鮮やかすぎるトワイライトは贋作

 入間さんと知り合って以来、積極的に連絡を取っていたわけではないけれど、彼の方から結構な頻度で連絡が来るものだから、あまり無碍にするのもなんだか憚られて、結局、なんとなく、私と入間さんの接点はずっと続いている。彼が、途切れさせようとしない限り、特に、途切れるほどの理由はなくて、───まあ、親しい男性がいる、という事実をちらつかせることで、観音坂くんが何か感じてくれないかなあ、なんて打算があったことは否定しないし、それが理由としては大きかったと思う。

 入間さんには、いつの間にか、連絡先を知られていたし、ヨコハマ署属の彼が、そうも頻繁にシンジュクに居るはずもないのに、何度か駅の近くで鉢合わせて、中王区の自宅まで、彼の車で送ってもらったこともあって。それだって、私は断ったし、入間さんとはいえ、男性の車に無警戒で乗るのは、なんだかなあ、とも思っていたのだけれど、結局は押し負けてしまったり、だとか。
 ───まあ、そんな訳で、いつの間にか、連絡先どころか住所も知られているし、初対面時に名刺交換をしているから、職場も割れてるし。下手なことが出来なくなってしまって、それが怖かった、というのもある。
 ───でも、実際、それ以外にもちゃんと、理由はあった。

さん、こんばんは」
「こんばんは、入間さん」
「銃兎です。今お帰りですか、偶然ですね」
「……ええ、本当に偶然、ですね」

 ヨコハマに住む彼が、頻繁に連絡をくれて、わざわざシンジュクまで会いに来て、これみよがしに名前で呼んで、わざとらしく、私にも、彼を名前で呼ぶようにと、誘導を掛けてくること。そのすべてに、こちらにはその気もないのだから、なんて。私は、困っていたはず、なのだ。そう、なんだけれど、───入間さんが、私にしてくれたことって、全部。私が、観音坂くんにしてほしかったこと、だと、最近になって、気付いてしまった。必死に無い物ねだりをして、ああ、でもやっぱり、手に入らないんだなあ、って。思い知らされて、肩を落として、って。───わたし、結構、なりふり構わずアプローチ掛けてきたと、思うよ? それは確かに、あんまり可愛いやり方じゃなかったし、響かなかったのかも、しれないけれど。観音坂くんを好きで居ることを、やめられるとは思えなかった。───でも、期待することには、私、ちょっと、疲れてしまった、のかも、しれない。ここ最近、仕事でも、私の抱える案件が増えたり、後輩の教育で、自分のタスクを片付ける時間が上手く取れなかったり、お陰で残業が増えたり、接待が多かったり、───そんな幾許かが原因で、観音坂くんと一緒に居る時間が減っていたのも、理由だったのかも知れない。とにかく私は、その夜、疲れていた。きっと、自分で思っているよりもずっと、精神的にも、磨り減っていたのだろう。

さん、明日はお仕事ですか?」
「いえ、明日は休みです、が……」
「そうですか、もしよろしければ、少し飲みませんか?」
「え……」
「近くに、馴染みのバーがあるんです。と、言っても、シンジュクに出向いたときに立ち寄るくらいなので、私も久々なんですが……もしよろしければ、ご一緒していただけませんか?」
「……えっと、でも、」
「あなたが、嫌でなければ、ですが。私はね、さん、あなたをもっと知りたいんです」

 差し出された、赤いレザーの手袋に包まれた手は大きくて、ああ、そういえば、入間さんって背、高いんだなあ、と。今更気付いたのは、それだけ、私が、彼をよく見ていなかった、ということなのだろう。───彼は、どうなのだろうか。私に合わせて、少し背を曲げて、手を差し出す彼は、もしかしたら、───私と同じ、なのかなあ、って、そう思ったら、気付いてしまった。───私、自分が観音坂くんにされて悲しかったことを、そのまま。───入間さんに、してしまっていたのだな、って。こんな風に、センチメンタルになっている時じゃないと、自分の嫌なところにも気付けないのだな、と実感して、後ろめたかったの、かなあ?

「……お店、何処ですか?」
「! ええ、もしかすると、ご存知かも知れませんが、……」
「あ、知ってます、接待で何度か使っただけ、ですけど……良いお店ですよね」
「ええ、そうなんです! ……あの店で、さんと過ごせたなら、私は大変光栄なのですが、如何です?」
「そうですね、私で良ければ、お付き合いします」
「そうですか! 良かった、では早速向かいましょうか!」
「……はい」

 その日、入間さんの手を取ってしまったのは、彼への懺悔めいた気持ちから、だったのか、それとも。───これは、仕方がないことなのだ、と自分への言い訳を用意した上で、自分が、楽になりたかった、と。只のそれだけ、なのだろうか。───私ね、すきなひとが、いるんだよ。本当にだいすきで、こっちを向いてほしくて、ずっと見つめてる、けれど、全然上手くいかなくて。もう、だんだん、苦しくなってきちゃって、自信が無くなってきてしまって、───そうやって抉れた傷跡を埋めるために、利用しようとしていたって、それだけ、なのかな。同じ仕打ちをしておいて、という自覚もあるくせに。───本当に私って、嫌な奴だ。

 店に着くなり、予約席に通されて、本当はもう店も予約してあったんですよ、と悪戯っぽく笑う入間さんに、男の人に、こんなことしてもらったの、いつぶりだろう、と、思わず考えてしまって、───本当に、自分が嫌になった。

 入間さんが頼んでくれたカクテルを飲んで、いくつか、雑談を重ねているうちに、最初は当たり障りのないやり取りだったのが、酔いが回るにつれて、入間さんのチームメイトの話だとか、私生活のこと、私の趣味の話とか、そういったものに移っていって、普段より少し声を張って、陽気に喋る入間さんを見つめていたら───あれ、そういえば入間さん、車、どうするんだろう、と、そこでようやく気付いて。───ああ、なんだ、このひとはじめから、そういうつもりなんだ、と。そう、思ったら。なんだかそこで、全部馬鹿らしく、どうでも良くなってしまった。
 入間さんとこうして会うのは、初めてのことではないけれど、二人で店に入ったり、何処かにわざわざ出向く、というのはこれが初めてのことで、それは当然、私がそれなりに、彼を警戒していたから、なのだけれど。───でも、そこで、ぷつり、と何かが切れてしまった、のだ。だって、警戒するって、何を? どうして? 好きな人が居るから、他の人とそういう関係になる気はないし、嫌だから、って? 肝心の私の好きな人は、私と何かあっても、何も思わないくらいなんだから、私が何処で誰と何をしていたって、きっと、何も思わないのに、それって、何のために?

「……さん、立てます?」
「……はぁい」
「ハァ……、はい、お手をどうぞ。転ばないでくださいね」
「はぁーい……」

 ───私の分を注文してくれていた入間さんが、度数の高いものばかり頼んでいることには、気付いていた。だから、ペースを落として飲んでいたのに、多分私は、途中からやけになってしまったのだろう。───頭がぽわぽわ、ぐるぐるするまで外で飲んだのは、久々だった。観音坂くんの前では、それなりにセーブして、彼が潰れたときに介抱できるように、だとか、醜態を晒さないように、だとか、良い格好が出来るように、関心してもらえるように、と。いつも、気にしていたから。でも、なんかもう、どうでもいい。私の努力も、後ろめたさも、全部馬鹿らしくなった。男の人って、どうせ、みんなこうなのでしょ、って。そう、思い込むことで、この夜の流れに身を任せてしまうことで、あの夜のこと、なんでもないことだったんだって、そう思えるようになりたかったのだろう。

「ねー、いるまさん」
「はい、どうしました?」
「今日って、ぐーぜん、私に会ったんですか?」
「……本当に偶然だと、思います?」
「んーん、だって、お店予約してあったじゃないですか」
「ええ、そうですよ、偶然じゃありません。で、どうします?」
「……? なにがですか?」
「この後ですよ、私は今日は車で送れません。警官が飲酒運転、なんて出来ませんからね。さん、自力で帰れそうですか?」
「…………」
「……休憩する場所も、予約してあるのですが」

 ───ほらね、どうせ、そうなんだよ。私はずっと、無い物ねだりばっかりしているけれど、もしかして、そもそも、その考え自体に、男女差とか、あるのかなあ、それとも、只々私が、周りから安い女だって思われてるって、本気で好きになってもらえるような人間じゃないって、ただのそれだけ、なのかなあ。



 ───そうして、入間さんが私を連れて来たのは、区内でも有数の高級ホテルの、それもスイートルームで、───そこで、私は一瞬で、酔いが覚めてしまった。

「……え、い、いるまさん、本当にここ?」
「ええ、此処ですよ?」
「……私が断ったら、どうしたんですか?」
「ええ、まあ、その時はその時でしょう? また次に賭けていましたよ」

 ───なんで、そんなことするの? って、純粋に、理解が追いつかなかった。だって、酔い潰して連れ込んで、が目的だったなら、こんなところじゃなくても、いいんじゃないの? だってもしも、私が断っていたら、キャンセル料とか、全額取られていたと思うし、無駄になってたでしょ。寧ろ、今までの関係性なら、私が断る可能性のほうが高かった、って、入間さんだって分かるはずじゃない。このひと、すっごく賢いのが話してるだけでも、よく分かるし、だったら、なんで、そんなこと。

「あの、入間さん……?」
「おや、酔いは覚めたようですね。少し飲み直しますか?」
「……はい」

 なんで、こんな風に、どうして、何のために? って。ループする思考が、ふたつ並んだシャンパングラスの中のあぶくのように、何度も弾けては、思考が停止してしまいそうになる、のに。───もしも、あの夜、こんな風になっていたら、って。忘れよう、投げだそうとしたところで、まだ、無い物ねだりをやめられない自分がいることも、嫌と言うほどに、思い知らされて。

「───さん」

 スーツのジャケットを脱いで、ネクタイを緩めて、リラックスした様子の入間さんが、ふ、と目を細めて、愛おしそうに、私の名前を呼ぶから。

「───あ、あれ」
「……さん? どうしました? 気分が悪いんですか?」
「え、あの、違うんです、あれ、おかしいな……」

 ぼろ、と。急に涙が出てきて、自分でも訳が分からなくて、入間さんも慌てているし、なんで、別に泣きたいことなんて、ないのに、って。

「ご、ごめんなさい、すぐ、落ち着きますから」
「……もしかして、怖かったですか? こんな所に連れ込んで、少々がっつきすぎましたね……すみませんでした、あなたの気持ちも考えずに」
「え、あの」
「フロントに電話して、タクシー用意して貰いましょう。家まで送ります」
「ち、違うんです、入間さんは悪くなくて、」
「……では、何かありましたか?」
「…………」
「何か悩み事が? 私で良ければ、お聞きしましょうか?」
「……で、でも、……えっと」
「話しづらいこと、ですか? ……困りましたね」
「ご、ごめんなさい……」
「いえ、そうではなく。……私は警官ですし、まあ、市民の助けになるのは当然のことなのですがね。それ以前に私として、私はあなたの力になりたいのですよ。……だから、話していただけないのでは困ったな、と言ったんです」

 ───大丈夫だって、気にしてないって、そういったのは私なのに。なかったことにされても、平気な顔で振る舞えていたのに。広い部屋、夜景が見渡せる窓際に、ぼんやりと落ちるオレンジ色の間接照明の光が、あの晩、部屋に落ちていた、安っぽいピンク色の、ちかちかと切れかけた電球の灯りと、まるで正反対で、───心配そうに覗き込む入間さんの表情に、がらがらと音を立てて、私の中の何かが、崩れ落ちてしまったのだ。

「……き、気分の良い、話じゃ、ないと思います……人に聞かせるような、ことじゃ……」
「構いませんよ、私は気にしませんから」
「……軽蔑、するかも」
「しません。話してください?」
「───実、は……」


 ───好きな人が、いる。そもそも、こんな所にのこのこ着いてきておきながら、それってどうなの、という話だし、全然、気分の良い話じゃなかったと思う。社外の同性の友人にだって話せなくて、当の本人とも、ちゃんと腹を割って話せなかったことを、まだ付き合いも浅い、おとこのひとに、洗いざらい全て打ち明けてしまうなんて、絶対に間違ってる、という自覚はあった。こんな話をされても、面白いはずがないし、───有意義な時間を過ごすために、こんな部屋を用意してくれた人に、わたし、本当に、───酷いことをしている、って。そんなことも、分かりきっていたけれど。もう、苦しくて、全部ぶちまけてしまうまで、止まれなくて。

「───そういう、訳で……」
「…………」
「……すみません、私、入間さんの気持ちも、考えずに……」
「……ハァ……」
「……あの、」
「ったく、本当にな。いくらなんでも、私の気持ちくらい気付いてるでしょう? さん、私はね、あなたが好きなんですよ」
「……はい……」
「こんな話聞かされて、気分良いとでも思うか? んな趣味ねえよ、俺は」
「……すみません……」
「……辛かったでしょう?」
「……え?」
「正直ね、死ぬほど腹が立ってるんですよ。俺がしょっぴいてやろうか? と思ってます、十分、それは可能ですからね」
「え……、え?」
「観音坂さんのことですよ」
「え、ま、だ、だめです、そんな、わたし、そんなつもりじゃ、」
「分かってますよ、だから腹立たしいって言ってんだ、……ねえ、さん」
「は、はい……」
「私はね、綺麗なものが好きなんですよ。美術館ですとか、骨董店ですとか、そういう場所を、見て回るのが好きなんです」
「はあ……?」
「あなたもね、私にとっては、そういうものなんですよ」
「いるま、さん?」
「私は警官ですが、まあ、真面目な警官とは言えません、汚れてます。これは無い物ねだりだって自覚くらい、出来てます。でも、だからこそ、一般市民で、普通の会社員で、屈託無く笑うあなたのね、そういうところが、私は気に入ってるんですよ」

 ───入間さんと最初に出会ったのは、職質を装ったナンパで、その後も何度も会ってるけれど、そんなにも入れ込まれる理由が、あるとは思えなくて、だからこそ、彼の行動が不思議で、彼の気持ちがよく分からなかったから、今も、今までも、こんな風に。その気持ちに気づきながら、軽く受け流してしまっていた、のだ。

「だから、余計に腹立たしいんですよ。俺だって目を付けていたのに、クソッ……」
「……すみません、入間さんがそんな風に思っててくれたなんて、知らなくて、私。幻滅、しましたよね」
「はぁ? するわけないでしょう、何言ってるんですかあなた」
「だ、だって」
「寧ろ、恐れ入ったくらいです。……本当に、心のきれいな人なんですね、さん」
「……そんな、こと、」
「……打ち明けてくださって、ありがとうございました。それは、嬉しかったです。まあ、内容には死ぬほど腹が立ってますがね……クソッ」
「そ、そんな、お礼を言うのは私の方で、」
「そうですか。では、今日のところはそろそろ寝ましょうか。あ、シャワー先にどうぞ」
「え? ね、寝るんですか?」
「ええ、寝ますよ」
「で、でも……入間さん、只泊まるために此処、予約したわけじゃ……」
「……あのな、そりゃ俺だって、そういうつもりだったよ。でもな、今の話聞いて、それで手ェ出せると思ってんのか? そこまで落ちぶれてねぇよ、俺は」
「……で、でも」
「気にしないでいいですよ、私がそうしたいだけなので。俺は、そんなダセェ真似しねぇよ。だから今日は早く寝て、それで、……さん、明日なにかご予定は?」
「え? い、いえ、特にこれといっては……」
「そうですか、では、美術館でもご一緒しませんか」
「え、」
「好きだって、言ったでしょう? あなたに知ってほしいんです、私の好きなものも、私が、あなたを好きなことも、ちゃんと」
「……いるま、さん……」
「ふふ、銃兎です」
「……じゅうと、さん」
「ええ。ほら、早くシャワー浴びてきてください。朝起きられなくなりますよ」
「は、はい。……あの、」
「はい?」
「……ありがとう、じゅうとさん」
「いいえ、お気になさらず」

 ───結局、銃兎さんはその晩、本当に私に何もしなくて、キングサイズの広いベッドだったのに、自分は頑なにソファで寝ると言って聞かなくて、指一本として、断固として触れてこなかった。翌日、ホテルのレストランでビュッフェ形式の朝食を、二人で摂って、それから、近くの駐車場に車を取りに行く道すがらに、目に付いたブティックで、適当に着替えを買いましょうか、と言って、銃兎さんは、私に黒いワンピースを贈ってくれた。勿論、私は自分で払うと言って断ったけれど、一緒に過ごしてくれた礼だ、と言って、彼は決して聞き入れてはくれなくて。───お礼なんて、言わなきゃいけないのは、私の方なのに、どうして、こんなに、このひとは。

「なかなか、見ごたえのある展示でしたね」
「はい。特にあの絵が、私は好きでした」
「奇遇ですね、私もあの作家、好きなんですよ。ああ、そうだ、今度ヨコハマの方で企画展があるんですが、是非、またご一緒していただけませんか?」
「……で、でも、」
「ウチのチームメイトは、あんまりこういった事には、関心も教養もない連中なので……、同行者が居ると、私は嬉しいんですが」
「……わたしで、いいんですか?」
「ええ、あなたがいいんですよ」

 泣きたいくらいに、私が欲しかった言葉を、このひとは贈ってくれる。───ああ、そうだ。私、本当は、こんな風に、大切にしてほしかったの。大好きだから、何をされても平気なんて、嘘だったの。ほんとうは、大好きだから、何かをされるたびに、苦しくてたまらなかったのだ。

「……じゃあ、今度は私がヨコハマに、行きますね」
「ええ、今からデートコースを考えておきますね。また連絡します」
「……はい」

 それに気付いてしまったら、途端に。───明日、観音坂くんの前で、上手く笑って、いつも通りに振る舞えるのか、急激に自信が無くなってしまって。どうしよう、どうしよう、と。必死で考えて、泣きたくて震える手を抑えてくれたひとは、何処までも、私のほしい言葉と行動をくれるから、――頭が、ぐちゃぐちゃになってしまったのだ。 inserted by FC2 system


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