ミルキーピンクの支配欲

 が行ってみたかったのだ、と言って、俺を連れて行ってくれた小料理屋は、味も雰囲気も良くて、俺はプライベートで飲む相手なんて、先生か一二三か、それかくらいだから、が連れてきてくれなければ、多分店の存在を知ることもなかったな、と思う。とは酒の趣味や料理の好みもよく合うし、普通に楽しくて、嬉しくて、───それに、二次会で俺がハゲ課長に絡まて、ラップの披露を強要されて、マイクを押し付けられ始めたタイミングで、がさっと俺を連れ出してくれた、というのもあって。───昨夜は、本当に嬉しくて、楽しかった。つい先週、とあんなことがあったのが、嘘のように思えてくるくらいに。
 ……なんて、最低極まりないことを思って、翌日も朝から、浮かれていたから、だろうか。

「観音坂くん、困るよ〜?」
「はあ……?」
くんといつからそういう関係なのか知らないがね」
「は? え、いや、それは……、」
「社内恋愛は周りがやりにくくて仕方がない。気を付けてくれよ」
「……はあ、はい、そうですね……」

 廊下でハゲ課長に呼び止められたかと思えば、脂ぎったニヤケ面で悪趣味極まりない詮索を向けられて、───普通に、は? 殺すぞ。と、声が出そうになった。は? なんだこいつ、髪も生え揃ってない上に、まともに会話も出来ない? 赤ちゃんか? 赤ちゃんなのか? 赤ちゃんだったら許されたかもしれないが、このハゲ、に向かってセクハラ発言を、したよな? なあ? 今さあ? 言ったよな、よし、殺すか? 殺していいってことだよなあ?

「申し訳ありません、以後気を付けます……ハハッ……」
「いや〜〜、ほんと頼むよ〜〜?」

 ───そう、思いながらも。結局、否定も肯定もする気にならずに、そう思い込んでるなら、そのまま勝手に、俺に都合の良い認識のまま、勘違いして思い込んで居ればいいさ、と。彼女の知らないところで、の彼氏面をして、優越感に浸って。───そんなことをしたところで、後から虚しくて仕方がなくなるだけ、なのに。───ああ、でも、どうにかの耳にはこの噂が入らないように、しないと、な。きっと、こんなことが知れたなら、いよいよから距離を置かれてしまうに違いない。そんなのは、嫌だ……そうなったら、俺が、会社に来る意味が無くなるだろ……? それに、もう生きていけなくなるし、ああ、どうにかして、の耳に入らないように、手を回さないと、な……。


「───さんさあ、観音坂のどこが良いの?」
「えっ?」
「そうそう、なんかあいつ気持ち悪いじゃん、根暗だしさあ」
「いつも一人でブツブツ言ってて、不気味だよね、なんか前にさあ、観音坂がキレてプリンター蹴っ飛ばしてるの見たことあるしさあ」
「あ〜、キレたら何するか分かんない感じあるよね、危ないっていうか」
「ね〜、それで結局、始末書書かされてたし、仕事も出来ないし。さんさあ、絶対考え直した方がいいって〜」

 ───観音坂くんと私は会社の同期で、入社以来、私は社内の誰より観音坂くんと仲良くしてるし、彼のことを心配している。そして、多分、それは彼の方も、同じだと思うのだ。観音坂くんは、結構ネガティブな性質で、でも、図々しさだとか、開き直りだとか、打たれ強さだとか。存外、営業マンとしての資質というか、必要なものが備わっていて、実は、この仕事が向いている部類、というか。まあ、観音坂くんにとっては、不名誉なことなのかもしれないし、余り本人にそれを言うと、観音坂くんって褒められすぎても、不安に押し潰されて、凹んでしまうし、匙加減が難しくて、余り言わないようにしているのだけれど。───まあ、要するに私は、観音坂くんくらいしか、話が合う相手が社内にいなかったのだ。色恋沙汰の話ではしゃぐ同僚達は、自分の業績なんて、大して気に留めてなんかいない。彼女達は、自分の成績よりも、自分たちの中で、誰が最初に寿退社するか、自分が出し抜く側になるか、出し抜かれる側になるか、そんなことを考え悩むほうが、余程楽しいのだ。私は、そんなものに興味なんてない。営業職というものは、続ければ続けるだけ、人間性が磨耗していく、録でもない商売だと、私も身に染みて理解している。───でも、この仕事が私は、存外好きなのだ。自分には、向いていると思っているし、評価されれば嬉しい、今日までどうにか業績首位をキープして、社内でも模範的で優秀な社員、なんて今では、言われているけれど。エースという期待は時に重くて、このブラック弊社でここまで、必死に仕事に食らいついて来られたのは、彼のお陰なのだ。
 多分、競争相手だとか、挫けそうな時に、必ず側で話を聞いて、慰めてくれるひとがいなければ、此処まで頑張れなかった、と思う。

 ───そう、私にとって、それを支えてくれたのが、彼。他の同僚でも、先輩でも、上司でも、ましてや、今隣でピーピー喚いている彼女達でもない。
 ───観音坂くん、彼だけが、私の理解者なのだ。

「観音坂くんは、みんなが思うほど、怖い人でも変な人でも、ないよ」
「えー? 何処があ?」

 分からない人は、分からないままでいい。きっと彼女達には、一生分からないままだろう。分かって欲しいとは思わない、観音坂くんのいいところは、私が知っていれば、いいもの。───そんなふうに、思ってしまう程度には。彼女達を、内心蔑んで、酷いことを思っている程度には、私は嫌な女だけれど、観音坂くんは、私のそういうところを、包み隠さずに接してくれると自分もそう出来るから、気が楽だ、と。そう、言ってくれた。

『……と話してると、気が楽になる。お前がいてくれて、良かったよ』

 皆の前では笑顔で、女らしく、不可の無い人間として、振る舞っているけれど、本当は私は、性根が歪んでいて、性格が悪くて、愛想も悪くて、人間が嫌いで、人の心に興味がないからこそ、上辺だけの笑顔で、こんな仕事を続けられている、って。そんな、きたない人間で。だから、観音坂くんにとって、私は男友達みたいなものなのだと、そう、思っていた。同族意識だけで、彼は私と連んでいるものだと、そう、思っていたから。

『───私は、観音坂くんとならいいよ』

 ───だから、それはそのまま、その通りの意味。観音坂くんとなら、こうして噂になるのも、毎晩のように二人で飲み歩くのも、嫌いな上司の内臓を売りたい話で朝まで白熱するのも、会社の仮眠室で死んだように眠るのも、同じホテルに泊まるのも、───あんな関係に、なることも。全部、全部ね、嫌じゃ、なかったんだよ。

『ヒッ、ヒイッ! す、すみませんすみません申し訳ありません……!』

 ───私、自分は図々しくて、誰にでも強気で、怖いもの知らずの女だと、そう思ってた。だけど、あの朝、真っ青な顔をして、私に平謝りを繰り返す観音坂くんを前に、───頭が、真っ白になってしまったのだ。ああ、まあ、それは、そうか、と。そう、すぐに思い直した、けれど。きっと、期待、しちゃってたんだなあ、私って、図々しいから。

「……独歩くんは、ちゃんと、格好良いよ」
「え、もしかして普段は名前で呼んでるの?」
「……たまにね?」
「えー! うそ、マジ?」
「うわ〜、課の男共が泣くよ? さん、競争率高いんだからさ……」
「そう? そんなことないよ」

 分かってる、本当は、私がレースから脱落したことを、喜んでいるんでしょう。だけどね、私も、彼女達の眼中に、観音坂くんがいないこと、これでどう足掻いても、彼は彼女達のレースから脱落した、ということが、嬉しくて仕方がないの。───だからさ、これで本当に、私の言葉通りだったなら、良かったの、だ、けれど、ね。
 ───そうだよ、ぜんぶ、うそだよ。全部、私が、そうだったらいいのに、って。そう、思っているだけのこと。

 ───ごめんね、観音坂くん。

『いやあの、その、……っっ、本当にすまん、あの、俺に出来ることがあれば、なんでもする、し、それでの気が済むなら、辞職でも出頭でも、が俺にし、死ねって言うなら死ぬ! だ、だから、な、なんでも言ってくれ……っ』

 ───ねえ、どうしてそんなこというの、って、全然、本当のことが言えなくて、何も聞けなかった。あの晩、彼の腕の中で眠りに落ちながら、明日、何を言ってくれるだろう、どんなふうに接してくれるだろう、って、私は、どきどきしながら眠ったのに。最初から彼はそんなつもりじゃなくて、観音坂くんにとっては、きっと、あの夜のことは、ただの事故、だったのだろう。……そんなのって、あんまりだよ、観音坂くん。あんなに私を滅茶苦茶にしておいて、あんなこと、言って、ぐちゃぐちゃにしておいて。

『もっと、もっとだ、……っ、は、俺は、俺はお前とずっと、こうしたかった……っ!』

 観音坂くんのばーかばーか! もう、だいっきらい! ……まあ、それだって、うそだよ、うん。あーあ! なんでかなあ! ……残念だけれど、私は君のことがさあ、同僚として、友達として、人間として、……多分、それ以上にも、大好きなんだよねえ……、困っちゃうよねえ……。 inserted by FC2 system


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