薄霜色は呪いのかさなり

※アニメ版の設定。共闘とは名ばかりの隷属を強いられている。全体的に注意。



 ──あなたは、だれ? 出会いがしらに私が放ったその一言が、初対面ではなくて、悲願の再会を果たした相手に向けて投げかけてしまったものだと知っていたのなら、彼が私にとっての何者だったのか、もしも私がちゃんと理解できていたのなら、きっと彼に、──デュフォーにそんな言葉を投げつけたりだなんて酷い真似は出来なかっただろうけれど、今更後悔したところでもう私に撤回や弁明などは許されていなかった。
 馴染み深いモチノキ町から遥か遠く、恐らく此処は日本の国外で、ヨーロッパの何処かであるのだろうということだけは分かっているけれど、それも断片的な情報をかき集めた上での予想に過ぎず、実際のところ、何処なのかも分からない部屋の中で、──私は、彼に囚われてしまっている。じゃらり、と足元に鳴る冷たい鎖の音から察するに、デュフォーはなにがなんでも私を此処に繋ぎ止めておきたいようで、また、私には彼を拒む権利はないと考えて、これを甘んじて受け入れる日々を送っていた。

 ──デュフォーと初めて出会ったのは、ずっと昔、幼少期のことだった。誘拐されて監禁されていた施設で私は彼に出会い、私は彼に助けられて、それから、彼との約束を破ってしまった。その罰として現在私は、デュフォーとゼオンの手引きでモチノキ町の自宅から誘拐され、彼らの元で監禁生活を送っている。研究所で実験体として暮らしていた頃は、毎日殴られて、おかしな機械に繋がれたり、妙な薬を飲まされたり、気絶するまで手酷く扱われたりと、そんな日々を送っていて、今の私はデュフォーに毎日乱暴されたり、強い言葉で責められたり、やっぱり妙な薬を飲まされたり、気絶するまで手酷く抱き潰されたりしている。あの頃とあまり変わらなくて、明日の見えない真っ暗な日々で、……でも、あの頃よりはずっとマシだと思ってしまうのは、それが得体の知れない誰かではなくて、デュフォーの意志で行われている行為だったから、なのだろう。

『……どうして拒むんだ、どうして忘れた、……なあ、

 此処に連れて来られた日、私が彼との思い出を忘れてしまっていたと彼が知った日、私は酷く激昂したデュフォーに突き飛ばされて、あの町とのたったひとつのよすがになってしまっていた制服を破られて、……それから、冷たい床と凍り付くような視線に挟まれて、どれだけの時間自分が泣き叫んでいたのかについては、はっきりと覚えていない。人間の脳は余りにも強いショックを受けると、自己防衛機能が働いて記憶を無かったことにしようとするらしい、と。身をもって何度も学んだことで、以来私は、自分の記憶を信じられなくなってしまった。だから、今の私が信じているのは、自分なんかじゃなくて、デュフォーの言葉以外の何物でもなかった。
 ──度し難いものだ、と思う。恐ろしいことに、私は自分に手を上げるデュフォーの言葉だけを、他の何よりも信じていて、私はきっと、彼のことが好きなのだ。幼い頃も今も、何をされても、彼が変わり果ててしまっていても、それでも。結局のところ私には、デュフォーに対する情がある。彼の能力で無理矢理に記憶を開かれて戻されて、それからすぐに、過去の記憶と今の私とがしっかりと噛み合う前に手を上げられてしまったから、何もかもへの自覚が追い付かなくて、それがあまりにも怖くて泣いて拒んだだけ、で。……この冷たい部屋で過ごす日々を捲るにつれて、痛みを伴いながらであろうとも、現在の彼を知るたびに、……少しずつ、ほんの少しずつでも、記憶に実感が伴った私は。……恐怖に支配されたからじゃなくて、機嫌を取ろうとしているわけでも無くて、ちゃんと、自分の意志で。……このひとのことが、大切だなあと思うようになってしまった。──けれど、最初からすんなりとデュフォーを受け入れられたわけじゃなかったから、この結論に至るまでに散々彼からの不信と怒りを集めてしまっている。私の方も、何度もデュフォーから暴行された後だし、こうして冷たい部屋に鎖で繋いだ上で一切の自由を奪われて、辛うじて本を燃やされてはいないものの、パートナーとは彼らの許可を得なければ面会すら叶わない。
 こんな状況では、きっと私は、二度とデュフォーに信用されないし、赦されないのだろう。それでも、そういうものだと受け入れて、彼の傍に居ることを選んだのも私だった。私に出来る贖罪など、それしかないと思ったから。

「……好きだよ、デュフォー」


 ──今更そんなことを言われたところで、信じられるものか。嘘を吐いてオレを置き去りにしたお前を、オレから離れていったお前を、二度と信じてなどやるものか。……信じたら最後、どうせお前はオレの目の前から居なくなってしまう癖に。そうもオレを欺きたいのか、そんなにもオレから逃げ切りたいのか、……そこまでオレのことが嫌いなのかと、の両腕に抱き寄せられて、あの穏やかなひとみに受け入れる素振りを示されるたびに、オレは不安で堪らなくなるのだ。拒むな、とそう命じれば易々と、こちらを受け入れる姿勢を見せるのことが、オレにはどうしたって信用できない。……当然だろ、理解しているのだ、本当は。にだって戻れなかっただけの事情はあったのだと、オレの一方的な怒りをぶつけて許される問題ではないのだと分かっているのに、……弁明も謝罪もなく、只黙って受け入れようとするが、オレは、怖かった。彼女の腕に抱かれる度に凍え切った心の臓から湧き上がる何かが、オレは恐ろしくて仕方がない。この熱に身を委ねてしまいたい衝動と、その光を受け入れてしまったら最後、二度失うようなことがあれば、きっと、オレは、二度と、と。……そう、ハッと我に返っては、「またオレに嘘を吐いた」とを責めて詰って、手枷を手繰り寄せて乱暴に引き倒して、同じ夜ばかりを繰り返している。

 ──日本から、を攫ってきた日は、彼女が目を覚ますのが楽しみだったのだ。それは勿論、オレはから受けた仕打ちに対して怒ってはいたものの、彼女がオレに謝って、ゼオンに協力してくれたのなら、それでもう彼女の罪を赦すつもりだった。──学校帰りの夕暮れ、静かに背後へと近付いて、「……ザケル」スタンガンの要領で、出力を抑えた電撃を浴びせた上で、何の抵抗の暇も与えずに彼女を連れ去ってしまった。着の身着のまま、外国の学校の制服で外を歩けば流石に浮くかもしれないし、目立ってしまうのは極力避けたい。それに何より、着替えくらい与えてやらないと可哀想だと思ったから、が目を覚ましたらゼオンに留守を任せて、買い物に連れて行こう、と。オレは、そう考えて彼女が目を覚ますのを楽しみにしていたのだ。
 新しい服を買おう。にはどんな服が似合うだろうか、昔は実験着ばかりを着せられていたし、現在の彼女はまだ制服しか着ているのを見たことが無かったが、そんなものよりいくらでもに似合う服がある筈だ。きっと、彼女には何でも似合うだろうから、見繕うのが楽しみだ、などと。──そう、思っていたのにな、オレだって。

『あなた、だれ……?』

 ──目を覚ました彼女が、怯え切ったまなざしでオレを見上げて、震える声でそんなことを宣うものだから。……オレは、気が動転して。──次に我に返ったときには、何故だか制服をズタズタに破かれて泣いてるが、がたがたと肩を震わせてオレの下に転がっていた。……あれ、オレは一体、何を、と。……そう、考えたところでまた裏切られたのを思い出して、外に出してやろうなんて甘かったのだと思い知って。……楽しみだったのにな、と一緒に外を歩いたことなんてなかったから、ずっとそうしたいと願っていたから。なのにオレの願いは他でもない彼女に踏み躙られたのだ。だから、から傷付けられた分、オレもを傷付けているのだという、これは、只のそれだけのこと。破いては与えられて「着替えろ」と冷たく乱暴に投げ付けられる衣服を、本当なら自分で選ぶことが許されていたのだとも知らずに、は今日も、あの部屋に繋がれている。しかし、最初の頃は泣いて騒いで大暴れしていたのに、最近のは、抵抗することもなくなっていた。

「ごめんね、デュフォー……」

 ……、オレには、お前の気持ちが分からない。オレは、暴力による支配しか知らないし、閉じ込める手段しか知らない。そんな世界しかオレとお前は知らなかったはずなのに、お前が知らない人間になってしまったことが、オレは怖くて堪らない。何処まで追い詰めれば人間は死ぬのかだって、オレは幾らでも見てきたから。逆にどの程度までなら、暴行を加えてもお前が死なずに明日を迎えられるのかもオレには分かったし、何もが憎くて手を上げているわけじゃない。絶対にを殺さない自信があるから、オレは暴力に訴えているに過ぎなくて、結局のところは只々に受け入れられたいだけ、だった。かつての約束をお前が忘れたことを、笑って水に流せるほどにから許されているという、その証左がほしいんだ。オレの手で傷付けることで、をあの頃よりも酷い目に遭わせてやったのなら、それを逃げずに受け入れたのなら、あのときは泣いて逃げ出したのに、オレから与えられる苦痛なら耐えられるのだとしたら、……それは、お前がオレを受け入れたという至上の証になると思わないか? が恐怖から逃げずに居られたなら、それならオレにも愛と呼べるかもしれないと、……そう、思ったのに。

「……その気もないなら、見せかけの謝罪はやめろ」
「……そっか、ごめんね、嫌なこと言って……」

 抵抗を手放したところで、どうしようもなくの体は震えていて、……ほら、ちゃんとお前はオレが怖いのだ、と。怯えさせているのは自分なのに彼女が少しでも怯えているのを見てしまうと、また嘘を吐かれた気がして酷く気分が悪くなる。笑顔で受け入れている素振りで演技されることと、泣いて抵抗されることと、……果たしてどちらがマシだったのか、残念ながら今宵も答えは出ない。 inserted by FC2 system


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