崇拝の彩度を上げろ

※ver.4.2時点での執筆。魔神任務4章5幕までの内容を含みます。



「き、きみ! 大丈夫……? どうして、こんなところで倒れているんだい?」

 私の神様、フリーナ様。──大切な彼女と出会った当初の出来事を、残念ながら私は既に殆ど忘れてしまった。
 それでも、はじめてあなたが私に投げ掛けてくれたその声があまりにも柔らかで、焦りが滲んでいて、まるで私が長らく思い描いていた神のそれとは正反対で──祖国で出会った誰よりもあなたは人間のようだったから、私はその事実に驚いて、──お陰で、あなたが掛けてくれたあの声のことだけは、今でもずっと覚えているのだった。

 水際で呆然と途方に暮れていた私は、長らく彷徨ううちにいつの間にやら砂漠を越えて、フォンテーヌの領地まで踏み込んでいたのだと、フリーナ様は当時の出来事を私に語り聞かせる度に、そう仰っていた。
 ──当時の君は酷く傷付いていて、それを見た僕はこう思ったのさ! 神と天理を恐れる君をこの僕フォカロルスが護ってあげよう、君を僕の信徒としてフォンテーヌに迎え入れよう、とね!
 仰々しい口調で大袈裟に語られた事の経緯が、何処まで真実であるのかを、残念ながら私はやはり、今でも思い出せない。
 祖国が燃え落ちて、死に物狂いで逃げ出したあの日のことを、忘れてしまえるのならそれはそれで幸福なのかもしれないと、私がそう言ったなら、「それなら、忘れてはいけないことは、この僕が何度でも語り聞かせてあげよう!」と、彼女は私にそう約束してくれて、──私は、フリーナ様にそう言ってもらえたことが本当に嬉しくて、すべてを忘れてしまうことだって怖くないと、そう思えたのだ。
 フリーナ様、──私の、神様。
 彼女の信徒となるまで、私は只の一度も神の視線を享受したことがなかった。
 神は私を決して見なかったけれど、私は神に背を向けた民族の出自を持っていたから、それも無理はない。
 けれど、フリーナ様だけは確かに、まっすぐ私を見つめてくれた神様だったのだ。
 私が彼女を見つめて、傍で彼女を支えることを、フリーナ様は私に許してくれた。
 彼女の慈悲を受けて手を引かれ、パレ・メルモニアへと共に帰り着いたその日から、此処が私の帰る家になった。美しい水の国で、水神フォカロルスの従者──メイドとして過ごしているうちに、──どうやらいつの間にか、五百年の時が過ぎていたらしい。
 フリーナ様の傍に仕えて五百年の時を生きる中で、私は公には水神の眷属としてフォンテーヌの民に扱われていた。長命種の人ならざるモノとして何時しか私も幾らかの畏怖を受け、私の正体を水龍だと推測する人や、はたまたメリュジーヌなのではないかと噂する者もいたらしい。

 ──されど、それらの邪推は、既に水泡に帰した。

 フリーナ様が法廷に掛けられて、水神は処刑され、ヌヴィレットさんこそが水龍王であることが公に知れ渡り、私は、──原始胎海の水に溶けなかった。
 ──記憶が朧げで、五百年程も前にフォンテーヌに迷い込み、それ以来フリーナ様に仕えている、星の瞳の不老の他所人。
 既に私の正体に、気付き始めている者も少なくはない。中には、直接、事実を確認に来たひともいるし、何よりも元々、フリーナ様やヌヴィレットさんは私の素性を知っていたのだし、──それに何より、フリーナ様が舞台を降りた今、私には何者かに擬態してまで舞台袖に居座ろうなどという気は起こらずに、問われたのならば正直に事情を話している。……無論、相手は選んでいるものの。
 ──それについても、私が記憶できている範疇の話しか私には語れなかったから、祖国について知りたがっている旅人の力には、なってあげられなかったけれど。

 フリーナ様がパレ・メルモニアを去ることになり、私は当然ながら、当初、彼女に着いて行こうとした。
 けれど、今後は一般人としての生活を送ることになったフリーナ様は、「ごめん、もうメイドを雇う気はないんだ」とそう言って、私をパレ・メルモニアに置き去りにしたのだった。
 彼女は私の唯一無二の神様だ。──フリーナ様の正体はフォカロルスの神性を切り離した人性の部分であり、正しく彼女は神などではないのだと五百年の真相を知った今でも、私の信仰は揺るがない。
 神のいない国で生まれ育った私に、信仰を教えてくれたのは他でもない彼女だった。
 人の願いによって神格は強化され、神は神足り得るのだというのならば、例えあなたが人であったとしても、私があなたを崇拝することには何の問題も無い筈で、──けれど、それは彼女の人間としての心を握り潰す行為であるのかもしれないと、……最近の私は、きっと何度も何度も、そんなことばかりを考えているのだろう。
 もうあなたは私の傍には居ないから、正確には何度、そのような思考を巡らせているのかさえも、最早私には知りようも無かったけれど、──それでも。
 きっと私は、幾度も夢に見る程あなたを想っている筈なのだと、そんな気がする。「やっぱり君は、僕の一番のパティシエールだ! !」──けれど、そう言ってあなたが笑ってくれたことも、あなたが一番好きだったケーキの名前も、いつか私は忘れてしまうのかな。
 幾億の夜、飽きるほどに星々を語り聞かせてくれた私の神様は、もう此処から居なくなってしまった。
 きっと、私に神などは最初から居なかったのだと、これはそれだけの話かもしれないけれど、──それでも、私にとってあなたの居なかった頃が普通になるまでには、きっとまだまだ時間が掛かるのだろう。記憶が薄れたとて、心はきっと、あなたとの掛け替えのない日々を覚えているのだ。


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