波間での喪失

「──! 無事か!?」
「大丈夫!? 姉さん、大丈夫かい!?」
「──お兄さま! トレモロくん! そちらも変わりない?」
「……怪我はないか? 宇宙人に何かされていないか? お前をひとりにしてすまなかった……まさか、こんな事態になるとは……」
「大丈夫です! ……ちょっと不安だけれど、こっちは無事に変わりなくやっていますから!」
「……本当に? 姉さん、本当に大丈夫かい……?」
「大丈夫よ、マナブくんたちによくしてもらっているし、特に変わりはないです!」
「……そう、か……お前は、平気なのだな……」
「? はい! もちろん! ……だから、どうか心配しないでね、お兄さま……」

 六葉町からの報告があってすぐに、蒼月学に指示を出して竜宮邸までを迎えに行かせると、宇宙の六葉支部から本部のモニターへと通信を繋がせて、ぱっと映し出されたモニターの向こうにの姿を確認したことで、……それでようやく、私は彼女を失ったのかもしれないと言う緊張感から解放されて、まともに呼吸をすることが叶ったのだった。
 ベルギャー星団の宇宙船に乗せられて宇宙へと運び出された六葉町──其処には、単独で六葉町の本邸に待機していたの姿もあり、私は最愛の彼女を宇宙人に攫われるという失態を犯してしまった。
 叶うならば、今すぐにでもを迎えに行きたいが、生憎、流石にMIKにも宇宙船の在庫などはある筈もなく、如何に宇宙ドラゴンの血を引いているとはいえ人の姿にしかなれない私では、宙を駆けて彼女を迎えに行ってやることも叶わない。
 よって、余りにも不甲斐ない話だが、現状では私に出来ることは殆ど無かった。──全く、情けない、このような義兄にはとて愛想も尽きてしまったのだろうか。──或いは、私が思うよりも余程、は私への情など抱いていなかったのか、私が彼女に傾けるそれが強すぎるだけなのか。
 ──きっと、彼女も心細い想いをしているに違いないと思っていたのに、モニターの向こうに映るは、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべており、動揺の欠片などは彼女の笑みに微塵も見当たらないのだった。

「私は大丈夫ですから、お兄さまとトレモロくんはお仕事に専念してください。大丈夫です、安心してくださいね! お屋敷の管理はしっかりしておきますから!」

 ──そうではない、そうではないのだ、。──屋敷など、もしも宇宙人に破壊されたとて幾らでも建て直せば良いだけの話だが、……お前は、その限りではないだろう。お前は、替えが効かないたったひとりの愛しい子なのだ。現在、ベルギャー星人の手中にあるその宇宙船の中に閉じ込められているは、……今、その身に災禍が降り注いだとて、私が護ってやることなどは叶わないと言うのに。

 ──結局、は笑顔を絶やさぬままで、やがては手を振って通信は終了し、……トレモロと私のみになったその場は、重々しい空気が支配している。
 ──やがて、おずおずとした様子で切り出すべきかを迷い言い淀みつつもトレモロは「……気にしないで、兄さん、気にしないでよ」と、私に言葉を投げ掛けるのだった。

「……ああ……」
「決まってる。姉さんは、兄さんに心配を掛けたくないだけに決まっているさ、きっと本心では寂しがって……」
「……もしも、そうだとしても」
「兄さん?」
「……は私には、未だ弱音を吐こうとは到底思えぬと、それは、そう言うことだろうに……」
「……兄さん、そんなことは……」

 ──実際のところ、彼女が何を思っているのかなど、私には分からない。……だが、私の知る限りという少女は本来ならば酷く寂しがり屋の甘えたである筈なのだ。……日頃から私にそれらの機微が向けられていたなどと自惚れるつもりはないが、それでも。……義兄として頼れる背中を示し続けたのなら、いずれは頼ってもらえるものとばかり思っていた。
 それが甘い幻想であったと痛感したのが、このようなときではなかったのならば、私ももう少しは冷静に事実を受け止めることが出来たのだろう。……数ヶ月もの間働きづめの己の顔色が酷かったことも、それが彼女への心配でますます悪化して通信機越しにも分かるほどに真っ青だったことも、が私の身を案じて、余計な心配などを掛けたくはなかったからこそ気丈に振る舞っていたことにも、……冷静であれば、私は気付けたはずなのだ。
 だが、最早それほどの余裕もなくなってしまっていた私には、の言葉を額面通りに受け取ることしか出来なかった。
 は、──私と離れて、ひとりで宇宙へと連れて行かれて、私に会えずとも平気なのだと、……只々、今このときにも彼女の身を案じ会えないことを辛く思い、気が狂いそうなまでの怒りを宇宙人に向けているのは私だけなのだと、……そのように、考えてしまったのだ。

 その後も、とは小まめに通信連絡を取り合ってはいたが、は相変わらずの様子で、「お兄さまがいないから秘書業務は出来なくて、六葉支部のお手伝いを申し出てみたけれど、そんなことさせられないって断られちゃって……」「時間が余っているので、お屋敷の掃除をしています」「あと庭のお手入れをしていて、お庭の竜胆が綺麗に咲いたんですよ」「地球に戻ったときにお兄さまに食べてもらうように、お庭の果物でジャムを作ろうとも思っています」──だとか、定時連絡の際には何時だってそんな風に、あっけらかんとした態度の彼女に私は本当に気が可笑しくなりそうで、……離れている間にもが無事に過ごしていると思えたのならば、彼女の笑顔さえ見られたのならばそれで安心できるかと言えばそのようなことはなく、それどころか、が笑うたびに私は不安だった。
 の笑顔を見ていると、……彼女にとって、私は必要ではない存在なのか? と、……そう、疑問を抱いてしまうのを只でさえ止められなかったというのに、……その時期から、には不審な行動が目立つようになっていった。

 六葉町でひとり暮らすのことが心配で、六葉支部からの迎えがない限りは屋敷を出ないようにと本人にも固く言い聞かせていたが、──屋敷の警護を任せている隊員からの報告により、が度々、人目を盗んで屋敷を留守にしていることが判明したのだ。
 そして、行き先は一体何処かと思えば、──ボイルド・ベーグル・レクイエム。──後にズウィージョウの潜伏先と判明した、一軒のパン屋だった。

 は元より、私の目を盗んで外出する癖があり、それに関しては窮屈な思いをさせている自覚程度は私にも伴っていたから、ある程度は許容していた。とはいえ、それも今となっては話が全く変わってくる。宇宙人が闊歩する六葉町を無防備にひとり歩き回るなど最早自殺行為であり、としてはパンを買いに行っているだけのつもりなのかもしれないが、相手はあのズウィージョウなのである。
 パン屋の店主が変装したズウィージョウであることを突き止めた時分には、既にズウィージョウは姿を眩ませた後だったが、部下からの報告を聞く限り、足しげくパン屋に通い詰めていたは、ズウィージョウと大分親しくなっていた様子だった。
 ──何も、彼女を疑っている訳ではない。私が疑っているのは、ズウィージョウの方だ。
 ──何よりも、私はの不貞を疑えるような立場にはなかった。
 がズウィージョウのパン屋に通い詰めた理由など、元より彼女がパン好きだという事実だけでも十分に片付けられたはずで、実際のところ、それは正しかったのだろう。──だが、離れて過ごす間に、現在MIKが手を焼かされている最も憎い害獣の前足がに触れたかもしれないと言うその事実は、私の理性を呆気なく打ち砕いてしまった。

 ──は、ズウィージョウのことが好きなのかもしれない、と。……そう思い始めたのは、その頃からだ。

 離れていることで生じた不安も大きかった、何よりも、自分自身が彼女の恋愛対象の中には居ないと言う自覚が、確かに私にはあって、……それでも、他の人間よりも余程に好かれているという自信だけはあったのだ。ならば、少しずつにでもそう言った対象として見て貰えればそれで良いと、長命の私はそれらしく余裕を持って、彼女を急かしたりはせずに気長に待とうと、……そう、思っていたはずだったのに。
 こんなにも必死になってを守っている私には、当たり障りのない笑顔を向けてくるというのに、彼女は、……よりにもよって、誰よりもを脅かす存在に誑かされてしまったのかもしれない。私が傍に居なくとも、彼女には身を守ってくれる相手がいると、ズウィージョウによって誤認させられているからこそ、は平然としていられるのかもしれない。
 ──私の欲しかったものは、もう。
 他の男の手に渡り、二度と帰ってきてはくれないのかもしれない。

 無論、どんな手段を使ってでも、必ず私は彼女を迎えに行こう、助け出そうとも。
 ──だが、の心ばかりは、最早私には手に入らないのかもしれないな、と。……擦り切れた心は、確かにそのように思い始めていた。

 本当は、当時のは、──只々、私と離れて過ごす日々を寂しく思って、私に似た面影があると感じたからこそズウィージョウに心を開き、困窮していたパン屋の経営に貢献するために、店に通い差し入れを重ねていたそうなのだが、──それらの真相を私が知るのは、……結局、それから二年以上が過ぎた後のことで、私はそれまでの間ずっと、の心はあの憎い男に掠め取られたものとばかり思っていたのだった。……故に、彼女に対して酷いことも、出来てしまった。……本当に、愚かなことにな。

 その後も、恐怖の大王の騒動があり、六葉町の住民が次々に氷漬けにされただけでは飽き足らず、ズウィージョウがルーグ大王の力を暴走させたことで、六葉町だけではなく地球からも一時的に映画館や遊園地、玩具と言った人々が“面白い”と感じる概念の結晶が消し去られ、──私はこの際に、地球の側での事態鎮圧にも奔走する羽目になり、とは以前よりも小まめな連絡を取れなくなってしまっていた。

 これほどの大規模な宇宙人による騒動は、流石にMIKの権限を持ってしても完全なる隠蔽は難しく、六葉町での騒動に関しては、現場に一任する運びとなり、──それが解決したかと思えば、今度はズウィージョウの右腕、ミューダ・ベルギャーによるMIKへの潜入事件である。
 この際には、トレモロの進言が功を成して現場は最小限の被害に抑え込めたものの、何とその直後にMIKで管理していたアースダマーが暴走し、七星ランランを連れてズウィージョウの元へアースダマーの逃亡を許してしまった。

 その後も、地球・六葉町共にズウィージョウに散々手を焼かされて、宇宙船ごと六葉町がデュッディー・デュッカス星系に占拠されかかったり、果てにはベルギャー人同士の戦争に六葉町の市民が巻き込まれる事態にまで発展し、──その結末に、ズウィージョウの真の目的が露呈したのだった。

 ベルギャー星人は、創造主によって作り出された仮初の生命体であり、ズウィージョウは己の同胞を救うため、カルトゥマータ──ベルギャー星人を人間と同等の生命体へと作り替えるために、地球の征服を目論んでいた。
 ズウィージョウは、アースダマーという地球人に備わった独自の機関に目を付けており、このアースダマーを地球人から吸収してカルトゥマータを救うための糧としようと考えていたのである。

 そう、──あの、金色の鬣を持つ害獣は。
 私の義妹を誑かし、餌とするために、を懐柔しようとしていた。──食い物にするために、私の最愛の子を誑し込んだのだと、そのように解が導かれたそのときに、……私は決めた。
 最早、一片の慈悲も無い。
 宇宙人は皆殺しだ、──地球人を殺してでも存続すると貴様らが醜くもそう吠えるのならば、この私が宇宙人を悉く粛清してやろう、と。 inserted by FC2 system


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