かわいそうにひかりでしんだの

「観音坂くん、これ、一二三さんに渡してもらえる?」
「へ?」
「この間のお礼に。迷惑かけちゃったし、二人で食べて」
「あ、……ああ、わざわざ悪いな、は何も悪くないのに……」
「いいのいいの、朝ごはんまで用意させちゃったし、そのお礼がしたかっただけだから」

 から渡された紙袋は、会社近くで人気のあるカフェのもので、洒落た焼き菓子と、ジャムの瓶が入っているらしかった。一二三はこういうの好きだし、喜ぶだろうな、と。素直に感謝して、袋を受け取る。数日前、を家に招いたことで、一二三に迷惑を掛けたのは事実で、がそれを気にしているのも、また事実だ、と。そう、分かっていたからだ。これを一二三に渡すことで、の気が紛れるなら、断る理由は無い。……とはいえ、そもそもの元凶は俺なので、にこんな真似させて申し訳ない、という気持ちは、拭い切れないのだが。

「それにしてもさ、観音坂くんって結構会社の近くに住んでたんだね」
「ああ……言ってなかったか?」
「ううん、聞いてはいたけど、観音坂くんいつも駅まで見送りに来てくれるし、どの辺りなのかまでは、知らなかったからさ」

 あれだけ近いと、なかなか帰して貰えなくて大変だよねえ、と語るも十分、会社に拘束されていると思うが、彼女の言葉は尤もだった。───入社当初は、家が近ければ、通勤時間に割く時間が減るし、自分の時間が取れる、と。そう、思ったんだけどな……実際、そう、うまくは行かなくて、寧ろ、家が近いばかりに、終電を気にしなくて済むから、と。日々、会社に使い倒されている。実際は区内とはいえ、電車通勤の距離だし、朝は電車で出社しているのだが、まあ、歩いて帰れないわけではないから、と。終電に間に合わないのも、休日に呼び出されるのも、先日のように天候が荒れている時も、真っ先に犠牲になるのは、俺。なんでこんな立地に決めたんだ……、と、幾度となく、後悔してきたものだが、まあ、この間はそのお陰でがうちに来てくれたわけだし、悪いことだけでは、無いかもしれないけどな。……まあ、それも今後は二度とあることじゃないだろうけど……ハハッ。

「自分ち帰るより近いし、一二三さんのご飯美味しいしさ」
「? ああ」
「今度から帰るの面倒になったら、観音坂くんち泊まろうかな」
「は!? い、いや、頼むからやめてくれ…もう許してくれ…」
「えっそんなにだめ!? そんなに嫌だった!?」
「えっあっいやそうじゃない、そうじゃないんだが、その、あの、……一二三が! 一二三がな、女性、苦手だから……」
「……あー、そうだったよね、確かに同居人に迷惑かけられないよね、観音坂くんも。ごめんね、変なこと言って」
「い、いや……」
「本当は直接、お礼言えたらよかったんだけど……一二三さんに、ご飯ありがと、って。観音坂くんから代わりに言っておいてくれる?」
「ああ……」

 俺が必死になって、否定したからなのか、心なしか、は少し肩を落として、寂しそうに笑う。そんな顔をさせてしまったことに慌てながらも、そんな彼女に何を言えばいいのか、分からなかった。───また、俺の家に来たい、って。そう、思ってくれていた、ということなのだろうか。彼女が俺の部屋に来た夜、あの時間が、泣きたいくらいに大切だったのは、きっと、俺だけのはずなのに。そんな、都合よく考えたら、いけない、よな。ただ、立地が良いから、都合が良かったって、それだけのことだ。それだけのことじゃなきゃ、可笑しいもんな……。


「お、独歩ちん、おはよ〜」
「……おはよう、一二三……」

 ───朝、眠い目を擦りながら起きてきた独歩と、タイミングよく鉢合わせて、朝食の席を囲む。毎日こうとは行かないけど、俺の帰宅時間と独歩の起床時間が被ったときは、こうして、互いにいくつか報告をしながら、朝食を共にしている。

「……あ、そうだ一二三」
「ん? なに?」
「これ、……から、お前にって」
「へ? ちゃんから? 俺っちに? 独歩ちんにじゃなくて?」
「……二人で、って言われたが。まあ、メインはお前だ、お詫びだって言ってたからな……」
「ふうん……?」

 独歩に手渡された紙袋の中身は、焼き菓子とジャムの瓶で、俺へのお詫びの品らしいが、独歩が好きな子に貰ったものだし、そういう訳なら、これは二人で食べるのが良さそうだな、と納得して受け取る。今朝は和食にしちゃったけど、明日はパンにしようかなあ。

「あと、朝食の礼を伝えてくれ、と言われた」
「え? そんなの気にしなくていいのに〜」
「本当は直接言えたら、って言ってたんだけどな、それは無理だから、俺から伝えとく」
「……そっか、律儀な子じゃん、ちゃん」
「……ああ、よく出来た、ひとなんだ」

 ずず、と味噌汁を啜りながら、噛み締めるように呟く独歩の表情は、何処となく穏やかで、───本当に好きなんだな、と思う。同期で、入社以来ずっと仲良くやってきたのだという彼女の話を、俺もずっと独歩から聞いていたけれど。実際会ってみて、なんとなく、独歩がちゃんを好きになった理由が、分かった。多分、二人とも根が真面目で、けれど性格は正反対で。だからこそ、仕事仲間として、補い合えているのだろうな、と。そう、思ったからこそ。――奥手な独歩の代わりに、もっと、あの子と独歩が仲良くなるきっかけを、俺が作れたらなあ、と思う。

「……ちゃんかあ」

 独歩が家を出た後で、紙袋を開けて、ジャムの瓶を冷蔵庫に入れていたとき、───カサリ、と。紙袋の中、指先に、何かが当たる。なんだろう、と思ってつまみ上げてみると、折り畳まれたメモ用紙に、───これは、手紙?


「なー、独歩ちん、これ、ちゃんに渡してくんない?」
「は? なんだこれ?」
「んー、この間ちゃんがこれウマいって言ってくれたから、お裾分け!」
が……? そんなこと言ってたか?」
「言ってた言ってた! じゃ、ヨロシク〜独歩ちん!」
「はあ……まあ、いいけどな……」

「あ、観音坂くん、これ一二三さんに渡してくれる?」
「は? 一二三に?」
「うん、この間一二三さんがこれ好きだって言ってたから」
「……そんなこと、言ったか?」
「うん、聞いたよ。お願いしていい?」
「……わかった、渡しとく」

「あ、独歩ちん、これちゃんに」
「……ああ」

「観音坂くん、これ一二三くんにお願い」
「…………うん」

 ───いや、絶対おかしいだろ。最初は何か、俺が一二三の前で、の話をしたからか? だとか、に一二三の話をしたんだったか? だとか、そんな風に思っていたが、最近、その頻度が多すぎる、と。そう思っていたところで、今日、俺と会話してる中で、が一二三を、一二三くん、と呼んだことで、確信した。───以前は、一二三さん、だったのに。いつの間に、どうやってか、は分からないが。これはもう、俺の知らないところで、一二三とが接点を持ったとしか、思えなかった。

「───おい、一二三! お前……!」
「ん? なーに? どしたん? 独歩ちん?」
「お前、ちょっとスマホ見せろ!」
「えっ、ちょ、なんだよ急に!?」

 家に帰るなり、バッ、と一二三が操作していたスマホを奪い取り、メッセージアプリを起動して、───すぐに、リストの上にの名前を見つけた。一二三の客の女の子が大量に登録されている中で、とのメッセージ履歴が上の方に表示されている、───要するにそれは、結構な頻度で、一二三との間にやり取りがある、ということになる。

「一二三、お前いつからと、ッ」
「ちょ、ま、タンマ、独歩ちん! ちょっと!」

 まさかとは思うが、まさか、ホストモードでやり取りしてる、ってことはないよな!? そもそも、いつから二人はそんなに親しく、だとか、どうして一二三がそんなことを、俺がを好きだと知ってるのに、とあれこれ考えて、ぐるぐると混乱してきた頭で、二人の会話のログにザッと目を通して、思わず固まる。───一瞬にして、思考がフリーズしてしまって。そこに書かれていることが、うまく理解できずに、───無言で、今度はじっくりと、噛み締めるように。の手で並べられた、その言葉達を、脳に刻み込んだ。

「あー……あの、独歩さ、ちゃんのこと好きって言ったっしょ?」
「…………」
「だから、女の子苦手だけどさ、頑張って俺っちもちゃんの友達になれたら、ちゃん、うちにまた来てくれるようになるかなって。プライベートでも、会えるようになるかなって、そしたら独歩、嬉しいかなって、思ったん……」
「…………」
「ど、独歩? 聞いてる?」

 ───全く、聞こえてなかった。それほど、其処に書かれていた言葉達が、衝撃だったのだ。


『観音坂くんって頑張り屋さんだよね』
『それ〜! ちゃん分かってる〜!』
『社内では一番の付き合いですから! ふふん!』
『独歩のそういうところ、俺っちは良いなって思うんだわ』
『わたしも! そう思ってるんだよね〜』

『一二三くん聞いて! 今日、観音坂くんが大口の商談決めてきたんだよー!』
『へー! 独歩ちんすごいじゃん! さすが!』
『だよね! さすがだよー! 観音坂くんやっぱりポテンシャル高いんだよね〜! 私は知ってました!』
『それ独歩に直接言ってやれって〜笑』
『だってさ? あんまり褒めたら困らせるかなと思って、色々言えないからさ、一二三くん、今夜観音坂くんの好きな献立にでもしてあげてよ』
『オッケー! 任せとけ! 今夜はオムライスとポテサラ作っとくわ!』

ちゃん、昨日俺らのバトル見に来てくれたん?』
『行ったよ! 一二三くんが時間とか教えてくれたからちょうど麻天狼のバトル見れた! ありがとね、観音坂くんにはなんか聞けなくてさ』
『なんで? まさか独歩ちん教えてくんないの?』
『そうじゃないけど、やっぱり会社の人間には、ラップのこととか詮索されたら気分悪いかなって、聞かないようにしてるから……』
『んー、ちゃんなら大丈夫じゃね? 独歩も嬉しいと思うけど』
『どうかなあ。あ、でも昨日初めて観音坂くんがラップしてるところ見られて、嬉しかったよ〜!』
『うんうん、どだった?』
『かっこよかった〜! 会社であんな観音坂くん見たことないもん! コッソリ見に行ったしなんか本人には言えなかったけど笑』
『いやそこは言ってあげよ〜!?』
『えー? むりだよむり』

 ───全部、俺の話ばかりだ。ログの冒頭まで遡って、一二三が言った通りの経緯で、どうやら友人付き合いとして、二人が連絡を取り合うようになっていたらしい、ということは分かったが。問題は、その中身。一二三との会話の内容は、その殆どが、俺の話題ばかりだった。一二三が俺についてに何かを吹き込んでいたりだとか、そういうのはやめてくれとも思ったが、から一二三への連絡はいつも、俺には言えない俺の話、それも大体、称賛だとか、プラスな話題ばかりで、うわ、なんだこれ、おい、ちょ、な、なんだこれ!?

「───ひ、ふみ……」
「ど、どっぽ……? 大丈夫?」
「俺は、明日死ぬのか……?」
「わー!? 死なない! 死なないから! どっぽ! しっかり!!」


「あれ? 観音坂くんどうかした? 具合悪いの? なんか、顔赤いけど」
「いっ、……!? あ、いやちが、へ、平気だから」
「何処が? 顔真っ赤じゃん、風邪? 悪化させると大変だよ、半休取って帰ったら? 私が仕事変わるし」
「い、いや本当に違うんだ……」
「だから何処が?」
「こ、これはその…盆と正月とクリスマスと誕生日とバレンタインが同時に来ただけだから!」
「は?」
「いや、こんなおっさんが何はしゃいでんだって話だしバレンタインなんて俺には関係ないのも分かってるんだでも、今日ばかりは、は、ははっ、俺は、俺がさぁ……はぁ……夢か? やっぱり俺は死ぬのか……?」
「いや待って待って、いや、なに? どうしたの? 観音坂くん大丈夫?」

 翌日、昨夜見た言葉たちを忘れられずに、嚥下することも上手くできずに只々混乱していた俺は、見事にの前で奇行に走ってしまい、給湯室で彼女が淹れた珈琲を渡されて、少しは落ち着いた? と心配そうな目で宥められながら、ああ、こんな風にまた世話をかけて、俺はに迷惑しか掛けられないのか、今日と言わずに昨日のうちに死ねばよかったんじゃないか、と。───そうは、思っても。

「……ふへ、へへへ……」
「? 観音坂くん?」
「い、いやなんでもない……」

 今は、少し、いや、大分、かなり。死ぬには惜しい、───なんて、思ってしまうのだった。 inserted by FC2 system


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