銀が焦げたら約束の時間

※本編後、大学生くらいの時間軸。



 デュフォーは再度旅に出てからも時折、私と高嶺くんへと会いに日本に戻ってくる。「近々帰る」と短いメッセージが届いたことに頬を緩めては、その度に頑張って出迎えようとしてみても、学校から自宅に帰る頃には、明日以降に帰ってくると思っていたデュフォーはとっくに、我が物顔で私のベッドに寝ている。……なんてことが多々あって、当初は私も彼に苦言を呈したりしていたものの、……なんだか、そんなこともいつの間にか自然と受け入れて「時差ボケだったのかなあ」なんて、そう思うようになってしまったのだから、我ながら毒されているのだとは思う。どうやって入ったの、と聞いたら「鍵開けくらいは、近所に怪しまれずに出来る」と返ってきた言葉に呆れて、特に躊躇もなく合鍵を手渡してしまった私に、当初デュフォーは少し驚いていて、ピッキングして不法侵入する癖に合鍵に驚くの? と、困惑したいのはこっちだよ、なんて思っていたけれど。……なんとなく、少しずつだけれど、デュフォーがあのときに驚いていた理由には、私も心当たりが出てきたりもしている。

『今回の土産だ』
『お! 悪いな、デュフォー』
『まずはこれだ、カシミアのストール……桜色に花の刺繍のものを見つけた、巻いてみろ』
『う、うん』
『……ああ、似合うな。それからこれはガラス細工のペンだ、勉強に使え』
『え、これも私に?』
『清麿にピンクのガラスペンを買うと思うか? それもにだ』
『あ、ありがと』
『それから、鉱石のブローチと、旅先の蚤の市で見かけたアンティークの指輪と……』
『おいちょっと待て!』
『どうした清麿』
『いや言いたいことは色々あるが、オレのは?』
『清麿には絵葉書だ』
『お前、と比べてオレの扱いが雑すぎるだろ……』
『は? を特別扱いしているだけだろ』
『ま、まあまあ……』

 デュフォーはバックパックひとつで旅に出て、旅先でバッグの中身がぎゅうぎゅうに詰まる頃にこの町に帰ってくる。モチノキ町はデュフォーにとって故郷でも何でもないけれど、私のところに帰ってくるたびに自然と「ただいま」を言う彼が少し可愛く思えて、私も彼に倣って「おかえり」を返すことにしていたので、国籍や出身などはとっくに私達にとってどうでもよくて、此処は今ではデュフォーの帰る場所なのだ。
 旅先から戻る頃にデュフォーは毎度バックパックの中身にたくさんのお土産を詰めて持ち帰る。各国で服飾品やら雑貨などの工芸品、特産品や蚤の市で見つけた掘り出し物まで、デュフォーがいつも持ち帰るその大半は私への贈り物で、「行く先々でお前に似合うものを見つけると、つい手に取ってしまう」と、真面目な顔で眉をひそめていた彼に、そんなに私に色々買ってくれなくて大丈夫だよ、と言いたくもなる気持ちは確かにあるし、遠慮めいた想いもあったものの、結局は、各地での買い物が捗れば捗るほど、リュックの中身が早々に埋め尽くされればされるほど、デュフォーの帰りが早くなるのだということも私は知っていたから、強く咎めることは出来ずに、定期的に重い荷物を抱えて戻ってくる彼を、私は日常を送りながら待ち続けている。

 そんな風に、デュフォーの方は何かと私へと贈り物をしたがるものの、私からのお返しはあまり受け取ってもらえない。そもそも、旅立つ彼の荷物を増やすのも憚られるから、私から強くは言えないし、「帰ってきたときに使ってね」と私の家に置いたデュフォー専用のマグカップなんかも、それは彼への贈り物なのかと問われると、常に使うわけでも無いのだから怪しいところだった。見返りを求めているわけじゃない、と言って何も欲しがらない彼は基本的に無欲なひとで、代わりに料理でもてなそうと思っても、いまいち自分の好物に自覚もないらしいので、当初は献立選びにも難儀したなあなんて懐かしく思う程度には、今ではデュフォーの反応から彼好みのメニューを組み立てられるようになってきてはいるけれど、……それでも、たまにこうして出迎える程度では、ちゃんとしたお返しにはなってないんじゃないかな、なんて。そう思うことは、決して少なくなかった。「お前の部屋や私物が、オレの贈ったもので溢れていくこと自体が、オレにとっては満足なんだ」なんて、デュフォーはそう言っていたけれど。

「……本当にそれでいいのかなあ……」

 そんな風に部屋でひとり呟きながら頬杖をつくと、ふと、目に留まるのは右手の薬指と、其処に嵌まった華奢な指輪。二年ほど前に蚤の市で見つけたからと言って、デュフォーがプレゼントしてくれたそれは、他のお土産と何ら変わらない手つきで手渡されたから、これはきっと特別なものではないのだろう。何も言われなかったから、私も何も言わなかったけれど。……確かに綺麗で可愛くて、気に入っているから身に着けているだけなのだけれど。サイズもたまたま合ったのがその指というだけで、デュフォーの手で嵌められた訳でも無いのだけれど。でも、だからこそ、特別な関係じゃないからこそ、こんなに貰いっぱなしなのはどうなのかなあ、とも思ってしまう。きっとこの指輪だって、それなりに値の張るもののはず。するり、と撫でる金属質の手触りは滑らかで、埋め込まれた淡いピンクの宝石だって一目で分かる上等なものだ。敏い彼は各地を転々としながらもお金にはまるで困っていないようなので、本人は気にしていないのだろうけれど、私としては結構気になってしまう。けれど、受け取らないのもそれはそれで、デュフォーからの厚意を突っぱねてしまっているようで嫌なのだ。彼にとって私は、人間界における数少ないよすがなのだということくらいは、ちゃんと私も知っている。大切なひとだから無闇やたらに傷つけたくはないし、彼の私を想っての行動は私だって嬉しい。……でも、デュフォーのことが大切だからこそ、これってフェアじゃないなあ、と。ずっと、そう思っていた。


「──、左手、貸してみろ」
「左手? はい、どうぞ」
「違う。掌ではなく手の甲だ、……ほら」

 ──その日、久々に戻ってきたデュフォーは、相変わらず私が帰る頃には家の中で寛いでいた。夕飯の材料を買ってきた、とメニューを指定してくる程度に人間というものに慣れたデュフォーには、私もそろそろ苦言を呈す気も削がれていて、手伝いを申し出てきた彼に長旅で疲れてるんだから休んでていいよ、と言ってキッチンに立つ間、デュフォーはじいっと私の後姿を眺めていたらしい。テレビでも見ていたらいいのに退屈じゃないのかな、と思いながら夕飯の支度を終えて、テーブルに二人分の夕食を並べて食卓を囲み、食後にはデュフォーが買ってきてくれていた有名店のケーキを食べて、それからソファーでお茶を飲みながらゆっくりと今回の旅の話を聞いていたときに、突然、なんの脈略もなく、デュフォーに左手を掴まれたかと思ったら、──手放された其処には、華奢で可憐なデザインの指輪が嵌められていた。

「ええと……くれるの?」
「ああ」
「ありがとう……これ、何の石? お花のカッティングかな? かわいい」
「……随分とあっさり受け取るんだな?」
「え? どうして?」

 だって、デュフォーから指輪を贈られるのはこれが初めてではなかったし、きっと旅先の何処かでお土産に買ってきてくれたんでしょう? と思うし、だからこそ私は思った通りに正直に、そう言ったのだ。

「受け取らない訳ないよ、嬉しいもの」
「……そうか、それは良かった」
「デュフォー? どうかしたの? 何か変よ?」
「……それ、婚約指輪だぞ」
「……え!?」

 ──そう、言ったのに。このひと、突然とんでもないことを言い出してしまった。

 デュフォーの言葉に慌てて、左手を見ると、確かに指輪が収まっているのは薬指だ。……そういう意図じゃないと信じて疑わなかったから、何処の指に嵌められたのかなんて考えもしなかったし、でも、言われてみれば確かに、指輪を手渡さずにわざわざ手を取られたのはこれが初めてだったかもしれない、と私は今更気付く。わたわたと狼狽する私にデュフォーは何処か呆れた様子で、「見れば分かるだろ」なんていうものだから、──わたし、「分からないよ……」と、か細い声で零すことしかできなかった。

「……オレは、お前が好きだと何度も言っておいただろ……」
「言ってた、けれど……あの、もしかして、」
「ああ」
「高嶺くんとか、他のみんなじゃなくて……私のところに真っ先に顔出したり、旅先からもこまめに連絡くれたのは……」
「恋人同士というのは、そういうものではないのか?」
「……私、デュフォーの恋人、なの……?」
「オレは、そう思っていたが」
「でも、そんなこと一度も……」
「そうは言っても、……お前、オレのことが嫌いではないだろ」

 す、と細められた鋭い瞳に、あ、と声が漏れてはじめて、私はようやく気が付いたし、心の底から気付くのが遅かった。……アンサートーカーの能力は、読心術の類ではないし、人の心までは分からない。けれど、答えが定まってさえいれば、その結論はおのずと導けるのが彼の能力なのだ。……つまり、私がデュフォーを好き、という答えが成立した時点で、……その答えを求め続けていた彼にとっては、私の口から聞かずともとっくに答えなんて分かっていたのだということ。例え其処に、私の自覚が伴っていなかったとしても、私から言葉は引き出せなかったとしても、デュフォーは私の気持ちをずっと知っていて、私は何も気づいていなかった。……だって、デュフォーが私に好意的なのは知っていたけれど、人の世から離れて育った彼は情緒的に足りないところがあったりも、したから、……他のひとにもこうなのかもしれないしなあ、と私はそう思っていて、……ああ、でも、そうだ。そんな風に考えていた時点で、私、彼のことが好きだったのだろう。……それもきっと、デュフォーには全部筒抜けだったから、指輪を渡したところで私が突っぱねないことは知っていたけれど、思ったよりもあっさりと受け取ったことに、些かデュフォーも驚いた、と。先ほどの反応は、そういうことだったらしい。……そう、理解が追い付いたら恥ずかしくて堪らなくて、うー、とか、あー、とか意味のない音ばかりが漏れ出て止まない。恋人だから会いに来るし、贈り物をくれるし、見返りを求めてもいないし、合鍵を渡されたらびっくりするほと嬉しそうな顔をするし、って。……そ、そういうこと、だったの……。

「い、言ってよお……」
「好きだと言ったろ」
「でも、恋人になりたいとかは、一度も……」
「逆に聞くが、海外から通い詰めるほど惚れ込んでいて、なりたくない理由があるのか」
「う、うう……で、でも!」
「どうした、
「……そういうこと、してこなかったじゃない……」
「そういうこと、とは?」
「ええと……恋人らしい、スキンシップ? みたいな……」
「……ああ、手を出されたかったのか?」
「エ!? ち、ちがうよ! そうじゃなくて、手を繋いだりとか、ぎゅっとしたりとか……」
「してただろ、帰ってくるたびに真っ先に抱きしめていたが」
「……し、してました。で、でも、キスとかは!」
「……してもいいのか?」
「え、ちょ、でゅ、ふぉ……」

 返事など聞く前に絡め取られた視線と指先に、そっと愛しむかのように唇を重ね合わせられながら、する、と指の付け根を撫でられると神経が過敏になっているのか、嫌でも指輪の存在を意識してしまう。でも、そちらばかりに意識が向いているのは、それはそれで気に入らないのか、触れるだけのキスを重ねるたびにそれは熱を帯びて、彼の長い睫毛が触れるほどの距離に驚いて、思わず開いた唇の端から滑り込んだ舌の温度が、……ああ、このひと、こんなところまで体温が低いんだ、って。そう、思って。知っているの、私だけなのかな、って。ちいさく声が漏れるのを止めたいのに、確かに感じてしまった歓喜にうまく自分を抑え込めずに、すっかり息が上がってしまっても、……私、全然あなたを突き放そうとか責めようだとか思えなくて、……ああ、これは確かに恋人同士、合意の上で成り立つそれでしかないなあ、って。……しなだれかかった彼の胸の中で、私はそれに今更気付いてしまって、恥ずかしくてたまらない気持ちになった。

「……学生のうちは、学業に専念させたかったからな……手を出す気も無かったが」
「でゅ、ふぉー……?」
「……婚約したなら、もう良いか?」
「え、ちょっと、まって……」
「うるさい。……散々待たされた上にシラを切られて、我慢する気も失せてきた。……まあ、」
「あ、あの……」
「大切だからな。優しくはするから、……安心しろ、

 ──何も、何も安心なんてできなかったけれど。返す言葉は正直、何処にもなくて、「今までの見返りは纏めて貰っておく」なんて言われてしまったら、余計にひとたまりもない。さすがにこれは、私の蒔いた種だなあと観念しながらも、突然芽生えた自覚には何故だかあまり動揺を覚えなくて、まあそれはそうか、と納得してしまったのだから手に負えない。だから、せめてもと「優しくしてね……」と媚びるつもりで囁いてみたのに、残念ながらその言葉はかえって逆効果で、彼に火を点けてしまったらしい。十数年越しのその想いの前で私が無事で済むのかは、彼のみぞ知るところらしいので、私はやがて、まるで諦めて降伏の意を示すのだった。 inserted by FC2 system


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