つたない魂の戯論

「───っ、先生! 、は……!」
「……ああ、独歩くん、来られたんですね」
「その、こんな時間に、なってしまいましたが……」
「仕方ないけれど、そうですね……その、言いにくいのだけれど、くんは、」
「……はは、ですよね。もう、迎えに来ましたよね、入間さん……」
「……はい、くんが目を覚ます前に、彼が駆け込んできてね」

 俺はいつもいつも、どうにもこうにも、間が悪いし、自分では、必死に見ているつもりでも、自分のことで、つい、いっぱいいっぱいになって、見落としてしまうし、───こういう、肝心なときだって、俺は間に合わなかった。
 ───今日は、外回りで、ヨコハマの得意先のところまで出向いていて、シンジュク中央病院、先生のところで、が倒れた、と。そう、伝え聞いたのは、取引先の重役が、一瞬、席を外していた時のこと、だった。

 の自宅は中王区だが、そもそも、うちの課には女性社員が元から少なくて、その少ない面子も、今日は全員出払っていて、会社の人間では、迎えに行けそうにもない、と。───日頃、あれだけ貢献しても、こういうとき、ウチの会社って結局、何もしてくれないのかよ、クソかよ、だとか、ふざけんなよ、だとか。思うところは、いくつもあったが、実際問題、それどころじゃなくて。戻ってきた先方に断りを入れて、一旦離席、上司に折り返して、詳細を確認したところ、───本日分の外回りを終えたら、直帰という形で、俺が病院まで、を迎えに行ってもいい、ということになった。社内で俺は、と深い仲だと、思われているから。自宅まで送れなくとも、俺が引き取ることは出来るだろう、と。上司達で話して、そういうことに、なったらしい、が。───但し、今すぐにでも、という話にはならなくて、あああ、本当にクソだな、どうしろってんだよそんなの、今からどんなに早く終わっても、あと3件顔を出す予定がある、先方のアポは取れてるし、多分、今日は打ち合わせも、長引きそうなのに。クソ、代われよこんなときくらい、どうせあのハゲは今日もさっさと帰る気だろ!? エクセルもまともに扱えねーんだから、テメェが外回りでもしてろよ!

『───せ、先生、の様態は? 無事なんですよね!?』
『落ち着きなさい、独歩くん。くんは無事だよ、ただ少し、疲れが溜まっていたようでね、大事はないから、安心しなさい。……それで? きみは、迎えにこられるのかな?』
『……直帰の許可は、降りたんですが、その……今、ヨコハマの、取引先のところにいまして……』
『……そう。今は未だ、くんも眠っているので、何時までに来て欲しい、とは此方も言えないし、此処は病院だから、休んでいてもらう分には、問題もないし。きっと、くんはきみが来る、と言えば、待っていてくれるでしょうけれど……』
『……でも、それじゃあ、負担、ですよね、は……僕じゃ、家まで送れるわけでもないですし……』
『彼女が、シンジュク区内に住んでいたなら、良かったんですが……あの、独歩くん。少し聞いてもいいかい?』
『は、はい』
『───左馬刻くんのチームメイトの、彼……入間くんは、くんの友人、なのかな?』
『……はい?』

 話の通じない上司より、もう直接、先生に連絡を取ったほうが早い、と。そう思って、私用の端末から、先生に電話してみたところ、事態が事態だからか、すぐに先生も電話を取ってくれて。どうやら、状況としては、過労や貧血で倒れたから入院、という話にまではならない、ということらしいの、だが。───が、倒れたとき、過呼吸の症状を起こしていた、らしくて。───何か、心理的な負担、ストレスが大きく、精神的な問題の可能性もある、という話で。それならそれで、静養が必要だし、───恐らくは、今日は早いところ、家に帰してやりたくて、病院側、先生としても、最善の選択を、考えあぐねている、という話、らしかった。

『……何故、急に入間さんの話に……?』

 ───そう、の話をしていたときに、突然。───先生が出した名前に、嫌でも、俺は、───心臓が、ざわつく感覚を覚えて。

『緊急時だったので……女性の看護師が、彼女の鞄を確認してね。彼女の持ち物に、入間くんの名刺が、入っていたそうなんです。私用らしき連絡先が書いてあって、……それで、彼は警察でしょう? 中王区にも、出入りを許される立場、なので、』
『……あ、』
『もしも、くんの友人なら、連絡を取ってみようかと思うんですが……どうだろうか、独歩くんは、何か知っていますか? 勿論、私も、きみに来てもらうのが一番だと思っているし、彼は彼で、忙しいでしょうから、都合を付けてくれるかは、分かりませんが……』

 ───また、こんなところでも。思い知らされるとは、思わなかった。……ああ、そうか、確かに、入間さんなら、家まで送ることも、出来るの、か。───嫌だ、と言いたかった。少しでも早く、急いで俺が行くから、待っていてください、と言いたかった、───でも。、精神的に、弱っているかもしれない、って? いつも強気で、営業職の鑑みたいな奴で、怖いもの知らずの、負け知らずで、神に祝福されたみたいな、奴で、───って、そう、思っていたけれど、───もしかして、もしかしなくとも、それは、───俺の思い過ごし、思い込みか? 本当はずっと、俺のことを支えてくれながらも、はずっと、ずっと、───何処かで無理して、無茶して、強がって、───苦しんで、きたのか?

『……友人、かどうかは、僕には分かりません……。でも、多分、……入間さんなら、来てくれると思います』
『それは、どういうことだい?』
『分かるんです、僕と、同じなので……入間さん、のことが、好きで、大切なんですよ。多分、本気で……』
『……ああ、そういう、ことか』
『はい……』
『……そういうことなら、彼にも連絡してみるよ。でも、独歩くん』
『は、はい……』
『彼女が一番嬉しいのは、きみが来てくれること、だと思いますよ。……今日も、きみの話をしていたんです』
『え? ぼ、僕の?』
『はい。……彼女、色々と悩んでいるようだから、落ち着いたら、話をしてごらん。私は、悪いことにはならないと思うよ』

 ───先生が、そう仰られた理由は、俺にはわからない、と先生で、俺のどんな話をしていたのかも、分からないし、先生は、そういった話を、相手が誰であれ、軽率に吹聴して回るような方ではない。───だって、そうだ。だから、二人が俺の悪口を、なんてことは、全く考えないし、そんなことを思っては、二人に失礼だし。───でも、一体、何の話を、していたのだろうか。過呼吸を起こす程の、強烈な不安で、倒れたという彼女は、───恐らくは、何かを思い悩んで、……きっと、その直前に、俺の話をしていたのだ。

 俺のせいなのかな、俺のせいだよな、俺のことで悩ませて、とか、俺が関わることで何か、とか。はたまた、俺の失態を、が挽回するために、精神的にも負担が増えて、こんなことに? ───とか、色々、思ったけどさ。

 ───傲慢だ。
 ああ、傲慢だとも。

 俺は、───もしかして、俺になら、その苦しみの理由を、取り除けるんじゃないのか? って、心の何処かで、思ったんだよ。


「───はは、でも、全然、間に合わなくて、俺は、本当に……」

 俺だって、ヨコハマにいたけれど、それこそ、条件だけなら、入間さんだって同じはずだし、向こうも、勤務中だろうし、───もしかして、俺が先に行けるかも、と。正直、少しはそう、思っていた。
 でも、のことが心配で仕方なくて、得意先でのプレゼンも、機器のチェックも、妙に焦って、失敗ばかり、してしまって。───ああ、そうか、俺。最近、前より少しは仕事、出来るようになったと思ってた、けど。───それもこれも全部、のお陰、だったんだよ、な。彼女が、俺の苦手な部分、弱い部分を、克服しようと、一緒になって悩んで、考えて、時には、取引先の愚痴とか、上司の悪口とか、そういうものも言い合って、ただ笑って、隣に居てくれたこと、それ自体が、俺を心身共に、成長させてくれていたから。

 ───本当に、いつもいつも、俺はに貰ってばかり、負担を強いてばかり、だけど。本当に、何かを返したい、彼女の力になりたいって、思ってるんだよ。そんな幾許かを、伝える手立てだって、俺には大して揃っちゃいないが。───せめて、こんなときくらいは、何か、力になりたい。───うちに連れて帰ったところで、自宅より、落ち着かないだろうけど、悩んでいるなら、話を聞くし、一二三もいるから、きっと、寂しくはならないし、静かに寝ていたければ、そうしてくれても構わないし、───もしかしたら、そんなの、俺の口実に過ぎないのかも、しれないけど。

 只、知っていてほしいと、そう、思ったんだ。
 俺が、───の傍に、居たいと思っていること、只、それだけでもいいから、知ってほしかった。の隣に並びたくて、俺はどうにか、泥沼のような劣等感から抜け出そうと、藻掻いてるんだ、って。───だから、もしも、が今、しんどいなら。ずっと支えられてきた分、───俺が、駆け付けたかったんだよ、なあ。

「───私が、診断書を出して、くんには数日、自宅で静養を、ということになりました。ですので……」
「……はい、後で、連絡してみます。僕も、心配なので……」
「それがいいですね、くんも、独歩くんの声を聞いたら、安心するでしょうから」
「……そう、でしょうか」
「ええ、そうだと思いますよ」
「……はい、僕も、そうだといいな、と思います……」

 ───その後、病院を出てすぐに、に電話を掛けてみたものの、私用の端末も、社用の端末も、繋がらなくて。時間を開けてまた掛けよう、とも思ったものの、寝ているんだろうか、と思ったら、そんなに何度も連絡するのは気が引けて、───結局は、メッセージを一通だけ、送った。───大丈夫、なのかな。多分、入間さんが色々と、必要なものとかは揃えてくれたと思うし、心配はいらない、ん、だろう、が……。あ〜やっぱりそういう問題じゃねーよな!? 心配だよ、ああ、くそ、やっぱりどうしたって悔しいし、ハァ、せめて、見舞いにいければ、顔が見られたなら、安心できるのに……いっそ、壁、ぶっ壊してやろうか? 中王区め……。 inserted by FC2 system


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