新しいお皿の上には讃美歌を

※数年後設定



 は、オレが知らないことを数多く知っている。──無論、単純な知識や技術、世界への認識の広さで言えばオレが持つそれの方が上ではあるのだが、──は、オレの知らない物事、理屈が絡まないことだとかそういうものを、いつもオレに教えてくれた。──それは、例えば、同じ調理過程を経ているのに、何故かの作った食事の方が美味いことに対する疑問を訊ねたときなんかも、そうだった。

「──、この料理は何か特別な調理法を用いているのか? 何が違う? 調理器具か?」
「エ? 特にそう言うのは……あ、でも牛乳じゃなくてスキムミルクを使ってみたの」
「……ケークサレにか? 普通は牛乳を使うものじゃないのか?」
「そうなんだけど、野菜をたくさん入れた分、水分が多く出るから……スキムミルクの方が味が濃くて美味しくなる気がして……」
「……確かに、言われてみるとそうかもな……」
「ね?」
「ああ……だが、それだけには思えない。オレが同じように作っても、同じ味にはならないんじゃないか……? 妙な話だが……」
「まあ、それは慣れ、とかなのかな……? あとは、そうだなあ……」
「まだ何かあるのか?」
「えっとね……デュフォーへの愛が入ってるから、とか……かな……? ……や、やっぱり今のなし! お、お代わり出すね! 旅先ではあんまり野菜食べられないでしょ!? いっぱい食べてね!」

 そう言いながら慌ててキッチンへと逃げ込むは、頬どころか耳まで赤くて、「今のなし」なんて言葉は、能力を用いずとも彼女の照れ隠しでしかないのだとよく分かる。……なるほど、確かにオレが作ったのではからの愛と言う隠し味が含まれる余地などある筈もないし、それなら、オレにとって、の作った料理が一番美味く感じられるのも納得だった。
 ──久々に旅先からモチノキ町のの自宅へと帰ってきたオレに、日頃の健康を気遣う意味で野菜を食べさせたいというのなら、それこそ生野菜をそのままにサラダにでもして出しておけばいいだけの話だ。野菜を切って、刻んで、焼いて、煮込んで、幾つもの手間をかけて作った食事も完食するのは一瞬のことなのだから、逐一手間を掛けすぎずに、毎度それに見合った分だけの労力を割けばいい。──だが、はそれは違う、と。そう、主張するのだった。オレが彼女にとって大切な相手だからこそ、時間を掛けて作ったものを振舞いたいのだと、美味しいと思って欲しいのだと、「だって、ごはんが美味しいと、幸せになるでしょう?」と、──そう言って、彼女はいつもいつも、オレや周囲の人間たちのために自分の時間を切り分けて、丁寧に盛り付けて差し出すのだ。──その献身の価値を真に理解できるようになったのは、──愛情などという不確かな隠し味に対しての疑問だとかをオレが抱かなくなったのは、によって与えられた愛と言うそのひかりを、今のオレにははっきりと視認できるようになったから、だった。

 ──例えば、美味い料理の隠し味だとか。ひとりで食事を済ませるよりも、ふたりで食べる方が美味く感じることだとか。食卓を囲む人数は多い方が、何故だか満たされることだとか。オレにはが居ればそれでいいわけではなく、ふたりを取り囲む清麿たちがいることも、オレにとっては重要なのだとか。その輪の中でにこにこと微笑んでいるが、オレは一等に好きなのだとか。に笑っていて欲しいと思うのは、彼女がオレの目をまっすぐに見つめて、微笑みかけてくれるから。オレも彼女と同じになりたいと思ったから、少しずつにでも心が豊かになって。と同じようにうつくしいものをうつくしいと感じられる感受性を育ててくれたのだって、きっと彼女だった。だから、いつしかオレは、旅先できれいなものを見つけるたびに、彼女に見せたいと思うようになった。に似合いそうだと手に取ったアクセサリーや小物たちは、どれもオレが美しいと感じたものばかりだった。きっと、オレの感性は、を通して創り上げられていったのだろう。綺麗も美しいも可愛いも愛おしいも、慈しむ心の中心に在ったのは、いつだって彼女だった。はオレの心に愛を納めて、それから、心の中をうつくしい桜色のひかりで満たしてくれた。胸の奥からじんわりと広がったそれは暖かく、悴んだ指先まで浸透して、いつしかすべてが解けていく。──オレという人間に、理屈の伴わないものを教えることは、困難だったことだろう。それでも、は。──日々の何気ない幸福の作り方も、その分け合い方も、何度でもオレに伝えようとして。──オレにとって、自力では知り得ないが理解したいと願うものを教えてくれるのは、いつもだったのだ。

「──はい、どうぞ」
「ああ。……美味いな、やはり……」
「ほんとう? よかった……まだまだあるから、たくさん食べてね!」

 ──の微笑は日向のようだと、何度でもオレはそう噛み締めて、その眩さに安堵し、目を細めるのだろう。桜のはなびら、春のひかり、彼女の持つそれらの色彩を、オレは美しいと、好ましいと思う。──この春は、きっと、永劫にオレにとっての救いなのだ。……オレを掬い上げてくれたのは、拾い上げてくれたのは、紛れもなくだった。オレの奥深く、闇色でがらんどうのその場所に、恐れもなく手を伸ばして、愛を収めて、人の形にして。水を与え、温めて、熱と光とを彼女が与えてくれたのだ。……だからオレは、お前に何かをしてやりたいと思う。何かを返して、与えてやりたい、オレの心を護られた分以上に、オレがお前を護ってやりたい。何故なら、オレは、──お前からあまりにも多くのものを貰いすぎてしまったから。オレへとその身を与えすぎてしまったがために、彼女が欠けてなくならないようにと補って、オレがその分をに与えたいと思うんだ。……きっと、この気持ちを人間は、愛と呼ぶのだろうな。 inserted by FC2 system


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