命をほどく、日々を縫う

 子供の頃、家族に連れられてイギリス旅行へと行ったことがある。それも、もうずっと昔のことだから、何処で何を見て何を食べて何に感動したのかなんてよく覚えていないけれど、それでもひとつだけ、確かに覚えていることがあって、……それは。

『──きみ、日本人?』

 現地で家族とはぐれて、地図も英語も読めずに途方に暮れていた私に、話かけてくれたひとがいたこと、だった。……私と同じくらいか、少し年上くらいの男の子、だったと思う。流暢な日本語で私に話しかけてくれたのは、日本人だからだったのか、よほど語学に精通していたからなのかは、よく分からない。「日本から来たの?」「保護者は?」「はぐれたの?」「どっちから来たのか分かるか?」「ホテルはどのあたりか分からない?」「両親は何処に向かうって言ってた?」その少年がびっくりするほど冷静で的確な質問を私に投げ渡してくるものだから、混乱して泣きじゃくっていた私も、次第に彼に気圧されたのか冷静になってきて、ひとつひとつ、自分に答えられる範囲で彼の質問に答えていったのだ。

『……そっか、よし、分かった』
『ほ、ほんとう?』
『うん。恐らくこっちに歩いていけばきみの両親が取った宿がある。宿まで向かって、フロントできみの両親に連絡を取ってもらおう』
『で、でも、わたしえいご、しゃべれない……』
『大丈夫、僕が代わりに話してあげるよ』
『! あ、ありがとう……』
『……そうだ、きみ、名前は?』
『あ、あの、わたし、、っていうの。あなたは……?』
『僕は、────』

 ──あの子の名前は、何と言ったのだっけ。ホテルまで送ってくれたあの子に手を引かれてドアを潜ると、丁度カウンターで、娘が迷子に、と拙い英語でホテルマンに訴えている両親がそこに居て。それで私は、別れ際にあの子にまた会いたいと言ったら、彼は手紙を送ると約束してくれて、私は彼に住所を教えて、それで、──それで、ずっと彼からの手紙を待ち続けたけれど、結局その後、たったの一度もあの子からの手紙は届かなかった。──どうして、だろう。また会いたい。友達になりたい、なんて。私の独りよがりに過ぎなかったからなのかな。あの子にとっては私なんて、あのときに出会っただけの相手に過ぎなかったからなのかな、って。そう、思ってはときどき彼のことを考えて、そうして中学生まで成長したのだけれど。

『……え、高嶺くんのお父さん、イギリスにいるの……?』
『ああ。イギリスで大学教授をしててさ』
『じゃ、じゃあ、高嶺くんも子供の頃から、イギリスよく行ってたり?』
『ん? まあときどきは……それがどうかしたのか、?』
『え、あの、な、なんでもないの……!』

 中学二年生の春、私は魔物の子と出会い、王を巡る戦いの当事者のひとりになった。同級生の高嶺くんも、私と同じく魔本のパートナーとしてこの戦いに参加していて、お互いのパートナーが志を同じくしていたこともあって、私と高嶺くんは長らく共闘関係にある。そんな高嶺くんと過ごすうちに、私は彼がイギリスに縁を持つひとなのだと知って、……語学も万能な天才肌の高嶺くんは、もしかしたら、……あのとき、私を助けてくれた男の子なんじゃないかと、私はそう思ってしまったのだ。……だって、この戦いを通して知った彼の人柄ならばきっと、困っている誰かを見過ごさない。……きっとそうだ、あれは高嶺くんだったんだ、というその考えに自分の願望が含まれていることには、ちゃんと気づいていた。……だって、あの子はきっと、私にとって初恋の相手だったから。私が恋をした相手が、高嶺くんだったなら、って。……そんな風に、願ってしまっていたのだ、私。

「──久しぶりだな、
「え? っと……、そう、だね? デュフォーとはファウードで助けてもらったのが最後だから、あれから結構経ったし、久しぶり……」
「違う」
「……? 違う、って……?」
「……幼少期に、イギリスで一度お前に会っている」
「……え」
「……覚えていないか?」
「……え!? あ、あれ、デュフォーだったの……!?」
「……オレは、お前に名前を伝えたと思ったが」
「だ、だって! 手紙くれなかったでしょ!? わかんないよ、そんなの、名前だって私は口頭でしか……」

 ──デュフォー。ガッシュの兄であるゼオンの元パートナーで、ファウードの戦いでは私たちの敵だったひと。……でも、ガッシュに破られたゼオンがすべてを託したことで、私たちの脱出に協力してくれたひとで、……クリアとの戦いに瀕して、クリアに敵対するすべての魔物の子とパートナーのコーチ役を買って出てくれたひと。……高嶺くんと同じ、“アンサートーカー”の能力者で、……訓練されて磨き抜かれたからと言っても、高嶺くんより遥かに上の精度の能力を持つひと。……ティオが、ヨーロッパでゼオンとパートナーを見かけたと言っていたし、ガッシュはイギリスの森でゼオンに記憶を焼かれたと言っていたし、……そういえば、彼もまた、イギリスに縁を持っていたとしても何らおかしくないのだと、馬鹿な私は、その言葉で今更気付いた。もしも、幼少期の頃から彼に能力の兆しが見られたのだとすれば、あんなにも拙いヒントで、私を両親の元まで送り届けられたことにも納得が行く。……でも、なんで、どうして。一度は、敵対したのに。この口ぶりからすると、敵対していた間もデュフォーは私を覚えていたみたい、だし。それは、“分かっていたけれど私と戦っても平気だったから”、私と敵対出来たということなんじゃないのかと言いかけて、それから私は、思い出してしまった。

『──逃げるのか、

 ──ファウードで邂逅を果たす以前に、一度だけ、……私はゼオンとデュフォーと相見えたことがある。一対一での戦いは無謀でしかなく、どうやってでもこの場から逃げるしかない、と彼らの瞳に射貫かれた瞬間に悟った私は、パートナーの手を掴んで、一心不乱にその場から逃げ出した。本を焼かれることだけはどうしても免れなければ、と。必死で走って、……思えば、それで逃げ切れたことが異常だったのだから、私はあのときにきっと、デュフォーに見逃されていたのだ、……逃がされたのだ。「……またオレを置いていくのか、」振り切った雷鳴が、零した音になど耳も貸さずに、私は彼から逃げたのだ。

「……どうして手紙、くれなかったの……? 私、ずっと、待ってたのに……」

 問い詰めるべきは、問いかけるべきは、懺悔するべきなら、他にもいくらでもあったのだろうに。ぽろぽろと無意識に零れ落ちたのは、そんな言葉だった。……魔物の子たちは外に鍛錬に出かけて、高嶺くんはシェリーとブラゴと、恵さんたちはサンビームさんたちと、皆が自分たちの課題に夢中で私とデュフォーの会話など誰にも聞こえていないのをいいことに、けれど、何があっても証人が居る状況をいいことに、なんでも聞けばよかったのだ。──どうして、私を見逃したの。それでいて、どうして敵対していたの。敵対していた頃に、教えてくれたらよかったのに。……だってそれなら、もしかして。……私、あなたの味方になろうとしていたかもしれない。

「……少し、外に出るか」
「……ん」
「歩くぞ。……公園辺りで良いか」

 私の手を引いて、そろりと高嶺家を抜け出したデュフォーに従って、近所の公園に向かい、それから、隣同士でベンチに腰掛けてデュフォーの話を聞いていた。──あれから、彼は。私と出会ってすぐに、北極にある研究施設へと身を売られていたのだと言う。施設の中で何度も何度も私に手紙を書いたけれど、その手紙が私の元に届けられている保証はなく、やがて、一向に私からの返事がないことで、自分の認めた手紙が燃やされていることに気付いたデュフォーは、施設を出たら私に会いに行こう、とそう考えていてくれたらしいのだけれど、……施設を出ることが叶った日、彼は自分が母親に売られて北極に閉じ込められていたことを知って、彼ごと施設が吹き飛ばされる瞬間に、追い打ちをかけるように施設職員からこう言われたのだと言う。「お前が熱心に手紙を書いていた少女は、お前が生み出した兵器で、戦争に巻き込まれて死んだよ」……と。

「住所も名前も憶えていたからな、能力を用いて調べれば生死を探るのは容易い。会いに行くことも出来た。……だが……」
「……仕方ないよ、それは、だって……」
「……ああ。だが、安心した。……お前は、オレにとって、あの当時から唯一変わらない存在だった」

 ──少し前までのデュフォーには、きっと。そんな言葉を形にすることも難しかったのだろう。雷のように真っ黒な怒りに身を焼かれていた頃の彼には、自分の中に残っている穏やかな追憶を理解することなど、叶わなかったはずなのだ。……それでも、それは無意識だったのか、デュフォーは私を見逃したし、名前だってちゃんと覚えてくれていた。……私は、彼のことをちゃんと覚えていられなかったのに。彼の綺麗な白銀を、赤い憧れで塗り潰してしまっていたのに。

「……デュフォー、ごめんね?」
「? 何を謝る必要がある?」
「ううん……ありがとう、会いに来てくれて……」
「……ああ。約束だったからな」

 隣に座るデュフォーは不思議そうな顔で首を傾げて、きっと、彼の能力を持ってしても見渡せない“何か”を私から探ろうとしている。私がこの戦いで迷わずに歩いてこられたのは、パートナーの手を引いて走り続けられたのは、間違いなく、幼少期に彼が私にそうしてくれたからだったのに、私は。……私には、これから何が出来るのだろう。今度は私が、あなたの手を引いてあげられるだろうか。 inserted by FC2 system


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