花のブランコはまだ揺れている

 デュフォーから好意を伝えられたのは中学三年の頃だったけれど、当時はクリア・ノートとの戦いの真っ最中だったこともあるし、魔本の戦いが終わるまでの間はなにがあっても私、ヤエを最優先にすると決めていたから、デュフォーの想いに応えることは出来ずに、かと言ってデュフォーのそれにどれほどの重みが伴っているかだってちゃんと理解できていたからこそ、容易に退けることも出来なかった。それで、今急にそんなこと言われても、と私が正直な気持ちを答えたらデュフォーはそれ以上追求してくることもなくて、何か特別に接し方が変わる訳でもなく、お陰でこのひと、本当に私のこと好きなのかな……なんて思うことも度々あって、……でも、やっぱり、デュフォーって私にはとびきり甘いような気もしてしまって、……その考えには、私の願望も含まれているんじゃないかと気付いたのは、高校生になって暫く過ぎた後のことだった。

 ──あの頃は、はっきりと分からなかったことだけれど。
 わたし、もしかするとデュフォーのことが好きなのかもしれない。

 ……そう、気付き始めて、もしかして、なんて言葉はきっと自分の心を護る為の予防線に過ぎないのだろうなあということだって、もうちゃんと分かっている。……私は、デュフォーのことが好きなのだ、きっと。いつからそうだったのかは定かではないけれど、少なくとも、幼少期に彼に手を引かれたあの日に、私はどうしようもなく彼に憧れて、あの日のデュフォーみたいなひとになりたいと思って生きてきた。そうして、時が過ぎゆく中で、私はあなたに再会して、また共に過ごすようになった日々の中で、私はデュフォーの素敵なところを改めてたくさん見つけたのだ。彼が高嶺くんのおうちに居候していたあの頃は、何かと周囲の誤解や反感を買いやすい彼の言動をフォローするのが私の役目で、私はあの頃、デュフォーのことをみんなに誤解してほしくないと思っていた。みんなに、彼のことを好きになって欲しい、って。……その気持ちは今でも変わらないけれど、今は少しだけ、彼がすてきなひとだと知るひとが増えることに、嫉妬してもいる。
 ……だからつまり、きっとこれは、そういうことだ。
 幼い日、私は見知らぬ土地でひとりぼっちで、それがほんとうに心細くて不安で、けれど何故だかあなたに手を引かれると、どうしようもなく安心した。そうして、……中学卒業を控えたあの三ヶ月間の旅で、私はきっと、当時の追体験をして。デュフォーがいつも、私が不安にならないように手を繋いでくれていたこと、歩幅を合わせてくれたこと、泣きじゃくって足元ばかり見ている私に、向こうに見える綺麗な景色だとかを指差して前を向かせようとしてくれたこと。ぜんぶがぜんぶ、私があなたを得難いと思う理由だった。あの頃、そういうところがすてきだなあと、私はそう思って。そんな幾許かのやわらかなきもちは、日本に帰ってから、両親を喪って寂しさに擦り切れていく私の心を護るように、淡い初恋になったのだ。……そうしてすべてを振り返った旅から今日へと辿り着き、私は気付いた。……卒業式のために日本に帰ってから、高校に進学して日々を捲りながらも私は何故か、デュフォーと出会った頃の気持ちを度々思い出していることに。いつの間にか私は、あの頃と同じことを、……あなたに恋をした時のことを考えて、あの頃と同じ気持ちを、あなたへと抱いている。

『──ヤエとのお別れは寂しいけれど、もう高校生になるんだし、やっぱり、しっかりしなきゃ……』
『まだ高校生だ。子供なんだから甘えて良いとお前はヤエに言っていなかったか? お前も一緒だろ』
『そうなのかな……?』
『そうだ』
『……そうかも?』

 デュフォーはいつだって少し強引だったけれど、一度決めたら曲げられない、頑固で分からず屋の私には、彼くらいはっきりと物を言ってくれるくらいがちょうどよかったのかもしれない、と。それも、あの旅を経た今だからこそ思うこと。──桜色の魔本を手に取って、ヤエのパートナーに、あの子の保護者になることを決めたあの日から、私は普通の十四歳の女の子ではなくなった。或いは、育った環境を思えば私は元々、普通の子供ではなかったのかもしれない。生きていくためにはいつだって、自分ひとりでやらなきゃいけないことばかりだったから、一人でなんでもできるようになろうと思っていた。私に保護者はいなかったけれど、そうして真面目な優等生でさえいれば、血の繋がらない大人でもみんな私を認めてくれたし、クラスのみんなに「さんは大人っぽい」「落ち着いててしっかりしてる、憧れるなあ」なんて言われるのも、嫌ではなかった。──けれど、たぶん、私の、そんな風に背伸びしすぎてしまう気質は、小さな女の子の保護者になったことで、ますますそれらの面が際立って成長して行ったのだと思う。私はそれを、悪いことだとは思っていないし、桜色のあの日々は私の財産だ。けれど、あの日々が余りにも夢のように色づいていたからこそ、全てが終わった日に、私の春には突如、雪が降り積もってしまった。そうして、凍てついた桜の木の下から私を連れ出してくれたのは、あなただったの。どうして、と問いかけたら、「がオレにしてくれたことを、オレもお前にしてやりたい」ってあなたは当然のような顔で言う。……あなたは、とっくの昔に、私にそうしてくれたのに? それなのに、もう一度手を引いてくれるの? と、私が困惑しながら彼を見上げたら、彼は笑って、「当たり前だろ」とはにかんだのだ。

 ──それでもう、私が取り繕っていたものは全部が全部、崩れ去ってしまった。あなたが雪崩の中から私を引き上げて、二度目の春をふたりで目指したあの旅路は、……ほんとうに、しあわせで、うつくしい、日々だった、なあ。──全部が終わった後で、私はあなたと旅をして、その日々の中で、自分が只の子供だったことを思い出して、あなたはわたしに、十五歳の少女のままでいいと言ってくれた。寂しいだとか、悲しいだとか、怖いだとか、不安だとか、私はそういうことを思ってもいいし、助けを求めてもいいのだと、自分に助けを求めろと、あなたが言った。
 それできっと、……あなたの言葉で魔法を解かれて、私は普通の少女に戻ったのだろう。そうして、頼りなくなった指先を引いてくれたのも、やっぱりあなただったから、……私はそれでようやく、……そういえば、デュフォーって私より歳上だったんだとか、彼は昔も私にこうしてくれたな、だとか。そういうことを、いくつも思って。デュフォーが高嶺くんのおうちに居候していた頃、私は何かとデュフォーを庇い立てすることが多くて、なんとなく、彼に対しても保護者のような気持ちで接しているところがあったけれど、……デュフォーは私の弟なんかじゃなくて、むしろこのひとは、私にとって兄のような存在でもあるわけで。……これって、先に戦いを下りたから、使い手として送った日々と区切りを付けたのはデュフォーの方が先だったからだとか、きっとそれだけの理由じゃないのだろうと思えるだけの、彼の精神的な余裕だとか、……わたしを、当然のように年下の女の子として扱ってくれたあなたの指先に、なんでもないことに、私はいつからかばくばくと心臓が跳ねて仕方がなくなってしまっていて。私はこのひとに、弱音を吐いたり甘えたりすることを許されているのだと、……大切にされているのだというすべてを噛み締めたなら、……どうしようもなく、幸福に包まれていたのだ。

 ……だからつまり、そういうこと。何もデュフォーからのアプローチの激しさに圧し負けたとかじゃなくて、このひとに手を引かれていると今でも私は安心するんだなあ、と気付いたから、私はあなたのことをやっぱりそういう意味で好きなのだと、そう思ったのだ。子供の頃と同じ気持ちで、今の私はまた、あなたを想っているのだと。

「……それで、デュフォーさんには伝えたの?」
「い、言えないよ……!」
「あら、どうして?」
「だって……告白? されてから、結構、経ってるし……、今更返事するのも、なんか、変じゃない…? なかなか会う機会だってないし……」
ちゃんが呼べば、デュフォーさんは飛んでくるんじゃない?」
「だ、だめだよそんな……! 用があるのは、私の方なのに……ううん、でも……」
「でも?」
「……返事してないのって、半ば断ったようなものなのに、今更そんなのダメじゃない……? なんか、デュフォーに対して不誠実な気がする……都合がよすぎるよ……」
「そんな……」

 高校に進学した今でも、当時の本の持ち主のみんなとは連絡を取り合っていて、恵ちゃんもその中のひとりだった。本の持ち主同士で、同年代の女の子で、国籍も日本で、更には割と近場に住んでいて、というところまでパーソナルが被ったのは恵ちゃんくらいで、私にとってもそうなのだから、アイドル業で忙しい恵ちゃんにとっては、尚更私のような存在は珍しかったのもあるのかもしれない。あの頃から仲良くしてくれている彼女とは、戦いが終わった現在でもこうして恵ちゃんの多忙なスケジュールの合間に遊んで貰ったり、お茶をしたりする仲で、……同時に私の自覚が色々と追い付いてきた現在では、恵ちゃんは恋愛相談の相手にもなっている。私は周りにそこまでこういった相談が出来る相手がいないし、ましてや相手は、あのデュフォーだし……それに、同年代の女の子たちから絶大な人気を誇る恵ちゃんは、女子のそういった心の機微にも目敏くて、私が見落としてしまうことを指摘してくれたりもして、正直かなり助かっているのだった。
 デュフォーに対して不誠実、いい加減なのでは? という私の想いは本音だったけれど、実際のところ、デュフォーがそんなことを気にするのかどうかは私には分からないし、今も彼は私の返事を待っていてくれるのかもしれない。でも、そう考えてしまう理由には私の願望が含まれていると既に自覚してしまった今、もう既に、デュフォーの気持ちは私には向いていないんじゃ? ……なんて、嫌なことを考えてしまったりも、する。……そんなに気の多いひとじゃないことも、あの告白は彼にとって、人間界における唯一のよすがは私なのだというほどの重みが伴っていたことも、ちゃんと、分かっているのに。……ちゃんと分かって、いるのに、なあ。

「……どうしてだろ、デュフォーのことが好きなんだって気付いたら、急に、不安で……」
ちゃん……」
「ご、ごめんね、恵ちゃん、忙しいのにせっかく会ってくれてるのに、こんな話しちゃって……」
「ううん、気にしないで。それより、……アレ、ちゃん、携帯光ってる。着信じゃない?」
「エ? ああ、恵ちゃんに会うから、マナーモードに、し、て……」
ちゃん?」
「で、電話……ど、どうしよう、デュフォーからだ……!?」
「エエ!? で、出て! 私のことは気にしなくていいから!」
「で、でも」
「早く!」
「ご、ごめんね……!」

 高校に上がってから携帯を持ったのも、「いつでも連絡が取れるようにしておけ」とデュフォーに言われたからで、電話帳の一番上に登録された名前からの着信に、わたわたと電話を取ると、「……か?」と耳馴染みの良い大好きな声がじわり、と耳の奥に響いて、脳が痺れるような心地がして、目の奥にちかちかと小さな星が瞬いていた。

「デュフォー……? どうしたの? 何かあった?」
「イヤ、声が聞きたくなっただけだが、今は何をしていた?」
「今? あのね、恵ちゃんとお茶してたの!」
「恵と? ……そうか、だったら電話を改めた方が良いか。先約なら、流石に恵に悪いしな……」
「え、あの、……えっと、……それは、そう、だけれど……」
「どうした?」
「……かけ直すの、いつになる……? あの、こっちの都合が悪かったのに、こんなの、変かもしれないけれど……」
「? ああ」
「デュフォーと話したいこと、たくさんあって、だから、その……出来れば、……イヤ、ううん、やっぱり、わがままだね!? 何言ってるんだろう、わたし……あの、デュフォーの都合のいいときで、全然、大丈夫だから……そのう」
「……本日中の便を抑えられれば、モチノキ町に着くのは明後日……イヤ、最短で明日の夜か」
「? 明日の夜、電話してくれるの?」
「イヤ……明日の夜、そちらに直接会いに行く」
「エ、……エ!?」
「何を驚いてる? ……話したいことがあるんだろ?」
「そ、それはそうだけれど! ……ちょっと待って、便って言った? デュフォー、今どこにいるの!?」
「土産も土産話も山ほどあるからな、それは明日、直接聞かせてやる。それに、……オレもに会いたい。電話だけでは、どうにも物足りなくてな、声を聞いたら余計に会いたくなった」
「……デュ、フォー……あの、わたしも……」
「ああ」
「えっと……デュフォーに会いたい、な……だからあの、待ってるね、デュフォーの好きなものとか、色々作って待ってるから……会いに来てくれる……? 待っていても、いい?」
「……ああ、待っていろ。善は急げだ、空港に向かうからもう切るぞ。今日のところは恵と遊んでおけ」
「う、うん」
「明日、夜にはの家に行くから、家で待っていてくれ」

 そう言って、あっさりと切られた電話に、呆然としたまま通話終了の画面を見つめる。……今のって、ほんとうに、ほんと? いまいち現実を理解できないままでぽわぽわと夢見心地の私を見て、恵ちゃんは興奮気味に「デュフォーさん、なんだって!?」って、心なしかうきうきして、いるような……。

「あの……明日、会いに来るって……」
「あ、明日!? ず、随分急なのね……!?」
「うん……只、電話しただけだったみたい、なのだけどね」
「ええ」
「やっぱり直接会いたくなったから、今から空港に行くって……」
「……ねえ! もう! ちゃん!」
「ハ、ハイ……」
「そんなの、絶対ちゃんのこと大好きじゃない! 何も気にすることなんてなかったでしょ!?」
「そ、そうかも……? あ、待って! 恵ちゃん! だめだよ!」
「どうしたの?」
「服! わたし、中学生の頃から着てるのしか持ってないよ! こ、子供っぽいよね!? な、何着たらいいんだろう……!? どうしよう、今までそんなこと、考えたことなかったから……デュフォーって、どういう服が好きなんだろう、わかんないよ……!」
「……もう! そういうことなら私に任せて! これから勝負服、買いに行きましょう!」
「エ!? い、いまから?」
「今からよ! ちゃんから言い出しづらいなら、もう一回告白したくなるくらい可愛くして出迎えてあげましょ?」
「え、えええええ……!?」
「さあ行きましょう、ちゃん! 大丈夫! ……私、アナタに似合う服なら誰よりも目利きの自信があるのよ? デュフォーさんや清麿くんにも負けないくらいにね!」

 ぐいぐいと手を引く恵ちゃんの剣幕に気圧されながら、……ほんとうに、服装くらいでデュフォーが揺らいだりするものかなあ……!? と、半信半疑ではあったけれど、……正直、そうだったらいいなあとは思ってしまったし、何より、いつもよりも可愛いと思ってもらえる私であなたに会いたいな、と思ったから。……そうだ、あなたを恋しいと思うこれは、決して想い出に浸っている訳じゃなくて、やっぱり今の私の気持ちなんだね。きっと、私は今のデュフォーが昔よりもっとすてきなひとだから、あなたに改めて恋をしたのだと、……明日は、ちゃんと言えるかな。言えたら、いいなあ、なあんて。ふわふわ、浮ついた気持ちで出迎えたあなたは、いつも私からの答えを欲していたから、私の葛藤なんて関係なく、私の中で告白の答えが成立した時点でとっくに両思いだと知っていて、恋人のつもりで接していたのだと。……あなたからそう聞かされた私が顔を覆って突っ伏して、あなたが普段よりも少しだけ高い声で可笑しそうに幸せそうに「本当にお前は可愛いな」って笑ったのは、もう少しだけ先の話。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system