なんとも迷惑な魔法にかけられて

 観音坂くんのことが好きで、ずっと彼に片想いしている。───と、言うと、まあ大抵、彼の何処がそんなに良いのか? と、そう問われることが多い。そんなの、私から言わせれば、どうして分からないの? 彼の良さに気づかないなんて、皆どうかしてるんじゃないの? という感じなのだけれど、───そうやって、勝手な優越感に浸ってしまうあたりが、私の悪いところなのかなあ、なんて、片想いを拗らせ切った昨今、思ったりもするわけです。私、性格悪いもんなあ……好きになってもらうの、難しいよね、そりゃね……。
 入社から七年、観音坂くんを好きになったのは、入社二年目の頃だったから、それでも片想い歴は、もう五、六年になる。そんなに好きなら、行動する機会くらいいくらでもあったんじゃないか? と、我ながら、そうは思うのだけれど、それが出来なかったくらいに、彼に惚れ込んでいるからこそ、こうして、友人ポジションをキープして来てしまった訳であって、そんな事が出来ていれば、今頃こんなに苦労してない。───それは、勿論。そういう関係になりたいな、って思うよ。でも、今更真正面からアプローチなんて出来ないし、ハードル高すぎだし、何より、これだけ友人やってて、実はずっと好きでした、なんてちょっと重くない!? もしかしたら、少しくらい、ほんの少しくらいは、私のこと、好きで居てくれないかな、なんて、そう考えたこともあるけど、仮にそうだとしても、こんな積年の想いをぶつけられたら、観音坂くん、引いちゃわないかな……なんて、年々、そんな懸念も抱き始めてしまって、遠回しなアタックはやんわりと続けているけれど、なんかもう、脈無しなのかなあ、なんて、思えてくるのです。

 ───どうして、観音坂くんなの? って。そんなの、彼の良いところをたくさん知ったから、でしかないのだけれど、最初は、多分些細なことだったのだと思う。私にとっては、全然、些細なんかじゃない、大した事、なのだけれど。とは言え、その時から好きでした、って、もしも彼に打ち明けたところで、きっと観音坂くんは覚えていないだろうな、という程度の出来事だ。
 入社二年目、同期の彼とは、それなりに親しい部類だったと思う。一年目こそは、毎月のように、同期で飲みに行っていたけれど、段々、その頭数も減ってきて、集まりの頻度も落ちて、私は元々、あまりそういう集まりが好きじゃなかったから、清々したとさえ思っていたけれど、───只、いつも気怠そうに、その集まりに顔を出していた観音坂くんとは、話すのが苦にならなくて、それで、いつも隣に座るようになって、そんなことをしている内に、いつの間にか仲良くなってたから、同期飲みがすっかり消滅してからも、親しくしていたのだけれど。

 その日は、同期で研修を受ける日で、休日返上のその命令に文句を言いつつも、朝から駅で落ち合って、観音坂くんと一緒に、研修先に向かう予定だったのだ。そして、無事に彼と落ち合って、現地に向かっていたときのこと、だった。

 ───道端に、小さな女の子が立っていた。
 べそべそと泣きながら、下を向いて、見るからに困り果てた様子で。きっと、迷子かなにかだろうと思ったけれど、道行く人々は、誰も少女に気を止める様子もない。そういう私も、女の子の存在に気付いたものの、はっ、として、何も言えなかった。交番まで連れて行く? とか 一緒に親を探す? とか、色々考えたけれど、そんなの、どのくらい時間がかかるかもわからないし、見付かるかもわからない。集合時間まで、もうそんなに時間もないし、もしかしたら、私が何もしなくても、もうすぐ、あの子の親が、我が子を見つけるかもしれないし、それに───、

『───どうした? きみのお母さんかお父さんは? はぐれたのか?』
『う、うん……おかあさん、いないの』
『そっか、安心しろ、大丈夫だからな。兄ちゃんが一緒に探してやるから』
『ほ、ほんとう?』
『うん、だから泣くな? あ、これ、チョコ食べるか?』
『……たべる』
『よしよし、食べてちょっと落ち着いたら、……そうだな、兄ちゃんと交番行こうな』
『うん……』

 ───ぎょっ、としたのを、今でもよく覚えている。私がチラチラと、時計とその子を見比べて、自分の都合でものを考えている間に、何の躊躇もなく、観音坂くんは、その子供に近づいて行って、しゃがみ込んで目線を合わせて、泣きわめく子供を宥めて、てきぱきと対処して。

『悪い、
『え、あ、な、なに?』
『俺、この子を交番まで送るから、先に行っててくれないか? まで遅刻させるわけに行かないしな……』
『え』
『悪い。俺は、叱られるの慣れてるから。先に行っててくれ』

 ───自分が、恥ずかしくなった。だって、こんな、見知らぬ子供のために、躊躇いなく行動して、きっと、それで遅刻することで、叱られても、言い訳しないで、謝罪するのだろう、彼は。───私とは、大違いだ。観音坂くんって、失敗も多いし、怒られてばかりいるけれど、多分、きっと、皆が知らないだけで、───こうして、いつでも、自分を二の次にしてしまえるひと、なんじゃないのかな、って。観音坂くんは自分のことを、だめなやつ、って、そう言うけれど、そんなひとじゃなくて、そうやって、損な立ち回りばっかりしている、不器用なひと、なだけじゃないのかな、って。

『───待って、私もついてく』
『え、いやでも、先方に絶対文句言われるぞ……?』
『平気! 今日の講師、私の取引先のお偉いさんで、何度か接待してる人だし、連絡先知ってるから、私から言い訳しとく!』
『! そ、そうなのか?』
『うん、ちょっと電話してくるから、その子見ててくれる? 五分で絶対言いくるめてくるから! あ、あとこれ私のお昼! パウンドケーキ入ってるから、よかったらその子に食べさせて!』
『わ、……わかった、頼む、
『まかせて!』

 ───ああ、もう、本当に恥ずかしい。そうだよ、講師の連絡先、知ってるくせに。言い訳だって、その気になれば、いくらでも出来るくせに。それなのに、私は、見てみぬふりをして、通り過ぎようと、したんだよ。───でも、観音坂くんは、そうじゃないんだな、って。本当に、びっくりしたけれど、ああ、そっか、観音坂くんって、ああいうひと、だったんだ……、って。

『───観音坂くん、すごいね』
『え? なにが?』
『今朝の、なかなかあんな咄嗟に動けないよ、すごいんだね』
『い、いや、別に大したことじゃないだろ……? 只、俺も下の兄弟と結構、年離れてるから、かな……あの子が泣いてるの、気になって……』
『観音坂くんって、お兄ちゃんだったんだ? あ、そっか、だからさっき自分のこと、兄ちゃん、って……』
『へ、俺そんなこと言ってたか……? うわ、気持ち悪いよなそれ、恥ず……ハハ……』
『なんで? 格好良かったよ?』
『え、』
『あの子、嬉しかったと思う。私も、さっきの観音坂くんのこと、すっごい格好良いと思ったよ?』
『そっ……そ、そうか? ま、まあ、社会人としてはどうなんだ、って判断ではあるけどな……が先方にフォロー入れてくれて、助かったよ』

 無事に交番まで送り届けて、少ししてすぐに、あの子のお母さんが交番に駆け込んできて、私と観音坂くんは結局、少しの遅刻で済んだし、事前に連絡も入れてあったから、何のお咎めも、なかったし。───多分、本当に。大したことでは、なかったのだ、そんなの。でも、あの日のことが、私はずっと忘れられなくて、優しげな表情で、へら、と笑って、小さな子供に手を差し伸べていた観音坂くんの横顔を、今でも時々、思い出すし、その度に、どうしようもなく、胸が痛いのだ。
 ───だから、きっと。

 私は、観音坂くんの優しいところを、最初に好きになったのだと思うの。


「───ちょっと、其処の貴女」
「はい?」
「私こういうものです、少々、質問させていただいても?」
「え、はい、良いですけど……?」

 優しい観音坂くんと違って、私はひどく打算的で、狡賢い女だから、入間さんと初めて会ったときから、まあ、彼の目的が何なのか、なんて、とっくに分かっていた。職質、という体制を一応は保っているものの、此方も職質される覚えなんて無いし、そんな事聞いてどうするの? と問いたくなるような質問をされて、挙げ句の果てには、何かあったらいつでもお力になりますよ、なんて、私的な連絡先を名刺に書き込んで、ご丁寧に手を握って渡してくれて。私の方も、まあ、確かに、建前として、名刺を、その場で渡しはしたのだけれど、何故かそれ以来、名刺には連絡先が載ってないはずの、私用の端末の方に、入間さんから連絡が来るようになって。……これは、気のせいじゃないなあ、とか、警察って怖いなあ、なんて思いつつ、まあ、いくらなんでも気付いている。あからさまに、名前で呼んできたり、私にも名前で呼ぶように誘導掛けてきたりしてるし、うーん。

「……な、なあ、、入間さんと知り合い、なのか……?」
「え? ああ、うん、知り合いっていうか前にヨコハマに来たときに、職質? されて」
「は? いつ?」
「得意先に来たときじゃなかったかな……それで、なんかね、もし何かあったら、って」
「……うん」
「連絡先教えてくれてね。それから何回か、心配してくれてるのか連絡来たんだけど、親切なひとだよねえ、刑事さんってすごいなーと思って。私はオフはオフ! ってかんじだし、信じられないけどね。業務時間外まで仕事して、えらいよねえ」
「……は? え?」
「ん? なに?」
「いや……それ、職質じゃなくてさあ、」

 ───其処まで分かっていて、なあなあにして、入間さんの好きにさせているのは。観音坂くんと居るときに声を掛けてきた彼に、平然と対応してみせたのは。全部、全部、───観音坂くんの気を引きたいから、なんだけどなあ。

「い、いや……なんでも、ない」

 なんでもないことないよ! なんでもあるよー! 観音坂くん! いや、観音坂くんにとってはなんでもないのかな!? あーあ! どうして私ってこう、嫌な女なんだろ。こんなんじゃ全然、観音坂くんに相応しい女の子に、なれない、なあ。 inserted by FC2 system


close
inserted by FC2 system