心臓はきみが眠れるくらいの空洞

※ver.4.2時点での執筆。魔神任務4章5幕までの内容を含みます。



 彼女の瞳には星が浮かんでいる。彼女にとっては恐らく忌まわしき呪いである筈のその瞬きを、──僕は確かに、これっぽっちの皮肉もなく、美しいとそう感じたのだ。
 僕がと出会ったその日、彼女は身も心もボロボロに傷付いて、すっかりと意気消沈した様子で、……僕はてっきり、彼女のことを負傷した自国の民だと思い込んでいたからこそ慌てて彼女に近づいたものの、何故だか彼女からは、──神の気配に似た雰囲気を感じるということにすぐ傍へと駆け寄るまで気付かなかった僕には、……やっぱり少し、神様の役目は荷が重かったのだろう。
 ──どうしたんだい? 大丈夫? そう言って僕が語り掛けると、ぼんやりと顔を上げて此方を見つめてきた彼女の瞳の中に浮かぶ星を見て、──僕は、瞬時に彼女の正体を悟った。
 ──は、亡国カーンルイアの生き残りだった。
 その瞳に浮かぶ十字架は紛れもなく、彼の民族の特徴であり、──先の大戦の頃は、先代のエゲリアが水神の座に着いていた頃だったから、フォカロルスが水神の神座を継いだ後で分け身として作られた僕は、カーンルイアから噴き出した黒焔をこの目で見た訳ではなかったし、身を以てその戦争を知っていた訳でもなかったけれど、──それでも、僕とて彼らの身体的な特徴くらいは知っていたのだ。

 カーンルイアの民とは、七国と神に背を向けた背信の者たちであり、水神が彼らに慈悲を掛ける必要などはない筈で、──けれど、目の前に暗い瞳で座り込む彼女は、……少しだけ僕と似ているような気がすると、僕はそんな風に思ってしまったのだ。
 神の気配に似たものを纏っているのは、きっと彼女が天理の呪いを受けているから。
 決して死ねない呪いを受けて、人の身で在りながらもその生を逸し、隣人を持たない彼女のことを、──僕は、どうしても放っておくことが出来なかった。
 水神の使徒であるフォンテーヌの民たちを救う手立てだってまだ見つけられていないのに、その上で他国の誰かを救うような器量を、僕は持ち合わせていないのに。「行く当てがないのなら、この僕の信徒になるといい!」──だなんて、まだ上手く演じ切れていなかった“水神の振る舞い”で高らかにそう語り、どうにか彼女を安心させようとして、──そうして僕は、カーンルイアの血を引くことを嘆く彼女がフォンテーヌの民として生きられるように、彼女に新たな名前を与えた。
 ──、それは、君が僕の信徒となった日に僕が名付けた名前だと、……君は、何度もその事実さえも忘れてしまったけれど。僕はめげずに何度も、彼女に僕との日々を語り聞かせたとも。
 
 天理の呪いを受けた彼女は、最早人として死ぬことは叶わず、日々摩耗に晒され続けて、その所為なのか、は何処か異質な雰囲気を持ち合わせてもいたから、或いは他人から見た彼女は、僕よりもずっと神様らしかったのかもしれないね。
 現にパレ・メルモニアへと僕がを連れ帰ってからの五百年間の間、決して老いずに僕の従者として仕え続けた彼女のことを、水神の眷属ということは、もしや正体は水龍なんじゃないかだとか、メリュジーヌなんじゃないかだとか言って、民たちが噂していたのも知っている。……まあ、余計な詮索が争いを生む前に、事情を把握しているヌヴィレットが手を回してくれていたから、大事には至らなかったけれど。

 五百年の間、僕は懸命に水神として振舞って、フォンテーヌを救う手立てを必死に探し続けてきた。
 その計画には常にも助力してくれたし、彼女は誰よりも優秀な僕の補佐役で、捜査を任せても頭が切れるし、それにの作るケーキは格別で、フォンテーヌ中のパティスリーを全て周っても、どれも彼女の作るケーキには遠く及ばなかった。
 僕がそのことを褒めるたびに、はもしかすると、前回に同じ言葉で褒められたことなどは既に忘れてしまっていたのかもしれないのに、それでも決まって彼女は「人よりも長く生きているから、その分上達しただけですよ」と謙遜するものの、──本当は、忘れても再現できるようにと、いつもレシピを細かく書き起こして、例え記憶から消えてしまっても体が覚えていられるほどに何度も何度も、僕のためにケーキを焼いていてくれたことを、僕はちゃんと知っているよ。
 ──、僕の愛しい従者、僕の隣人、僕の可愛いメイド。
 僕は五百年間ずっと、何時だって生きていることが苦しくて堪らなかったけれど、君が傍に居てくれたからこそ、ほんの少しでも呼吸が出来ていたんだ。
 君は、僕に似ていた。
 呪いを受けた普通の人間という立場は僕とそっくりだったし、本当は苦しくて寂しくて堪らないは、摩耗に怯えていつも僕の傍で泣いていた。神の悪意によって呪いを受けた彼女は摩耗から逃れられずに、大切なことを幾つも忘れてしまうのが僕は心配で、まるで自分のことのように恐ろしくて、何度も名前を呼び掛けては、彼女が大切なものを手放さずに済むようにと、──互いに眠れない夜には身を寄せ合って、何千何万何億もの夜を、僕と君は寄り添って過ごしてきたんだ。

 ──けれどね、。実は、僕だけが知っている秘密があるんだ。
 それは、僕は本当は、君の神様を名乗っていいような人間じゃない、──ということだ。
 君はすぐに様々な物事を忘れてしまうから、──実のところ、僕は何度も、考えてしまったんだ。
 ──もしも、もしもだよ。……、君になら僕の苦痛をすべて打ち明けたところで、……君はその懺悔さえも忘れてしまうんじゃないか? って、……僕は愚かにも、何度も何度も、そう考えては魔が差してしまいそうになって、それでも、どうにか実行に移さずに堪えてきたけれど、その葛藤そのものが君の信仰を裏切っていたことなどは、明らかだった。
 ──彼女の慕う神は、そのような独りよがりに走ってはいけない。
 ──、どうか僕の狡い願いを実行に移させないで。何も忘れないで、明日も僕の傍にいておくれ。
 そう願い続けた日々が終わりを告げた日、──僕は彼女を残して、パレ・メルモニアを離れることにしたのだった。
 水神の神座が破壊され、水神が担っていた権能はすべて水龍に返却された。今後は今まで僕が担っていた役目をヌヴィレットが引き継ぐことになるのだから、それらの補佐をしていたは、そのままヌヴィレットの補佐に回るべきだと僕が主張したとき、──は目に見えて動揺しながらも、最後には僕の言葉に頷いたのだった。
 ……やっぱり僕は狡いよね、君は決して僕の命令に従わない筈はないことだって、ちゃんと分かっていたのにさ。
 
 これからの僕は、普通の人間として生きていくことになったらしいから、もう今までの五百年のように、の傍で彼女の悪夢を解き続けることも叶わない。
 だからさ、彼女の五百年後を想うなら、ヌヴィレットへとを託すべきだと、そう思った。──この決断は、ほんの少し寂しくて苦かったけれど、きっと君は大丈夫だよね。
 ──、君はいつか僕を忘れて、自分はずっとヌヴィレットと寄り添って生きてきたものだと、そう思うようになるのかな。きっと君たちにとってそれこそが最良の結末だと、確かに僕はそう信じているのに、──舞台を降りて尚、どうしてこんなにも、心が痛いのかな。


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