あの子のきらめきが食べたいのに

「───あ、ちょっと待って、あれ?」
「ん? どうした?」
「……あの、観音坂くん」
「なんだよ」
「……終電、無くなっちゃった〜〜……」

 あはは、と笑うを前に、俺は思わず、手に持っていたグラスを、取り落としかけて、危うく盛大に、ハイボールを床へとぶちまけるところだった。俺との勤め先の会社は、シンジュクに支社を構えており、俺は区内から、は中王区から、それぞれ通っている。だからいつも、は終電に間に合わなければ、チケットを切ってタクシーで帰る、のだが。今夜は、珍しく余裕を持って、───とは言え、22時は過ぎていたが、珍しく終電前に上がって、そのままと飲みに来ていた、の、だが。───普段はしっかりしていて、絶対に、そんなことはなかったのに。こんな、経費では落とせないだろうな、と言う日に限って。が、終電を逃してしまった、のだ。

「……珍しいな、、いつもはちゃんと時間見てるのに……」
「久々にこんな時間に上がったからかな、うっかりしちゃった。うーん……どうしよ」
「……タクシー、呼ぶか?」
「ここから中王区までって、結構な額になるよねえ……」
「……まあ、そうだな」
「んー、だったら、」
「?」
「ホテル、泊まった方が安いくらい、かな?」
「……は?」
「あ、観音坂くんも泊まる?」

 ───いや、なんでだよ。なんで、どうして、その結論になった? 何がどうしたら、───自分をレイプした男と、また同じ部屋に泊まろうと思える? いくらなんでも、危機感がなさすぎないか? どうしてそんなに無防備なんだ、心配になるだろ、いや俺に心配される謂れはないよな、そんなの分かってるけど、何かあったらどうするんだよ、……というか、何かあった後だろ、なのに、なんで、そんなに平然としていられるん、だ。それほど、にとってあの晩の出来事は、どうでもいいこと、なんでもないこと、だったのか。それとも、俺を信用して、もう二度とあんなことにはならない、と、そう、思ってくれているから、そんな提案が出来るのだろうか。───でも、残念ながら、俺はの期待には応えられそうになかい。
 ───確かに、反省は、死ぬほど、している。でも、だけど、───俺はみたいに、何にも無かった、なんて風には考えられない。仮に、今夜また二人でホテルに泊まったとして、俺は絶対に同じ轍を踏む。一度出来なかったくせに、俺が我慢できるとは思えない、ホテルの部屋で雰囲気に飲まれれば、きっとあの日の彼女の姿がフラッシュバックして、俺はに襲い掛かるだろう、と。確信があった。───ああ、本当に最悪だな、俺。こんなにクズでゴミな俺なんかを、は許してくれてる、過去を水に流して、普通に接してくれているのに、二度目は絶対に通用しないのに、性懲りも無く、その甘美な誘いに俺は、欲情しているのだ。

「……いや、でも、その……」
「……嫌だった? ま、それならいいや。私はどこかで適当に……」
「……いや、待て。どこに泊まるか検討は付いてるのか?」
「それは、まだだけど」
「……もし、何処も空いてなかったらどうする?」
「うーん、そのときはまた考えるしかないけど……」

 このあと店を出て、多分は、一人で宿くらい探せるから、と言って、店の前で俺と別れようとする、と思う。俺はどうせ、から先にそう言われたら言い返せずに、とぼとぼと帰ることになるのだろう。───でも、もしも、また何処も空いてなかったら? 一人でラブホに行くのか? ……それとも、誰か、他の男と、行くのか? なら、引く手数多だろうし、相手には困らないのだろう、……いや、彼女はそんな風に軽い女じゃない。でも、治安だって、褒められたものではないこの街で、しかもこんな時間の、歓楽街で。───はかわいいし、きれいだし、魅力的で。そんな彼女が酒も入った状態で、ふらふらとこんなところを一人で歩いてたら、危ないんじゃないか? 俺みたいな、頭がおかしい奴に、呼び止められるかも、手を上げられて、無理矢理、何処かに連れ込まれて、なんてことになったら、俺は、……他の奴に、傷付けられるくらいなら、――俺は。

「……な、なあ、が嫌じゃ、無ければ……」
「え?」
「……俺の家、泊まるか? 此処から近いし……」
「……えっ? 観音坂くんの、おうち?」
「あ、あの、俺、同居人いるし、二人きりにはならないから! 安心して、いや、安心、出来ないかも、しれないけど……はは……」

 ───何言ってるんだ、俺は!? 二人でホテルに泊まるのは不安で仕方ない、なんて思いながら、なんで、そんな、をお持ち帰りしようとして、いや、違う、これは下心じゃなくて、只、彼女が心配だし、もしも他の男に、なんて考えたら、黙っていられなくて、それだけ、で。

「……いいの?」
「へっ?」
「迷惑じゃないかな、その、同居人さん? ひふみさん、だったよね、急に押し掛けて、平気?」
「あ、ああ……まあ、一二三は、」

 もう仕事に出てるから、と、そう言いかけて口を噤む。咄嗟に、二人きりにはならない、と言ってしまった手前、一二三が家にいない、ということは、家に着くまでは隠したいからだ。───ああ、もう、結局下心しかないんじゃないか、俺。それは、一二三が家にいるときに、を連れて行こうとは、まあ、流石に思わない。一二三に会わせるのも不安だし、だって、一二三はあの容姿であの性格だ、もしもが一二三を好きになってしまったら、と、当然考えたし、そうなれば俺に勝てる要素はひとつもない。俺なんか、一二三と争ったところで、絶対に勝てない。それに、一二三の女性恐怖症のこともある。前々からの話は、度々一二三に相談していたから、一二三の方はの存在を知ってはいるし、俺の好きな人だ、ということも分かっている、が。それでも、急に連れて行くのは流石にどうか、と思ったし。でも、一二三が仕事に出ている時間に連れ込んだなら、入れ違いで出社することになるわけだし、それなら、まあ、事後報告でも、問題ない、よな……?

「……一二三は、問題ない。が気にすることじゃない、と、思うが……」
「……そう? そっか、それなら」
「あ、ああ」
「お邪魔しても、いい?」
「……い、いいのか?」
「それはこっちの台詞でしょ?」
「あ、……あ、ああ! そ、そうだよな! ハハ……」
「観音坂くん、変なの。まあいいや、じゃあお邪魔します。ありがとう、観音坂くん」
「ハ、ハハ……別に、大したことじゃ……」


「おっ! おかえり〜独歩ちん! 今日早かったじゃ〜ん! 飲んでくるっていってたけど、腹減って……」
「……は?」
「え?」
「……一二三、お前仕事は?」
「え? 今日は休みだって俺っち今朝言ったじゃん?」
「……やす、み……?」
「うん?」
「あ、あの、……こんばんは。私、観音坂くんの同期で、」
「ヒッ…………お、おんなのこ!?」
「え?」
「な、な、なん………!? ど、どっぽ、な、なんで、」

 ───大惨事、だった。玄関を開けて、部屋に入るなり、一二三が部屋から出てきて。───そういえば、確かに、今日は休みだと、今朝顔を合わせたときに、言っていたような気がしてきた、疲れていたせいで、一二三の言葉を聞き流してしまっていたらしいことに気付き、頭を抱えたくなるが、今は俺よりも一二三の方が、そしての方が、この状況に動揺しているわけで。

「え、あ、あの……」
「ま、ちょ、お、おれジャケットきてくるか、ちょ、ちょっとタンマ!」
「!? いや待て一二三! それはダメだ! 勘弁してくれ!」
「な、なんで、なんでだよ、どっぽ、むりだって、離して、」
「───彼女が、なんだよ!」
「……え、ちゃん? ど、どっぽがいってた、あの?」
「そうだ! だからジャケットは駄目だ! 俺が困るから……!」
「わ、……わかった、わかったから、ちょ、まって、まってな……」
「……あ、あの」
「あ、わ、悪い、気を悪くしないでくれ、一二三はその、女性が少し、苦手で……」
「そ、そうだったの……あの、私やっぱりホテル探すよ、一二三さんに迷惑、かけたくないし……」
「ま、まって、あの、ちゃん、あの、お、おれはへいき、だから!」
「え、で、でも……」
「な、何もお構いできないけど! ゆ、ゆっくり、してって……? じゃ、じゃあ! 俺部屋にいるから!」

 バタバタと騒がしく、自分の部屋に戻って行く一二三を、ぽかんと眺めるに、───何と言い訳したらいいものか、再び頭を抱えたくなった。……これは、明らかに俺が悪い。一二三のスケジュールを失念していたことも、に一二三の事情を伝えていなかったことも、全部、おれのせいだ。辛うじて一二三の側は、のことを知っていたから、気を遣って、自分が引っ込むことで、場を収めてくれた訳だが、流石にこれは、一二三に後から謝らないと、な……。

「……一二三さん、私のこと知ってるんだ」
「へ、」
「観音坂くんが、何か話したの?」
「え、あ、あの、あー、その、ま、まあ、同期だしな……? は、はは、」
「……ふうん?」
「あ、そ、そうだ、にはリビングで寝てもらおうと思ったんだが、一二三があの調子だから、悪いが俺の部屋に泊まってもらっていいか? 俺はリビングで寝るし、好きに使ってもらえれば……」
「え、駄目だよ。観音坂くんの部屋なのに、どうして観音坂くんがリビングで寝るの? 明日も仕事だしちゃんと部屋で寝てよ」
「でも、それじゃ……」
「……観音坂くんの部屋で、二人で寝ればよくない?」
「は、」

 いや、よくねーよ! 何もよくねーよそれ! 嘘だけど! 俺はその方が都合良いけど、いや、やっぱりよくねーよ! 駄目だろ!?

「……い、良いのか?」
「良いも何もないでしょ、観音坂くんのおうちに御厄介になってるのは私のほうなのに」

 良いのか? じゃねーよ! 何言ってんだ俺は!? ……ああ、ていうか今の返しがそもそもアウトじゃないか? 何の同意確認だよ、今度こそ、気持ち悪いと思われたかもしれない、下心でを連れ込んだと、そう思われた、気付かれたかもしれない、いや、まあ、実際そうだよな……下心でこんな、懲りもせずにこんなことをして、一二三を欺こうとしたから、こんなことになるんだ……そうだ、全部、俺のせいだ……俺が悪かったんだよ……。

「……じゃ、じゃあ、俺は床で寝るから、がベッドを使ってくれれば……」
「だーかーらー! 駄目だってば、そんな隈作ってる人を床で寝かせません!」
「平気だから! 床で寝るのは慣れてるから! は俺のことは気にしないでくれていいから! 床に落ちてるゴミだと思ってくれれば良いから……!」
「……観音坂くん、それ本気で言ってるの?」
「へっ……」
「私って、観音坂くんをゴミなんて思うような女に、観音坂くんには見えてるの?」

 ───その聞き方は、ずるい、だろ。
 ああ、分かってるよ、本当は分かってる、は俺のことを、そんなふうに思ってない。こうして、友人だと思ってくれていて、信頼してくれてるんだ、よ、な。今でも、こんな、俺でも。俺だって、だからこそを連れてきたんだ、彼女が心配だったから。だから、何も下心だけで行動した訳じゃなくて、そもそもそれだって、今度こそ何もしない、と固く意志を固めて、まあ、自信がないのも確かだけど、後悔してるのは、事実だから……。

「……そんなこと、思って、ない……」
「よろしい。じゃあ、一緒に寝るけどいいよね?」
「……うん」
「あ、その前にお風呂借りてもいい? 観音坂くんの後でいいから」
「いや、が先に使えよ。……俺のでもよければ、寝巻きも貸す。嫌じゃ、なければ……」
「ありがと! 借りていい?」
「……ああ」


「……じゃあ、電気消すぞ」
「うん」
「……な、なあ、狭くないか? 大丈夫か? や、やっぱり俺は床で……」
「全然平気だよ、もう少しこっち詰めたら? 落ちちゃうよ?」
「そ、そうか……? じゃ、じゃあ……す、すみません、失礼します……」
「はぁい、どうぞ〜〜」

 明かりの落ちた部屋、俺の部屋に彼女がいるだけでも、異常事態だというのに、至近距離に眠るの髪からは、俺のシャンプーの匂いがして、が身に纏うよれよれのスウェットは、俺が普段寝巻きにしているもので。そんな姿の彼女が、シングルサイズの狭いパイプベッドの中、俺の隣で、すやすやと安心したように寝息を立てて、いる。ばくばくと心臓が煩くて、全然眠れそうになくて、俺のシャンプーの香りの筈なのに、なんだか、からは、あまいにおいがするような気さえして、

「……はは、かわい、……」

 信頼、されているのだな、と思ったら、嬉しくて、歯痒くて、悲しくて、仕方が無くて。───結局、その夜は一睡も出来なかったし、案の定俺は、翌日の仕事はボロボロで、ハゲ課長に嫌味を言われ続ける羽目になったのだが。だけど、朝起きてから、一二三が用意しておいてくれた朝食を、と並んで食べる時間がひどく、しあわせで。───もしも、彼女と一緒に暮らしていたら、毎日こんな風に穏やかに過ごせるのか、と少し考えてから、そんなことになれば、そのうち睡眠不足で死にそうだな、と思って、我ながら馬鹿らしいその妄想を、デスクで一人、笑ったのだった。 inserted by FC2 system


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