遠い海に褪せていくまで

 最早一刻の猶予もないと、そう判断してからの私の行動は早かった。
 六葉支部からの連絡で、六葉町を乗せた宇宙船が地球に向かっている旨が確認出来ていたこともあり、私は早急に手順を整えるに至ったのである。

 MIKはこれより、オペレーションMIK──迷惑異星人完全排除を推し進める。

 宇宙人は害悪である。故に、ダニやクズでしかない連中を泳がせるのは、もう辞めだ。……きっと最初から、こうしていれば良かったのだ。そうすればもトレモロも、宇宙人に害されることはなかったというのに。
 宇宙人の完全排除を決めたとき、真っ先にその筆頭候補には、ベルギャー星人が上がった。連中だけは、決して生かしてはおけまい、私がこの手で徹底的に断罪する。地球侵略の実行犯であるズウィージョウはもちろんのこと、MIKに潜入したその部下と、宇宙船を起動させたユウディアス・ベルギャーなどは最も憎むべき存在だった。何しろ、を誘拐した実行犯はユウディアスと言っても過言ではないからだ。

 現在、連中は地球を離れて宇宙に離脱している様子だが、──蒼月学からの報告を聞いた限りでは、いずれ連中は地球に戻り、再び地球人にとっての外敵となり、この星を脅かすことだろう。
 それを断固として許さぬためにも、私は連中が戻るまでの間に徹底的な下準備を推し進めたのだった。

 ──その頃、私はとある場所で遺跡を見つけて、これがラッシュデュエルで敗北した人間をカードにする未知のオーバーテクノロジーを持つことも突き止め、この機構を利用したマキシマムカードの生産に乗り出していた。
 これは、MIKの武力として有効な手立てだとそう考えたのである。──何しろ、これからMIKは、人の枠を超えた化け物どもとやり合う必要があるのでな。

 その為にも、まずは、ラッシュデュエルの生産ラインを抱えるゴーハ堂とムツバ重機を接収する。それから、ユウディアスを庇い立てしていたUTSもだ。
 地球免許など最早関係がない。地上に住まう宇宙人はすべて捕縛し、地下へと送り込む。或いは、MIKの下で収容し厳重に管理、──それでも逆らうものは、カードにしてしまえばいい。更にMIKは宇宙人と関わりの深かった地球人をも片っ端から捕まえて、地下宇宙人居住区へと閉じ込める形で地上から追い出した。
 その計画と並行して、従来のMIKとは別に、“六葉イイ町協同組合”という組織を起こして市民からの信用を勝ち取りながらも、以前と比べてもより一層に厳しく管理されるようになった六葉町は、次第に治安を取り戻し、以前よりも余程住みやすくて安心できる街になったと、そう思う。
 ──この先に、カルトゥマータとの開戦が控えている以上はまだ安堵は出来ないが、……それでも、六葉町にを置くことにも幾らか不安を覚えなくて良くなってきたことで、私は少しだけ肩の荷が下りる想いがした。

 しかしながら、この頃、との間には以前と比べると幾らかの距離が生じてしまっていたのだった。
 は宇宙から戻ってきた際にも、大慌てで本邸まで駆け込んだ私とトレモロをいつも通りの笑顔で出迎えて、「お帰りなさい、お兄さま! 今、お茶を入れますね」──などと、他に幾らでも言うことがあるだろう? と、そのように縋り付いたくもなる様子で平然としており、──しかしながら、その後は少しずつ元気を無くしているが心を痛める原因は、──恐らくは、ズウィージョウが姿を消したというそれに他ならないのだろう。
 ズウィージョウが居なくなり、現在、奴が隠れ家にしていたパン屋は当然ながら閉まっているが、は度々店の前で足を止めて、物思いに耽るように眉を下げているのだった。
 ──、やはり、お前は。
 ズウィージョウのことが、好きなのか? ……と、何度もそう思いながらも、結局私にはそれを問いかけることは叶わなかった。もしも彼女の口からこの疑惑を肯定されてしまったのならば、私は最早、に何をしでかすか分かったものではないと、そのような確信があったからこそ、私はどうにか自分に言い聞かせようとしていた。
 ──後のダークネス騒動を鑑みれば恐らくは、あの頃既に、私は遺跡に意識を操られていたのだろう。己の内に、確かに存在している悪意や憎悪を増幅された私は、次々と苛烈な手段を取ることへの躊躇もなくなっていたが、それでも彼女にだけは、手荒な真似はすまいと己の醜悪な欲望に必死で抗っていた。……しかしながらその頃には既に、私自身を納得させられるだけの理由を、私は持ち合わせてなどいなかったのだ。
 ……ああ、愚かだな、私は。
 奪われて手に入らなくなったものを取り戻したいのならば、に好かれる努力をするべきだとそう分かり切っているのに、いずれは連中が戻ってくると知っているからこそ、──その日までに何としてでもを私の物にしてしまわなければ、彼女を再び攫われるかもしれないと、日に日にそればかりが不安で仕方が無くなってしまっていたのは、……或いは、元より私も強引に彼女を連れ去ってしまったからだったのだろうか。
 ──正面から好意を伝えるような資格は己には無いのだと、そう知っていたから、だろうか。

 の心の所在が分からずに、考えあぐねていた間にもオペレーションMIKを推し進める関係で私は多忙を極め、屋敷には戻らない日々が続いていた。気付けば、本部近くの別邸に拠を移していたのは、──を六葉町から遠ざければ、パン屋の前を通るたびに浮かべていた彼女の悲しい顔を見ることもなくなるかもしれないと、そう期待していたのもあったのかもしれない。
 心の距離を感じながらも、それでも私はを手元に置いた。少しでも目を離せば可愛いこの子は簡単に攫われてしまうのだと、それを理解したが故の行動だった。心が遠く離れていても、彼女の体温を感じるほど近くに、その熱を感じられたのなら、幾らかは私も安心出来ていたのだろう。

「……なんだと?」
「ですから……私も、お兄さまのマキシマムカードになりたいんです。アンジュちゃんたちのこと、聞きました! トレモロくんのマキシマムカードになるって……!」
「……彼女たちから、強い希望があったと聞いている。マキシマムの材料にはMIKの隊員を用いる予定だが……彼女たちは、他の者に譲りたくはないと……」
「トレモロくんは、それに合意したんですよね?」
「ああ。……彼女たちが、半ば押し切った形のようだったが」
「だったら! ……私も、お兄さまのカードにしてください……私もMIKの隊員だし、条件は同じはずです」
「…………」
「お願いします、お兄さま……私、どうしても……」
「……駄目だ、了承できない」
「お兄さま、どうして……」
「……二度とその話をしないでくれ、良いな? ……」
「……はい、お兄さま……ごめんなさい……」

 ──お前が傍に居るのならば、それで、と。……そんな私の些細な想いさえも砕いてしまおうと思うほどに、……お前は、私のことが嫌いなのだろうか。私の元には帰りたくなかったと、……これは、そう言うことなのか?

 マキシマムカードの生産が安定して、いよいよ私とトレモロ、そしてのエースカードになるマキシマムを作ろうと言う段階になった際に、……は、私のマキシマムの材料の役目を申し出て、……私は、震える声を必死で抑えながら、動揺を気取られないように冷静に努めて、彼女の希望を却下した。
 私の返答を聞いたは何処か腑に落ちない表情をしていたが、……ああ、頼むから、これ以上の悪夢を持ち込むのは、どうかやめてくれないか。
 確かにマキシマムカードは己の身を守るための武装となり得る重要な武器で、その役目に名乗りを上げたトレモロの秘書たちの気持ちも分からなくもない。
 ──だが、そもそも“人間をカードにしてマキシマムカードを創造する”などと、幾らカルトゥマータへの対抗策を欲していたからと言って、正気の沙汰ではないだろうに。遺跡の影響が強まるにつれて、良心の分別も付かなくなった私は部下を次々にカードへと変えてマキシマムカードを生産したが、──其処まで深淵に身を落としても、彼女をカードにすることだけは私にとって耐えがたい行為だった。
 それに、には武器の役目など、決して似合わないだろう。お前は、私にとって光の象徴のような存在なのだ。お前の為のマキシマムカードだって既に準備を始めていて、それとての無事を願うからこそ、護身用に持たせようとしたまでだった。
 ……だと言うのに、は、マキシマムカードの材料になりたがっただけでは飽き足らず、希望が通らなかったことへの不満の表れだったのか、何度言ってもラッシュデュエルの際にマキシマムカードを使ってはくれなくて、──その後、ユウディアスが地球に戻ってきた後には、それが原因で、彼女の方がカードにされかけたことまであって、……その際にはまたしても私は恐ろしいまでに肝が冷えて、……ああ、どうして、お前は、私の意向を逆行しようとするのだろう。……そうも私が憎いか? ──と、一度そのように思ってしまってからは、遂に自分を止められなくなっていった。

 ──きっと、遺跡の影響も強かったのだろう。当時は未だ遺跡の解析も進んでおらず、私も便利な装置と言う程度にしか認識していなかったし、も記憶が抜け落ちていたため、遺跡を見ても何も思い出すこともなく「この遺跡を使ってはいけない」という私への進言も叶わなかったらしいが、──後のダークネス化騒動の折に判明した事実を考慮すれば、遺跡自体に対象の人格を歪める効果があっても決して可笑しくはなかったし、……私は、への激情の余りに乱れた心の隙間を縫うように、その水晶の向こうに在る“何者か”の存在に、幾らか行動を操られていたのかもしれない。
 それでも、結局は、──凶行に至ったのは、私の意志だったと、そう思わねばやり切れん。あれは確かに私の罪だったと認めねば、あの子が可哀想だ。
 只でさえ人間は脆く儚いと言うのに、がまるで私の言い付けを守ってくれないのが不安で、この子が他者に脅かされ害されて、傷付けられはしないかと心配で、……そんなにも宇宙人と関わりたいのなら、カードになってでも私の手を離れたいと言うのなら、……最早私も、手段は選ぶまいと、──遂に、私はそう思ってしまったのだった。

「それでね、……あの、お兄さま……?」
「……、此方を向け」
「おにい、……ま、待って、お兄さま……」

 ──私がこんなにもお前のことを思って苦しんでいる間にも、は平然と私の隣に腰掛けて、にこにこと微笑むものだから。……以前までならばそんなを隣で見つめているだけで幸福だったというのに、私は行き場のない怒りに最早どうしようもなくなってしまい、……ああ、ならば、もう。己に課していた誓約など破り捨ててしまおうかと、ぶつりと糸が切れた瞬間に、私は、そのように思ってしまった。
 限界が訪れたのは本当に唐突で、──そうして、私は、──徐に手袋を外してから、私の行動を不思議そうに見つめているの頬にするり、と手を伸ばして、やわやわとした頬を撫でながらも、前髪や鼻先へと小さくキスを落としていく。
 最初はも、それは“今までの”兄妹としてのスキンシップの一環なのだとでも思っていたのか、くすくすと笑いながら、「……くすぐったいわ、お兄さま」なんて、久々のじゃれ合いに照れ臭そうにそのように零していたものの、──す、っと彼女の瞳を覗き込んだ途端に、──私の只ならぬ様子に気付いて、びくり、と彼女の肩が揺れたのが、抵抗が出来ないようにと片手で抑え込んだ指先越しにも、しっかりと伝わっていた。
 まあるく見開かれた瞳の中には、私の目に浮かぶ三日月が反射して映り込んでおり、──それが忌々しいやら、私を見つめる彼女が愛おしいやらで、そうっと艶やかな唇に触れようとした私は、──されど、てのひらで自身の口元を隠すように覆ったのその行動によって、それ以上の戯れを阻まれてしまう。

「……、手を退けるのだ」
「……だ、だめ、お兄さま、どうしたの……? 兄妹でこんなの、いけないわ……」
「何を言っている? 私とお前は、血の繋がった兄妹などではないだろうに……」
「……で、も……お、お兄さまは、私の、お兄さまで……」
「妹ならば、……私の言うことが聞けるな、。……さあ、手を退けなさい」

 ──呆然と、何を言われているのかが理解できないと言った表情で私を見上げながらも、──やがては、震える指を口元から離して、無防備な唇を私の元へと差し出すのだった。……ああ、そうだ。どうあっても、お前は私に、逆らえない。──お前は私のことを、“恩人だと思い込んでいて”、私を強く慕っており、恋にも近しいほどの憧憬を向けていたからこそ、……こうして、私がお前に迫ったのなら、今だってにはそれを受け入れることしかできなくなるのだと、……私とてそのような事実は、とっくに知っていたつもりではあったが、……実際に目の当たりにしてみると、これはなんとも気分が良いものである。──何しろ彼女には、他に好いた男が居るのだからな。……それでもは、私に迫られさえしたのならば、私を選ぶより他にはないのだという事実は、私の空洞を幾らか満たしてくれた。
 ふに、と軽く合わせた唇の感触にはちいさく震えて、ぎゅっと目を閉じて耐えようとするものだから、「……、目を閉じずに私を見るのだ」と、息継ぎの合間にそう命じたのなら、最後、──恐々ながらでもは、しっかりと目を開いて、目の前の現実を見届けなければならなくなる。……そうだ、それでいい。お前が兄と慕う男が今、お前に何をしているのか、……お前に如何ほどの激情を向けているのか、……お前自身がその事実を知ったとて、今更私を嫌いになどはなれないのだと、本当はお前には私が必要なのだと、──絶望に見開いたその瞳で、お前はしかと見届ければいい。
 ──とはいえ私自身も、自分が彼女に強いているこの行為を、彼女の濡れた瞳に映り込む、爛々とした目をして獰猛に笑う自分の姿を突き付けられたことにより強く意識すれば、……得も言われぬ高揚感に襲われて、このままのすべてを手酷く暴き立ててやりたい気分にも陥ったものの、……そうは言っても、私もお前を傷付けたい訳では無いのだ、本当に、心から。故に、の初めてをこの手でひとつひとつ取り上げていく過程は、大切にしてやらねばというその一心で、再び合わせた唇を穏やかに摺り寄せて、触れては離れることだけを繰り返す酷く優しい口付けを長々と贈られたが為に、……尚のこと、は混乱してしまったのかもしれないな。──兄と慕う男に傷付けられたことは事実だと言うのに、それでも、……こんなにも優しく触れられては、……私とお前はますます、私への情に縛られて気が可笑しくなってしまうことだろう。

「……、私を兄と呼ぶのはやめなさい」
「え……」
「今後は、フェイザーと呼ぶように。……良いな?」

 ──ああ、そうだな。元よりそろそろ、頃合いだとは思っていたところだ。私たちの関係性を、ひとつ前に進めるとしようではないか。私はお前の兄などではないのだと、そうしっかりと理解できたのならば、きっと、──お前も少しは、楽になれるだろう? 。……お前は私の愛した女なのだから、何処まで行っても私にとってその事実は変わらない。ならば、お前も早々に観念して、害獣の悪夢などは忘れて、私に身を委ねてしまえばそれでいいのだと、……これは、それだけの話だからな。 inserted by FC2 system


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