萎れる前に手放さなくては

「ねえ銃兎さん聞いてる!?」
「はいはい、聞いてますよ」

 ヨコハマ・ディビジョン、みなとみらい近郊、ランドマークタワー最上階、夜景の綺麗な、スカイラウンジ。何処を見渡しても、カップルだらけの店内の、バーカウンターで、最近では、互いにすっかり遠慮が無くなってきた、銃兎さんと二人で並んで、呑んでいる。私の話を聞きながら、銃兎さんは少し呆れたような顔で相槌を打って、私は、そんなのお構い無しで話を続けて、というやり取りも、一体、何度目、だろうか。

「───それでね、観音坂くんがね、」
「またその話ですか?」
「またその話ですよ」
「飽きませんね、あなたも……そろそろ諦めて、私に決めたらどうですか?」
「いや、そういうの良いですから、とにかく聞いてくださいよ」
「良くないです、怒りますよ」
「で、さっきの続きなんですけど、この間、観音坂くんが、───」
「……なんと言うか、ほんとに懲りないんですね、さん」
「でも、銃兎さんだって懲りてないですよね。また私と居るし」
「ハァ? 懲りませんよ、それこそ懲りるわけねぇだろ、俺の粘り強さナメんなよ」

 こうして、頻繁に銃兎さんと出かけるようになってから、もう、二ヶ月程になるのだろうか。二ヶ月前、シンジュクのバーで酔い潰れた挙げ句、ホテルまでのこのこと着いて行って、結果、銃兎さんの前で大泣きして、散々迷惑をかけた、あの日。
 その翌日に、中王区の自宅付近まで送って貰ったときは、───流石にもう、呆れて、連絡もこなくなるんじゃないかなあ、と少し思っていた、けれど。

 実際には、そんなこと一切無くて、それ以降も、銃兎さんからは、頻繁に連絡が来たし、寧ろ、以前より積極的に、───多分、銃兎さんの意図としては、デートなのだと思うのだけれど、休日の外出に、誘われるようになった。
 あの日、本当に迷惑かけたからなあ、という負い目で、誘いを受けた部分が、最初は多かったの、だが。───何度か会う内に、芸術や美術、観劇だとか、そういったレジャー、カルチャー的な趣味が、私と銃兎さんでは、結構近い感性をしていることが、判明して。まあ、私に合わせてくれている部分も、大いにあるとは思うのだけれど、前から行ってみたいと思っていた場所に、誘ってくれたり、はたまた、私が溢していた話を、細かく記憶してくれていて、そこに次回、連れて行ってくれたりもして。
 ───そんなことをしている内に、私はいつの間にか、銃兎さんと会うことが、普通に楽しくなって、しまっていたのだった。

「───私もね、ほんと私、懲りないなあ、って思ってはいるんですよ、きっともう、脈無しなのになあ、って……」

 この交遊が始まった当初に、私は、観音坂くんとのことを、全て銃兎さんに、打ち明けてしまっている。だから、もう今更、取り繕いようがなくて。その後も、会った際に、私が少し落ち込んでいたりすると、観音坂さんと何かありました? なんて、銃兎さんは私を気遣って、自分から聞いてくれるものだから、私も、抱え込んだものを言い出しやすく、話しやすくて。こんなの、だめだよなあ、銃兎さんの好意を、利用しているだけだものなあ、なんて。───最初は、思っていたはず、なのだけれど。

『───今の恋に疲れたから、手近な男、自分に好意を寄せている男を利用する、と。結構ですよ、お互い様じゃないですか。私も、さんの傷心につけ入ろうとしてますし、そういうものでしょう?』

 あるとき、銃兎さんに言われたその言葉で、───私は、憑き物が落ちたような気分が、して。それから、すっかり、銃兎さんの善意に、甘えるようになってしまったのだった。

 最初は、警戒していたし、信用も何もなかったけれど、今はちゃんと、知っている。
 ───銃兎さんは、本気で、私のことを好きで居てくれている、のだ。
 だから、そんな私の、恋愛相談なんて、気分が良いものじゃないことは、私だって流石に、分かっているけれど。銃兎さんは、別に構わないし、打ち明けてくれることは嬉しい。話せと促したのは彼だから、私が気に病むことじゃない、と。そう、言ってくれた。

 案外、趣味も合うし、話していて楽しいし、───何より、ずっとずっと、誰にも話せずに、一人で抱え込んでいた、私の悲惨な恋の話、を。打ち明けられたのは、聞いてくれたのは、銃兎さんだけだった、から。申し訳なさを感じつつも、こうして誘いに応じることでしか、お詫びにはならないことも、分かっていたから。いつしか、銃兎さんからの連絡に、私もこまめに、返事を返すようになって、元来、マメな性格をしているんじゃないかな、と思うのだけれど、銃兎さん、結構先の予定を聞いてきて、お互いの仕事のスケジュールも加味して、無理のない範囲というか、私に負担が少ない形で、予定を提案してくれるから。そうなってくると、あまり断る理由もないし、私も息抜きしたいし、銃兎さんは私に会えるのが嬉しい、と言ってくれるから、───そんな具合で、私の休日のスケジュールは、最近では殆ど、銃兎さんとの予定で、埋まっていて、今日もこうして、銃兎さんに会いに、ヨコハマを訪れているのだった。


「───さんは、」
「? はい? なんですか?」
「諦めたいんですか? 観音坂さんのこと」
「……どう、なんでしょう」

 ───どうなのだろう。でも、諦めたいか否か、と問われたなら、きっと、それは。

「……諦めたくないけど、諦められないけど、諦めなきゃなあ、って。そう、思ってるんだと、思います……」
「……随分とまあ、曖昧な表現で」
「う……ですよね……」
「まあ構いませんよ、それで? 何故、諦めなければならない、と?」
「……多分、観音坂くんは、今のまま、でいたいんだと、思うんですよね……」
「へえ?」
「最近、観音坂くんと、どうやって話したら良いか、分からないときがあって。前は、私、そこまで、彼に対する好意を隠す気もなかったんですよ、まあ、私はアピールしてるつもりでも、多分、伝わってなかったんだとは、思うんですけど……」
「なるほど、そうでしたか」
「それで、なんか、自分でも嫌な奴だと思うんですけど、……上手く、前みたいには、気軽に声を掛けられなくて。そしたら、最近、観音坂くんの方から、声かけてくれることが多くなってて」
「……」
「休日出掛けないか、って時々言ってくれるんですけど、なかなか予定合わなくて……銃兎さんと約束してるから……」
「……前もって、休日を開けておけば良いんじゃないですか? それか、私との約束をキャンセルするとか」
「いや、そんなの銃兎さんに失礼じゃないですか。それに、誘われるの待ってて、それで誘われなかったら、ばかみたいだし……」
「……あなたって人は……」
「? それに、二人で出かけるのは嬉しいけど、一日一緒に居て、何を話したら良いのかな? って、分からなくなっちゃって……一緒に居てつまらなかったら、それこそ、がっかりされちゃうかも……」
「……観音坂さんって、そういうひと、なんですか?」
「え、いえ、そんなことないと思います、観音坂くん、優しいし……だから、余計に、気を使わせるの、嫌で……」
「……なるほど、ね」
「寧ろ今までは、私が観音坂くんのフォローをする側、だったんですよ。メンタル的に、不安定なところあるし、身体壊したりしないか心配で、……でも、そんなの余計なお世話だったのかも、しれません。私が彼を必要としてるから、理由付けて、付きまとってただけ、だったの、かなあ……」
「……まあ、そんなことは、ないとは思いますけどね」
「でも、そうやって誘ってくれるのって、多分、最近私がよそよそしいからだと思うんですよね。で、気を使わせてるな、って。だって、毎回私が好きそうなお店とか探してきてくれるんですよ、前は飲み屋とかが多かったのに」
「……なるほど?」
「だから余計に申し訳なくて、……でも、私が断っても、なんとなく誘っただけだし、って言われちゃって……。断っておいて、何なんですけど、……寂しかったん、です。本当に、私ばっかり好きなんだな、って」
「…………」
「それで、思ったんですよねー……観音坂くん、やっぱり私のこと、友達だと思ってるんだなあ、って。それなのに、急に私がよそよそしいから、元の関係に戻れるように、気を回してくれてるんだろうな、私って、だめだなあ、って……」

 ───近頃、観音坂くんと、前みたいに、上手く話せなくて。何も意識しなくても、前なら、気軽に話しかけて、ご飯行こうとか、何処寄ってこうとか、言えたのに。色々と、自分でも自覚できていなかった、細かな心の傷を、自覚してしまった途端に、それらが、上手く、出来なくなってしまった。どうしよう、と思っていたら、観音坂くんの方から、声を掛けてくれる頻度が増えてきて、お陰で、全くやり取りが無くなってしまった、なんてことも、なかったけれど。そうやって、気遣ってくれるのは、やっぱり、友達だからだよね? と思ってしまってから、あれ、じゃあ、観音坂くんの理想通りに、同期で親友のとして振る舞うには、どうしたらいいんだろう? って。何もかもが、余計に分からなくなってしまったのだ。───じゃあ、やっぱり、そう在る為には、観音坂くんの望む私で居る為には、───彼に恋するの、辞めなきゃいけないんじゃないかなあ、って。そう、思って。

「――あの、さん、それって、そうではなくて、……」
「? なんですか?」
「……いえ、やはり、何でもありません」

 銃兎さんは、私の話を聞いて、苦虫を噛み潰したような顔をして、───でも、それ以上は何も言わなくて、私は、バーカウンターの上、カクテルガラスの水滴が落ちるのを眺めながら、ぽつり、ぽつり、と言葉を重ねるのだ。

「それで? さんは観音坂さんを好きで居ること、やめられそうですか?」
「……多分、むりです。でも……」
「でも?」
「観音坂くんが、そう望んでるなら。……やめなきゃ、ちゃんと、友達として、好きで居なきゃ、って。そう、思うんです、けど……」
「……まあ、そういうことなら、」
「? はい」
「……別の恋を始めるのが、手っ取り早いんじゃないですか?」
「……あ、えっと、あの、ですね」
「どうです? 私はいつでも歓迎ですが。今は私に気持ちが向いていなくとも、さんをその気にさせる自信ならありますし、是非」
「あ、その、えっと、……じゅ、銃兎さんの気持ちは、ちゃんと分かってます。……分かってるんですけど、でも、まだ、……私……」
「……大丈夫、それも分かってますよ。それに、こうして名前で呼んでいただけているだけでも、大進歩ですし」
「……いいんですか? なんか、私ほんとに、銃兎さんに失礼なことばっかり……」
「いいんですよ。私もさんのお友達、という立場なら、観音坂さんと同格でしょう?」
「……そう、なんですかね」
「ええ、私はそう思ってます。その上、お友達から、とちゃんと先を見据えていただけていますし、破格の待遇じゃないですか? 不満はありませんよ。あとは、是非とも、前向きに検討して頂けるようにと、願うばかりです」

 ───友人で居ることを望んでくれているひと、と、友人から先に進むことを望んでくれているひと。その両者も、本当に優しくて良い人で、だからこそ、こんな私に、こうして付き合ってくれているのだよなあ、と思うと、───やっぱり、このままズルズル、じゃ駄目なのだと、分かりきっていて。……ああ、いつから私、こんなにネガティブで、後ろ向きで、煮えきらない人間に、なっちゃったんだろう。今までずっと、ちゃんと、頑張ってきたのに、な。ハリボテでも良いから、完璧に見えるように、って、気をつけていたのにな。今までちゃんと出来ていた、ひとつひとつは、実は、結構な、無茶と無謀の上に、成り立っていたのだ、と。そう、自覚してしまってから、本当にもう、全部ぐちゃぐちゃだよ。最低限、仕事には支障を出さないように、って、必死で気を張っているけれど、最近、考えることが多すぎて、なんだか、よく眠れていないし。それでも、毎日仕事はあるし、中王区からシンジュクまで通勤している私は、朝も早いし、夜も遅い訳で。ほんと、こんなことじゃだめだ、って、私が一番、分かっているはず、なのだけれど。

「……すみません、ありがとう、ございます」
「いえいえ、お気になさらず」

 ───早く、いつもの私に、頑張って戻らなきゃ、だめ、だよねえ……。ああ、そうだ、今度、寂雷先生の所に行く用事が在るから、ついでに診察、お願いしようかな……。 inserted by FC2 system


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