夜は死んだふりを許してくれない

「じゃ、観音坂くんおやすみ〜」
「お、おやすみ……

 ───結論から言えば、何も言われなかった。全裸のまま、情けなくもラブホの部屋で床に額を付けて、謝罪を繰り返す俺を前にしても、はまるで動じていなくて、とりあえずホテル出て朝ごはんにしよう、と呑気に言う彼女に、適当な喫茶店の店内、公共の場で、公開処刑されるってことか……と死刑執行前の被告人のような気持ちで、ふらふらと服を着て、精算を済ませて。時々二人でモーニングを食べるカフェに入って、サンドイッチを頼んで、俺はとてもじゃないが食える気なんてしなかったのに、は運ばれてきたサンドイッチを、平然と口に運んで。

「あ、これおいしい。観音坂くんも食べてみてよ」
「え、あ、ああ……いいのか?」
「いいよー。観音坂くんのも一個ちょうだい」
「あ、ああ……」

 ……いいのか、ではない。いいよ、でもない。場所を変えて真面目な話を、という流れかと思えば、場所を移して、本当に食事をするだけだった。美味しそうにハムサンドを口に運んで、俺のタマゴサンドも口に運んで、幸せそうにしているは、……か、かわいい……な……いやほんとかわいい……こんな天使みたいな子が俺の同期で、その上俺なんかと仲良くしてくれてるって、俺って実は幸運なのかもしれない……いや、俺はその幸福を自分でぶっ壊したんじゃねーか。やっぱり俺はゴミクズだ……。

「いいねえ、朝からこんなにゆっくりできるのって。まあ寝不足だけど……」
「え!? あ、は、そ、その、」
「え? 観音坂くんも寝不足でしょ? 昨日結局何時に寝たんだっけ、覚えてる?」
「いやあの、その、……っっ、本当にすまん、あの、俺に出来ることがあれば、なんでもする、し、それでの気が済むなら、辞職でも出頭でも、が俺にし、死ねって言うなら死ぬ! だ、だから、な、なんでも言ってくれ……っ」
「え? 別に良いよ、それより、これ食べたらさっさと帰ろうか。眠いし、やっと休みだし、観音坂くんも早いとこ帰って寝たいでしょ?」
「え……あ、そ、そうだな……」


 ───結局、はそんな調子で、朝食を済ませてから、とは駅で何事もなく別れ、俺は自宅に帰り、よろよろとベッドに倒れ込んで、───夢だったら、どれほどよかったことか、と。ぐったり倒れ込みながら、───そう、思った。いっそお互いに、記憶でも飛んでしまっていれば、よかったのかもしれない。無責任極まりないし、我ながら最低のクズ野郎だと、思うが、……正直、俺は、とこんなことになって、今朝、彼女の隣で目を覚ましたとき。このまま、上手い具合に、俺に都合良く事が運んでくれたなら、いいのに、と。そう、思ってしまった。極自然と、これはそういう関係になったということだよな、と圧を持って振る舞える人間だったなら、どんなに良かったことか。実際、俺にはそんなスマートな振る舞いは出来なくて、はあの調子だし、これじゃ本当に、何もなかったみたい、だ。俺だけが、気にしている、ような。あんなにも、何でもなかったように、振る舞われると、正直、滅茶苦茶傷付く。───加害者の分際で何を、という話なのだが。

「……本当に、俺ばっかり好きだったんだな……」

 当たり前だ、俺なんか、と仲良くしてもらってるだけでも、奇跡なのに。明日から、どうしたらいいんだろう。……会社、行きたくないなあ、と顔を合わせて、どんな顔したらいいんだ、合わせる顔もない、……ああいっそ、本当に会社、辞めちまうか。があんな風に振舞ってくれたのは、俺を傷付けまい、と優しい彼女が考えたからで、だってきっと本心では、もう俺の顔なんて、二度と見たくないに決まってるさ……。


「おわったー! あ〜も〜、疲れた! 観音坂くんラーメンいこ!」
「……へっ?」
「え? だから、ラーメンいこ。お腹すいたでしょ?」
「え、あ、……ああ、減ってる、が、」
「何処の店行こうか、私、今日は塩の気分かな。観音坂くんは?」
「あ、じゃあ、俺もそれで……」
「おっけー! いこいこ!」

 翌日、いつものように残業中、案の定、フロアで二人きりになってしまい、もう大分どうしたらいいのか分からないし、どのツラ下げて話しかけられるっていうのか、でも、もしもが本気で気にしていないなら、俺ばかりが変に固くなるのもそれはそれで、いや、そもそもそれが自意識過剰なんだ……と、ぐるぐる考える俺を他所に、仕事を片付けてやっと帰れる、というタイミングで、が俺に声を掛けてきて、思わず声が裏返って。それは、確かに、今までは、こうして頻繁に二人で、仕事終わりにラーメンとか、牛丼屋とか、飲み屋とか、行ってたけど。きっともう、前みたいには───、という俺の葛藤を他所に、は俺を連れて会社を出ると、馴染みのラーメン屋の暖簾を潜る。この店に一緒に来るのも、一体、何回目、どころか、何年目、だろうな。確か、入社2年目にこの店を俺が見つけて、勇気を振り絞って、昼にを誘って───。

「観音坂くん、餃子食べられる?」
「あ、ああ。が頼むなら、半分俺が食べる」
「ほんと? よかったー! おじさん、塩2つと餃子一枚ねー」

 こんな風に、が俺に食べられるか、と聞いてくるのは、シェアしないか、という誘いで、俺がそれを絶対に断らないのは、まあ、腹が減ってるのもあるけど、が嬉しそうにするから、美味しそうに食べるが可愛いから、その笑顔が見たくて頷いているのだ、と。は、きっと知らないし、知ったところで、何も思われない、……の、だろう、な。俺だけがを好きで、は俺なんて、同僚としか思ってなくて、同期の生き残りでは、互いが唯一の戦友みたいなものだから、俺と連んでいるだけ。俺のことなんて、は何とも思ってない。───そう、分かっているのに、わかって、いたのに。俺は、結局。……期待、していたらしい、と。情けない、消えてしまいたくなるような、そんな事実を突きつけられて、平然と振る舞う彼女の横顔に、心臓がずきずきした。

「───そういえばさ、観音坂くん」
「え? なんだ? 
「来週、課の飲み会あるじゃん」
「ああ……面倒だけど、行かないとまた、ハゲ課長がうるさいやつな……」
「そうそう、多分二次会カラオケじゃん? あのハゲ音痴だしさあ、てか絶対観音坂くん歌わされるじゃん、パワハラだよね」
「はは……」
「観音坂くんのラップは、私も聴きたいけど」
「え、」
「でもやってらんないでしょ? だから途中、二人で抜けようよ、私行きたい店あってさ」
「え、い、いやでも、そんなことしたら、俺と妙な誤解されて、は迷惑だろ……?」
「うん、多分そういう誤解されるけど。観音坂くんがいやじゃなければ、行かない? 魚料理が美味しい店なんだけど」
「……は、嫌じゃないのか?」
「やだな〜、嫌だったら誘わないから。観音坂くんには、今更そんな気使わないしね」
「そ……う、か……」
「そうそう、それに、別に私はいいよ」
「え?」
「観音坂くんとなら、噂になっても平気だよ」

 ───それ、どういう意味だよ、と。そう、聞き返したかった。でもきっと、その言葉に引っかかりを感じてしまうのも、全部全部、自意識過剰で、気にしているのは俺だけ、なのだろう。普段クールな彼女が、もぐもぐと美味しそうに、餃子を頬張る、子供みたいな横顔も、───あの夜の、艶っぽい表情も、きっと、社内で知っているのは、俺だけなのに。確かに、俺は他の誰より、の近くに、居るはずなのに。───滅茶苦茶に、破壊して、踏み躙ってしまっても。結局、全然、この距離感は変わらなくて。こんなに近くにいるのに、こんなにも、遠い。……はは、本当、心底俺って、どうしようも、ないな。

『───かんのん、ざか、くんっ、ま、って、うそ、な、なんでぇ……』
『……っ、独歩って、呼べよ、……』
『……どっ、ぽ……』
『もっと、もっとだ、……っ、は、俺は、俺はお前とずっと、こうしたかった……っ!』
『あ、やぁ、どっぽ、どっぽ……っ、!』

 ───もう、どうにもならなくなったのは、自分の責任だろうに。本当、最低、最悪だ、俺って。
 本当に、ごめんな。

 ……俺なんかが、を好きになって、ごめん。 inserted by FC2 system


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