捕まえられたら蝶々はリボンにしてあげる

 ───第一回のテリトリーバトルは、麻天狼の優勝で、幕を閉じた。

 私は、ラップバトルには全然、詳しくないし、中王区に住んでいるのも、現政権指示者だとか、そういうことではなくて、只、元号が変わった際に、女性の中王区移住が推奨されて、───ウチの会社にも、優秀な女性社員は中王区に、という打診と言うよりも、圧力が、政府から向けられたそうで。それで、私にお声が掛かっただけの話。だから、中王区に住んでいても、ラップバトルは私とは余り縁のない話だった。───見世物的な要素も、あまり、好きにはなれなかったし、最初に見に行ってみようと思ったのも、独歩くんがDRBに参加する、と聞いたから、応援したいと思った、という理由でしか、無かったし。
 現政権に移行して以来、選挙制度が廃止されて、文字通りの独裁国家に、この国は成り果てた。女性の税率が下がって、女性優先の世界になって、それは少しだけ、以前の世界より生きやすくなったのかもしれない。確かに、戦争はなくなった。───でも、この街には、この国には、この、世界には、未だ多くの爪痕が残り、苦しみが渦巻いている。

 街で度々見かける、中王区の外の領土を賭けた戦いに、何の意味があるのだろう、と思ったこともある。マイクも持たない私には、理解し得なかったその意味を、独歩くんの、───彼の詩を聴いて、多分、私は、ようやく理解した。───ラップは、魂の叫び、心の主張なのだ。言葉は刃、その意味を、話術でねじ伏せる職を生業とする私は、よく知っている。魂の奥底から、吐き出されるリリック、刻まれたライムは、この世界のどんな武力よりも、力強く、胸を打つ気がした。
 もしも、世界が変わるとすれば。
 ───変えるのは、この街の狼達なのかもしれない、と。彼のその背に、私は、強い説得力を、感じたのだ。

「───さて、観音坂さん。我々も不思議と、因縁が増えたものですが」
「……何も、不思議じゃないでしょう。俺は、入間さんが何故、そうもに入れ込んでいるのか、何も事情は知りませんけど……」
「けど、なんでしょう?」
「───死んでも、は譲りません」
「───上等じゃねえか、あいつの前で跪かせてやるよ!」
「ブッ潰す!!」

決勝で、麻天狼は銃兎さんの属する、MTCと当たって、最終決戦は、この2チームの激突で締めくくられることとなった。ステージ上で、独歩くんと銃兎さんが、何を話したのかは、客席で見ていた私には、知る由もない。只、彼ら二人が、これから文字通りに、命懸けの戦いをすることが、私は、只々、こわくて、こわくて。でも、目を逸らしたらいけないのだと、そう、思ったから。

『───俺、頑張るから。俺なんか、まだまだスキルも未熟だし、……ちゃんと、自分の言葉を制御出来るか、自信、ないし……でも、此処まで来たのは、確かだからさ』
『独歩くん……』
『先生の為にも、お前の為にも、一二三と一緒に、頑張ってくるから。……だから、ちゃんと見ててくれ。そうしたら俺、頑張れる気がするんだ』

 そう、約束したから、不安だったけど、信じてた。だから、麻天狼の優勝を受けても、私はそこまで、驚かなくて、只々、嬉しくて、───寧ろ、私には、こうなることが、分かっていたような気がしていたのだ。

「……ほらね、だから言ったでしょ」

 独歩くん、本当は、やれば出来るひと、だもん。───私は、彼の本気を知ってたし、信じてたから、ね。



 寂雷先生の病院で、私が倒れてから、一週間後。滞り無く、職場に復帰して、正直、結構心配していたけれど、上司とか、同僚たちからなにか言われる、ということも無くて。寧ろ、みんな私の心配をしていてくれたらしく、きゅっ、と身が締まる想いだった。それからすぐに、私は仕事での不調も、順調に持ち直して、それからまた暫く、営業部トップの記録を、保持し続けていたけれど、麻天狼が優勝してから、少し経った頃に、───遂に、月間成績を、独歩くんに抜かれた。その月、我が社の営業部が始まって以来の数字を、叩き出した彼は、その後も順調に、業績を伸ばしていて、負けじと私も食らいついて、以降はずっと、抜いたり抜かれたりを繰り返しながら、仕事上では良いライバル関係を、保っている。
 ───そして、プライベートの方は、

『あー……結婚か、どうしよう、嬉しすぎて死にそう……』
『ほんとよかったなあ、独歩ちん!』
『ああ……』
『でも、どうしようね?』
『え? 何が?』
『とりあえず、私が今の家引き払うことになるとは、思うんだけど』
『ああ、そうだよな』
『まー、俺っちと独歩の同居、解消して、二人がそのまま此処に住むか、それか、新居探すなら俺っちが此処に残る! ってのが、話早くていいんでね?』
『……えっ?』
『……は?』
『んえ? どったの、二人とも』
『……いや。そうか、一二三との同居解消、するってことに、なるんだよな……と、思って……』
『待って、それは駄目でしょ。だって、独歩くんと一二三くん、ずっと一緒にやってきた訳でしょ? 一二三くんだって、独歩くんが居ないと、色々困るでしょ?』
『まー、それはそうだけど。独歩がさ、ちゃんと一緒になる! っていうなら、俺はそれを応援したいわけよ、分かるっしょ?』
『それは、分かるけど……、いや、やっぱ分かんない! なんか違うと思う、そういうの……』

 あの夜、二人で手を繋いで、コンビニの袋を提げて、独歩くんの自宅まで、ゆっくり歩きながら、一二三くんに何処から説明しようね、なんて話をして、───そうして、帰ってからすぐに、至極当然な疑問に、ぶつかった。独歩くんは、現状、一二三くんと一緒に暮らしていて、私は、中王区で一人暮らしをしていて。まあ、順当なのは、私がシンジュクに引っ越すこと、だけれど、───じゃあ、その後は? 彼ら二人の今の生活は、どうするのか? と、いう話になる、訳で。
 確かに、一二三くんの提案が、妥当なのだと思う。───でも、独歩くんは私の大好きなひと、だけど、一二三くんだって、私の大切な、友達なんだよ。私以上に、友人同士、隣人同士である彼らを、私達の都合、引いては、私の都合で引き離すのは、何か、どうしても、───嫌だった。

『……あの、提案なのですが』
『はい、なんでしょう』
『……私が、ここに引っ越してきて、三人で暮らす、というのは?』
『……は?』
『……んえ?』
『え?』
『いや……それは……いくら一二三でも新婚の家に同居って……ちょっと俺は……』
『だから一旦は、婚約ってことにして』
『……え!? そんな、結婚してくれないのか!?』
『聞いてってば。ひとまず、区切りの良いところまで。どのみち、賃貸だもん、更新とかの都合もあるでしょ? 引き払うにしてもさ。私のところは、丁度そろそろ更新だけど……二人の家って、最後に更新したのいつ?』
『え、いつだっけ……』
『んあー、半年前じゃね?』
『更新って、一年置き?』
『うんにゃ、二年かなー』
『じゃあ、ひとまずは、長くても一年半後、で、どうかな……? 大体、私達も仕事のこと考えたら、すぐに入籍、って無理じゃない……?』
『む、……っり、じゃない、と言いたいが……まあ、上司の反応は怖いな、急に、ってなると……色々と邪推されそうだし……その、結婚ってなると子供とか、さ……』
『それそれ。うち、育休制度とか、託児室とかも、充実してないしね……多分、滅茶苦茶やりづらくなるよ……』
『ああ、だよな……』

 テーブルの上に、ゼクシィとお酒とおつまみと、私はハーブティーを飲みながら、三人で真剣に、話をした。私と独歩くんが、結婚するに当たって、どういう手順と段階を踏むのが、最短で、最適なルートになるのか? と、真剣に、提案と審議を重ねて、ひとつの選択肢が、見えてきて。

『……まあ、確かにそれなら、……相手も、一二三だしな……俺は、構わないけど』
『えっ、独歩マジ? えー、でもそんなんさ、ちゃんはほんとにいいの? もっとさ、独歩を独り占めしていいんだぜー?』
『なっ、ひ、ひふみ!』
『それは確かに、魅力的な提案だけど……、一二三くんと三人、も楽しそうだなって思うし、どうかな? 家事の負担も半分になるし、例えばさ、休みの日とか、二人で凝ったお料理したりできるよ? 楽しそうじゃない?』
『……え、めっさ楽しいっしょ絶対。それ、え、ヤバくね? 午後まで寝てる独歩を、二人でびっくりさせたりできんの?』
『そうそう!』
『い、いや、俺だって手伝うぞ! 二人が起きてるのに、午後まで寝たりしないし! ……あの、俺だって、皿出したり、洗ったりとか……』
『だっはっは! ジョーダン! 別に仲間はずれにするわけじゃねーって! あー、でも、確かに楽しそうだわ、……なあ、ちゃん』
『なに? 一二三くん』
『……あんがと、俺っちのことまで考えてくれて、めーっちゃ嬉しい。はー、さっすが、独歩ちんの選んだ女の子だわー!』
『は? 何を今更、当然のことを言ってるんだよ……』
『へへ。まー、こんな奴だけどさ? 良い奴だから、独歩をよろしくな』
『おい、なんだよこんな奴って!』
『それと、俺っちもよろしく!』
『……うん、よろしくお願いします!』

 あの日、三人で出した結論は、それから数ヶ月後の現在、無事に実現して、───テリトリーバトルを経て、少しだけ平和になった、シンジュクの街で、私は、独歩くんと一二三くんと、三人で日々を過ごしている。何度か二人の家に遊びに来た時は、てっきり2LDKの部屋だと、思っていたのだけれど、実は、クローゼットだと思っていた場所に、もう一部屋あったことが、同居開始前に発覚して。今までは、一二三くんがお店でお客さんに貰ったものとか、彼の私物を置いておくのに使っていた部屋、らしいのだけれど、私が来るなら、と片付けてくれて、今はその部屋を、私の部屋として使わせてもらっている。───まあ、大体、夜は独歩くんの部屋で一緒に寝ているので、相変わらず、物置部屋に変わりないのかも、しれないけれど。

 今日は久々の休みで、朝方帰ってきた一二三くんは、まだ寝ているから、私が昼間の家事当番の日だ。溜まっていた洗濯物を洗って、掃除機かけたいけど、二人はまだ寝ているし、ちょっとまずいかなあ、と思って。おとなしく、常備菜の仕込みでもしておく。クッションを天日干ししておこうかな、と思って、ベランダに出ると、思った以上におひさまがぽかぽか、暖かくて、ずっと外にでていると、少し暑いくらいの、良い陽気だった。ほわほわして、あったかい。ぼんやりと、薄黄色の光に、世界が包まれているような、そんな天気で、───ああ、なんだか、こんなに素敵な昼下がりは、休日に相応しくて、すてきなお昼ごはんにしたいなあ、なんて思って。

「……おはよう、……」
「あ、独歩くん、おはよう。よく眠れた?」
「ん……、と、一緒に寝るようになってから、前より寝付きが良いんだ……」
「そっか、よかった。お昼ごはん、そろそろ出来るけど食べられる?」
「うん。良い匂いで、目が覚めた。……この匂いって、もしかして、」
「ふっふっふ、今日はねー、オムライスです!」
「! やっぱり、そうか」
「うん。おひさまがね、ぽかぽかして、眩しくてね、なんか、食べたくなっちゃったの」
「……そっか」
「それに、独歩くん、オムライスすきでしょ?」
「……うん、すきだよ」
「でしょ! 一二三くんの分は、とりあえずラップしといて、先に食べよっか」
「ああ。……なあ、
「ん? なあに、独歩くん」
「その、ありがとう。夢が、叶ったよ」
「え? なにそれ、……ああ、オムライス食べる夢でも見たの?」
「……まあ、そんなところ、だな」
「ふふ、独歩くんって、結構くいしんぼだよね、おかわりもあるからね、あ、スープよそってくれる?」
「ああ、分かった。器、これでいいか?」
「うん、お願いね」

 なんでも無く、たださり気なく、道端の草花のように、当然のように、あなたが、私の日常に居てくれること。あなたが私の隣人で、私があなたの隣を歩くことを、あなたに許されていること。そんな、何気ない何かが、私が一番、欲しかったもので、あなたが、絶えず私に与えてくれたものだった。

「「いただきます」」

 特別じゃなくていいよ、頑張りすぎなくていいよ、格好悪くても、きみはそれでいいんだよ、と。そう、唱え続けた言葉こそが、結局は、私自身を救ってくれた訳で。そうして、あなたの力になりたいと、懸命に足掻くことで、私は私を、少しだけ、好きになれたのかもしれない。私の好きなあなたを、あなたが少しずつ、許し始めたように、あなたの好きな私を、私はこれから、認めていけると思う。あなたはそれでいいし、私もそれでいい。何でもない日が、どれほど貴重で大切なのかって、大人になってから、知ったこと。そんな、大切な今日を、私はずっと、あなたの隣で迎えられたら良いな、と思う。ミルクの混じった、あまい卵の香りと、ケチャップの香り。やさしくて、あたたかな香りに、肺まで満ちる部屋で、ふわり、とカーテンと、あなたの癖っ毛が揺れる。

「独歩くん、ケチャップ付いてるよ」
「え、何処に?」
「ここ、ちょっと動かないでね」
「ん、」
「はい、取れたよ」
「うん、……ありがとう」
「ふふ、どういたしまして!」

 ふにゃ、と穏やかに笑う、あなたの目元は優しくて、以前より少しだけ、隈が薄くなった気がする。そんな、ちいさくて嬉しい今日を、あなたの隣で噛み締めて、私は、生きていこう。狼の護る、この街で。 inserted by FC2 system


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