ただ一つ、ただの一つ、たった一つ
「──兄さん、今日も姉さんとふたりでね、兄さんの話で盛り上がったよ」
「……そうか。内容を報告して貰おうか」
「もちろん。今日は、姉さんがね……」
私を慕う弟──トレモロは、私を尊敬するあまりに常々、兄自慢がしたくて仕方がないようで、が我々の家に同居するようになってからというもの、どうやら私に関する話題は、もっぱら彼女へと共有されることとなったらしい。
そして実際のところ、私にとってもそれは非常にメリットのある話で、──トレモロは、にとっては年下の少年であり、一つ屋根の下で恩人──と彼女が信じ込んでいる私と、その弟であるトレモロと共に暮らすにあたって、私が義兄と言う肩書きを背負う以上は、当然ながらトレモロはにとって“義弟”という存在になる。
宇宙ドラゴンの血を引く我々は地球人と比べて幾らか長命であるため、本来ならば、トレモロから見ての方が年下に当たるのだが、外見年齢を考慮した上で、には私とトレモロの間の姉妹であると言った風に説明がされているのだった。
突然、弟となったトレモロに、当初は困惑しながらもは歩み寄ろうとしていたし、“恩人”である私の弟であるからこそ、トレモロへと好意的に接するのその態度は、トレモロの側にとっても好印象だったのだろう。
──同居に当たって、「彼女はお前の姉となる女性だ」と私が事前に伝えていたこともあり、トレモロは我が家での慣れない生活に戸惑うにも非常に親切に接して、の方も年下の少年であるトレモロにはあっさりと警戒心を解かれたのか、ふたりはすぐに仲を深めて、──そうして、彼ら義姉弟にとって共通の話題としては、私の存在がもっとも身近だったことも手伝い、とトレモロは私がその場に居なければ大抵は、私の話で盛り上がっているのだと、トレモロから再三そのように伝え聞いている。
は、トレモロが語る兄の自慢話も嫌な顔ひとつせずに笑顔で聞いてくれているのだそうで、トレモロにとってはそれが余程嬉しかったのか、弟はますます彼女を姉として慕うようになり、──そして、はと言うと、トレモロの語る私の話を日がな一日聞かされているからか、私を“恩人”と信じ慕ってくれていた同居の当初と比べても、現在では大分私に好意的になったように思えるし、……実際、近頃の彼女と接している際などには、から私に対して警戒心らしき感情は、まるで働いていないように感じている。
「嬉しいな……姉さん、兄さんのことが大好きみたいだよ。嬉しいなあ……あれだけ兄さんを慕っているなら、……いずれは、姉さんは本当の義姉さんになるんだよね？ 兄さん」
「そう逸るな、トレモロ。……だが、まあ……無論、私とて最終的にはそのつもりだ」
「そうだよ、きっとそうだよ。……ああ、楽しみだなあ！ 姉さんが、僕の義姉さんに……家族になってくれるの、僕も本当に楽しみだよ、兄さん……」
が私に向ける感情は、──既に、兄への敬意を逸しているはずだと、トレモロはそう語り、……事実、私も、トレモロから伝え聞く限りでは、概ね同意見だった。
──であれば、残る問題は、……如何にして彼女にその事実を理解させるか、であるのだが。……は私にとって、何よりも可愛い女だ。彼女が何者にも壊されてしまわないようにと、こんなにも大切に囲っている以上は、彼女を傷付けるのは私としても本意ではない。
最悪の場合には、強硬策もやむを得ないのかもしれない。……もしも、私が。これまでに積み上げてきた信頼と慕情の上で彼女に無体を強いたとて、……恐らく既に、は私を恨むことなどは、到底叶わないまでに絆されてしまっていることは、分かり切っているからだ。
しかしながら、他者の手で散々に傷付けられてきた彼女のことを私だけは守り抜こうと決めた以上、それは流石に気乗りのしない話である。一度、兄妹と言う間柄に収まってしまった以上は、改めて恋愛対象として意識してもらおうなどとは難しい話であることは私も承知の上だったが、……極力は彼女自身の意志で私を好いてもらいたいし、その為の努力は惜しまないつもりだった。
──竜宮家での生活に慣れた頃から、はMIKに籍を置き、現在では総帥直属の秘書官の肩書きを持っている。
彼女には教えられない事情が余りにも多すぎるがゆえに、に任せているのは最低限の事務仕事ではあったが、元々あの子はあまり体も強くないから、無理に働かせすぎるのは心配で、私は今のままで十分だとそのように考えていた。
MIKの主だった職務と言えば、無断で地球へと来訪した宇宙人を取り締まり、危険性があれば強制送還すること。更には危険性がなくとも、宇宙人の存在を知らぬ地球人たちの生活を脅かさぬためにと、原則的に宇宙人は地下宇宙人居住区へと送られて、MIKの管理の元にて生活している。
無論、私とて無差別にこれらを行なっている訳ではなく、三代に渡って地球に住み続け、なおかつ地域活動に貢献した宇宙人には、確認済宇宙人地球居住許可証──通称・地球免許を発行し、正体を伏せた上でならば地上での生活も許可している。そして、MIKの活動方針に賛同して集った隊員は何も地球人だけではなく、MIKには宇宙人の隊員も少なくはなかったし、私はMIKでの地域貢献を申し出た宇宙人に関しては、基本的に歓迎して組織に迎え入れている。
──そうだ、私は何も無差別に宇宙人を断罪しようなどと考えていた訳ではなかったのだ。
──無差別に、地球人を襲撃する宇宙人が現れるまでは。
──事件の発端は、六葉町で起こった。
まず最初に、チュパカブラ星人による無差別な地球人の襲撃事件が発生したものの、この際の犯人は地球免許を持つ宇宙人であり、──この時点で私は、地球免許の存在意義そのものを疑問視し始めたと言っても過言ではなかったことだろう。
三代に渡って地球にて地域貢献を続けてきた宇宙人であれば、他よりも幾らか善良なはずだと言う私の考えは甘かったのだろうかと、──確かに、私はそのような疑問を抱きながら、六葉支部からの報告を聞いていた。
その後も、この事件を皮切りに、六葉町では宇宙人による地球人の襲撃事件、ゴミ処理場への不法侵入や騒動などが相次ぎ、──一連の決定打となったのは、ムツバテーブルテレビ局の襲撃事件であった。
「……これは、一体……」
「い、……今の攻撃、ソリッドビジョンじゃなかったですよね？ お兄さま……？」
「……、私は少し六葉町に出向いてくる」
「そんな……、危ないですよ！ せめて、私もいっしょに……」
「大丈夫だ。……テレビ局の騒動は、きっと番組上の演出だろう。私はその確認に向かうが……お前は安心して、本部で待機していなさい」
「……はい、お兄さま……」
──「これはテレビだから大丈夫」と、ブラウン管の向こうで繰り返されたその文句をに向かって復唱しながらも、──彼女にはそのような子供騙しが通用しないことなどは、私が一番よく知っている。
何しろは酷く聡明で、私とて彼女のそう言った部分を好ましく思っているからだ。あまり仕事を任せすぎたくはないと思うが、は良く気が付いて作業も早く、私が疲れていればすぐに茶や菓子を出してくれたりと、私の些細な機微までよく見ていてくれることがありありと分かるその心尽くしは嬉しかったし、……彼女も私を見つめていてくれるのだと、そのように実感出来たこともあり、のそんな思慮深さを私は一等に好いていた。
だからこそ、こけおどしの理由では、を欺くことなどは到底叶わない。──画面の向こうで起きている騒動は、恐らくアースダマーによるものだろう。──アースダマーに関してはMIKでも研究を進めているが未だ未知の部分が多く、モンスターの実体化に使用するなどと言う危険極まりない行為を、まるで宣戦布告かのようにカメラの目の前で行う宇宙人が現れてしまった事実に、私はまず絶句したが、には気付かれぬようにと平然を装い、私は彼女を残して執務室を出たのだった。
その後、すぐさまトレモロと共に部下を連れ立って本部から六葉町へと出向いたものの、既に事態は収束した後で、一連の事件の犯人──ズウィージョウと名乗るベルギャー星人の行方は掴めなかった。
ムツバケーブルテレビを利用し、カメラ越しに宇宙人たちに向かって決起を呼び掛けたズウィージョウの犯行は悪辣極まりなく、ムツバタワーを占拠し屋上でラッシュデュエルを行い大暴れした挙句に、現場に居たMIK隊員はズウィージョウを取り逃がし、──結局私はその日は事後処理で、本部に戻ることも、六葉町の自宅に帰ることさえも叶わずに、には取り急ぎで今夜はホッテンマイヤと共に過ごすようにとだけ伝えて、電話を切ったのだった。
この騒動について、MIKの対応としては“ムツバケーブルテレビによるドッキリ番組である”という言い分を押し通し、市民には飽くまでフィクションである旨を説明したが、──無論、疑問を抱いた市民も、ズウィージョウに賛同した宇宙人も、決して少なくは無かったことだろう。
その後、私はしばらくの間、本部と六葉町を行き来しながらの生活を送り、も度々それに同行してくれていたが、彼女には宇宙人の暗躍などを知らせたくはなかった。
宇宙人に虐げられていた経験のある彼女は、現在では当時の記憶も朧気に緩んでしまってはいるが、何の衝撃で偶発的につらい記憶を思い出してしまうとも限らない。そうなってしまっては、が可哀想だろう。
──宇宙人は、危険だ。
そのようなことは初めから分かり切ってはいたが、──尚のこと、私が宇宙人をに近付けたくはないとそう考えるようになったのは、決定的に地球人に害を成す宇宙人──ズウィージョウの登場と暗躍が大きかったことだろう。
MIKはその後もズウィージョウの行方を追っていたが、丁度その時期に、六葉町の地下宇宙人居住区では、ロヴィアン盗賊団を名乗る徒党が暴れ始めており、こともあろうに連中はMIKリングを窃盗、解析した上で海賊版であるラッシュブーターを流通させることで、地下の重力制御を取り除いてしまった。
元々、地下宇宙人居住区にて重力制御が施されていたのは、地下で暮らす宇宙人が許可もなく地上へと出ていくことで地球人に害を成すことがないようにという配慮が理由であり、──ラッシュブーターの流通により、実質的に地下宇宙人居住区のシステムは崩壊し、治安は悪化した。
只でさえズウィージョウの件で頭が痛いと言うのに、居住区での騒動が合わさった上に、一連の事件がすべて六葉町で起きていたこともあり、六葉支部の人員だけでは到底手が回らず、これらが理由でズウィージョウの捜索は更に難航し、地下居住区の封鎖も一時は提案に上がったが、──六葉支部からの反対意見によりそれが叶うことはなく、それから少し過ぎた頃に、最悪の日は突然に訪れてしまった。
その頃、私はズウィージョウの件で益々慌ただしい日々を送っており、本部と支部を行き来する生活は、如何に宇宙ドラゴンの血を引く頑丈な体でも重たい疲労感がずっしりと蓄積されているほどだった。──せめて、の笑顔で癒されたいとそう思うが、このような生活にを付き合わせるなどと言う気にはまるでなれず、彼女には私の留守を預かると言う名目を与えて、しばらくの間、六葉町の屋敷に待機してもらうことにしていた。
私はと言えば、なかなか家には帰れずに、に会えない日も多く、激務の日々だけではなく、その事実も私の心を苛んでいたことだろう、──しかし、それでも。……まさか、と本当に会えなくなるなどとは、考えもしなかったのだ。
「……何だと……？ 仔細を説明しろ」
「は、はい！ ──蒼月支部長の報告によると、六葉町は現在、宇宙に飛び立っているとのことで……」
──大慌てで執務室に飛び込んできた七星ランランの説明を聞いても、聞かされた報告はとんだ悪夢で、信じる気にはまるでなれない。
──蒼月学からの、報告によれば。
六葉町の地下には、太古の昔に埋められたベルギャー星団の宇宙船が存在しており、六葉町に滞在するベルギャー星人、ユウディアス・ベルギャーの存在に呼応するかのようにこの宇宙船が機動、──現在、六葉町は宇宙船に載せられた状態のままで、市民を連れて飛び立ち、六葉町の住民はすべてベルギャー星人どもに拉致された状態だと、……六葉支部からの報告は、簡潔に説明するとそのような内容だった。
「──待ってくれ、ちょっと待ってくれ！ だって、兄さん！ 姉さんは、今……！」
「……ああ、……六葉町の屋敷に、待機させている……ひとりでな……」
たったひとりきりで、お前が宇宙人どもに銀河へと連れ去られたその日、──私は、己の甘さを知ったのだ。……ああ、ダニやクズどもに欠片でも慈悲を与えようとした私こそが、最も愚かだったのだと。