレーナーは大抵、何をどうすれば、ポケモンの実力を引き出してあげられるか、ということを知っていて、例えば薬だったり、道具だったりを進んで使っている。だが、そういった高みに未だ到達していない、一般的な人々からすれば、私たちのやっていることはポケモンへの虐待と大差がない、と誤解されても可笑しくない行為である、という側面があるのもまた、事実だった。実際には、勿論そんな事実はない。薬品だって、言ってみればサプリメントのようなものだし、ポケモンが本来持つステータスだけを見ることに関しては、上位トレーナーの間でも長年問題視されてきたから、今では、先天的なステータスを、後天的に向上させる特訓が重宝されるようになったりと、何よりも好きなポケモンと共に何処までも強くなる、と言った方向に、トレーナーの考え方はシフトしてきている。そんな意識変化に伴って、注目され始めたのがミントというアイテムだった。ポケモンは従来、その個体の性格によって伸びやすい能力値というものが決まっており、このミントをポケモンに与えることで、その能力値を変化させることが出来る。有機栽培で繁殖させたミントは、ポケモンの身体にも負担が掛からない、画期的なアイテムなのだが、――残念ながらそういった実情は、外からは見えないものだ。能力値を変化させるだけのミントは、性格ごと改変する道具だという誤解が多大に広まっているのが現実で、バトルタワーがポケモン虐待を推進している、なんてゴシップ誌に書かれたことで、ダンデは悩んでいるらしかった。

「はっきり言って、ダンデのマーケティングが下手。としか言いようがないわね」
「う……それは、オレも分かっているんだが……具体的にどうすればいいのかが分からなくてな……」
「大衆に問題の論点をずらされているのよ、ミントそのものが虐待促進だと思いこんでいる。というか、ゴシップ誌が持ち上げるには格好のネタをあなたが自ら提供しているのよ、ダンデ。連中、いくらでも粗を探そうとするわよ。あなたのスキャンダルなんて相当伸びるもの、自覚が足りないんじゃないの?」
「……返す言葉もないぜ。さすが、追い回された人間の言う言葉は、重みがあるな……」
「それは一言余計だけど。でも、このミントの存在で、一体どれだけのポケモンが捨てられて、路頭に迷うことがなくなると思う?」
「!」
「実際、強さだけを求めてポケモンを顧みないトレーナーは居るし、私達トレーナーが責任を持ってその現状を変えていかなきゃいけない。幼い頃から教育すれば、正しいトレーナーになるかもしれない。でも、大人に関してはそうもいかないから、説得するよりも単純に、際限のない孵化作業を、そのまま時短できる手段を提示したほうが効率が良い」
「…………」
「ミントの最大の利点は、其処にあると私は思ってる。長い目で見れば、巡り巡って、必ず全体の意識改革に繋がるはずなのよ。そういった側面からアピールして、性格を書き換える効果はないことも、もっと全面に出して……商品名が分かりづらいのもあるわね、だったら説明書きを……ちょっと、ダンデ? 聞いてる?」
「あ、ああ。聞いているぜ……」
「……何よ?」
「否……只、驚いてしまってな。キミは、本当に教育者なんだなと……」
「……なにそれ?」
「オレよりずっと、具体的にトレーナーとポケモンとのことを考えているんだな、キミは。……やはりオレは、今でもトレーナーとしてのキミを尊敬するぜ、

 ――この男は、何を言っているのだろう、と思った。馬鹿にしているのかとか、煽られているのか、だとか、そんな風にも一瞬考えたけれど、恐ろしく澄んだ目が私を見詰めていて、そんな疑念はあっさりと吹き飛んでしまう。なんて顔を、するんだ。常日頃はあんなにも獰猛な捕食者の眼で私を射殺しておきながら、唐突に穏やかな光でこちらを見据えてくるものだから、動揺するなという方が、無理だ、そんなの。

「なあ、
「……なに?」
「キミ、バトルタワーに来る気はないか」
「は? こうして来てやってるじゃない」
「そうではないんだ、此処ではオレが支配人として昇格戦の大将役を勤めているだろう? だが、他の地方のバトルタワーではそうではなくて、複数のリーダー役がいるそうだ、様々な称号があって、タワータイクーンだとか、バトルレジェンドだとか…」
「……それで?」
「バトルクイーン、なんてどうだろうか。オレから贈る、キミの称号だ」
「……あなたの情けで私に、女王に返り咲けって? ……冗談じゃない」

 ひりひりと、喉が痛かった。上手く、声が出なくて、なけなしのプライドが全力でその提案を拒んでいる。ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! おまえは、わたしに。お前から全てを奪われた挙げ句に、お前から全てを与えられる存在になれと、そう言うのか。反吐が出る、……それ、なのに。どうして、なんて、酷い愚問だ。只、私は、あの日々を経てはじめて、自分じゃない誰かに、居場所を与えられたことに。或いは、意味のない日々に確かにこの男が意義を作り出したのだという、その事実そのものに。

「違うぜ、。オレがキミの助けを必要としているんだ」
「言葉を言い換えたところで、結果は何も……」
「それに、毎日一緒なら、毎日キミと戦えるだろ」
「……は?」
「勿論、教師をやめろというつもりはないぜ。それがキミの夢ならオレは邪魔しない。だが、オレの夢を叶えられるのはキミだけなんだ。だから、オレの夢も叶えてくれ」
「……随分と、勝手な言い分ね?」
「ああ、勝手だとも。勝手を承知の上で言わせて貰うぜ。……此処で今一度、オレの女王になってくれないか、

 どうか、どうかと紡がれた言葉の謙虚ぶりとは裏腹に、その表情は酷く自信に満ちて、断るはずがないよな? と言外の圧力を持って、金色の瞳は私を見つめていた。

「……待遇は? 言っておくけど、薄給じゃ私は動かないわよ」
「安心してくれ、高給を保証するし、ウチで扱っている景品も好きなだけ使ってもらっていい。必要であれば、シュートに自宅も用意しよう。悪い話じゃないだろ?」
「……面倒な仕事、押し付けないでよね。まあ、さっきみたいな相談くらいなら、聞くけど。貴方、こういうの向いてないみたいだし」
「! ああ! よろしく頼むぜ、!」

 どうしてその提案に頷いてしまったのか、なんて。……魔が差した、としかいいようがないのだけれど、どんなに厚遇だろうと、断ろうと思えば断れたはずなのだ。というよりも、以前の私なら間違いなく断っていた。憎き仇敵の巣で一緒に仕事をするとか普通に無理だし、そんなことになれば間違いなくメディアに晒し上げられて、以前の生活には戻れなくなる。普通に無理だ、……無理、なのだが。恐ろしくも、その時の私には、その選択肢が、病的なまでに魅力的な提案に映ってしまったのだ。ダンデと毎日、殺し合える、なんて。願ったり叶ったりじゃないか、と。――そう、思ったのは間違いだったのだと気付くのは、バトルタワー就任当日、シュートに用意された新居へと荷物を運び込んだ後のこと。

「……ちょっと、ダンデ。此処、社宅なのよね? どうして既に荷物があるの? 前の住人が置いていったの? 今日から私が此処で暮らすんだし、早く処分してよね」
「ん? 違うぜ、あれはオレの私物だ」
「……? は? どうして?」
「どうして、って。此処はオレの家だからな」
「……は?」
「ひとまず、キミの荷物は向こうの部屋だな。要り用のものがあれば後から買いに出よう」
「ちょ、……っと、待って、此処、社宅よね? 私に用意された家でしょ? 社宅でしょ?」
「いや? オレの家だぜ?」
「……ダンデ、私の家を用意するって言ったじゃない?」
「ああ、オレの家に越してきたらいいと思ったんだが、何か問題でもあったか? 部屋も余っているし、丁度いいだろう? 一人で暮らすには広すぎるんだ、この家」

 ───毎日戦っていられるだなんて、冗談じゃない。それどころじゃなく、24時間、殴り合って生活するとか、有り得ないでしょ、と。思いっきり殴りかかった拳はあっさり受け止められて、生身の喧嘩はあまり強くないんだな、女性らしくて良いと思うが。なんて、きっと本当に、そのままの意味しか込められていない言葉を剣呑に言ってみせるものだから。ノールックで放った二発目も見事に受け止められて、突き飛ばすことも出来ずに抱き留められてしまって、馬鹿じゃないの、私。結局、全部、この男の筋書き通りに踊っていただけじゃない、私。ほんとうに、ばかだわ。

「……嗚呼、これでようやくオレだけのキミになったな、王妃様」 inserted by FC2 system


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